第21話 ナトリ宗教連盟
アージェンタ市には六つの行政区があった。魔術、娯楽、商業、工業などの目的でヴェルナー特別実験区、メリーコンド区、ドミティア区、マグナウラ学術区、ナトリ区、ルクス・ヴェーネ区といった具合に区分けされている。
ナトリ区はヴェーナ市との境であるナトリ運河沿いにあり、水神を信仰する人々が多く住んでいた。
運河は帝都の北側にある州との境界線であるビコール河の水門から分岐しナトリ運河となり、それはヴェーナ市、アージェンタ市、ヴェインツィー市などに大量の物資を供給し、生活排水を受け入れて内海へと流し込んでいた。
カルロとヴィヴェットが行く宗教連盟の総本山である常夜灯神殿はこの周辺では珍しく火神を信仰している人々が集う為、宗教連盟について深く知らないヴィヴェットはカルロに説明を頼んだ。
「ここは本来南方系の難民達の組織だ。彼らは帝国人と違って火葬を習わしとしてるから近隣の信徒が大勢集まってここで葬式をやる。昼間だろうが、夜だろうが、雨の日だろうが常に葬式をしてるんだ」
帝国人は基本的に土葬であり、罪人のみが火葬にされるので火葬をしてくれる場所は忌避され少ない。水神の信徒は水葬を行う事があるが、帝国では遺体を河に流す事は禁じられていた。そこで、南方系と北方系の住人達は宗教連盟を発足させ政府と交渉し、忌避される罪人の火葬も受け入れて弔いを行ってきた。
その代わり灰だけは河に流す事を許可して貰った。
そして彼らの弔いの炎は昼夜の区別なく運河を常に照らし、通行する船を安全に導いてきた。
「それでなんで彼らが魔術に詳しかったり、裏社会と繋がっているんですか?」
「以前、暗殺教団を匿っていると疑われて拷問を受けたり、理不尽な捜査が行われたらしい。ヴィクラマが暗殺された件を恨み、南方戦乱の元凶だとカールマーンの死を願っている者が南方系の住民には多いのは事実だ。だが、実際には彼らは別に教団とは繋がっていなかった。不平不満を言う集会が目立ってただけで反帝国活動をしてたわけじゃない」
一部には繋がっている者もいたようだが南方系や北方系住民が多数集まっている為に紛れ込んだだけで、連盟が関与した組織的な活動とは内務省も断定出来なかった。これまで市の依頼で犯罪者の弔いも行っていた事もあり、内務省には違法捜査、拷問を止めるようアージェンタ市の行政府各所より陳情が相次いで捜査は止まった。
「内務省の特務警察が行った活動で教団は随分な被害を受けたらしいが、新たな敵を作った。結局連盟は過激派を集めて報復に立ち上がりこの辺一体の犯罪組織を牛耳るようになっちまったのさ」
表向きはこれまで通りの活動を続けているが、傘下の組織にテロ行為を行わせている。彼らにとって恨み骨髄のヴィキルートは海外へ逃亡してしまった為、特務警察とその家族、関係者を拉致し、拷問、暗殺などを行っていた。
「なるほど、記憶操作の魔術については?」
「捕らえられた時、口を割らないようにそういった魔術に詳しくなったらしい」
「必要だからって覚えられるものでもないと思いますが・・・」
「そうだな。罪人に罪と向き合わせる為に本人が都合よく忘れていたような記憶を掘り起こさせたりもしていたらしいから元々そういう魔術に詳しかったんだとか。ほら、あれが正義と断罪の神ナーチケータの火壇だ。唯一信教問題で荒れていた魔女狩り時代にはあそこで焼かれても平気なら無罪だとか言われていたらしいな」
運河沿いには堤防と火葬場があり、方々で遺体を焼いた煙が上がっている。
運河を見下ろせる一際高い丘の上にナーチケータの常夜灯神殿があった。
神殿は葬式を盛り上げる為に雇われた女達が随所で泣き叫んでいる為、かなり騒々しい。初めてきたヴィーは耳を塞いでカルロの後ろを大人しくついて行った。
「失礼だぞ、ヴィー」
「え!?なに!??」
よく聞えないのでヴィーは大声で問い返し、カルロは耳元で大声でもう一度言った。
「出来るだけ大きく弔意を示さないと故人に失礼だとされているんだ!!さあ、泣け、叫べ!!もっと喚くように!!!」
カルロも「うおおおん!」と泣きながら周囲の女達を煽った。
女達も負けじと泣き叫ぶ。
あちこちの家族が対抗して雇った叫び女達にもっともっとと煽った為、周辺一帯は大音響の泣き叫ぶ声で地震のように震えた。
◇◆◇
神殿内はさすがに叫び女はいなかったが、外からの振動で埃が舞い、盛んに燃え盛る火に照らされてきらきらと光っていた。その光の中からフードを被った女性が現れる。
「おっと、皇家のお嬢さんだぜ」
カルロに合わせてヴィヴェットも慌てて頭を下げた。
フードをした女性も同じように頭を下げて通っていく。ヴィヴェットは頭下げたままちらりと横目で見たが、向こうは家紋となるような物はなにも付けていなかった。
「よくわかりましたね」
「ああ、有名人だからな。シャルカ家のユースティアとかいう変わり者だ」
ユースティアが通り過ぎた後、ずかずかと入っていくカルロの前にローブ姿の神官が話しかける。
「哀れな魂を弔い、輪廻の輪に戻す為、どうぞ喜捨を」
「少なくて悪いが・・・」
カルロは6ラピスだけ鉢に入れて合掌した。
「お心に感謝します。本日はどのようなご用件でしょうか」
「メイソンの紹介で来た。心の底にしまい込んだ罪と向き合いたい」
「ははあ、なるほど。聴罪僧を呼んでまいります。ご案内は必要でしょうか?」
「大丈夫だ。前に来たことがある」
カルロは慣れた様子で地下の聴罪室にヴィヴェットを連れて行った。
「ここの神官さんは皆、逞しい人ばかりですね」
待っている間、途中で見かけた屈強そうな神官達を思い出してヴィーはカルロに話しかけた。
「何をするにもまずは力がいるというのが火神の考えだからな。ナーチケータは例外的に知を重んずるが、ここは弾圧を逃れて集まってきた他の火神の信徒も多いんだ」
「水神の信徒達もいるぞ、カルロといったか?」
いつの間にか聴罪室のしきりに向こう側に人がいて話しかけてきた。
「なんだ。いたのか、驚かすなよ。俺はカルロ、こっちはヴィー、ヴィヴェットだだ」
「うむ、私はクベーラという。直接顔を合わせるのは初めてだな。ここは本来一対一で話す場であり、二人まとめて話すには相応しくない。場所を変えよう」
面倒だな、と思いつつもカルロは従って場所を移動した。
地下道を通って移動した先の部屋には神殿らしからぬ機械がごろごろと転がっていた。
「それで、どんな用件だ?西方系の組織と顔を合わせるのはあまり歓迎されないのが分かっていないのか?」
「今回は仕事の話で来た訳じゃない。ごくごく個人的な用件だ。あんた達は心の底を読むのに長けていると聞く。ひょっとして実はもうわかっていたりするんじゃないのか?」
カルロは当て推量で言って見たが、残念ながら外れた。
「いや、拙僧にはそんな力は無い。そこの器具を使わない限りは」
クベーラが指したものはどこかで見かけたヘルメットだった。
「・・・あのさ、これ脳内ファック用の道具じゃないのか」
アルマンの店でみかけたものと酷似している。
「馬鹿者。これは人の心と心を結びつける道具だ。お前がいうのは一つの使い方に過ぎん」
「ふーん、なるほどね。アンタらはこれで心の奥底を読むってわけだ。なんだ、てっきり神の御業でも披露してくれるのかと思ったぜ」
「下らん当てこすりは止めて用件を言え。我々はお前達の主の要請に従う気は無いがな」
「要請?何の話だ?俺は個人的な用事で来たと言ったろ」
クベーラには何か誤解されているようだ。カルロ達には主人などいない。
「では用件を言え」
カルロの言っている事を信じているのか、信じていないのかよくわからない仏頂面のままクベーラは用件を聞いた。
「友人が記憶障害に苦しんでいる。あんた達に記憶を呼び起こす事が可能かどうか知りたい。そして記憶を操る事が可能かどうか」
「不可能ではない。夢見術士の手を借り、そこの道具を使えば都合のいい夢を見せてそれが本当の記憶だと植え付ける事は出来る。逆に呼び起こす事も出来る」
「なんだ、随分と近代的だな。もっと神秘的な力を期待してたぜ」
「これも研鑽の賜物だ」
信者獲得に役立てる為に彼らは研究開発に投資し、それっぽく見せかける為のお香や心の壁を取り払う為の精神弛緩薬さえ開発している。
「んじゃ、一人記憶を洗って貰いたい奴がいるんだが頼めるか?金はどれくらい要る?」
「金は必要ない。その代わりお前達にやって貰いたい事がある」
「え、私もですか?」
お前達、といわれて黙って聞いていたヴィヴェットが反応した。
「そうだ。特にお前の発行している新聞や雑誌に用がある」
「あら、お仕事の依頼なら喜んでお受けします」
クベーラの用とはヴィヴェットに皇帝や皇家の悪評を流して貰いたいという事だった。
「具体的にはどんな悪評ですか?いくらまだまだ弱小誌といってもあまりやり過ぎると当局に取り締まられてしまいます。根拠も無いと特に・・・」
「その点は心配いらん。私が話す事は全て真実だ。皇帝カールマーンはマッサリア戦役において何百万という民衆を虐殺した。特に帝国においては嬰児殺しは重罪だ。実行犯は兵士達としても命令した皇帝には責任がある。これだけでも皇帝の座は揺らぐだろう」
クベーラは自信をもって断言した。
「真実だ・・・といわれても先ほど記憶を操れると豪語した方にいわれると説得力が無いですよ」
「もっともだ。だから証人達を紹介する。お前は取材に行き、それを書くだけでいい。現在の政府は皇帝から権力を取り上げたがっているし、皇家とも税制の問題で対立している。新聞が多少過激な事を書いても止めはしない」
クベーラは退役軍人を何人かヴィーに教えた。
一般の兵士から大隊長格の軍人まで、複数いる。良心の呵責から精神を苛まれて病院に入ってしまった者もいるが、話を聞ける者は複数生存していた。軍人達は戦後の財政難から十分な退職金や年金が支払えず、皇帝を恨んでいる者も多い。
クベーラは紹介者達の発言の信憑性については自分で取材して判断しろという構えだ。
「なるほど。それは面白いですね。今の時期にそんな噂をばら撒いたら選帝選挙も早まるかもしれません。もともと皇帝の座に拘ってなさそうな方ですし。他には?」
「ベルナルド・アルビッツィ、そしてフランチェスコ・アルビッツィについても同様に醜聞を書いてもらいたい。ベルナルドは長兄レクサンデリを殺そうと暗殺者を雇った事があり、フランチェスコは海賊を雇ってダルムント方伯令嬢を襲わせて危機を煽り、内海中の富裕層を自身が経営する生命保険会社と契約させようとしたことがある」
クベーラはアルビッツィ家の三兄弟の内、下二人についての悪事を暴露した。
「・・・その噂結構広まっていたんですね。できれば証人や証拠も提示して頂きたいのですが」
「末弟のフランチェスコは兄二人を抜かなければ将来自分が殺されるという恐れからなりふり構わず悪事に走っている。近年の大躍進もそのせいだが、ボロを出した。奴と癒着していたマルタン自治領の役人を確保している」
「自信があるなら何故主要紙に持ち掛けないんです?」
ヴィヴェットの持つタブロイド紙では効果もたかが知れている。
「主要紙はどちらもアルビッツィ家かガドエレ家のものだ。我々には手が出せない。そこでお前の出番だ。皇家の勢力を削ごうとしている政府もこういった記事は黙認するだろう」
ヴィヴェットはそれを大スクープとして取り上げたい誘惑に駆られたが、自分の身が危険過ぎると案じた。
「帝国中の暗殺者は我々の監視下にあるか、そこの男の知人が網羅しているだろう。お前の所に職業暗殺者が送られてくる心配はない」
「まあ、確かに・・・でも、普通に食い詰めた犯罪者が雇われて襲われそうな気はしますが・・・」
「そこの男に守って貰え。フランチェスコに悪評を立てて行動を制約する事はお前達に取っても有利に働く。違うか?」
カルロは頷いた。
フランチェスコが持つミニットマンサービスは解散させないと暗殺者にとっても危険だった。
「まあ、おとり会社でも作ってそっちで発行すれば追跡を遅らせられそうな気はしますが、あなた方はフランチェスコ本人を暗殺しないのですか?」
「以前の暗殺教団はそういった手段を試したが、ほとんど失敗した。皇家には多くの神器があり、神の御力で毒も狙撃も無効化される事もある。それに成功したとしても兄弟や親戚が引き継ぐだけだ。基本戦略として皇家には皇家同士で争いあって貰う。実の所、オレムイスト家やガドエレ家も裏社会にラキシタ・アルビッツィ連合に対抗すべく謀略の打診を送って来ているのでな。都合がいい」
「・・・あの二家は裏で繋がっているというのですか?」
「少なくともオレムイスト家はそう確信している。あるいは自家の不評を逸らす為にそうしたいだけかもしれないが、真実はどうでもいい。必要なのは皇家間のそして連中の内部抗争だ」
「私は真実しか書きませんよ」
ヴィヴェットは信憑性が薄い時は記事に疑問符をつけたり、いざという時は法的責任を免れるような記事の書き方をしている。
「無論、真実を書いてくれたまえ。証人の記憶を操っていると疑うかもしれないが、我々の設備ではそう大勢の人間を操作する事は出来ないし、物証も捏造は出来ない。自分の眼で真実を見極めて記事を書くといい。君には我々ナトリ宗教連盟から活動資金を提供しよう。我々の同胞、大勢の信徒が読者となれば発行部数も伸びて収入も影響力も大きくなるだろう。今はアルマンの情婦となっているようだが、今後はその必要はない」
「分かりました。真実があればそれを書かせて貰います。・・・カルロ、少々危険な事になるかもしれませんが私の事、守って貰えますか?」
ヴィヴェットは社会的影響力のある人物と契約して寄稿して貰い、もっと自分の会社を大きくしてからと思っていたが、いきなり権力者たちに喧嘩を売る事になった。
少し不安になり、カルロを上目遣いで見て頼む。カルロは二つ返事で快諾した。
「いいぜ。連中が内紛を起こしてくれていた方が俺の仕事もやりやすくなるからな。それにお前がアルマンと別れてくれるならこんなに嬉しい事は無い」
「あら?ひょっとして私の事本気だったんですか?嫌われてるかと思ってました」
「知らなかったのか?割と本気だぜ」
冗談めかしているヴィーの細腰をカルロは抱き寄せて口付けしようとしたが、指で塞がれた。
「残念ですが、それは諦めてください。遊びならいいですが、私は本気になる気はありませんから」
「ちっ、なんでい!俺は諦めないぜ」
「私達三人はチームなんですよ。男二人と女一人なのに二人だけでくっついたら喧嘩の種になりますよ。それとも二人で私の事を共有しますか?喧嘩にならないんだったらそれでもいいですよ」
ヴィーは色っぽくしなを作って言った。
「あーあ、くそう。男心を弄んでひでえ女だぜ」
本気で口説いたのにふざけられ、カルロは拗ね始めた。
その情けない姿を見るとさすがにヴィーも罪悪感を感じて背中にすがりつき、耳元で囁いた。
「でも嬉しかった。カルロ。私みたいな売春婦を本気で好きになってくれて有難う御座います」
囁かれたカルロは腰砕けになり、あっさり、機嫌を直して振り返る。
「ばっか、お前・・・!」
両肩を掴んでお前は売春婦なんかじゃないと庇い、再度告白しようとしたカルロにクベーラが咳払いをした。
「あー、お前達。ここがどこだか分かっているかね?」
◇◆◇
野暮なクベーラの介入で、どうにかくっつくかも知れなかった二人の関係は頓挫した。
「まあ、これでお前が西方系の組織の傘下で無い事は分かった」
「最初にも言っていたがどういうことだ?俺達には俺達だけの理由があって動いている。多少の情報や道具は融通して貰っても手は借りた事もないし、依頼は受けても指示なんか受けてもいない」
「知らなければその方がいい。なまじ知ると一網打尽にされかねないからな。いざという時自殺する覚悟と準備が無い者は手駒として動いていればいい」
「いちいちむかつく言い方すんな。俺達には俺達の目的がある。手駒じゃねえ」
「気にするな。誰もが誰かの手駒なのだ」
「へえ、じゃあアンタは誰の手駒なんだ?偉大なるナーチケータか?ここの神殿長か?」
「私は主君ヴィクラマの無念を晴らすために、帝国と戦う事も出来ず虚しく南方の地で同胞と相争って死んでいった同志たちの為に動いている」
「カルヤナの民か。で、準備ってなんの事だ?」
カルヤナとは先代南方候ヴィクラマの国であり、帝国に対して反乱を起こして滅亡した。南方戦乱はヴィクラマの死で一時的に終息したものの、また活発化して多くの難民を生んでいる。
「準備とは、これだ」
クベーラは後頭部に指している魔石を見せた。
髪に隠れて、書き上げないと見えない場所にある。
「いざとなれば、少し念を送るだけで内部の毒が漏れて私の頭脳を破壊する。帝国魔術評議会でも脳から情報を読み取るのは不可能だ。悪名高き死霊魔術師シャフナザロフでさえもな」
「シャフナザロフ・・・?誰だ?」
「カールマーンに追放された死霊魔術師ですよ、カルロ」
「知っているのか、ヴィー?」
カルロの問いにヴィヴェットは頷いて教えてやった。
随分前の話なので一般人は知る由も無いが、古い新聞記事も漁っている彼女は詳しく知っている。
「違法な人体実験で何千人何万人と殺し亡者として操ろうとした男です。自在に操る事は出来ず、完成はしませんでしたがその過程で多くの技術が誕生しました。死霊魔術部門は解散したとはいえ弟子は魔導生命工学部門に移っています」
「ああ。なるほど、カルロの右腕を改造したシュミット爺さんはそいつの弟子か」
どうやらカルロ達にも間接的に繋がりのある人物らしい。
クベーラはこれで話はおしまいと打ち切った。
「では、カルロ。それから・・・」
「ヴィヴェットで結構です」
「ではヴィヴェゥット、今後は常夜灯神殿ではなく直接ここに来るがいい」
クベーラの隠れ家は常夜灯神殿と地下道で繋がっているが、出入口は別にあり梯子を使って登るとそこはナトリ河沿いの農園地帯だった。




