第2話 エドヴァルドの下宿先②
二人は数日かけていくつかの斡旋所を訪問した。
エドヴァルド一人だと騙されるかもと思ってつきあっていたイルハンだったが、そこまで単純ではなく焦ってすぐに契約したりもしなかった。
「やっぱり一番最初の所で良かったんじゃない?」
「そうだけど保険料取られるのがなあ・・・」
エドヴァルドはその日貰った紹介先のチラシを見てうなった。
御者の仕事に警備員の仕事、道路建設作業、掃除屋の仕事などなど・・・こっちの方が自分向きではなかろうか。
「今日のとこなら前歴問わず、保険無用、自己責任、頑丈ならそれでいいって奴だから俺でも出来そうだし。寮を提供してくれるとこまであるぞ」
最後の方は疲れてあまり内容を確認せず書類だけ貰って来たので、イルハンは初めて目を通した。
「えーと、なになに・・・寮費、食費、水道代、清掃費用、安全講座受講費用、組合費、税金・・・、諸経費差っ引かれて手取りが月三万切ってるじゃん。日雇いの仕事だけしてた方がまだ稼げるよ」
「え?嘘だろ。月二十万以上だった筈だぞ」
細かい数字を見るのを嫌がったエドヴァルドは二枚目以降の紙にかかれている小さな文字をよく読んでいなかった。
「ほら、みてよここ」
「・・・うわ、マジか。っていうか寮で食事するの強制なのに寮費と別なのか」
「他に給料高い仕事もあるけど、深夜とかじゃん。とても学院に通いながらなんて無理だよ。あ、おまけに紹介料で十万取るとか書いてある。清掃業の場合、必要な装備品も合わせると初期費用三十万とかだよ。払えなければ借金可だって。利息入れると初期費用払い終えるのに数年かかるね。これ、奴隷と何か違うのかな」
二人がいろいろ調べた所によると怪我などをした場合は即座に解雇で、後の事には関知しない企業がほとんどだった。東方圏では奴隷制がまだ残っているが、奴隷制を廃止した帝国からの勧告によって各国では奴隷が仕事中に怪我をしても放棄する事は許されず一生面倒をみてやらねばならない。高齢で働けなくなっても同じだ。
「主人次第とはいえ生涯の衣食住が保証されてる奴隷の方がマシだな・・・」
「じゃ、やっぱり最初のトコだね」
「そうだな。でも紹介先を見学して、学院にも通いながらで無理が無い所にする」
「うん、それがいいよ」
最後にちょっと不安な所はあったが、どうやらエドヴァルドはイルハンが心配してつきっきりになってやらなくても一人でやっていけるようだった。
◇◆◇
次にエドヴァルドは学院からそこそこ近くかなり家賃が安い物件を見つけた。
だが、近くの通りで数人ホームレスを見かけ、喧嘩騒ぎもあったのでイルハンは嫌がった。
「ほんとにここにするの?かなりの貧民が住む所みたいだよ?」
「この前みた社員寮よりはマシだ。公衆便所や浴場は近いし」
公衆衛生を重視する帝国では貧民向けの無料の公衆浴場などの施設が多数ある。
多くは皇家が人気取りの為に寄贈したものだが、旧帝国滅亡の原因の一つに過剰人口による衛生環境悪化があるので、帝都の各市当局も積極的に整備していた。
「でも治安が・・・」
いいかけてイルハンはエドヴァルドに勝てる一般市民はいないと思って途中で言葉を切った。一瞬の沈黙を破るようになにやらヒステリックな女性の声がする。
「駄目よ!こんなところ!治安が悪くて一人暮らしなんか許す訳ないでしょ!!」
見れば親子がエドヴァルドのように住居の下見に来ているようだった。
「えー、でも家賃やっすいのに。母さんだってそんなに出せないでしょ」
「駄目よ、大事な一人娘をこんな所で暮らさせるもんですか。少しくらい土地を売れば学費も家賃もどうにかなるわ」
親娘は帝国貴族らしい。
娘の方は強気だったが、まだ10歳くらいだ。
エドヴァルドから見てもそりゃ無茶だろうと思った。
「ほらね。エディ。こんな所、仮にも王子様が住む所じゃないよ」
「しつこいなあ。俺はもう王子のつもりは無いんだ。オヤジは帝都に来ていたくせに声ひとつかけずに帰った。俺がここにいるのはシセルギーテのおかげであって国は関係ない。俺はあいつの代わりに帝国騎士になって名をあげてやるんだ」
エドヴァルドはフランデアン王から父ベルンハルトが珍しく昨年帝都に来ていた事を知った。だが、エドヴァルドには何の知らせも無かった。
東方候の息子にも決闘で勝った事を知っただろうに、称賛の言葉も無かった。
学費や生活費の援助も無く、エドヴァルドはますます父に見捨てられた思いを感じていた。
「ねえ、貴方。シセルギーテの知り合いなの?」
エドヴァルド達が言いあっているとそれを聞きつけた親子の母親の方が尋ねて来た。
「え?ああ、彼女の弟子ですが、何か?」
「バルアレス王国の第四王子ですよ。貴女は?」
エドヴァルドの簡単な返答にイルハンが補足を行った。
「あら失礼。わたくしはリーン。リーン・ルナリア・ヴェルテンベルク。帝都の北の山地に領地を持つ古い家柄の帝国貴族よ」
「はあ・・・それで師が何か?」
「いえ、シセルギーテとは学院時代たいした絡みは無かったけれど彼女は有名人でしたからね。懐かしい名前につい耳が呼ばれてしまっただけ。今、彼女はどうしているの?」
「帝国騎士を辞めて、元主君の元に戻り補佐しています」
さして親しくも無かったらしいのでエドヴァルドは簡単な説明だけをした。
「そう。じゃあ坊やの身元は確かなのね。良かったらこの子の下宿先の近くに住んで貰えないかしら?」
「どういうことです?」
リーンは今年から入学する事になる娘の一人暮らしが不安で一緒に住んでくれる同居人が欲しかった。しかし親しい近隣貴族で学院に通う同年代の娘がいない。男と同居させるわけにもいかないので一人暮らしさせざるを得ないが、治安のいいところに住まわせたい。
だが、彼女は一度嫁いだ後に夫を亡くし、再婚はしたが今度は離婚してしまい、実家は兄弟も多いので資産は分散し頼れる相手もいない。
知人の弟子でしかも王子なら、とリーンは事情を説明しエドヴァルドを見込んで頼み込んだ。
「申し訳ありませんが、私も働き口を探さなければならないほど困窮しているのです。こいつが口にした王子という立場は恥ずかしいので忘れてください」
「でもシセルギーテの弟子なら信頼出来るわ。彼女馬鹿だけど、優しくて誠実だったから」
師がいわゆる脳筋気味であることは察していたが、はっきり馬鹿と言われるとさすがにエドヴァルドも顔が引き攣る。
「私、この人なら一緒に住んでもいいよ!」
「駄目よペレニア。男と同居なんて」
「家賃も節約できるし、いいじゃない」
「貴女には許婚がいるでしょ。デュシェンミン家からお婿さん貰うのですからね」
「お父さんが酔った勢いで決めて来ただけじゃない」
娘の方はリーンの台詞に反駁した。
「ジュアンが嫌いなの?昔から慕っていたじゃない」
「ジュアンの事は好きだけど・・・でも無理だよ。最近はファランドールに御執心だもの」
娘はいじけた顔をする。それを聞いてリーンは大きく笑い、口を上品に扇で隠した。
「馬鹿ね、ファランドールは平民の踊子じゃない。貴族目当てに体を売る何処にでもいる安っぽい女よ。貴女が嫉妬する必要なんてないわ。ジュアンは夫になれば子供は相続権を得るのよ?いつまでもファランドールと遊んでいたりしないわ」
「あの子に心奪われちゃってるジュアンがそんなこと気にするかなあ・・・」
「男が別の女に目移りするなんてよくあること。でも結局は自分に相応しい女の所に戻って来るの」
親娘の話は続くが、エドヴァルド達は自分達と関係ないので、じゃあ、と言って立ち去ろうとした。
「お待ちなさいな。まだ話は終わっていなくてよ。わたくしもマグナウラ院の卒業生。ここらの働き口くらい紹介してあげるわ。だからこの娘の面倒をみて頂戴。でも手を出したらちょんぎりますからね」
娘のペレニアは帝国人だけあって幼くてもそれなりに育っているが顔立ちも性格もまだまだ子供だった。東方人より成長が早いくせに東方人より精神的、社会的成人年齢が遅いというのがどうにもアンバランスである。
「ちょん・・・どんな働き口がありますか?」
収入が保証されるなら近所に住む娘に気をかける事くらいは別に構わないのでエドヴァルドは尋ねてみた。
「用心棒・・・は貴方の容姿ではまだ無理ね。凄味が足りないもの。お父さんの方は結構子供のころからいかつい顔をしていたのにね。お母様に似たのかしら」
「え?父をご存じなのですか?」
エドヴァルドは驚いて尋ねた。シセルギーテに比べればベルンハルトは何処にでもいる留学生の王子だった筈だ。
「わたくしの最初の夫の親友だったの。一緒に蛮族退治した事もあるのよ?」
リーンは「ほほほ」と笑う。
リーンは上品でとても蛮族退治に乗り出した事があるような女性には見えないご婦人だった。
「なるほど。そういうご縁ならご息女の面倒を見るくらい問題ありません」
「良かったわ。これでも我が家は昔はここらに領地を持っていたの。新帝国が発足した時に追い出されて山間に追いやられてしまったのですけれどね」
昔から付き合いのある親しい取引先がいくつかあるのでリーンはそこからエドヴァルドに仕事を斡旋してくれることになった。
◇◆◇
「仕事も住まいも見つかってよかったね」
いつものようにトゥラーン邸の浴場で半身浴をしながらイルハンがエドヴァルドの落ち着き先が見つかった事を我が事のように喜んくれた。
仕事はパン屋と酒場の力仕事だ。五月からは昼間に学業があるので早朝と夜に手伝いをする。五月までは暇なので他の仕事も探す予定だ。
「これまで有難うな。なんだかようやく自分の人生を始められそうな気がするよ」
紹介はあったとはいえ、今後はシセルギーテの資産に頼る事もない。
地元貴族の口利きのおかげで詮索される事も無く雇って貰えた。
自分が外国の王子だと雇用主は知らない。
自力で生きる事が出来るという充足感が久しぶりにエドヴァルドの心を明るくしていた。
「うん。これからもよろしくね。まだまだ学院で一緒に過ごすんだから、途中でどっかにいったりしちゃ嫌だよ。無茶はしないでね」
「お前こそ。俺がもう講義で一緒じゃなくても虐められたりするなよ?」
「あはは、最近はレックスのおかげで大丈夫だよ」
イルハンはけらけらと笑った。
昨年は隣国の王子達に絡まれていたのでエドヴァルドが睨みを利かせる必要があったので、それが心配だった。しかし、エドヴァルドの入学を認めさせる件やら借金返済やらで付き合いが生まれてとうとうイルハンは卒業後にレクサンデリの執事になるとか言い出したので心配をする必要もなくなっていたのだが・・・。
「あのさ、前はその方がいいと思って口出ししなかったけど気を付けろよ?」
「何が?」
「アルビッツィ家はラキシタ家と繋がってるっていう噂最近よく聞くだろ」
噂が本当で、ラキシタ家が政府に勝利して皇帝も彼らを認めるなら問題ない。
しかし、そううまくいかなかったらアルビッツィ家も巻き込まれる。
「レックスはずっと帝都にいるし、彼らと繋がってたりなんかしないから大丈夫だよ。資産家だしあちこちに債権もっていろんな人の弱み握ってるし」
「それをチャラにしたい奴に嵌められたら?」
「そんなの慣れっこでしょ。あの家の人は」
貧乏人のイルハンが気にしても仕方ないと開き直っている。
エドヴァルドはなんだか評価が甘いなあと心配になった。
「お前さ、あいつの事好きだったりするのか?」
「うーん、わかる?でも内緒だよ。ボク一応、王子の立場で帝国に来てるし」
「そりゃ勿論誰にも言ったりしないさ。この国じゃ同性愛はご法度だからな。でも、なんで?」
「理屈じゃないって、こういうのは」
イルハンは風呂で温まっただけでなく、頬を紅潮させて隠すようにぶくぶくと湯船に沈んだ。
「でも言葉にして整理してみた方がいいんじゃないのか?ひょっとして片思いじゃなかったりする?」
イルハンはさらに顔を赤くして沈んでいった。
エドヴァルドは頼りない肩を掴んで引き上げた。
「あのさ、俺は反対したりしない。応援したっていい。向こうも理解してるならなおさらだ」
「ありがと。でも応援はいらないから。不自然になって目立つと困るし」
「そか。でも経緯は教えてくれると助かる。お前には滅茶苦茶世話になったし。お前の事はよく知っておきたい。それに、お前も俺くらいにしか何でも相談出来ないだろ?ああ、レクサンデリは除いて」
興味本位で聞いてるんじゃなくて心配なんだとエドヴァルドは力説した。
「そうだね。エディの入院とか入学の件で相談に乗って貰って親しくなったり、弟さんが去年の夏に死んでしまった件で相談を受けたりとかしてたから」
「相談?」
「うん。レックスが弟さん達より突出し過ぎていて跡目争いとかにはなっていなかったみたいなんだけど、二番目争いでごたごたしてたみたい。で、ボクがあっさり国を捨てて帝国に永久就職するつもりなのを知って何故なんだって」
「で、あっさり喋っちまったのか?」
「違うよ」
いくらなんでもそれで国の秘密を喋ったりはしないとイルハンは否定する。
「弟と争ったりするくらいなら、弟が取り巻きに利用されるくらいなら何にもいらないやって。エディみたいに一人でも生きていける人だっているしね。レックスは驚いてたけど、貴方だって何もかも捨てて自分の身ひとつになっても生きていける力あるでしょって言ったら衝撃だったみたい」
嫡男として生まれ才能にも恵まれ将来は当然皇帝を目指すと本人も周囲も考えていた。しかし、弟達やラキシタ家の抗争をみて少し嫌気がさしていた。
「平和な時代だったら彼は帝国経済を立て直していい皇帝になっただろうけどな。でもオレムイストやラキシタ家のような単純な武力を持った連中には対抗できないだろ」
金で傭兵は雇えるが、アルビッツィ家の領地の規模はあまりにも小さい。
命がけでお家の為に戦ってくれる者が少ない。
「今のご当主さんもそう考えたんだろうね。将来、皇帝になるのを諦めようって一瞬、心に迷いが出た時に何もかも馬鹿馬鹿しくなっちゃったのかも」
エドヴァルドの知らない所で二人の仲が深まっていたようであるが、まだ腑に落ちない点があった。
「で、片思いじゃないって何があったんだ?もしかしてあいつ男色家だったのか?」
「違うって」
「じゃ、なんでなんだよ」
「むー。それ絶対興味本位でしょ」
イルハンは可愛らしく不貞腐れた。
異性だと思えば心惹かれる仕草だ。
「まあ、いいじゃないか。ここまで話したんだし。お前だってコンスタンツィアさんの事で俺にあれこれ口出しするじゃん。話してくれないなら俺だってもう彼女の事でお前に相談なんかしないし、聞かれても答えないからな」
今まで随分揶揄った覚えのあるイルハンはそういわれると弱かった。
「・・・じゃあ、いうけど」
「おう」
「彼の家豪邸じゃない?」
「まあ、そうだな」
「でね。お風呂も立派だから一度入って見たくてちょっと貸して貰ったの」
バルアレス王国、特にラリサは蒸し暑いのでエドヴァルドも日に三度くらい水浴びしていたが、イルハンの風呂好きはそれ以上だった。
平民用の公衆浴場にも行ったし、学院ではエドヴァルドが見張りに立って体育の後にシャワーも使っていた。二人が住んでいる屋敷でも学院で綺麗にした後なのに、普通に風呂に入った。
「よりによって女の子の日にか」
「そう」
エドヴァルドは呆れた。昨年の学院の授業では着替えが遅いと言い訳していたイルハンをそれとなく庇ってやっていたが、一人でレクサンデリの所に行って風呂まで世話になっていたとは。
「で、ボクの事男の子だと思ってたから急に入って来ちゃって。仕方ないから話す羽目になっちゃって」
「・・・そんなんで国家機密漏洩させんなよ。ばかたれ」
「あいたっ」
エドヴァルドはぽかりとイルハンの頭を叩いた。
「もう、エディは遠慮ないなあ」
「まー、理解のある相手で良かったな」
「そうだね。世界中旅して珍しいものに見慣れていたおかげだね」
「ま、何にせよ良かった。相思相愛なら」
「子供産めない体なのが申し訳なくてねえ・・・」
「思考は女の子なんだ。となるとあんまりお前と一緒にいちゃ悪かったりする?」
「そういう遠慮はよしてエディはエディ。特別な人だよ」
「おし。じゃ、俺はお前の事はこれまで通り男扱いするからな。ダチとして」
「そうして。ボクもコンスタンツィアさんとのことこれからも根ほり葉ほり聞かせて貰うからね」
お泊りしている以上、大分進んだ仲なんだろうと野暮な突っ込みまでしてしまったエドヴァルドは後にイルハンの追及に困る事になった。




