第20話 買収
パトリシア・クランベールは今や有頂天になっていた。
平民の富裕層や帝国貴族だけでなく若者達からも人気を集める総合服飾専門紙「テレール」の編集長リタ・テレールの第一秘書を務め、同僚たちを蹴落とし、常にリタの側近を務め、外国の王侯貴族にまで知己を得た。
多くのデザイナーが見本としてリタに見せて欲しいとパトリシアに頼み込み、賄賂を送り、毎晩接待のお誘いが来る。借金してまで良い服を買い求め、パーティに出席していた日々が嘘の様だった。彼女は今や帝都の華やかな社交界の中心にいる、
個人的なコネも増え、彼女は年寄りのリタを追い落とし、自分がそれにとってかわる事も可能だとさえ考え始めていた。
リタの執務室がある五階に入るとスタッフ達が緊張した面持ちで自分に視線を送って来るのも快感だ。今や皆、次は自分がクビにされるのではないかと恐れている。
リタのスケジュールを握るのは自分だけ、社内の各部署から送られてくる報告をリタが目を通す前に分別し、自分の意にそぐわなければ却下して突き返す事さえ出来る。
人事部も自分には逆らえない。
いくつものデスクを過ぎ、リタの編集長室に入るとガタイのいい男達に囲まれた女がリタの椅子に座って書類をめくり、リタとエミリアは立ってそれを眺めている。
「あ、貴女!ヴィヴェット!!リタを立たせて何やってんのよ!」
以前、追い出した女が編集長の椅子に座っていた。
「ああ、それもそうですね。じゃあリタの為に椅子を取って来なさい」
お手伝いの女が傲慢にも第一秘書のパトリシアに命じて来た。
「ふざけないで。あんたが取って来なさい。大体なんであんたがそこに座ってるのよ」
パトリシアがそこをどけといわんばかりにずかずかと近寄り肩に手を伸ばそうとすると、男に阻まれる。
「何故って?私がここを買収しました。リタには今後も編集長を任せてもいいですが、貴女はクビにします」
「は?」
「そうですね、もうクビですから仕事を任せるわけには行きませんね。エミリア、椅子を取って来て下さい。ラッソ、警備員を呼んでこの女を外へ連れ出して。カルロは防音を」
「ただいま」「了解」
◇◆◇
「エミリアさんはよくもあの女の虐めに耐えて来たものですね」
パトリシアを追い出したヴィヴェットは多少自分に優しくしてくれていたエミリアに話しかけた。
「まあ、あのくらいは何処にでもいますから・・・。学生時代の同級生なんて集団で・・・」
「ああ、いいです。そういう話は。エミリアさんは彼女のように賄賂を受け取ってリタに出鱈目な報告をしていないでしょうね」
「それはもちろん」
「では、貴女が昇格してリタの第一秘書を勤めて下さい」
「有難うございます!精一杯勤めさせていただきます!!」
エミリアはぺこぺこ頭を下げて感謝した。
頭を下げた際にほっと一息つく。自分も多少の贈賄や報告書の選別はしている、パトリシアが傲慢になってやり過ぎて目立っていただけだ。
「パトリシアとグルになっていた人事部や経理も数名クビにします。当面不足する人員は親会社の方から出向させますが、こちらも忙しいのであまり長期間という訳にはいきません。リタ、これは貴女の失態です。せっかく立ち上げが上手くいったのにこれでは業界人の信頼を失いますよ」
「じゃ、私もクビ?」
「それじゃ買収した意味がありません。貴女には今後『テレール』を月刊誌から週刊誌にする指揮を執って貰います。貴女の影響力やセンスは高く評価していますから、今後は足元に注意してください」
「週刊誌って・・・そんなの印刷会社がもたないわ」
「親会社の規模を拡大するにあたり専属の印刷会社も立ちあげます。オットマー社とも提携しましたので自由都市でも出版する事になりました」
紙、インクについても東方のメルニア王国からの供給量を確保している。
「随分なコネをお持ちなのね。私の下で働いたのは私を監視する為だったの?」
「いえ、あの頃は普通に第一線で働く先達の仕事ぶりを見たかっただけです」
ヴィヴェットもここまでトントン拍子に話が進むとは思っていなかったのだが、ポーターが西方商工会や自由都市連盟と話をつけてくれた。
「さて、エミリア。急にパトリシアがいなくなって貴女も忙しいでしょうから助手を送りましょう。私も時間がある時に見に来ますね」
「は、はい。ご配慮有難うございます」
手伝いを派遣するというのはエミリアが第二のパトリシアになるようなら排除する宣告でもあった。エミリアもそれを悟って神妙になって仕事に邁進した。
◇◆◇
ヴィヴェットは出版社を買収し、新しい新聞を発行し、ファッション誌まで手を出し始めたもののまだまだ赤字で投資を回収出来ていない。資金についてはリブテインホテルのオーナーも協力してくれてガドエレ家からの融資も受けて何とかなっている。
新聞の方はもともと当局に睨まれて解散したタブロイド紙から人員をそっくり移籍させたので内容もそれなりだが、ヴィヴェットがせっかく裏社会に詳しくなったので、女性でも楽しめる安全な帝都のナイトライフスポットを特集した所、これが随分な評判になった。
それで外国人向けの旅行案内誌まで出すようになっている。
「で、今度は雑誌作りか。よくやるよ」
「私の実体験も入ってますから具体的で信憑性があるって好評だったんです。販売を取り扱ってくれたお店にも実際に自分でも行ってみたっていう人が多くて」
そこでヴィヴェットは新聞以外に専門の雑誌を二つ発行する事にした。
帝都のナイトライフ専門誌と女性向けの雑誌との二つだ。
アルマンの系列店をお勧めスポットとして紹介する事で、スポンサーになって貰えたので資金繰りもますます楽になる。
「で、女性向けの雑誌ってのは?」
「貴族から平民まであらゆる階級、人種を含んだ各国の恋愛事情とか性生活とかファッションだとかです」
「外国のまで?」
「外国のお姫様がどんな暮らしをしているのかとかみんな興味津々ですよ。帝国貴族も官僚化して庶民的な人が多いですし、結構憧れちゃうみたいです。逆もそうなんですけどね」
需要はあっても世の中に出回っているのは作家の小説風なもので世界各国を網羅した実際の風俗誌というものは少なかった。読者の反響からこれは売れると思ったヴィデッタは専門誌を出す事にしたのだった。
「ヴィーは外国のお姫様の知り合いがいるのか?やっぱわりとお嬢様?」
「知人にちょっとたまたまいるだけですよ。いやあ、タダで教えて貰ったものが儲けになるなんてもっと早く始めれば良かったです」
中古の印刷機以外にもラッソ達に盗み出して貰った設計書を元に新型も調達可能になり、ますます効率は上がる。当局からの横槍も無く、順風満帆だった。
「ヴィヴェットは言論の力で世の中変えてやりたいんじゃなかったのか?そんな俗っぽいことでいいのか?」
「あら、私みたいな小娘が社説書いたって世の中の人が耳を傾けてくれると思うほど夢想家じゃないですよ」
ヴィヴェットもいくらなんでもいきなり革命を訴えたり議席を要求したりする気はない。
「まずは影響力の確保です。経済に与える影響力が大きくなればなるほど女性の意見に耳を傾けざるを得なくなるでしょう?今の帝国政府が平民に次々譲歩してきたのも平民の経済力、発言力が増したからです」
急がば回れ、帝都への道も一歩からということでヴィヴェットは少しずつ同調者を増やしていくつもりだった。
「何十年もかかるかもしれないぞ?」
「ポーターさん達なんて半世紀くらい復讐の機会を伺ってるじゃないですか。それに比べたらどうってことないですよ。貴方達もいっそお金を稼いで標的は誰かに暗殺依頼でも出してみたらいいんじゃないですか?」
「ま、それも考えたよ。アデランタード公、イルエーナ大公、元監察隊長ゴドフリー・ベルリヒンゲンの三人以外は自分の手でやらなくてもいい」
ラッソは数人には復讐を遂げたが、あまり満足感は得られなかった。義務感でやっているような気がしている。暗殺業には大分慣れたので、そろそろ真に憎い相手だけに対象を絞りたい。
「カルロは?」
「俺は前者の二人だけでもいい。俺の標的は多すぎるし、外国に散り散りだからな。父を見捨てた将軍達も結局はクソジジイ達の命令には逆らえない軍人だからしょうがないと割り切れない事も無い」
カルロの父、ガルシアは名誉称号だけで直臣が居なかった。
世継ぎは次男のアデランタード公と定められていて、ガルシアに与力として与えられた者達に忠誠心は無かった。イルエーナ大公領が帝国に接収されて、何人かは帝国軍に入り既に殺害しているが、今後続けていった場合いつかは正体が露見する。
ラッソと違ってカルロにはまだ母と妹がいるので巻き込まれる事態は避けたい。
「ラッソはカルロとは微妙に違うんですよね?そろそろはっきり伺いたいのですけど」
「そうだな・・・もういいか。俺は第16回人類法廷で追放刑にされたスパーニア王の子、ソラ。王を裏切った大公と手柄欲しさに唆した第7監察隊の元メンバーは全員殺す」
「ああ、一人だけ行方不明だったっていう王子様ご本人だったんですね。お父さまや他のご家族を探したりしないんですか?」
ヴィーの言葉は素朴な疑問だったが、それはラッソを少し苛立たせた。
「探す?お前なら知ってるだろ。帝国追放刑がどんなものか!そして俺の家族が、弟や妹がどうなったか!!」
国王が都に迫るフランデアン軍を迎え討ちに出撃している間にイルエーナ大公が民衆を煽動して王宮に突入させた。その結果、王妃と子供達は殺害された。
王は都の民を戦火に巻き込まない為に嘆きの谷まで出撃したのだが、守ろうとした民衆に裏切られた。
「あ、はい。弟さんや妹さん達ではなくお姉さんの事です。会ったりしてないんですか?」
「姉・・・?俺は長男だ。姉も兄もいない」
「おかしいですね。いる筈ですよ。侍女の愛妾との間に出来た子がいた筈です。腹違いかもしれませんが、唯一の血縁では?」
ラッソの記憶に姉はいない。だが、ヴィヴェットは断言した。
「そんな筈はない・・・俺は覚えてない。確かに一度記憶は失っていたが、他に家族がいるなんて、ポーターさんにも聞いてない!!」
ラッソは頭に刺している魔石が痛み始め、それを抑えながらヴィヴェットに怒鳴った。
「まあまあ、そう興奮するなよ。ヴィーを脅したってしょうがないだろ。ポーターさんに聞いて見ればいい」
カルロが宥めに入ったが、ラッソはまだ呼吸が落ち着かないほどに興奮している。
「待ってください。記憶喪失だったんですか?」
「ああ、魔力の目覚めと共にラッソの記憶は戻ったんだ」
だが、記憶はやや曖昧で当日に何が起こったかは思い出せず母や弟達が殺されたという結果だけ、保護された以降の記憶が大半だった。
「・・・都合が良すぎますね。ポーターさんに聞く前に記憶が弄られていないか関わっていなさそうな魔術師に確認して貰うべきです。貴族の中でもたまに魔力の目覚めが訪れない子がいますが、そういう場合、魔力を強制的に目覚めさせる薬を使います。でも、脳に障害が残ってしまう場合があって魔術師に助けて貰う必要があります。心当たりありませんか?」
ラッソは魔力の目覚めが訪れた日の事を思い出そうとしたが、どうしても思い出せなかった。しばらく寝込んでいた孤児院から隔離されたような気はする。
ラッソが頭を抑えて苦しんでいるので代わりにカルロがヴィヴェットに反駁する。
「ヴィー。ポーターさんが何かしたってのか?彼はずっと暗殺にも反対して俺達には平和に暮らせっていってたんだぞ」
「そういえば逆にその気になると思ったんじゃないですか?私に対してもそうですが、いろんな所に騒乱の種をまいているでしょう?平和に暮らせといいつつ、表社会に戻る気にはならないようお姉さんの事を教えなかった。そうとも取れます」
7歳で孤児院を飛び出し、裏社会に入り込んでもポーターは支援を続けて来た。
なんだかんだいってもメイソンを紹介し暗殺者としての訓練を受けさせた。
そうなるよう誘導されなかったか、とヴィヴェットは指摘した。
「さすが物書きだ。想像が逞しいな」
ラッソは脂汗を書きながら嫌味を言い、カルロも続く。
「だったらヴィーも彼に利用されたんじゃないのか?」
「私は彼に会う前から世の中ひっくり返すつもりでしたから、彼の目的と最初から合致していただけです。まあこの手を汚す事になるとは思ってもみませんでしたが、ごくごく個人的な理由で彼とは何も関係ありません」
「ふーん、で、ヴィーは何者なんだ?そろそろ教えてくれてもいいじゃないか」
ラッソの問いにカルロも頷く。
「自分の個人情報教える訳ないじゃないですか。馬鹿ですねえ」
「うわ、ひっで!俺らには聞いておいて!」
「あはは、済みませんが私はまだれっきとした帝国貴族で周囲に迷惑かかっちゃうので勘弁してください。お詫びになんでもしますから」
「んじゃ、ラッソの姉さんの名前と居場所を教えてやってくれ」
「姉なんかいないってのに!」
「まあまあ、顔を見れば何か思い出す事もあるかもしれないじゃないか」
カルロは一旦ラッソに家族を探してみるよう勧めた。
「フランデアン王の息子がいま帝都に来ていますが、その館に貴方のお姉さんがいます。名前は確かナリンさんです」
「ほら、ちょっと行って見て来いよ。俺はクロウリー協会で記憶を弄れる魔術師がいないか聞いてみる」
カルロは早速出かけようとしたが、ラッソが鋭い口調で待ったをかけた。
「駄目だ!協会はポーターさんとも親しいし、俺の魔人化手術をしてくれたシュミット爺さんもいる。ヴィヴェットとナトリの宗教連盟へ行ってくれ」
「ん?ああ、それもそうだが・・・意外と冷静だな。平気ならお前も一緒に来た方が早くないか?」
「いや・・・まだちょっと冷静じゃいられない。少し考えを整理したいし、一人で行動させてくれ。ナトリには後で行く」
どうせいきなりナトリに押しかけても紹介してくれるか分からなかったので、ひとまずはヴィヴェットとカルロが情報収集に行く事になった。
道すがらヴィヴェットがカルロに二人の出会いを尋ねた。
「カルロもラッソの生い立ちを深く知っていたわけじゃないんですね?」
「ああ、アージェンタ市に移り住んでからポータさんに引き合わされた。新しい父親と上手くいかずに家出してヴェーナ市の孤児院に少しだけ保護されていた時に一緒だった事があるが、あいつは何処かに消えちまったし、俺も母にバレる前に飛び出した」
「カルロにはラッソみたいに記憶の曖昧な所は無いんですよね?」
「俺は三歳くらいの頃からきっちり覚えてるよ。俺の父は帝国貴族と結婚して、もうスパーニアを捨てる気だったが、帝国軍の援軍としてマッサリアで帝国軍に協力して功績を上げてから帝国に移住する気だった。なのに味方の裏切りで戦死しちまった。で、母と一緒に帝国に戻ってずっと帝国で育ってきた」
カルロの母方の実家、ヴェルテンベルク家は新帝国がヴェーナに都を建設した際にそれまでこの土地を領有していたが、旧都からやって来た人々に土地を奪われてしまった。その代わりに帝都の少し北の山岳地帯に特別に今も領地を与えられている。
「なるほど」
「ところで、ヴィーはよく記憶操作の魔術なんて知ってたな」
「まあ知人にそういうのが得意な方がいまして。以前言いませんでしたっけ?」
「だったら、その人に診て貰えばいいじゃないか」
そう言われるとヴィヴェットは気まずそうに断った。
「カルロだって、表社会でご家族は何も知らずに暮らしているんでしょう?巻き込みたいですか?」
「ん・・・まあ、そうだな。ごめん」
カルロは継父と折り合いが悪くて飛び出したが、母や妹の事は今も大切に思っている。




