第31話 もう少し時がゆっくり流れてくれたら
ヴァネッサはエイレーネにお茶を出した後、二人の会話を邪魔しないようにタマを膝にのせて隣室のバルコニーでぼんやり工事を眺めていた。
「兄上、あの子が『エイダーナの娘』さんですよ。話していきますか?」
「いや、いいよ。ここの連中は誰も気に留めていないようだし、そっとしておこう」
声からするとすぐ下で妖精兄弟が何やら話している。
「そうですか?それにしても僕ら以外にも古き森の女神の事を伝えていてくれる民が残っていて良かったですね」
「ああ。まあ、彼女は月の女神の娘だが」
「帝国の人達は無反応でしたね」
「・・・自分達が神話を編纂しておいて、逆に原典を忘れてしまったんだ」
「帝国は何度も政体が変わっていますもんねえ」
妖精兄弟はそんな事をいいながら騎士を引き連れてコンスタンツィア邸を出て行った。近くの建物の屋根にはダーナとかいう娘が弓を携えて辺りを警戒している。
先日、コンスタンツィアとエドヴァルドが人目もはばからずキスしていると、あの女の子が妬いてそれを邪魔しようとした。ヴァネッサは思わずそれを後ろからしばき倒してしまった。
二人の間を邪魔して欲しくなかった。
おや、と意外な顔をしているエドヴァルドにヴァネッサは慌てて取り繕った。
「今のは貴方の誠意に感じ入ったからよ。助けに来てくれたお礼。勘違いしないでよね」
「・・・」
コンスタンツィアも周囲に人がいるのを思い出して、その場ではそれ以上話さなかった。
「そうね。また今度ゆっくりお話しましょ」
会う度にぐんぐん背が伸びていっているとはいえ、自分より背が低い男も年下も好みじゃなかった筈だ。それが夢の中に夜這いに行ったんだか、されたんだかして以来急に男として意識し始めていた。
あんなことしなきゃよかったのに、とヴァネッサはぼやく。
アンドラーシュの仲裁によって危機は去り、聖堂騎士団が守りに入った事で男子は各々自宅へ帰ったがシュリとダーナは警備に残っていた。
◇◆◇
「あーもう!」
思い悩み、イライラしたヴァネッサは大声を出し、驚いた猫が逃げていく。
「どうかしましたか、ヴァニーちゃん」
いつの間にかやってきたノエムがヴァネッサに声をかけた。
「前の約束ですからその呼び方は止めて下さい」
「どうかしました?」
問われたヴァネッサは思いのたけをぶちまけた。
「ほうほう、とうとう二人の仲を認めたのは結構なことですね。それにしてもなんでそんなにコニー様に執着してたんです?」
「ほっといて下さい。それより男系が繋がってもうお姉様は方伯家相続の脅威じゃなくなったみたいですけどうちの父もお館様の周りにもまだお姉様を邪魔に思っている人達がいるみたいなんです」
「そうですか・・・。ならやっぱり早く結婚して帝国から出て行った方がいいかもしれませんね。内乱が片付いたら家格に差があり過ぎるとか横槍がたくさん入りそうですし」
「お姉様はきっと逃げるような真似はしませんよ。今回だって逃げようと思えば逃げられたのに・・・」
追跡されて惨めに捕らえられるくらいなら自殺する。
自殺は禁忌とされている帝国だがコンスタンツィアはきっとそうしただろう。
「そうですねえ・・・。無理を通せばエドヴァルド君も帝国騎士として出世するのが難しくなりそうですし。うーん、方伯様より上の立場・・・皇帝陛下とかに守って貰えるのが一番かなあ」
「陛下死んじゃったじゃないですか・・・」
病気だとか既に死亡したとかいろんな噂が飛び交っていた。
「まだ消息不明ってだけですよ。このまま見つからなくて次の皇帝になりそうな人が選挙皇帝制辞めようとか言い出したら困りますけど」
「なんでです?」
「そしたら多方面の支持もあり家格の面で最高位である方伯家で未婚でさらに年頃のコニー様を妻にしたがるに決まってるじゃないですか」
「アンドラーシュ様もベルディッカスも奥様いらっしゃいませんでしたっけ?」
「帝位が欲しければすぐに離婚しますよ」
圧力をかけられる前に結婚してしまえば、それを引き裂かれる事もない。
コンスタンツィアが既に結婚していた場合、無理を通せばさすがに世論が敵に回る。
「でもやっぱあいつ若すぎます」
「東方ではそうでもない筈です」
「お姉様も頑なだからすぐには子ども扱い止めませんよ」
反発しつつも方伯家で生まれ育ったコンスタンツィアは名誉、矜持を気にする。
十代で四歳年下の男の子との結婚をすぐには進めようとはしないだろう。
「なら、わたし達がほぐしましょう。時代は待ってくれませんよ」
ノエムから反論を受けてヴァネッサは深く溜息を吐いた。
「はああ、なんで私女なんだろ。なんで力が無いんだろ。今回もずっとお姉様の隣でこのウサ耳つけて立ってただけの役立たずでした」
「精神的には助かった筈ですよ。いくらコニー様でも怖かったと思いますもん」
「そうですかねえ・・・」
「ですです」
先の事を悩むノエムとヴァネッサ達だったが、庭先にそんな事を露とも知らずエドヴァルドがうきうきした歩調でやってきた。




