第22話 たった一人の家族
一方その頃、ラッソはヴィヴェットから聞いたフランデアン王国の別荘である翠玉館へ向かった。帝都の中心部ヴェーナ市で勤務する大使や職員が都会の喧騒から離れて過ごす為の別荘だったが、近年はフランデアン王国やウルゴンヌ王国の王子、王女達がマグナウラ区の学院に通う為に滞在しており警備が厳しくなっていた。
翠玉館は鉄柵で囲まれており、その隙間からラッソは中を覗いて姉らしき人がいないかじっと見つめた。左目の眼帯を外し、魔力を通した視界で注意すべき相手がいないか探る。
大きな魔力を持った反応が一つ、二つ、三つ・・・
「・・・八つもある。さすが大国だな」
少なくとも完全装備の魔導騎士の反応が一つ、それに近い反応が三つ。
王族級の魔力反応が四つ。
「危険過ぎる、帰るか」
フランデアン相手に悪さをした事は無く、指名手配犯でも無いので誰に見とがめられたところで気にする必要はないのだが、脛に傷を持つ身でどうしても騎士達と敵対した時の事を考えてしまい逃げなければという思考が先に立ってしまう。
眼帯を戻して左目の魔眼を隠し、物陰から出て館の前の道に戻った。
ここは別荘地なのでほとんど人通りはないのだが、正門前に氷菓売りが来ていた。
館の中からそれを見て、小柄な侍女が一人駆けだしてくる。
「おじさーん、いつもの一つ」
「ナリン!私の分も!!」
「はーい」
館から離れるつもりだったラッソはその侍女を見て、記憶が揺さぶられた。
彼女の星のような瞳、少し後ろ側についた耳、特徴的な姿には見覚えがある。
眩暈がして少し頭を抑えていると、いつの間にかその侍女が目の前に来ていた。
「あのう・・・大丈夫ですか?」
「あ、いや、済みません。大丈夫です。では」
ラッソは顔を背けて足早に立ち去ろうとしたが、「待って!」と声をかけられた。
無視して足早に立ち去ろうとしたが、足元に何かが引っかかってつんのめる。
「な、なんだ!?」
見ると足元の草がわっかの形になって引っかかっていた。
こんなもの無かったはずなのにと首を捻りながら外して、歩き出そうとしたのだが侍女は追いかけてくる。
「待ってって言ってるでしょ!」
「いや、急ぐので」
押しのけるようにして再度歩き出したが、また足が草にからめとられた。
異常だ。砂利道で草など生えていなかったのに。
まるで生きているように地中から伸びて両足に絡みついてきた。
「なんなんだ、これ。このっ」
一度靴を脱ごうとした時に、記憶が蘇った。
以前にもこんな事をした覚えがある。
生まれ育った王宮の庭で姉とかくれんぼや追いかけっこをして・・・。
「ソラちゃん?」
「え?」
振り返ると自分を見上げている侍女ナリンの姿がある。
瞳を見合わせると、姉弟はお互いの事を確信した。
「うそ・・・ほんとにソラちゃんなの?」
「いや、何のことですか?私はただの通行人です。もう行きますから外してください」
ラッソは惚けようとしたが無駄だった。
ナリンはラッソに抱き着いて、美しい碧の瞳に涙を湛えながら矢継ぎ早に問い始めた。
「外すってなんでわたしがやったって思うの?誤魔化されないんだから、そのペンダント、ととさまのだもん。ねえ、どうしてソラちゃんがここにいるの?どうやって暮らしていたの?その目どうしたの?誰かに虐められたの?」
「ペンダント・・・?」
ラッソが首から下げているモレスの聖印の事だ。
7歳の時、父の形見だとポーターが渡してくれた。
「太陽神を奉ずるスパーニア王の証なんだって。でもととさまはそれを投げ捨てちゃって、イザベラさんが拾って大事にしてたの。ソラちゃんが持ってたんだね」
イザベラは母の名だ。
王宮に暴徒となった民衆が押し寄せてきた時、母に渡されて自分だけは逃げ延びてスパーニア王の血を残せと言われた。家臣が連れて逃げようとしてくれた秘密の出入り口からアデランタード公が現れて王宮の兵士を虐殺し始めた。
父がフランデアン軍を迎え撃つ為に嘆きの谷へ出撃していた為、王宮の警備兵はアデランタード公に対抗するにはあまりにも少なかった。
兵士達は多勢に無勢で押し切られ、王宮の女官達は暴徒に犯されて泣き叫び、王宮は瞬く間に惨劇の場と化した。ソラは阿鼻叫喚の地獄と化した王宮を逃げ回って姉に教えて貰った秘密の場所、庭の大木の洞に隠れた。庭師が穴を塞いでいたが、当時のソラやナリンの大きさなら潜り込めるくらいの隙間があった。
そこから彼は見ていた。
母は自害しようとしたが、暴徒はそれを抑えつけて犯し始めた。
ソラと同じように逃げていた弟や妹達は掴まり母の前に連行された。
子供達を人質に取られると抵抗していた母も大人しくなる。
暴徒は命だけは助けてやるといって自分から動く事すら要求し、母は泣きながらそれにも従った。
ソラは洞の中で震えながら全てを見ていた。
弟は兄の姿に気が付いて助けを求めようとしたが、母はその口を抑えて自分の腹の下に抱え込んだ。母はソラが隠れているのに気が付いて、弟がそこへ逃げようとするのを防いだのだ。
ソラには一つ下の弟リークと他に双子の弟、妹がいた。
まだ小さな双子は何が起きているのか理解できなかった。
見知らぬ男達が怒鳴り合い母が泣き叫ぶ姿を部屋の隅でお互いの身を抱き合ってただ怯えていた。
リークは母の下から逃げ出して兄のもとへ行こうともがき、その頭をアデランタード公に踏まれて頭が砕けた。双子は血だまりの中でぴくぴくと震えるリークの所へと行こうとして暴漢達に殴り殺された。
暴漢達は王妃や女官達を犯しながら部屋にあった菓子を食べ、困窮している自分達に比べてやはり王族は贅沢だと怒っていた。
しかしそれは保存用のチーズの固い菓子で、それくらいしか食べるものが無かった。王宮の庭でも食べられるものばかりを植え、山羊を育てていた。
当時のスパーニアは当時の東方候メルニア王によって経済制裁を受け、海運国家のパスカルフローに海戦で敗北し港湾も封鎖され北からは裏切ったイルラータ公が迫り、東からはフランデアン率いる連合軍が迫り、民衆も飢えていた。
飢える民衆の為にも父は最終決戦の為、出撃していったのだが、暴徒にとっては知らぬ事。アデランタード公がリークを踏み殺し、次に暴徒達は双子を殺して歯止めが利かなくなり、女官達や降伏した文官、衛兵達も次々と虐殺されていった。
母は絶叫し、子供達の血だまりの中でさらに犯されて最後には腹を短剣で刺し貫かれて死んだ。頭が砕けて死んだかと思われたリークはまだかすかに息があり頭が痛いようと泣きながら母を父を呼んでいた。アデランタード公はそれをみて笑い・・・。
そこまでを思い出すとラッソは目の前が白く染まり、次に真っ暗になっていつの間にか地面に倒れていた。
「ソラちゃん!ソラちゃん!しっかりして!!どうしたの?どこか悪いの?」
姉は随分体格差がある弟を必死に助け起こそうとしている。
「少し気を失っていたみたいだ。大丈夫だよ。姉さん」
「じゃあ、やっぱりソラちゃんなんだよね?」
「そうらしい。姉さんはあの時どうしてたの?」
「あの時?」
ラッソ改めソラにとっては思い出したばかりでついさっきの出来事のようだったが、ナリンにとっては10年以上前の話だ。
「王宮に賊が押し入ってきた時・・・」
「わたしはかかさまと一緒に別の離宮に住んでたんだよ?忘れちゃった?あの日はととさまがケレスティンさんにフランデアンへ返してやれって送り出してくれたからその離宮から出て行ってたの」
腹違いの姉なので同じ宮殿に住んでいたわけではなかった。
まだ記憶は戻り切っていないようだ。
「生きていてくれてよかった。姉さん」
ソラは上半身だけ起きて小さな姉を抱きしめた。
「ソラちゃんこそ。ね、どうしてたのか聞かせて?」
妖精の民の血が入っている為、姉の体は小さい。座り込んだまま体を起こしたソラと同じくらいの背の高さしかない。その体を抱きしめて感慨に浸っていると翠玉館から大きな魔力を持った男が出てきた。
「おい、ナリン!何処に行った!?私の部屋の掃除はどうした!!」
大声で姉の名を呼んでいる。ソラは視線を向けて確認した所、あれはフランデアンの王子だろうと確信した。
「姉さんこそ、今どうしてるの?もしかしてこき使われてるんだったら・・・」
自分が暗殺者に身を落としている事を姉に知られたくないので話を逸らしつつ、もし姉が端女のように使われているならあの男を殺してやろうかとさえ思った。
「ああ、大丈夫大丈夫。なんか今日は学校で嫌な事があったみたいで荒れてるけどかかさまは王様の侍女で小さい頃から面倒見て来たからあの人はかかさまには頭が上がらないの。すぐにセイラさんが止めてくれるから大丈夫」
「そう?姉さんの迷惑になっちゃ悪いからもう戻って。また会いに来る」
「ほんと?家で休んで行って欲しいんだけど」
「記憶が飛び飛びで自分でもまだ混乱しているんだ。落ち着いたらまた来るから。今はちょっと目立つわけにはいかないから本当にもうこれで許して欲しい」
生き別れの弟が突然目の前に現れたナリンとしては何の説明もないまま別れるなど絶対に嫌だったが、彼はなにやら訳ありそうで声を押し殺しながらどうしても頼む、といわれると何かを察してナリンは引き下がった。
「じゃあ、絶対に会いに来てよ。約束だからね」
「うん。分かったから姉さんの方から探しに来たりしないでね」




