第33話 辺境国家の第四王子⑨
「うぇええ、僕、これ嫌いだな」
エドヴァルドはヤブ・ウィンズローから採血を受けていた。
「すぐ済みますから我慢してください」
ヤブ・ウィンズローは午前の講義を受け持っているのだが、午後を担当しているイーデンディオスはこの日たまたま早めにやってきた。
「何をしておいでですかな?」
「若君が魔力に目覚められたので魔石を作るのに必要な血を取っている所です。貴方も魔術師ならお判りでしょう?」
「ええまあ・・・しかし注射器ではないようですが?」
「注射器?」
イーデンディオスは魔術によってガラス化させ中身を空洞にした針の説明を行った。魔術師の試作品を元に帝国本土では民間でも量産が始まっている。しかし、ウィンズローには通じなかった。
「ああ、帝国ではアクスの葉をそう呼ぶのですな」
アクスは針のような葉を持つ植物で、中身が空洞でスポイトのように使える。
「同じように使えるのならば構わないでしょうが、まさか使いまわしはしていないでしょうね?」
「使いまわし?なんでまた?そこらにいくらでも生えているのに」
イーデンディオスは注射に使う針を使いまわす事によって起きる病気を危惧していたのだが、ウィンズローには通じず別の意味に彼は別の意味に捉えてしまった。
「まあ、流用しておられないなら構いません」
生贄を捧げて『治療』と称するこの国の習わしを見て短期間の内に実態を理解したイーデンディオスは説明が困難とみて断念した。
「ねえ、これ毎月やらなきゃいけないってほんとですか?」
エドヴァルドがイーデンディオスに問うた。
「どうしても、というほどではありませんが魔術師であれば周囲のマナが尽きた時に代わりに使えます。長期の研究には大量のマナが必要になる事もありますが、周辺のマナが尽きたからと言って濃度の濃い地域にいちいち移動しては捗りませんから無いよりは有った方がよいですね」
「でも、僕もいつか父上から領地を貰って統治しなければいけないんでしょう?魔術の研究なんてする気も必要もなさそうだけど」
「でしょうね。大半の貴族は殿下と同じように考えています」
じゃあ、こんなことしなくてもいいじゃないかとエドヴァルドは文句を言った。
「魔石は魔術の補助以外にも魔導騎士が肉体を強化するのにも使えますよ。陛下は殿下に自分の身を守れる程度の力は持っていて欲しいようです」
「あっそ!」
エドヴァルドは兄達を次々失ってやさぐれていた。
自分と兄を陥れたタルヴォが追放されたのには溜飲が下がったが、一時過ぎるとそれさえも後悔の種となり彼の幼い心を苛んでいる。
アイラクリオ公を放置している父にも不満で、それを表に出すと母に迷惑がかかる事くらいは理解している。ストレスが溜まって、何もかも気に入らない。
「ご機嫌斜めのようですね」
ウィンズローが苦笑する。
「当たり前でしょ!それより今日はパラムンの処へ行っていい?」
「午後はイーデンディオス殿の講義があるでしょう?木曜日までお待ちなさい」
ティーバ公から年の近い息子の友人になって欲しいといわれてエドヴァルドは最近彼の見舞いに何度か足を運んでいる。周囲の監視が厳しくなった今、数少ない外出理由になるのでエドヴァルドは頻繁に病に苦しむパラムンの処へ行っていた。
「殿下に学ぶ気が無いのなら時間の無駄です。どうぞご自由に」
前の教え子に比べてこの子は我慢が足りないとイーデンディオスは評価していた。
「そう?良かった。じゃあ先生も一緒に来てよ」
「私が?」
「うん、先生も暇になっちゃうでしょ?父上にお給料減らされちゃうかもしれないし」
「おやおや、お気遣いありがとうございます。ではご一緒に参りましょうか」
そうしてイーデンディオスが会った少年は一見健康そうであるが、しばしば発作を起こして倒れる謎の症状に襲われていた。
◇◆◇
「来てくれてありがとうエドヴァルド」
王城の一角、登城した際のティーバ公の為に割り当てられた部屋でパラムンは暮らしている。あまり部屋から離れられず、飼っている火狐とエドヴァルドだけが彼の癒しだった。
「調子はどう?」
「いつも通りだよ。酷い頭痛に、眩暈、時折気絶」
天文官の天気予報のような口ぶりだった。
医者は体を鍛えるように、というが体を動かすと却ってひどくなるので鍛える事も出来ない。イーデンディオスは症状を聞いて気になる事があり、ひとつひとつ質問を投げかけた。
「若君、食事に好き嫌いは?」
「無いよ、好きなものはたくさんあるけどね。体に悪いって食べさせてもらえないんだ。ところで貴方はだあれ?」
「僕の先生さ。帝国から来た偉い人なんだ」
エドヴァルドが父親にあてがわれた家庭教師だと説明する。
「へー、専属の先生がいるんだ。僕なんて姉が家庭教師さ」
「お姉さんが?」
ティーバ公の家庭ではこの国では珍しい事に女性にも高度教育を施されていた。
ふむ、とひとつ頷いてイーデンディオスは若い王子達の会話に口を挟んだ。
「若君達は秘密の話は守れますかな?」
「お?悪だくみ?やるやる!」
パラムン少年は頭に関する事以外は健康なのに寝台に縛り付けられていると不満が鬱屈していて、イーデンディオスの誘いに乗った。
「では、私が陛下にパラムンどのの余命は幾ばくも無いから好きな物を食べさせてさしあげるように申し上げます。パラムン殿はせいぜい苦しそうに日常を送っていてください」
「へへっ、お安い御用さ」
イーデンディオスはベルンハルトにパラムンの食事を脂肪たっぷりの豚の燻製肉やら牛の乳を使った冷菓子やらに置き換えるよう推奨し、一年とかからずにパラムンの病を癒した。ティーバ公は当初猛反対したのだが、余命いくばくもないから好きにさせてやれといわれると息子を哀れんで承諾した。
副作用として彼はひどく太ってしまい、それを治療する為に引き続き王都に滞在してエドヴァルドと共に、武術を学びメッセールやシセルギーテの教えを受けた。
◇◆◇
一年後、発作が起きる事もなくなり、すっかり健康になったパラムンはイーデンディオスに問うた。
「先生は医学も嗜んでいるの?」
「多少はね。妹弟子ほどではありませんが」
「へぇ、凄いんだ。お医者さんやった方が儲かるんじゃない?」
子供の無邪気な物言いにイーデンディオスは苦笑する。大人の世界は世知辛い、彼が勝手に患者を診るようになれば、ありとあらゆる分野で嫌がらせが行われ最悪暗殺者が送り込まれてくる。薬草を煎じようにも薬草を売って貰えず、金物も日常生活を送る為の食料も買えなくなる。自力で調達しようとすれば患者を診る暇も無く生きるだけで精一杯だ。
そもそもイーデンディオスは医者をやらずとも生きていける。
「若君達にはそんな社会を変えて欲しい。そうでなければ優秀な人材は皆帝国に流れてしまいますよ。そんな事はお互いの為になりません。帝国であれば若君を治療した療法も出版されていて誰でも知ることが出来ます」
億単位の人口を統制する帝国政府の保健当局は大量の臨床試験データを集めていて、有効とされた治療法はすぐに出版されて広く広報されていた。
しかし、東方圏では東方職工会が長年知識を独占していて特権的地位を守るために、故意に嘘の情報も混ぜていた。何千年もそれが続くうちに何が本当で何が嘘なのか当人たちにもわからなくなり迷信が蔓延っている。
外交や貿易を管理している帝国の東方圏行政府に取っては彼ら職工会は悩みの種である。昔は東方圏が帝国に匹敵しえない後進国であって欲しい為、それを見過ごしてきた。
しかし、西方圏が市民戦争で衰退、南方圏は反乱を起こして失敗し内戦が激化、北方圏は『マッサリアの災厄』で人口が激減、蛮族と戦う同盟国に混乱が広がり、市民階級が隆盛していくと東方の諸王国の援助が必要になったのだが、今更改革は困難になっている。
どうにかしようとしても敵に実態は無く、いつの間にか推進者が暗殺されてしまう。この『敵』というのが厄介で東方職工会に司令塔はなく親方達の横の繋がりに過ぎない。
まだまだ子供のエドヴァルドにはそんな社会の問題点を話されても理解が及ばなかった。
「僕らにそんな力は無いよ」
パラムンは第二子、エドヴァルドも王の子とはいえ、第四王子に過ぎずさらに父親との軋轢が深まっている。