第4話 退役兵
エドヴァルドはペレニアの家のすぐ近く、集合住宅の一室に暮らしている。
ある日、隣に住む男がしょっちゅう奇声をあげて煩いので、我慢の限界と怒鳴り込みに行った。男はエドヴァルドが入って来た事にも気づかずまだ喚き散らしている。
「もう、いやだ。いやだ。いやなんだ!許して、許して許してくれ!・・・お願いだ、もうやめさせてくれ・・・」
部屋に入ってみると、紙切れがそこら中に落ちていて歩きづらかった。
暗い部屋で髪を掻きむしる男とゴミだらけの部屋の異様な様子に面食らう。
「お・・・おい。あんたな・・・」
そして男の声があまりにも辛そうな声に変化していったので怒鳴りに来たエドヴァルドは気勢を削がれてどうかしたのか、と声をかけた。
その声に振り向いた男はエドヴァルドを恐怖の眼で見る。
「ああっ!あああああああっ!!また来た!まだ俺に殺せというのか!?」
「は?」
何が何だかわからず困惑するエドヴァルド。
「もう嫌なんだ!これ以上殺すくらいなら自分が死んだ方がマシだ!」
男は自分の頭を壁にガンガン打ち付け始めたのでエドヴァルドは取り押さえてやらざるを得なかった。そうすると他の住民も聞きつけてやってくる。
「ああ、またガルドの奴が暴れてたのか。明日ヘパティクプロス先生の所に連れて行こう。今日はそのまま寝台に縛っておけばいいさ」
近所の人は慣れたようでてきぱきとガルドという男を縛りつけた。
「彼はどうかしたんですか?」
「昔、蛮族戦線で酷い目にあったらしくてね。知らないかい?結構彼みたいな人は多いんだぜ」
簡単に話を聞いた所では軍人時代の心的外傷が残っていてまともな仕事につけず彼は苦労しているらしかった。
「それで皆騒音に寛容だったんですか」
縛られたガルドが尿を漏らし、年配の女性がそれを拭いてやりながら答えた。
「まあ・・・そうね。お国の為に頑張ったんだから仕方ないわね。お国は彼を見捨ててしまったし、せめて私達くらいは」
「ここまで気が狂うなんて一体何が?」
住民達は顔を見合わせて答えようとしなかった。
「ここで話したらガルドさんが傷つく、君の部屋に行こう」
◇◆◇
ガルドの部屋には一人が看病に残り他の住民達がエドヴァルドに説明をしてやった。
「彼の名はガルド。『マッサリアの災厄』は知ってるかい、君は外国人だったよね」
「はい、ずっと南東の国から来たエドヴァルドといいます」
面倒なのでエドヴァルドは王子とは周囲に説明していない。
大家は知っているが、ここには住んでいない。
「ガルドは昔の戦争で北方軍に入り、マッサリアで戦っていたそうだ。そして戦後は退役して橋の衛士になった」
大きな橋は帝都防衛軍団の正規兵が警備しているが、無数にある水路などの警備は市政府に任されている。市の行政は警察ではなく退役兵を雇用してそこを任せた。
帝国政府が退役兵に十分な退職金を用意出来なかった為、適当な仕事を与えるよう指示していたのだった。
長期にわたる戦争の間、穴埋めの為に元の職場には十分労働者が入って来ていて、退役兵達は再雇用されず生活苦に陥っていた。社会不安の原因となり、そして入隊希望者が減るのでこういった救済施策はしている。
「ガルドさんが健康だったら他の仕事もあったかもしれないけど、膝を怪我して歩くのも大変だったんだ。彼は退屈な仕事をしているうちに精神を病んできてしまった」
ぼんやりしているうちに軍人時代の悪夢を思い出す事が増えてしまったという。
そして暴れるようになり衛士の仕事も失った。
「彼は殺すのが嫌だって言っていました。蛮族を殺すのがそんなに辛かったんでしょうか」
人間のように二足歩行する獣人が多いというので、人殺しをしている気分になったのだろうか、とエドヴァルドは考えた。
「違う、彼が殺したくもないのに殺してしまったのは赤子たちだ。まだ元気だったころのガルドさんはいつも後悔して話してくれた」
「赤子?獣人の赤子ですか?」
害獣を狩る猟師でも、生まれたばかりの幼獣を殺すのは躊躇う。
バルアレス王国でも狩人たちは見逃したし、帝国でも禁猟とされていた。
幼獣ですら殺し難いのに人に近い獣人の赤子を殺害するのはそれは抵抗を感じても仕方ないとエドヴァルドは慮った。
だが、エドヴァルドにガルドの事を話してくれた住民は首を振る。
「彼は本当に獣人の子供かどうかわからなかった、といっていた」
「どういうことです?見た目で分かるでしょうに」
エドヴァルドの問いに住民達はそれぞれの答えを述べる。
「さあ、難しい事はわからないが子供によっては親の特徴をあまり表面的には受け継いでいないように見える事もあるそうだ。マッサリアを奪還した時、現地の赤子達が純粋な人間か獣人の子か分からない事がたくさんあったらしい。結局、上官たちからは疑わしき者は全て殺せと強制されたんだそうだ」
「皇帝陛下の勅命だったんですって、酷いわよね。命じられたお偉いさん達だって逆らえなかったんでしょうけど、実際に手を下させられたガルドさんが可哀そうよ」
「俺の叔父さんの話では蛮族の支配地域にあった住民達から蛮族とまぐわったと噂されただけで母子共に殺させていたそうだぞ」
「近所同士でも疑心暗鬼になって、お互い陥れあっていたって聞く」
蛮族にも意外に統率力があったのか早々に無抵抗を宣言して降伏したマッサリアの住民は殺害はされなかったが、物資の供出はさせられていたという。そして獣欲のはけ口にもされていた。ナルガ河の向こう、寒冷地帯に住む蛮族は繁殖可能な土地が少なく、そこから出てくれば途端に繁殖活動に励み始める。
強制的であったり、そうでなくても長年占領下におかれては子供が出来るケースは増える。蛮族の支配地域には半獣人が増え、帝国軍がマッサリアやパッカ地方を奪還した時には区別がつかなくなっていた。
「だからね、エドヴァルド君も保険には入りなさい」
「え?」
年配の人からの保険の勧誘に突然何の話だとエドヴァルドは首を傾げた。
「住民互助会の保険だよ。君、入っていないだろう?」
「はあ・・・済みません。収入が全然足りなくて・・・っていまそれ関係あります?」
「あるとも近所の人間同士、信頼と助け合いが重要だ。収入が少なくても少しくらいは出せるだろう。大丈夫、君の年ならたいして出さなくても満額出している大人と同じ扱いが受けられる。運営はベルナルドさんの所がやってくれてるから安心だ。アルビッツィの保険屋さんが説明してくれなかったかい?」
「あー、済みません。追い返してしまいました」
なまじレクサンデリと親しかった為、下っ端の保険勧誘員は関わったら不味いと思ったようでエドヴァルドにはしつこく勧誘しなかった。
他の住民達は今はそれどころではないと、保険の勧誘をした男を黙らせて話の軌道修正に入る。
「爺さん、そんな話は後でいいよ。今はガルドさんの話だ」
「ああ、また今度にしようかね。ガルドさんの場合マッサリア傷痍軍人会に入っていたんだが、もう十分時間が経ったっていわれて政府の命令で解散してしまって軍も助けてくれないらしい」
活動資金を出していたのは帝国政府だが、赤字財政の為、財務省に打ち切られたそうだ。住民達は薄情な新政府を嫌いガルドを哀れんで世話してやっていた。
「外国人の君には分からないかもしれないが、大地母神を守護神とするこの国では子供を育む事がなによりの美徳とされる。この国の頂点に立つお方が子殺しを命じるなんて酷い話さ。ガルドさんがおかしくなってしまうのも無理はない」
住民達は一様に頷いた。
本当に獣人の子かどうか確かめる事も無く大量の赤子を殺すよう命じた皇帝を恨んでいた。
エドヴァルドが帝国の暮らしを気に入っていた点として、大抵の人は幼児に優しい点だ。街角では忙しく大勢の人が歩いているが、子供が交差点で飛び出しそうになったり、一人で親と離れて駆け出したりしていると馬車の前に飛び出したりしないかそれとなく気遣っている。
帝国では貴族や富裕層も割とそこらを歩いているが、彼らは平民の貧しい子供にも同じように気を配り、赤子を背負った母親の手伝いまでしてやっていた。
エドヴァルドの故郷では基本的に子供は7歳になる前に半分くらいは死ぬ。
幼児死亡率が高く、貧しいと子供は死ぬものだと諦観してしまう人が多かった。
エドヴァルドは故郷を思い出しつつ、さらに住民達に尋ねる。
「ガルドさんの医療費や生活費は足りているんですか?」
「いいや、皆も仕事があるしね。大変だよ。幸いアルビッツィの保険屋さんが無利子で貸してくれるからなんとかなってるけど」
「エドヴァルドくんはガルドさんの部屋に転がってたチラシをみたかい?」
「いいえ?」
「なら見ておくといい」
住民にいわれてエドヴァルドが確認したチラシ、というかビラにはこんな事が書かれていた。
-赤子殺しの皇帝に人類を導く資格があるのか-
-皇帝の交代を!-
-新たな皇帝の選帝を!-
そういえば前に仕事を探していた時、こんなものを折りこむ仕事を紹介された覚えがある。以前よりも何種類か増えていたが、現体制打倒を訴えるものだった。




