第5話 認可を求めて
ヴィヴェットはとある出版社で準備されている新部門の編集長の小間使いとして勤めていた。服飾の専門誌をひとまず季刊誌として発行しようとしていたのだが、新政府は風紀の乱れが著しいと取り締まりを強化していたのでなかなか認可が降りなかった。
出版業界は協力して免許、認可制の廃止を訴え届け出だけで済むように帝国議員達にもロビー活動を行った。
編集長リタ・テレールは多数の版画を用意して各界著名人の元へサンプルを送り支持を得た。毎晩のように議員に会い、内務省の高官達からも徐々に良い反応が返って来るようになった。
リタの秘書たちは内務省の高官や議員達の予定を抑え、どんな出席者がいるか調べ報告し優先順位をつけてスケジュールを組み立てた。ヴィヴェットはそんな所に手伝いとしてやってきたので最初は歓迎されたが、服装は地味だし知識もないド素人なのですぐに軽く扱われるようになった。
毎朝デスクを掃除して、新聞やライバル紙の本を並べて花を活けて先輩方の出勤を待ち、お茶を淹れ、投げ渡された上着を片付けろ、集荷を呼んでくれ、だのマッサージ師を呼んでくれだの自分に変わって子供の様子を見に学校へ行って来て、だの私用のお世話まで仰せつかった。
先輩方は夜はリタと共にパーティに出ているのでそれを見送るまでが彼女の仕事だ。
これまでに雇われたヴィヴェットのポジションの人間は勤務開始から数日で止めてしまったが、彼女は何週間もその扱いに耐えて続いた。ホテルの部屋に帰るのも面倒なので近所へ引っ越した所、ようやく先輩方もヴィヴェットを見直して徐々に仕事を教えていった。
そして第一秘書が急病でパーティに出席出来なくなった時、第二秘書のエミリアが代わりにヴィヴェットを連れて行ってくれた。
◇◆◇
リタは毎日様々な人に会っていたが、それでも顔や名前はなかなか覚えきれない。
パーティでは初めて会う人間もいれば最後に会ったのは何年も前に一度切りという人もいる。こちらが覚えていないのに向こうは覚えていたら大変不味い事になるので秘書たちは片っ端から出席者の名前と顔を予習して覚えておく。初対面なのにリタを利用しようと馴れ馴れしく近づいて来る者もいるので警戒が必要だ。
リタは初老の女性だが、ファッション業界での影響力は強い。
帝都で流行ったデザインの服は帝国系の自由都市を通じて海外諸国の王宮にまで広まる。彼女に取り上げて欲しいと有象無象のデザイナーが頻繁に寄って来る。
そんなわけでリタは秘書たちを同行させて自分をサポートさせている。
エミリアはリタのやや斜め後ろに控えて、リタの前方にいる人間でリタが顔を覚えてない出席者の名前を囁いていた。
「向こうでグラスを受け取った紳士は内務省の書記ハーパー、階段の所にいるのは文化庁検閲官のグラント様です」
「じゃあ後で献本と届けさせて」
「はい。・・・ヴィヴェット。いいわね?」
実際の事務仕事はヴィヴェットの役割だったので彼女は肩バッグからメモを取り出して控えておいた。
「やあ、リタ」
不意に横合いから声をかけられて一同振り返る。
リタは相手の顔が思い出せず、肘でエミリアをつついた。
「あ、えーと。あの方は・・・あの方はえーと覚えてます。覚えてますが・・・」
動揺して名前をド忘れしてしまっていた。
「フィラレート教授です。心理学の。先日、服装の色が与える印象と影響を講義されました」
ヴィヴェットが助け舟を出しリタは頷いて、フィラレート教授に笑顔で挨拶しにいった。
「こんばんわ教授。色彩心理学について貴方の素晴らしい講義を拝聴しました。とても感銘を受けましたわ」
「ほう、どういった点に?」
「例えば性格分析だとか・・・そうね、私の秘書たちにも良い影響が、ほら」
リタはヴィヴェットを促した。
「相手に与える印象を重視するか、それとも自分の好みを優先するかで相手の人となりが分かるというのは大変興味深いご意見でした。そして各民族で好まれる色の違いに五大神の貴色が大いに影響しているというのは信仰の薄くなったこの時代には認めたがらない者も多いとは存じますが教授のご意見に賛同致します」
「おお、わかるかね。我々の深層心理には今もなお神々の影響が濃く残っているのだ」
「はい。教授が以前教父として説法していらしたので頭からはねつける者もいるかと存じますが、昨今のご活躍についてはマクスミウス教授からも伺っています。我々の業界でも是非ご活躍して頂きたいと思っております」
そしてヴィヴェットは一歩下がって後はリタに任せた。
リタは出版予定の本の表紙は何色を軸に据えるのがいいか相談し、コーナーを設けるので是非コラムをと要望して盛り上がった。
◇◆◇
危うくリタに恥をかかせる所だったエミリアはヴィヴェットに礼を言った。
「やるわね。助かったわ」
「いえいえ、たまたま存じ上げていただけです」
「貴方を連れてきて良かった。今後も仕事に事で分からない事があったら私に聞いて頂戴」
「有難うございます。そうさせて頂きます」
リタは無事フィラレート教授に知己を得た。
主要な帝国議員と親しい心理学者なので今後も頼みに出来そうだった。
ヴィヴェットはその後もリタに頼られて知り得る限りの情報を提供し適切な話題を囁いた。
「あちらのガレオット公爵は仲人を趣味とされていますがお孫さんが適齢期なのに相手が見つからないと嘆いておられます。気さくな方ですが平民としての分を弁えて話さなければなりません。向こうのガルストン議長は今も私領の保持を許されている名家ご出身で議会の中心人物ですが大変な恐妻家です。ご一緒されている奥様の機嫌を先にとった方がよろしいでしょう」
「じゃ、まずが議長の奥様と話しましょう。何かいい話題は?」
「ご趣味の園芸の話題から入り、偽名で投稿されている詩についてそれとなく話してみては?」
議長の妻ももちろん貴族だが、芸術分野で広く世に認められたいという願望を持っており、たとえ偽名でも自分の詩が評価される事を願っていた。
「貴女、どこでそんな事を知ったの?」
「今は関係ありませんよ、それより」
ヴィヴェットは貴重な時間を無駄にしないようにリタに言ったが、周囲を監視していたエミリアが二人に注意を促した。
「・・・ああ、不味いです。グラントが近づいて来ます」
検閲官は昨今の前衛的な服装を好んでおらず服飾の専門誌発行はそれを助長すると思って発行を阻む最右翼の人物だった。案の定リタはグラントから強い詰問に遭い、教授達も嫌がってその場を離れて行ってしまう。
コネが強い人物で新政府が地位につけた新任の文化庁の長官では制御出来ず、リタは押される一方だった。
「もっと上位の方がいらっしゃらないかしら」
エミリアは周囲を見渡したが、グラントを遠ざけてくれるような人物は見当たらない。招待状が誰に出されたか可能な限り調べたが内務次官や内務大臣は今回出席予定に無かった。
帝都五都市の市長や風俗警察ともいわれる治安維持課の課長クラスはいるが文化庁の検閲官に口出し出来るほどの力は無い。百年前の唯一信教が政府の役職を牛耳って魔女狩りを行った際に文化庁の権力は著しく増大し自治体は顎で使われる立場だ。
二人はあたりを見回したが周囲はグラントがいると見ただけで歩む方向を変えて去っていく。二人がきょろきょろと周囲を見回していたので、近くで足を止めて女性と歓談している男と目があった。
男は話を止め、二人に近づいて来る。
まだ若く他の年配の男性達よりもかなり煌びやかな雰囲気を身にまとって注目を浴びていたがエミリアは見覚えが無かった。
男はエミリアに見向きもせず、ヴィヴェットに対して朗らかに話しかけた。
「やあ、ヴィ・・・」
「ヴィヴェット。ヴィヴェット・コールガーデンで御座います。殿下」
「ん?ああ、そうだったね。ヴィヴェット。今日は随分とお洒落じゃないか」
「殿下?」
無視された形のエミリアが呟く。
帝都には外国の王族も多く滞在しているが相手は明らかに帝国人だ。
『殿下』と呼ばれる人間は帝国では限られている。
「エミリアさん。こちらはセンツィア家のガルバ様です。殿下、こちらは私の勤め先の上司でエミリア」
「お、お初にお目にかかります、殿下」
約三十ほどある皇家のひとつと悟ってエミリアは慌てて頭を低く下げて、腰を折った。
「ああ。よろしく」
ガルバは鷹揚に頷いただけで、ヴィヴェットに視線を戻した。
「ヴィヴェット、今日は白い花は付けていないんだな」
「本日は編集長のお供です。恋人は募集しておりませんので若様はどうぞ他の花をお探しください」
エミリアは何かの暗号だろうかと首をひねった。ヴィヴェットは人事を通さずにコネで捻じ込まれたので過去について何も知らない。
女性ながら社会的地位を築いているリタに憧れて厳しい試験を潜り抜けて採用された女性スタッフはさらに苦労してリタの側近に上り詰めたので、コネ入社のヴィヴェットを好ましく思っていなかった。
「ヴィヴェット、私達はお供に過ぎないのだからあまり目立っては駄目よ」
エミリアは先ほどの恩もあるのでヴィヴェットに忠告した。
私用まで押し付けて潰そうとした先輩社員と違ってエミリアは割と優しかったのでヴィヴェットも素直に感謝する。
「そうですね。殿下。良ければ編集長リタ・テレールを紹介させて下さい」
「おお、いいとも。出版社の人間かい。ちょうど話があった」
「どのようなお話でしょう。良ければ私からも一言事前に話しておきますが」
「では、頼もう。オレムイストやラキシタ家の対立の件でね、少し世論に影響を与えて欲しいんだ」
「私達は服飾専門誌ですよ。親会社は小さな新聞を発行していますが」
「なんだ、そうか」
ガルバはあからさまに失望していた。
エミリアは折角利用できそうなのに馬鹿正直に言うな、と思ったが皇家相手に口出しできずヴィヴェットに任せた。先ほどまでガルバと話していた女性が、なかなか戻ってこないガルバにしびれを切らして近づいてきた。
「私を置いていつまで話し込んでいらっしゃるの?」
「ああ、申し訳ない。こちらの・・・ヴィヴェット殿に久しぶりに会ったのでついつい嬉しくて」
「ヴィヴェット?」
「あ・・・、これはマーダヴィ公爵夫人。まさかいらっしゃっているとは」
他の招待客の影でガルバの話し相手の顔を見る事が出来なかった。
相手は皇帝の寵姫であるマーダヴィ公爵夫人だった。
「あら、こんばんわ。ヴィヴェット?そんな名前だったかしら」
「こういった場はお好きでは無かったと記憶しておりました」
「そうね。でも皇帝陛下がしばらく相手をしていられなくなるから、たまには遊んで来いというの」
「それで私がご案内申し上げたというわけだ」
「ああ、なるほど。そういう事ですか」
ガルバの説明にヴィヴェットが納得する。
皇帝が軍を率いて北へ向かう為、その間社交界と距離をとっている寵姫が心配でガルバにエスコートさせたようだ。
「ところで、それドーラ・オーレンの新作?」
突然公爵夫人に服装をまじまじ見られて指摘されたヴィヴェットは面食らった。
彼女は服飾業界に詳しくなかったのでデザインだけで何処の誰の作品かわかるとは思わなかった。ラッソとカルロが連れてきた人が何がなんだかよくわからないままに用意してくれた衣装だ。
「お分かりですか?」
「ええ、勿論。世間ではラニ・ツアーが評判といってもさすがにおばさんにはね。ドーラの作品は新しいデザインの影響を受けても独自の哲学があって好きなの。でも御用商人は見本を持ち込んでくれないし・・・」
「ご自身で気軽にお忍びで買い物に行くわけにもいきませんよね。でしたら是非私達が準備中の雑誌を購読下さい。今度見本を送らせて頂きます。御用商人にそれを見せて相談されればよろしいかと」
雑誌にはファッション・プレート、版画のイラストを色付きで載せる予定だった。
費用は高くつくが上流階級相手の商売なのでリタ達は思い切った。
「素晴らしいわ、面白い取り組みね。ヴィヴェット、これからも仲良くして下さる?」
「ええ、勿論。では編集長にご紹介しましょう。是非ドーラについて紙面を多く割く用にお申し付け下さい」
公爵夫人はリタとグラントの会話に割り込み、ヴィヴェットを指して自分もあんな服が欲しい。もっとサンプルが見たい。早く発行しろと要求してグラントを黙らせた。
議長の妻や芸術を愛する女性陣も協力して公爵夫人を援護しグラントは二の句も告げずに立ちった。
リタは平民だが十分な教養もあり、公爵夫人や議長の妻達はその後大いに盛り上がった。
ガルバはその様子を眺めて渋面でヴィヴェットに文句を言った。
「まったくなんてことをしてくれたんだ」
「何かお困りごとでも?」
「これで流行が加速する。ますます世界が狭くなるよ」
「貴方はそういう事態を歓迎するのかと思いましたが」
「自分が支配出来るならね。だが、違う。情報を支配するのは平民達になる。そして世界がいっそう狭くなり、時が早く進めば人が一日で処理しなければならない情報量が増える。人々はより繁栄するかもしれないが、より疲弊した人生を過ごすだろうね」
ガルバの予想は的中するが、世界の変化の流れは誰にも止められなかった。
肉体労働者だけでなく知的労働者もあらゆる階級の人間が流れる時の早さに翻弄される時代に適応しなければならなくなっていった。




