第40話 暗殺者達のその後
毎晩カルロに体を貸していたら自分が楽しめないのでラッソもたまには欲望を満たしに行く。特定の個人とは付き合いたくないのでそこらの女を引っかけたりはせず、娼館で遊ぶ方を選んだ。せっかく裏社会に通じているので普通の娼婦と違う所へ行く事にした。
アルマンの系列店には仮装プレイを楽しむ店があって、旧知の案内人に紹介されてそこへ行ってみた。帝国では大地母神群の眷属である兎やら犬やら猫やらの動物的特徴を持たせた衣装が人気だが、その店はもっと本格的だった。
「おいおい、アレ。本物じゃねーのか?獣臭いぞ」
「え?そうっすか?香水の匂いしかしないっすけど」
ラッソは嗅覚強化用の魔石も使っているので感覚が鋭敏だった。
「ほら、あれだよあの山羊男」
ラッソは案内人に山羊の角を生やした男を指差した。
男の隣には蛇の仮面をつけた豊満な美女がいて、二人は腕を組んで奥の部屋に入っていった。その部屋からはトランス状態に導く香が漏れてきてラッソはすぐに鼻を隠して避けた。仕事柄、幻覚効果の高い薬については熟知している。
案内人はオーバーだなあと呆れつつ山羊男について説明した。
「なんだレオナールさんじゃないっすか、ありゃ仮装ですよ」
「レオナール?」
「へへ、ここだけの話ですけどね。ユースティアっていう貴族のお嬢さんの恋人なんすよ。従妹同士で秘密の恋愛してるから、表立って会えないんでこういう店を利用してるんす」
従妹同士だと帝国本土では近親相姦に該当するので、親戚関係にある若い男女が宿に泊まって頻繁に密会すると怪しまれる。
いわゆる娼館とひとくくりにされてしまうが、出会い茶屋のように場所だけ提供する店もあるし、女性と自由恋愛をさせて二人の関係には関与しないというタイプの店もあった。そういった場所で不倫だの彼らのような密会が行われた。
「従妹同士?向こうの部屋にはまだ大勢いそうな気配がしたが・・・」
「秘密を共有する人達が集まってるんですよ。カジノやらバーやら皆で遊べる玩具もいろいろありやす」
「いろいろ?乱交でもしてるのか?そういやヴィヴェットもそういう店で働いてた時期があるとかいってたな」
「あ、彼女元気っすか?最近顔を見せないからボスが寂しそうでしたぜ」
「あいつのことはもう諦めろ。いい男が出来たんだ」
「そっすかー、残念だなー。ボスが見せびらかしてくるの楽しみにしてたのに」
新聞や雑誌を次々と発行し徐々に購読者も増えつつあり、アルマンの支援を必要としなくなったヴィヴェットが戻る事は無い。
「・・・あいつは仕事で仕方なくやってたんだ。この店の連中みたいな特殊な趣味があるわけじゃない」
それにヴィヴェットは正常な判断力、思考力が低下するのを嫌って薬物は避け、その手の店は止めた。
「えー、そんなこといって。ラッソさんだって興味あるから来たくせに。駄目っすよ、そんなんじゃ。ここは同好の士じゃないと出入り禁止になっちまいますよ」
「今日は独り占めしたい気分なんだ。そういうのはいい」
ラッソは大部屋で遊ぶのは避け、適当に話をあわせて気に入った娘を三人選んで一晩侍らせた。
◇◆◇
明け方、まだ暗い内にラッソは家路についた。
三人まとめて呼んで遊んだので大分散財したが、これまでに奪った魔剣、魔術装具を売り捌いて結構現金も出来たのでまだまだ残っている。
もう必死になって戦う必要もないし、父の形見の剣以外は処分しても構わなかった。
さて、昼まで寝てそれから何処にメシを食べに行こうかと考えながら歩いていると唐突に話しかけられた。
「昨晩はお楽しみだったようじゃな」
「あん?なんだお前」
振り向くと路地裏からまだ少女といっても差支えない女が声をかけて来た。
眼は赤く光り、黒髪の中に一房だけ金の毛が混じっているおかっぱ頭の少女だ。
「ガキが、こんな所うろついてんじゃねーよ」
「そう無下にせんでもよかろ。そなたを一晩中待っておったのじゃ。儂も楽しませてくれ」
少女はラッソに近づいて首元に下を這わせた。
「なんだ、ガキのくせに商売女か。わりーが俺はがきんちょに手を出す趣味はねえ」
少女に妙な色気はあったので誘惑には慣れているのだろう。
街中に立って客を待つような娼婦、夜鷹は若くても性病を持っていたりするので相手がどれだけ美少女でもラッソは手を出す気はなかった。
・・・出す気は無かったのだが、どうにも鼻腔をくすぐる少女の香りに誘われて思考力が鈍る。既に男を知っている女の動きにラッソも相手の背中に手を伸ばし、撫でながら尻まで落としていく。
その時首筋にピリッと痛みが走った。
「このっ!」
咄嗟に突き飛ばすと、少女の口元からは血が滴っていた。
ラッソは自分の首筋に手をやるとそこから血が流れている。
にやりと笑う少女からは濃厚な魔力の気配がした。
「化け物か!」
一瞬で距離を詰め、魔力を込めた手刀で少女を薙ぎ払ったが霧を切り割いたかのように感触が薄い。後には魔力が引き起こした風圧によって切り裂かれた服がひらひらと舞い落ちた。
「ほほ、判断が早い。さすがじゃのソラ王子。しかし意外にスケベじゃな」
少女は近くの屋根の上に裸で佇んでいた。
「これ、そんなところから見上げるでない。無礼であろう」
少女は恥じらって身を隠すように体を捩ったが、同時に誘うようにも見えた。手で小さな胸と秘部に手をやっているが完全には隠していない、わざと少しだけ見えるようにして視線を誘導している。半身に逸らした体の背中には小さな羽が見えた。
「蛮族?」
まさかこんな帝都のど真ん中に?
地下闘技場で飼われている調教済みの蛮族ならともかく街中に蛮族が出現するわけが、とラッソは混乱する。
「半分ほどな。そなたラミローに会ったであろう?我々の事は聞いている筈」
「なんだと?何故そんな話を知っている」
我々、というとラミローとその姉のように蛮族の血が流れた半獣人という事かと判断した。半獣人でも暗黒街では彼女のようにあまりに人に近いとさっさと殺害されてしまうか、永遠に地下で飼われて繁殖用か魔獣の餌にされるものなのに自由に行動しているのは解せない。
「あやつは少々変わり種でな。監視しておるのじゃ。狂人扱いのままならいいが、あまり言いふらされては困る」
「では、本当に半獣人が人間社会に存在するのか」
少女はこの通りと、両手を広げ異形の裸を見せつけた。
「ヴェレス種?吸血蝙蝠の獣人?」
「ほう、よく知っておるな」
「父上が義勇兵として蛮族戦線で活躍していた時に遭遇したと聞いた事がある」
「うむ、話が早くて助かる。ところで服を返してもらって良いかの?」
ラッソは相手に敵意は無いようだし、目的が不明なので一歩後ずさって取りたければ勝手に服を取れと示した。少女は服は来たものの、切り裂かれている部分から白い肌がちらちらと除いた。
「で、何の用だ。俺の血を吸いにわざわざ出て来たのか?」
「行動を控えるよう指示したのに暗殺業を続けている連中がいると聞いての。復讐に気が狂っているのかと様子を見に来たんじゃが、もう仕事は終えているようじゃの」
「ああ」
クベーラから夏ごろにそんな話を聞いたが、ラッソ達はイルエーナ大公を追い続けて本懐を遂げた。今はもう真冬だ。吐く息も白く、天の月も冷たい銀光を放っていた。娼館が立ち並ぶこの地域は朝の遅い業界なのでまだ周囲は静かだが、そのうち日も登って来る。
「じゃ、もう用はないってことだな。失せろ」
ラッソはもう陰謀には関わらず自分と姉と友人達の幸せだけ守れればいいと考えている。この女が何者なのかなど知りたくも無かった。
「話は最後まで聞きな」
ラッソの後ろから男の声がした。
振り向くと男が二人。
「お前達も獣人か」
「ひいさま同様半分な。俺の名はフィリバール、こいつは弟のピーター。聞いた事あるだろ?」
ピーターと呼ばれた男の方は上着を少女に貸してやっていた。
その背筋には長い毛が見え、爪は巨大で鋭かった。
「人狼兄弟?本物の人狼かよ」
鋼の爪を使う暗殺者だとメイソンから聞いた事がある。
「けけっ、そういうわけだ」
フィリバールは認めて頷いた。暗殺者が自分達の正体を暴露してなんのつもりか、ラッソは不気味に思った。
「馴れ馴れしい連中だな。俺はもう仕事を引退した。お前らに関わる気もないし、邪魔もしない。だから俺に絡むんじゃない」
「まあ、そう慌てるな。周囲には人払いの魔術を張ってある。お前に警告とひとつの勧めがあってやってきたのじゃ」
ひいさまと呼ばれる少女が彼らのボスであるようで、代表して彼女が話を続けた。
「警告?」
「司法長官はお前達と連絡を取りたがっているが迂闊に乗るな。あ奴はいずれ失脚する。しかし自分達の身を保証させる公文書に署名は貰っておけ」
「どっちだよ」
「後ろ盾がないままに会うな。利用されるだけじゃ。お主の姉を頼り、フランデアン王に後見役について貰え。複雑な相手じゃろうが、お主が相棒や姉を守りたければ他に帝国と渡りあえるだけの実力者はいない」
「化け物のくせに堅実な提案には恐れ入るね。だが、姉さんに迷惑をかけたくない」
「何もしないままでいれば余計に大きな迷惑が降りかかる。座して待てば破滅あるのみ」
ラッソは黙ってすぐに返事はしなかったが、確かにその通りだった。
「・・・話はそれだけか?お前達に何の得があってそんな事を勧めてくれるんだ?」
「儂らの生存圏を確保する為にも帝国にこれ以上の騒乱を引き起こして欲しくないのじゃ」
「話が逆じゃないのか?むしろ騒乱でも起きた方がお前らに向く注意は削がれるだろ」
「短期的にはな。じゃが長期的はお主らが帝国政府の傀儡となった場合、厄介な事になる」
「サウカンペリオンがどうのこうのという話か」
「よく分かっておるではないか」
ヴィヴェットの受け売りなのでラッソが完全に理解しての発言ではない。
「で、将来はお前らの傀儡になれとでも?秘密を知る者として」
「誰かに使われるのが嫌ならその時までに自分で力をつけておればよいじゃろ。スパーニアは帝国に次ぐ強大な国だったのじゃ。やる気があるなら自分の力を持てる」
「俺はもう十分忙しく働いたんだがな・・・」
ようやく休める日が来た。
と思ったらまた新たな厄介毎が舞い込んできた。
「束の間の休日になる事くらいわかっておったじゃろ?儂らの要請に従ってくれれば相棒の体を癒してやろう」
「カルロの・・・?治るのか?」
「賢者の学院に口を利いてやる。もし治ったら儂らを信用してくれるか?」
「いいだろう。自分達の行いの結果だからあいつも怪我は受け入れるしかないと考えていたが、もし本当に治るんなら話を聞こう」
こうしてラッソはカルロを賢者の学院に預け、回復の兆しが見え始めると姉に仲介して貰って帝都に来ていたフランデアン王に会い、帝国政府と交渉し自分達の身の安全を確保した。




