第14話 ベルディッカス
新帝国暦1431年1月、蛮族戦線にて。
後方で再編成を完了していたベルディッカス率いる10万のラキシタ家の大軍はサウカンペリオン反乱軍討伐の名目で一時的に蛮族戦線を離れた。前線にはまだ総司令官ガウマータ将軍率いる5万の軍が残っており、この動員兵力の多さが皇家の中でも最大級の武門の大家であることを物語っていた。
多くの人はベルディッカスの動きを名目に過ぎずそのまま南下すると思ったが、ベルディッカスはサウカンペリオンの白の街道上に陣取って動かなかった。
「本気ですか、兄上!」
「何がだ?」
帝国政府も皇帝もサウカンペリオン制圧は名目に過ぎず、自由になったベルディッカスは帝都に向かうと思っていたが、彼は予定通りサウカンペリオンの大王を名乗るヴィルヘルムとの戦いを開始した。
引き返せという急使の命令には従わなかったが、この行動はあくまでも勅命通りであり、誰も妨げる事は出来なかった。
一方、五法宮で姿を消したファスティオンは南に逃げると見せかけて、警備の緩い北側から脱出しベルディッカスと合流したのだが、思惑と違って馬鹿正直に反乱討伐を開始した長兄に文句をつけた。
「僕がベルディッカス兄上に五法宮の出来事を伝えに来たのは何のためだと思っているのですか!」
政府から伝令が皇帝のもとに届くと最前線で何も知らないラキシタ家の派遣軍に危険が及ぶ。そう判断したファスティオンは正確な情報を長兄に届ける為に、艱難辛苦を潜り抜けてやってきたのだ。
「お前の言いたい事は分かっている。しかしここで軍を南に向ければ本国の父上達が窮地となる」
「何もせず傍観していても政府は一方的に我々を悪者にして我が家は終りです。今すぐに南下すれば準備の整っていない帝都を強襲し、その間に父上達は挙兵する時間が稼げる筈です!!」
一部の将軍もファスティオンに同意して南下を迫った。
将軍の一人、ヒュスタスが前に出てベルディッカスに進言する。
「この際、ヴィルヘルムとは休戦し彼をもって後背の皇帝に対抗させてしまえばよろしい」
「ヒュスタス、それはならん。まだ蛮族戦線にはガウマータ将軍率いる五万の味方が残っている。今は勅命に従っている以上、誰も手を出せないが我々が南下すれば彼らはなぶり殺しの目に遭ってしまう」
「そうは思いません、皇帝は将軍を懐柔しようとするでしょうが彼は従わないでしょう。皇帝も蛮族とヴィルヘルム、そして将軍の五万の兵を同時に敵に回したりはしない筈」
ヒュスタス将軍の見解では蛮族戦線派遣軍本隊は放置される筈で敵中に孤立させる事になるが、それで却って敵の動きを拘束出来ると進言した。
「駄目だ。味方を見捨てはしない」
「味方といっても傭兵ばかりではありませんか!」
「ならん、ここの大将は私だ。私の命令に従え」
◇◆◇
この後しばらくベルディッカスは積極的にヴィルヘルムとは戦わず、情勢を見極めるのに専念した。蛮族戦線総司令部から軍を戻すように命令は届いたが、先の勅令を見せて新しい命令が本物かどうか疑わしいと言って追い払った。次の使者には交戦中で動くに動けないと命令を拒否して翻弄する。さらに白の街道に陣取って関所を設け政府側と皇帝との間の連絡線を断って時間稼ぎに終始した。
ベルディッカスの読み通り帝国政府は北の彼らを警戒して全軍をラキシタ家の本国に振り向ける事は出来なかった。ベルディッカスが勅命に従いヴィルヘルムと交戦しているという体をとっている以上、世論もラキシタ家擁護に傾き、政府も諸皇家に討伐軍を起こすよう命令は出せなかった。
しかし、都内でサビアレスの妻が死に、他にラキシタ家に所縁ある人物達が次々逮捕され人質になるのを拒否して自殺者が増え始めると諸将はベルディッカスに対して苛立ちを見せ始めた。
「兄上、いつまでこんな所で足踏みするつもりですか!?」
「左様、密偵からの情報ではご当主も遂に動かれた様子。南北から挟み撃ちにする絶好の機会ですぞ」
「まだ早い。都内には正規軍とオレムイストの15万の大軍がいる。せめてオレムイスト家の軍が都内を出ない限り市街戦で多数の民衆が巻き添えを受ける。今は都内に残る各軍団長に中立を求める使者を送っていればよい」
この時、蛮族戦線、サウカンペリオン、帝都周辺の各軍団の支配地域間には奇妙な通商関係が成り立っていた。西方、北方、東方から帝国本国に陸路で交易する為にはどうしてもサウカンペリオンを通らざるを得ず、ベルディッカスは帝国軍の兵糧輸送部隊から自軍用に徴発しつつも蛮族戦線にも届けるのを許した。この均衡を崩せばどう状況が転ぶか読めず、どの勢力も動くに動けないまま次の契機を待っている。
ベルディッカスは帝都防衛に残っている正規軍の軍団長達に使者を送りつつ、使者と同行させた密偵に蛮族戦線の疫病流行が悪化した、とか皇帝が自ら動かないのは既に死亡しているからだとの噂を都内に流させた。そういった諜報活動に従事した事が無かった割に、帝都では妙にラキシタ家の支持勢力が増えた。
◇◆◇
そして5月。
ベルディッカスの所へどうも皇帝が本当に蛮族戦線で死亡したらしいという情報がガウマータ将軍からもたらされた。そしてとうとうオレムイスト家の軍が帝都を離れ、ストリゴニア州で壊滅的被害を受けたとの報がやって来た。
「兄上!もうよろしいでしょう。今こそ動くべき時です。我々が帝都に圧力をかければ正規軍は戦わずして降伏します」
「左様、ご当主も都内に進撃されている頃でしょう。これ以上律儀に都内に入るのを躊躇う必要はありません」
帝都での市街戦を嫌い、ベルディッカスは帝都防衛軍団の離反工作に専念していたが、力の均衡が崩れた以上これ以上は武力による示威活動で軍団長達に翻意を迫るべきと判断した。
ベルディッカスが信頼を置いている若いロヘーリオ将軍もここらが潮時だと進言するとベルディッカスもとうとう方針を変更した。
「わかった、お前達のいう通り動くべき時が来たようだ」
おお、と諸将も席を立ってベルディッカスの判断を歓迎した。
「ファスティオンには三万の軍勢を預ける、南下してヴェインツィー市とモアネッド市を落としてから父上との間に直接連絡を取れるようにしろ。ヒュスタスは補佐につけ」
「たった三万ですか?兄上はどうなさるのです?」
「ヴィルヘルムと交戦を続けるに決まっている」
「まだそんなことを!」
その気になれば独力で帝都を落せる兵力を持ちながら動かない兄にファスティオンは苛立つ。
「サウカンペリオンさえ保持していれば今後情勢がどう動いても対応できる。お前のような若輩者を大将として派遣するのは皇家の権威をもって無駄な戦いを避けさせる為。それがわからないか」
「でしたら大軍を与えて下さい。その方が、道中の関所や砦の兵士も退きやすいでしょう」
「知事たちは中立を約束している。道中を制圧して支配する必要はない。帝都各市の要衝を抑えるには三万で十分だ。軍権は将軍に与える、それで十分だな?」
「はっ」
お守り役の将軍が納得してしまうとファスティオンはそれ以上抗弁できず、命令を受け入れた。
「ファスティオン、将軍。最優先の攻略目標はヴェンツィー市の水道施設だ、次にモアネッド市の天の牧場、最後にチェセナ港。限られた兵力である以上、無駄な戦いは避け、可能な限りこちらに従う正規兵に治安維持を任せろ」
「ウマレルらは宮殿内の政府施設に立て籠もると思いますが・・・、大宮殿を真っ先に落として政府の要人を捕らえ、全国へ我々の勝利宣言を出し、オレムイスト家の追討令を出してはどうでしょうか?」
「大宮殿は近衛兵団が守っている。数人は近衛騎士もいる筈、強引に立ち入ろうとすれば甚大な被害が出るぞ」
「近衛兵の大半は陛下と共に蛮族戦線にある筈では?」
ベルディッカスは近衛兵がまだ一千ほど残っている事を伝えた。
「たった一千ですか?それなら城壁の全てを守れない筈です、壁を爆破するなり攻城砲を持ち込むなりしてしまえば宜しいのではないでしょうか」
「天柱五黄宮の外壁に通常兵器は通じん、穴を開けるなど不可能だ。ヴェンツィー市の水道施設から地下水路に流れ込む水を止めてしまえば大宮殿への水道供給を止められる。備蓄はあるだろうが、十万もの官僚が務める大宮殿は長くは持ちこたえられん。いいな、無駄な戦いは止せ」
納得出来なければ外すといわれてファスティオンは不承不承ながらも頷き、諸将の前で命令を忠実に実行すると誓った。
「次に、ロヘーリオ将軍。君に一万の軍勢を委ねるバルドリッドを強襲し港を抑えろ」
「はっ」
ロヘーリオは旧スパーニア国王に最後まで従った騎兵隊長の息子で、彼の父も帝国追放刑に遭ってしまった。国が滅んだ後、ロヘーリオは放浪していたが蛮族戦線で義勇兵として活躍した経歴を持つ。傭兵を徴募した際、ベルディッカスが採用して将軍の地位を与えていた。
「上手く治めればストラマーナ公領は君のものだ。君が王となるなり、自治都市で連合体制を維持するなり好きにしていいが、蛮族戦線への食料供給は断って貰う」
「了解しました、お任せください」
ロヘーリオに貴重な一万の軍勢を与えたのは陸路の要衝だけでなく海路の要衝も抑える為で、近隣でもっとも大きな港を持つバルドリッドに駐屯兵は僅かである事に目を付けたベルディッカスは帝国本土に軍を進めるのを決断した以上、帝国の海外統治領についても同様に占領する事にした。
◇◆◇
ベルディッカスから離れたロヘーリオは従軍司祭を自分の天幕に呼んだ。
「ブラヴァッキー伯爵夫人、ついに祖国解放の力を得ました。ソラ王子は本当に御存命ですか?」
「ええ、旧友のコリーナが教えてくれました」
ブラヴァッキー伯爵夫人はスパーニアの伝説的な霊媒師で死者の魂をあの世から呼び出し、会話する事ができたといわれている。ロヘーリオも訪問を受けた時は半信半疑だったが、彼女の情報は常に正しく、その情報をもとに立てた作戦は大成功を治め信じるようになった。
そして彼女の進言に従い、蛮族戦線離脱後はバルドリッドを抑えるべき、そして地元出身のロヘーリオを派遣するのが最適であるとベルディッカスを誘導してきた。
他にもファスティオンや他の将軍達が文句をつけてきそうな事、その対策、帝都に進むべき時期、優先目標を先にロヘーリオに進言させてベルディッカスの信頼を勝ち得た。
「貴女の知恵は百万の軍勢に勝ります。どうでしょう、総大将にご紹介させて頂ければもっと活躍の機会が得られるかと思いますが」
「いいえ、ラキシタ家は古い封建社会の固定観念に生きる家柄です。私のような女の意見は採用しないでしょう。ましてや得体のしれない霊媒師など」
ブラヴァッキー伯爵夫人は黒いヴェールで素顔を隠し、ロヘーリオの推薦を断った。
「私もそう思っていましたが、結局のところ霊媒術も魔術の一種で術理に基づいたものなのでしょう?先王の師でもあったアルコフリバス老師も使い魔と感覚を共有し使役できる現代で最後の術師だと聞いておりました。無学の者からみれば稀有な術は全てうさんくさいと思えるもの。しかし時間をかければ私のような非才の身でも納得します」
伯爵夫人はロヘーリオは謙遜が過ぎると上品に笑った。
「スパーニアは帝国を見習って女性の公教育も始めましたが、帝国よりもさらに一歩踏み込んで女性に男性と同じ権利を与え始めていました。そのスパーニアで育ったロヘーリオ様とベルディッカス殿達では度量が違いますよ。まずはソラ様をお迎えする基盤を築きましょう。ベルディッカス殿から借りた一万の軍勢に頼らずとも自立できる態勢を整えて下さい」
「我々は自立するのですか?ここまでラキシタ家の部下として動いて来たのに?」
帝国政府に堂々と反逆したラキシタ家と自分達は一蓮托生ではないか、とロヘーリオは首を傾げた。
「ベルディッカス殿はここまで何の違法行為もしておりません。しかしダヌ河を越えて帝都に入れば違います」
「確かに」
ロヘーリオの悲願であるスパーニア再興の為には最終的に帝国と折り合いをつける必要がある。
ラキシタ家が帝都を制圧し、天下に号令するようになればよし。だが、政府とオレムイスト家に敗北するようであれば状況に応じて自分達は反帝国活動に踏み切る前に別れたと言い訳する為に、ここで別れて様子見する為の名分が必要だった。
「最後に誰が勝つのかはいまだ見通せません。閣下はどうぞ同胞の為に動かれて下さい。イーネフィールとイルラータは東方候の影響下にありますから無理としてもストラマーナ、エイラマンサ、イルエーナの三大公国を回復すれば十万以上の軍勢を整える事が出来るでしょう。その力があればラキシタともオレムイストとも皇帝とも対等に渡り合えます」
「わかりました。その三者が再び結びつかないよううまく立ち回れという事ですね」
孫のような年のロヘーリオに良く出来ましたといわんばかりの微笑みで伯爵夫人は頷いた。




