第36話 司法長官ヘイルズ
ラキシタ家の私兵たちが五法宮を襲った戦いの後、長官は保護下においているアデランタード公ラモンの文句を聞いていた。
「あいつは間違いなくソラだった。分かりますか、長官殿?あれがいる限り北の安定はありえない」
「もちろんわかりますとも殿下。すぐに捜索部隊を編成しましょう」
「では、いつ私は大公として復帰できる?」
「今すぐとはいきません。旧臣の方々が集まっておりますので合流してしばらくは帝都でお過ごしください。安全な場所をご用意します」
「五法宮でさえ襲撃にあったのにそれ以上の安全な場所があると?」
「どのような攻撃にも耐える避難所があります。魔術でも最新鋭の爆薬でもその扉を砕く事は出来ません。政府要人用の避難所ですが、特別にお貸ししましょう。しばらくはそこへ」
イルエーナ大公を復帰させて旧スパーニア領の反帝国活動を抑え込もうとしていた政府だが、大公は残念ながら死亡してしまった。政府としては当然その子アデランタード公ラモンを代わりに据えたい所だが、ラモンから前スパーニア王の子ソラの存命が明かされ、ヘイルズは考え直し始めた。
旧スパーニア領を安定させるにはこのラモンよりソラの方が適任では?と。
「長官どの?長官どの?」
しばらく思考を巡らせていたヘイルズに対し、ラモンが様子を伺った。
「ああ、失礼。寄る年波には勝てませんのでな。イルエーナ家の旧臣が集まっておりますのでラモン殿はすぐに移動してください」
しばらくはヘイルズが匿っていたが、いつまでも私邸に置いておく気はなく彼の部下共々避難所に移動させることにした。
「帝国からは護衛を寄越して頂けないのですか?」
「旧臣の方々は将軍や魔導騎士が数十名も集まっております、護衛に不足は無いでしょう。どうぞご安心を」
◇◆◇
その後、長官は愛妾を囲っている屋敷でひとしきり情事を終えた後、愛人に愚痴をいう。
「他の大臣どもは脳無しばかりだ。この儂が何から何まで取り仕切ってやらなければならんとは」
愛人ビクトリアはいつものように慰めてやる。
「お疲れ様です、閣下。もし旦那様がいなければ帝国の将来は闇に閉ざされ、明日の暮らしもままならず皆、絶望していたでしょう」
「そうか?本当にそう思うか?」
ヘイルズは高級娼婦を愛人としていたが、頭のいい女は好みではない。
ビクトリアはまだ十代で、技巧も知識も不十分だったが何といっても若く美しく素朴な所が気に入っていた。政府高官に近づく女と言ったらどいつもこいつも浅ましく高価な品物をねだってばかりで、あろうことか妻にして欲しいと要求してくるものまでいる。
「勿論です。ウマレル様は優柔不断、イドリース様は傲岸不遜、リキニウス様は増税しか頭になく下町の者達は皆嫌っています。民衆の希望は法を公正に運用して下さる旦那様だけです」
ビクトリアは、分を弁えてほどほどに愚かで、ヘイルズを持ちあげ、時折おねだりをしてヘイルズの自尊心を満たした。
「おお、おお、お前は優しいな。こんな寂しい老人に尽くしてくれるのはお前だけだ。しかしな。今、儂は難題を抱えておる。どうやって解決したものか・・・」
「難題とは?私ではお役に立てないでしょうけれども、口に出してしまえば気が楽になる事もあります。どうぞお話しくださいませ」
「そうだな・・・お前には理解出来ないだろうが、帝国の守りには北の要衝サウカンペリオンが必須で、その安定には近隣も帝国の影響下に置く必要がある。それゆえイルエーナ大公を復帰させるつもりだったのだが死んでしまった」
「お子様がいらっしゃったのでは?下町では評判が悪いですけれども」
「なんだ。お前も知っているのか。で、やはり不人気か」
「不人気どころか、みんな憎んでさえいます」
スパーニア王妃と子供達の虐殺事件の主犯とされる男で、民衆に人気のフランデアン王の騎士物語では完全に悪役とされている。帝国も監察隊の悪行はあったが、自国への批判を逸らす為に大公の息子であるラモンに責任を負って貰った。
スパーニア戦役の裁判ではヘイルズもラモンに批判的だったので、デュセルら前政権が決定した政策には不満がある。
「そうか。実は儂もあの男にイルエーナを返すのは不本意でな。先王の長男が生きているという話があって彼を王位につけてはどうかと思うのだ。しかし、眉に唾をつけるような話でなあ・・・」
五法宮の監視映像の記録が破壊されてしまっており、ヘイルズもラモンの言い分を完全に信じていたわけではない。あの襲撃事件には不可解な点が多数あった。
旧スパーニア領における反帝国組織はある程度監視下にある。
その組織の盟主はソラではない。
ソラが生きていたとして反帝国組織と無関係であれば利用価値はかなり高い。
「あら、そのご長男ってソラとかいうお名前では?」
「なんだ、お前も知っているのか?」
「巷で人気のお話のモデルですもの。私のような無学の者でさえ知ってるくらいですから皆知っています。悲劇の王子様が家族の仇を討って王に復帰されるんです。夢みたいですけど、暗い時代ですからこそ皆そういう話に群がってしまうんですよ」
「ほうほう・・・なるほどなるほど」
ビクトリアが言っているのは新聞で連載されている創作小説の話だった。
「なにか?」
思案気なヘイルズにビクトリアが顔色を伺うように問うた。
「実はな、ここだけの話だがその王子が本当に生きているらしく、惨劇の関係者が次々と暗殺されている。恐らく彼がやったのだろうが、スパーニア人同士で殺し合い、罪人が死んでいるだけだ。儂としては罪に問う気は無い。彼がスパーニア王として即位して再び帝国の良き同盟者となってくれるのならラモンをくれてやってもいいくらいだ」
「でしたら下町に噂を流しましょうか?ラモンの居場所を。そして閣下が話をしたがっていると」
「出来るのか?」
「娼婦の仲間達に頼めば下町の隅々まで、地下水道に隠れている鼠もたちまち知る所となるでしょう」
ヘイルズは当てにはしていなかったが、ビクトリアを通じて下町に帝国政府側の意向を噂を流させた。
「他に何か下々の間で話題になっている話はないかな?」
「まあ閣下ったらなんてお優しいのでしょう。庶民に気を配って頂けるなんて」
「何、これも貴族の務め。さあ、話してみなさい」
ビクトリアはこういう場合ヘイルズの気をよくさせてやろうと公正な裁判に対して民衆がいかに感謝しているかを話してやる。だが今回は少し話を変えて知人が困っている話題を伝えた。
「フォーンコルヌ家の弁護士だったスラップとかいう方がいたでしょう?」
「ああ、あいつか。別口の仕事で衛生局の汚職を弁護してさんざん叩かれ、確か契約を解除された筈だが」
議会ではわざわざ反スラップ法と名指しで訴訟権の濫用を禁じた。
「今度はアルビッツィ家に取り入って彼らの不審な営業活動に疑義を呈している新聞紙に対する訴訟の指揮を取っているのだとか」
議会に嫌われているので表には出ず裏方に回っているらしいとビクトリアは聞いた。
フランチェスコが行っていた盗聴やベルナルドの粉飾決算に対してアルビッツィ家は名誉棄損だと新聞の一面での撤回と謝罪広告を求めている。受け入れなければ発行停止に追い込むとさえ息まいていた。
「ほう。アルビッツィ家は大衆には低金利で貸し出して人気があると聞いた覚えがあるが、違うのかな?」
「ええ、本業ではそうなのですが、不動産市場で随分強引な売り方をしているみたいで返済能力が無い人間にも無理やり分割払いで売り出したり、どこそこのお貴族様が所有していた由緒ある庭園だと嘘をついてお金持ちに売りつけていたり・・・と。そこまで強引に現金を必要としているのは粉飾決算が事実なのでは?とか噂です」
「ほうほう、実に興味深い。財務大臣に伝えておこう」
「訴訟の件は・・・?」
「心配するな。政府だけでなく議会もお前達の味方だ。アルビッツィなどのいいようにはさせんとも」
「さすが、閣下。頼もしいですわ。お話してよかった」
「そうだろうそうだろう。困った事があれば何でも儂に頼りなさい」
ヘイルズはしなだれかかるビクトリアを抱いて地下室へ向かった。
ビクトリアはそこへいくのは少し嫌がった。
ヘイルズは既に高齢なので一晩に二度三度抱けない時、そこでビクトリアをいたぶって楽しむ性癖があった。
「旦那様、もうあんなことは勘弁してくださいまし」
「いいじゃないか。これは儂がお前を信頼しているという証拠だ。お前にも儂の信頼に応えて貰いたい。そうすればお前の望みは何でも叶えてやる。今までだって随分便宜は図ってやったじゃないか」
娼婦達の組合に手出し出来ないように暗黒街のボス達を脅してやったし、裏社会で殺人事件が起きても連中なりの秩序があるという事で、捜査を止めてやりもした。
「でももし子が出来てしまったら・・・殺されてしまうのでしょう?」
地下へと続く階段からは獣臭が漂ってくる。
「はは、何を非科学的な事を」
「ほんとうに大丈夫なんですか?」
もう何度も通った道だが、それでもビクトリアは一生慣れそうになく、怖気づく。
ヘイルズはビクトリアに構わず首輪をつけて引きずって行った。
「さあ、嫌がるフリで儂を興奮させようなどと悪い子だ。たっぷりおしおきをしてやるぞ」




