番外編:帝国夜話 ヴィターシャ・ケレンスキー
ヴィターシャは自分にあてがわれた婚約者アレクサンドル・ガングート・パーヴェルを断固として拒絶していた。パーヴェル家は現当主と敵対しているクリスティアンの有力な家臣であり、ヴィターシャは寝返り工作の為に父によって売り渡される所寸前だった。
彼女の父コリンは既に北の方伯家の領地に戻って軍を率いているが、母は帝都に残って婚約を受け入れるようヴィターシャを説得していた。
「どうして貴女はそんなに頑なの?こんなにいいお話二度とないのが分からないの?」
「お義母様達にとってはいい取引でしょうね。でも私にとっては違う」
「取引だなんて言い方よして。貴女の為を思っての縁談よ。アレクサンドル様はクリスティアンの甥。こちらに引き込めれば敵対した方伯家の一族は雪崩をうってこちらに寝返るかもしれないでしょう?」
母の言にヴィターシャは鼻で笑う。
「だからなに?それでご当主様が勝利したからって私に何の得が?」
「だからって・・・、勝利の立役者になれば我が家もパーヴェル家も家臣団で有力な立場につけるのよ。そうすれば貴女の地位だって上がる。貴女が下町でやっているいかがわしい活動だって大目にみてあげられるようになるかもしれないじゃない」
「私が何をやってるっていうんです?」
「・・・コンスタンツィア様の侍女に確認したのよ。貴女がお屋敷に泊めさせてもらっていると行った日には来てないって。クムダの館とかいう怪しいお店に通っているんでしょう?」
クムダとは月の恋人という異名を持つ夜に咲く花の名で、夜に女性が男性をもてなす店にその名がつけられていた。
「ヤドヴィカさんはそんな名前を知らない筈です。お義母様は何処でそんな名前を知ったんです?」
「どうでもいいでしょう。今は貴女の話です」
「どうでもよくはありませんよ、お義母様の親しい『ご友人』がその店に来て気が付いた。そうでしょう?父がいない間に夜遊びしてたんですね」
ヴィターシャは義母の不倫相手が自分を見つけたのだとカマをかけると明らかに義母の態度が変わった。
「あのね、ヴィターシャ。私達は今まで上手くやって来たじゃない。お互いあまり干渉せず、貴女が夜遅くまで遊び歩いてもうさんくさい男達と付き合おうとも見て見ぬふりをして庇ってあげてきたでしょう?でも今度は駄目なのよ。ご当主様に勝って貰わないと何もかも終り。貴女だってコンスタンツィア様が不幸になる所を見たく無いでしょう?」
「だからって私は自分が不幸になりたくはありません。他人の為に人生を費やすのはもう終りです」
「さんざんお嬢様から恩恵を受けてきてその言いぐさは何?恩知らずだと思わないの?」
「私とコンスタンツィア様は貴女より古い付き合いです。貴女からどうこういわれる筋合いはありません」
ヴィターシャは自分と血縁関係の無い後妻に対し友人との関係をあげつらって欲しくなかった。
「そういわないで、とりあえずアレクサンドル様の絵姿でも見てから決めればいいじゃない。政略結婚なのは確かですけど、お互いに良い関係を築けるかもしれないでしょう?」
「これまで三人と離婚して暴力を振るって流産までさせた男と?」
「・・・知っていたの?」
ヴィターシャは巡礼から戻って以来、ずっと様々な情報を収集してきた。
クムダの館でも、ノエムと働いていた以前の茶屋でも。
女達は相手がどんな変態だろうと金蔓になるなら構わなかったが、暴力男だけは避けて情報を共有しあっていた。
「帝都から離れた方伯領で起きた出来事だからって私が知らないとでも思いました?パーヴェル家のイカれた男達に嫁ぐなんてまっぴら御免です。私がコンスタンツィア様との関係を利用して地位のある男を婿入りさせて貴方達が追い出されるのが怖いから無理に進めようとしているんでしょうけどご心配なく。私は出ていきますから父と仲良くお幸せに」
ヴィターシャがケレンスキー家を継いだ場合、義理の弟と義母は家にいられなくなる。それを恐れているのだろうと察して義母を安心させてやった。
「それで何処へ行くつもりなの?貴族の女一人で生きていける世の中だと思ってるの?職業売春婦になんかなったらお父様の部下が・・・いえそんな醜聞は方伯家が許すはずがありません。貴女は一生精神病院に閉じ込められてしまうわよ」
「私は誰かの愛人になっても売春婦になんかなりませんからご心配なく」
「でもいかがわしい場所で働いているんでしょう?」
「せいぜいお酌程度です、誤解しないで下さい。個人的に付き合っている方はいますがその方は慈善事業財団を運営されている裕福な資産家で立派な方です。貴女の不倫相手と違って変態趣味でも無いし暴力を振るわれた事もありません」
「なっ・・・なっ!誤解よ!そんな事貴女の勘違いだわ!」
ヴィターシャは侮蔑の視線を隠しもせず、口うるさい義母を無視して家を出て愛人から貰った『家』に転がり込んだ。
◇◆◇
ヴィターシャに家を与えた男、資産家のペイバック・コーマガイエンは情事が済んだ後、もう自宅に帰りたくないという彼女の相談に乗った。
「勿論貴女を養ってあげるくらい出来ますが、今後どうするつもりですか?クムダの店にはそのうち家臣の方が乗り込んでしまうでしょうし。貴女はああいった店で働くのは自分の店を構える為の資金稼ぎだと言っていましたよね?手料理屋でも始めるのですか?」
女貴族でも裏方の仕事ならあまり目立たず職に就く事は出来る。
経営者だったり、どこかの大貴族の侍女であったりと。
しかし、ヴィターシャはその道は選ばなかった。
「男がやれば芸術。女がやればただの家事」
「?」
「翡翠宮で働いていた料理人の知り合いの言葉です。自分の方が見栄えも味もよく出来ているのに、客に呼ばれて説明に行く度にがっかりされたそうです。なかなか美味しいが所詮家事の延長だって」
有名料理店では客が料理長に会いたいという要望が寄せられる事がある。
シフトの都合上、ヴィターシャの友人が仕切っている時は呼ばれて出ていくとあからさまにがっかりされる。だが、同僚の男性を代わりに立てて後ろで聞いていたらまったく違う評価で芸術的で食べるのが惜しいとさえ言われたとヴィターシャは嘆かれた。
衣食住は得られても正当な評価が得られなくてはプライドは打ちのめされる。
努力して生きるのが馬鹿馬鹿しくなったと彼女は嘆き、翡翠宮が入っているナクレスネッツインの屋上から飛び降り自殺してしまった。
彼女の死を見て、ヴィターシャは必ず自分の仕事に相応しい正当な評価を世間から得ると誓った。
「なるほど変わった娘ですね」
「でもそういう娘が気に入って養ってくれているんじゃないんですか?それとも腹いせに帝国貴族の娘を抱く事で興奮してるんですか?」
「腹いせ?」
「西方の人は皆帝国人を恨んでいるんでしょう?」
ペイバック・コーマガイエンは現役時代は西方商工会の幹部で、帝都で数多くの投資で利益を得て多額の納税をした事で市民権を得たとヴィターシャに告げている。
「ああ、第二次市民戦争で我々が帝国に弄ばされた件ですか。確かに恨みがないわけではないですよ。私達の世代であれば二人に一人は家族に餓死者を出していますからね」
「貴方もですか」
第二次市民戦争は今から45年ほど前に集結している。
初老のペイバックは当時まだ子供か青年くらいだった筈だ。
「ええ、私も家族は皆帝国の都市封鎖で飢え死にでした、私一人だけが家族の死体を食らって生き延びました。だからといってそれで君を買って帝国人に意趣返ししているわけではありませんよ。優しく接して来たつもりですが、信じて貰えていませんでしたか」
ペイバックは西方人らしい紳士服をきっちりときこなし、ネクタイを閉めてからまだベッドでシーツに包まったままのヴィターシャの所に戻って来てやさしく口付けをした。ヴィターシャも彼に虐待された事は一度も無く、包容力のある初老の紳士を好いていた。
「ではなんで私によくしてくれるんですか?」
「市民戦争の頃、家族で共食いするほどに飢えていた状況を全世界に訴えてくれたのは帝国の活動家の人でした。正確には自由都市の方ですが、それも帝都の新聞社が取り上げてくれなければ、私もどうなっていたか。貴女が学院で新聞部とやらを作って活動しているとお店で聞いた時、気紛れに助けてやりたいと思っただけです」
「本当に立派な篤志家ですね、貴方は」
ヴィターシャも起きて服を着て、男の為に朝食の準備をし始めた。
「投資をしているんですよ。善行を積んでいるつもりはありません。貴女のような貴族女性がもし本当に新聞記者になるなら愉快ですけどね」
「ふうん。私に投資するのは帝国貴族社会の暗部を暴いて欲しいとか、そういう理由ですか。ちなみに私は利用されても構いませんよ、どうせこの帝国貴族社会じゃ生きていけませんから」
個人に対しては無いが、帝国に恨み自体はあるという先ほどの言葉をヴィターシャは勘繰った。
「私達西方市民はもともと革命を志して、各国市民と連帯して蜂起し王や騎士達と戦いました。今となっては王達と手を携えて共に社会を再建していますがね。君は自分の出身階級が崩壊してもいいのですか?友人だっているでしょうに」
「父親より年上の人に体を売らないと生活出来ないような社会なんて潰れても構いません」
ペイバックは朝食の準備を終えたヴィターシャの腰を掴んで自分に引き寄せ、彼女の蒼い瞳を覗き込んだ。瞳の奥の本音を覗こうとする目だ。
「私に近づいたのはコンスタンツィア様と親しい関係にあったからでは?」
ヴィターシャは視線を逸らさず口にする。
「私が一度として君に何かを頼んだ事がありましたか?君の夢を聞き、社会の歪に苦しむ人を助けたいと思っただけですよ」
ヴィターシャがこれまで知り合った男達は皆、是非パーティにコンスタンツィアを伴って来て欲しい、どうにかして紹介して貰えないなどと口にした。しかしペイバックからは一度も無い。だが、それでもヴィターシャは他の誰でも無い自分を選んだ理由があると踏んでいた。
「ねえ、別に本心を言ってくれてもいいんですよ。私だってお金の為に貴方のお世話になっているんですから」
「酷い悪女に育ったものですねえ」
初めて会った時から眼鏡の下にギラギラした目を隠していて興味を持ったが、帝国貴族の女性にしては身持ちが固かったのに、とペイバックは以前を思い出す。
「稼ごうと思えば特定の誰かの愛人になるよりもっと稼げる方法はありますし。お客さんの中で貴方に一番好意を持ったからこうして貴方の愛人になる事に同意したんです。ね、本心を言ってみて下さい。別に初心な娘を騙して自分のいいように使ってみたかったとかでもいいんです」
「貴方は何がしたいんです?自立で満足するわけではないようですね」
「ええ、私は貴方達が帝国政府に妨害されて成し得なかった革命を目指します。貴族も市民も男も女もない。平等な社会を。その為なら裕福な活動家の愛人でもいい。貴方だって本当は帝国貴族の娘を囲って少しは悦に浸れている筈です。貴方は優しく触れてくれますが、時折そう感じます」
「もちろんこうして君を抱ける事は嬉しく思いますよ。正直いえば帝国貴族の若い娘を平民の私が囲えるなんて故郷の友人達に自慢したく思いますね」
従属国出身の平民が支配者である帝国貴族女性を連れ歩いて、これは自分の女だと人前で宣言出来ればどれだけ興奮するか、ヴィターシャとノエムが当初働いていた出会い茶屋ではそんな妄想を膨らませている男達がたくさんいた。
そして私的な交際をしてあげてもいいと釣って彼女達は随分と稼いだものだった。ノエムの方は健全な関係のまま他の仕事に移ってしまったが、ヴィターシャは自立資金を稼ぐ為に積極的に自由恋愛を推奨する店に移りペイバックと知り合った。
「自慢してくれていいですよ。是非ご友人に紹介してください」
「本気ですか?晒しものですよ。貴族の女性がこんな風に平民の男のいいなりになって抱かれているなんて」
「どうぞ好きなだけ晒しものにしてください。その代わり力を下さい。貴方達にはまだ多くの知識と財力がある筈です。帝国がある限りどこの国で革命を起こしても失敗します。革命を起こすならこの帝都で始めるべきです。私に貴方達の援助を下さい」
晒しものでも構わないというヴィターシャに対し、ペイバックはいきなり彼女の服を剥いた。白い乳房が露わになってもヴィターシャは抵抗しない。
「家の名を出してくれたっていいんです。むしろそうして欲しい。私を売ろうとしたのは父、守ってくれなかったのは母。あんな家が晒しものになって方伯家から追放されても別に構わない」
「後悔しても知りませんよ」
「後悔するかどうか試してみればいい」
半裸になったままヴィターシャは毅然としてペイバックに言い返す。
「では、貴方に金と力を与えましょう。どこまで頑張れるか見ていてあげます。本当に後悔しても知りませんよ?」
自分はもう年なのでヴィターシャを使って安全な所から観戦するだけだと言われてもヴィターシャは構わなかった。
「ええ、私に世界を革命する力を下さい」




