第10話 秩序の崩壊
エドヴァルドが勤めているパン屋の主人はフランデアン出身でヤンという名前だった。休憩中にふと疑問を彼に語った。
「なんで帝国に移り住んだんです?それにフランデアン王国には移動の自由があるんですか?」
急成長中のフランデアンにいた方が好景気の恩恵を受け入れられたのでは?と思う。
「ああ、私は昔東ナルガの蛮族戦線に義勇兵として参加した事があってね。それで帝国市民権を貰ったんだ」
「おじさんが?」
確かに腕はかなり太い。相当な腕力がありそうだ。
エドヴァルドも少し手伝いで教えて貰ったが、毎朝小麦粉をこねまわしてパン生地を作るのはなかなか大変だ。
義勇兵としてこの太い腕で随分な敵を倒した来たのだろうと推察される。
「信じられないかい?腕利きとはいえないが、何年も最前線で戦って生き残ったんだ。私達の指揮官は後にスパーニアの国王になるティラーノさんもいた。彼はいい指揮官だったよ。いろんな国から来た義勇兵をまとめあげてた。彼がいなけりゃうちらは生き残れなかった」
「その王様はフランデアンと戦って負けたと聞きました。戦争中、複雑ではありませんでしたか?」
「もちろんさ。だけどスパーニアは私らにとって大した脅威じゃなかったんだよ。ウルゴンヌの人には悪いがね」
「脅威じゃない?人口二千万以上を誇る大国が?」
「ああ、フランデアンにとって一番多くの被害を与えたのは中原のガヌ・メリっていう国だった。野蛮で遅れた国だと思っていたのに魔獣を使って砲兵隊を率いてフランデアンの東半分を蹂躙した。スパーニアはフランデアンの本土に攻め込む事さえ出来なかったのにね」
スパーニア戦役は東方圏で起きた戦争としては過去最大級だったのでエドヴァルドはバルアレス王国時代にいた頃も、留学してからもさんざん習ってきたので経緯は知っている。
だが当時、兵士として最前線で戦ってきた一般人の感想は生々しく大いに興味を惹かれた。
「それで、どうして帝国に?」
「単純に市民権を貰った以上、来てみたかった。うちの国のお城の何倍もでかい要塞を何十も築き上げる帝国の都ってのを拝んでみたかった。それに自分の腕が世界で通じるのかも見てみたかった」
「どうやら成功したみたいですね」
「ああ、おかげさんでね」
「ここの暮らしはどうです?」
「税金は安いが物価は高い。商売が軌道に乗らないと不味かったな。あとは詐欺師が滅茶苦茶多い。法律が細かく定められてるのはいいが、それを出し抜く奴も多い。『疑わしきは罰せず』っていうお題目はいいが、裁判にさんざん時間かけておいて結局何も判断しないってのも多いな。フランデアンだったらご領主様がこいつうさんくさいから処刑って言って終ってたもんだ」
判断に困る場合、帝国では無罪。フランデアンでは領主が恣意的に判断して刑を執行してしまう。当然冤罪も多いし、讒言に左右される。
「君の国はどうだい?」
「領主が決めるのは同じですが、処刑する時は領主が自ら腕を振るいます。僕も随分この手で殺しました」
「おお、さすがだ。怖くはなかったかい?判断を誤っていたら?と」
「自分に自信が持てないなら刑は執行しません。処刑する側が覚悟を決めるだけの証拠は提示させました」
ヤンは頷いた。
「皆、君くらいの覚悟がある領主ならそれでいいのだろうけどね。私は帝国の考え方の方が好きだ。平民は領主達の気分で生殺与奪が握られてしまう。直訴も出来ない。ちょっとくらい不愉快な事があっても帝国の方がいい。弁護士さんも多いし、うちらには分からない事はうまく対応してくれる」
「ヤンさんの場合は商売がうまく言ってるから弁護士を雇えるだけでは?」
「そうさな。その通り、失敗してしまった者には厳しい都だ」
ヤンは蛮族戦線の縁で帝国の退役兵達がよく寄ってくれる店を構えられた。
警察署の近くで治安も良く、警察官もよく寄ってくれる。
その中には以前エドヴァルドの取り調べをしたラトクリフ巡査もいた。
◇◆◇
ラトクリフ巡査はエドヴァルドが夜にバイトしてる酒屋にも来て飲んだくれる事があった。酒屋兼飲み屋なのでなかなか賑わっている。
「君は頑張るねえ、王子様で方伯家のお嬢さんとも親しいのにこんなところで働いてさ」
「ちょっとちょっと・・・!」
酒屋の方には身分は伏せているのでエドヴァルドはラトクリフの口を塞いだ。
「ああ内緒なんだっけ。大丈夫大丈夫喋ったりしないよ、職を失いたくないし」
「誰もそんな圧力加えたりしないと思いますけど」
エドヴァルドに帝国の警察に圧力をかけられるような力は無いし、コンスタンツィアもそんな真似はしない。
「君達はそうでもね。『組織』ってのは勝手に忖度してそういうことするんだよ。僕の代わりなんかいくらだっているんだ。貴族の後ろ盾が無ければ署長の首だって簡単に飛んでしまう」
どこかで誰かが休憩中に「あいつ睨まれてるらしいぜ」とか雑談に出しただけで「んじゃ、早めに外した方がいいかな」「署長が飛ばせって指示だ」という風に話が勝手に発展していくとラトクリフはいう。
「ふーん、ところで向こうで喧嘩してるけど止めなくていいんですか?」
「いいのいいの。仕事中じゃないし。誰かが収めるさ。貴族同士の喧嘩だし」
貴族が平民の服装を好む事があっても、逆は出来ないので古典的な帝国貴族の襟の高い服は目立つ。庶民の飲み屋でも一目で貴族とわかった。
「貴族とか関係あるんですか?なんか止めに行った人にも殴りつけてますけど」
近くの人が宥めようとしたが、殴られてぶっ倒れてしまった。
「あるある。貴族の事は法務省の監察隊がやるんだ。うちらの監督組織は内務省だしアージェンタ市警察が直属だし」
「それは知ってるけど、暴行の現行犯だし。普通に逮捕出来るんじゃないんですか?捜査はともかく」
ラトクリフが警察官だと知っている他の常連客も止めろと言ってきた。
「貴族に本気で抵抗されたら僕に止められるわけないだろ。僕が死んだら妻子はどうなるんだ。君らが責任持って一生面倒を見てくれるのか?まあ見てくれてもやだけどね」
「じゃあ、せめて仲間を呼ぶくらいとかさ」
「僕は非番だってば。自分で署に通報してくれ」
ラトクリフに仕事をするよう要求した男は嘆いた。
「ヴィキルート様がいらっしゃった頃は警察も真面目に仕事してたのになあ。結局皇家のトップがいなきゃ駄目か。道の工事ひとつろくにできやしねえ」
「給料が出れば少しはやる気になるさ。前なんか二ヶ月給料が止まってたんだぞ。少しは僕らの事も考えて貰いたいね」
ウマレル政権時代に皇家と揉めて、議会と揉め、予算を止められ最終的にアルビッツィ家とガドエレ家が緊急融資してくれて役所は再び動き始めた。
「みんな増税を嫌がるけど、お貴族様の気紛れな投資に左右されたくなきゃ受け入れるしかなかったんだよ。貧民達だってお貴族様の人気取りでやってる配給を有難がるけどさ、ちょっと政府と揉めたくらいで停止されて餓死者が何万も出るじゃないか。本当は役所がやるべき事だろ?」
「その通りです。社会は貴族の気紛れに依存し過ぎですね。平民の富裕層は滅多にそんな慈善事業なんかやらずに自分の利益ばかり追い求めますし社会制度として整備しなおすべきです」
ラトクリフに同意したのは以前ソラと一緒にいるのを見かけた女性だった。いま来たばかりらしくソラも遅れてやって来た。
「なんだ喧嘩か?」
「ああ、今日も飲みに来たのか」
「ああ、友人を連れてな。でもなんか騒がしいな」
「ちょっと待っててくれ」
仕事をしたくなくて理屈をこね回しただけかもしれないが、給料が何ヶ月も止まったり、妻子に災難が降りかかる事を恐れている人を強引に駆り出しても可哀そうなのでエドヴァルドが喧嘩している客を叩きだして、友人達の席を作った。
後日その貴族から文句を言われたのか、エドヴァルドはその酒屋の仕事を首にされてしまった。




