第7話 スキャンダル
新帝国暦1431年9月。
学院にはコンスタンツィアが戻ってきたが、相変わらず学院内に流れる空気は重苦しい。
留学生の多くは勿論、帝国貴族も大勢姿を消した。
ユースティアとフィリップが去った事で風紀委員も活動していない。
ユースティアが姿を消した原因となった暴露記事と張り出されていたという乱交現場の念写用紙の事をエドヴァルドから聞いて、コンスタンツィアも肩を落とした。
「そう。エドも変な噂に影響されないようにね」
「はい・・・今度はこいつとレクサンデリ殿の間の同性愛疑惑まで持ち上がっていて困ったもんです」
「あらら・・・困ったものね。半分は女の子だから同性愛じゃないのにね」
フォーンコルヌ家とシャルカ家から帝都に足を運べないのでコンスタンツィアに理事長代理を任せるという連絡があったので、今は理事長室にいる。
内緒話をするのにも好都合だった。
「どうしよう・・・レックスに迷惑かけるつもりはなかったんだけどボクと帝国人じゃ大分感覚が違うみたいで」
スキンシップ好きのイルハンはエドヴァルドにもしょっちゅう抱き着いたり腕を組んだりしているのに、そちらで同性愛がどうのこうのと言われたりはしていない。揶揄われた事くらいはあるが、深刻な問題では無かった。
「帝国では近親相姦と同じくらい同性愛は禁忌なのよ。エドとイルハン君は外国人だから暖かい目で見られていただけだわ」
「それにしてもいったい誰が撮ったんだコレ」
エドヴァルドが持っているのはイルハンとレクサンデリが裸でシャワー室に入る所を念写された紙だった。レクサンデリがイルハンの肩を持って抱き寄せているように見える。
イルハンによると単によろけた所を支えてくれたらしいが、イルハンはそのまま身を預けて抱き着いていた。それを親密そうに、意味ありげに校内新聞で書かれていた。既に外部にも流出している。
校内掲示板の物は剥ぎ取ったが、もう遅い。
「ヴィターシャと一緒にやっていた子が新聞部を引き継いでるから聞いてみるわ」
◇◆◇
エドヴァルド達を帰らせた後、校内放送用の魔術装具を使い部長のローナ・ガレオットを呼び出した。
「それで?貴女は何故こんなものを校内に張り出したの?」
コンスタンツィアは校内新聞と念写用紙を彼女の前に突きつけた。
「何か問題が?」
「同性愛だなんて不謹慎だわ。それに盗撮でしょう、これは。本人の同意を得ていないわ」
「そちらの念写については私も知りません。張り出されてあったものを見て『皇家の長男が外国王子と親密な関係に?』という記事は書きましたが問題のある内容とは思いません」
「本当に貴女や、新聞部が張り出したのではないの?」
ローナは頷いた。
しらばっくれているだけかも知れないが、どうやら早まったらしい。
確かに証拠はない。
「本当に違うのね?調査すれば被写体だけでなく撮った人間の魔力も特定できるのよ?」
「違います。少なくとも私では無いです。それに背中が写ってるだけじゃないですか。大して問題があるとは思えません。男子なんて修練場ではしょっちゅう上半身裸でうろついてるし」
逞しい筋肉好きの女生徒が観客席で見学して目の保養にしている事もある。
「それとこの記事が合わさると問題なのよ。わかっていてやっているんでしょう?」
「別に二人がデキているならそれでもいいじゃないですか。彼は外国人だし、文化の相互理解に繋がります。二人が同性愛者だと断定してるわけでもなし、読者の問題です。新聞部の記事には何の問題もありません」
確かに記事には疑問符がついている。同性愛者ではないのならレクサンデリが否定すればそれで話は終りだ。
「解釈を巡って言い争いをするつもりはないわ。これ以上面倒を起こすのなら掲示板の使用許可を取り消します。配布も禁止です」
「仕方ありませんね、以後注意します。コンスタンツィア様にご迷惑をおかけしたいわけではありませんし」
ローナは肩を竦めて慎重な記事を書く事を約束した。
「協力に感謝します。もう下がっていいわ」
「有難うございます。・・・一言申し上げてもよろしいですか?」
「どうぞ」
「ナトリ大橋の件、お見事でした」
さんざん詰問したので何かやり返されるのかと思ったが、ローナはコンスタンツィアを賞賛し始めた。
「わたくしは別に大した事はしていないわ。多少寄付はしたけれどもっと多額の寄付をしてくれた豪商も多いし後始末なんて皆やりたくないでしょうに、引き継ぎに名乗りを上げて協力してくれた業者がいたからこそうまく進んでいるのよ」
「でも誰かが率先してやらなければ、もっと遅れていた筈です。世の中財力や能力を持つ者は他にいるかもしれませんが、皆傍観して責任を問うていただけでした。指導力を発揮できる者がいなければどんな力も宝の持ち腐れだと思い知ります。コンスタンツィア様はまさに貴族の鑑というべき方です」
「有難う、貴女のお爺様も立派な方だったわ」
ローナ・ガレオット。
ボロスに殺害された帝国議会の指導者ガレオット公爵の娘。
4年生、17歳。
ヴィターシャと共に新聞部を立ちあげ、彼女が退学後は後を引き継いでいる。
彼女の言う通り背中から撮っただけの念写姿は大した問題ではない。
これまでにも学内で怪しい噂、怪談話、教授と生徒の熱愛、面白おかしい噂話などを取り上げて来たし、それに比べて内容は特に過激でもない。
ユースティアの件に比べれば笑い話である。
しかし、外部に漏れた話を大手三紙が拾い上げて社会的な問題になってしまった。
アルビッツィ家の後継者はレクサンデリで間違いないと言われていたが、不適切ではという声も上がり、弟のベルナルドと対立が深まった。
アルビッツィ家当主エンツォ・アルビッツィは急遽レクサンデリとディシア王国の王女カトリネルとの婚約をまとめた。もともと東方進出を公言していたアルビッツィ家にとって極東の大国であるディシアは東海岸において最大規模の帝国系自由都市と隣接している。そのギィエッヒンゲンを抑える為に必要な政略結婚だった。
◇◆◇
「まさかこの私があの幼女と婚約させられるとはね・・・」
レクサンデリはエドヴァルドとイルハンにぼやく。
「キャットはいい子だよ」「ちょっと抜けてるけどな」
去年の補講を思い出してエドヴァルドは苦笑する。ありていにいって11歳とはいえあの子は自分よりも勉強が出来ない。両親に大分甘やかされたらしい。
「外海側、東海岸で一番帝国と離れてるから帰国出来ず残っていた彼女が目をつけられただけだ。ちょうど商談で国王陛下も来ていたしな」
「嫌じゃなければどうぞお幸せに」
「あの子はどう思ってるんだろうな。話した事も無いぞ」
「父親の命令は絶対だ。従うよ。従うしかないのに、好きか嫌いか聞いても可哀そうだ」
「そうだな。まあ可愛い子だ。将来は美人になるだろう、嫌われていないならいいさ。それにしても誰があんなものを撮ったのやら」
中庭で彼らが話している東屋付近に人が近づかないよう人払いをしてくれているジュリアも険しい顔だ。イルハンを見る目も冷たい。
「主人に余計な面倒かけやがってという顔だな・・・」
聞こえないように小声でエドヴァルドが話し、睨まれるイルハンが身を竦めていた。
「イリー、だからべたべたするのは止めろといったろ」
「だってぇー」
「だってじゃない」
「寂しいんだもの。人のぬくもりが欲しいの」
エドヴァルドは溜息を吐く。コンスタンツィアがいなければ気持ちが揺れるくらい以前にもまして可愛らしくなってきた。
「そんなこと言ったらそれこそそこらへんの男に押し倒されちまうぞ」
「確かにいまのはちょっとグラっと来た」
そんなレクサンデリに対してジュリアの眦がさらに上がる。
「ふざけんじゃねーぞって顔になったぞ。こえーな」
エドヴァルドがまたちょっと声を潜めて二人に話しかけた。
「しかし民衆の力というのは恐ろしい。誰が支配者なのか分からなくなってきた。これもギルバートの呪いか」
「ギルバートの呪い?」
「ろくに取り調べも受けず処刑されたギルバートは最期に呪詛の言葉を残した。曰く・・・」
レクサンデリはギルバートの言葉を紹介した。
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執行当時、バルディ家のギルバートは司法長官によって最後の言葉を残す事を許されたが、弁明ではなく集まった人々と皇帝に呪いの言葉を吐いた。
『カールマーンよ、皇家の当主達よ!聞け!!無実の人間をこうも貶めた民草も!人の時代は間もなく終わる!終末の時代には天が地に、地が天になり地面から天に向かって血の雨が降る。人は棲み処を失い、この世の支配権を失い、虐げた獣にひれ伏し皇帝も民草も全て次の時代では家畜に成り下がる。あの世で貴様らが苦しむ様を大笑いしながら見届けてやろうぞ』
「黙れ終末教徒が!」「反逆者!!」
民衆は騒いでギルバートの即時死刑執行を長官に求めた。
ギルバートは髪を振り乱して狂ったように笑い、延々と人々を呪い続けた。
皇帝、貴族達の地位は民衆へ、民衆の天下もまた蛮族に取ってかわられる、と。
執行人が剣を降り下ろしたが、異様に硬くなかなか首を切断できず苦しみながら尚も笑っていた。
ひとりの騎士が哀れんでギルバートの首を切断し、頭蓋骨をウルゴンヌにいる内縁の妻の下へ送った。
後にカールマーンは最後の言葉が呪いの言葉だったと聞くと怒って妻子も処分しようとしたが、その前に東方候が彼女を第三国に送り、そこで女性だけが入山を許される山の寺院に隔離されたと聞くとそれ以上の追跡はしなかった。
ギルバートの残った胴体は農耕馬などの骨が放り込まれる穴に放り捨てられた。
いわゆる畜生塚である。
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「レクサンデリが呪いを信じるとは思わなかったな」
「世の中がこうも暗澹としてくればな。それに言葉には力がある。議会から選帝対象として相応しくないと外されたとはいえバルディ家の末裔だ。古代神聖語にも堪能で神々と世界に対して投げかけられた言葉には力がある。コンスタンツィア殿も時々神と対話しているぞ、お前も見習ったらどうだ?」
「軍神の使徒である俺の対話方法なんて殺し合いが全てさ」




