第五章後編:挿話➃:皇帝カールマーン➃
カールマーンは蛮族戦線にあり辺境伯の宮殿で皇家諸軍を統括していた。
辺境伯はボロスの殺人事件を聞いて以来、皇帝に帝都に戻るよう促していたが、カールマーンは近衛騎士を時折帝都に送って状況を確認させているだけで戻る気配はない。
「陛下、帝都の状況を伺うに事態は日々緊迫感を増しています。前線は私にお任せあって、陛下は帝都にお戻りを」
「ルプレヒト殿、卿はただでさえ帝国最大の軍事力を擁している。卿が力を持ちすぎだと危惧している者は多く、この大軍を統括出来る者は余しかおらぬ。余がいなかったからこそ皇軍の対立は起きた、違うか?ん?」
「陛下、それはおっしゃる通りですが帝都の混乱は帝国全体に波及します。こちらは少しくらい陛下が不在でもすぐには問題は起きません」
「いや、問題が起きる度に行ったり来たりする事は出来ん。そもそも、議会の連中がさんざんデュセルを批判し、自分達で帝国を運営できると言ったのだ。もう少しやらせてみてもよい」
政府を追放されたデュセルはもともとトゥレラ家の家臣だったということもあって、再びカールマーンの元に身を寄せていた。
今は皇帝秘書官のような仕事をしており、主の言に隣で頷いている。
辺境伯はそれでも翻意を迫った。
「陛下・・・それでは意地で帝国を危うくしているように聞こえますぞ」
「なんと、そなたは余が子供っぽい意地でこんなことをいっているように思うのか?」
皇帝の問いに辺境伯はしばし逡巡してから頷いた。
皇帝は少し気を害したが、苦笑して無礼を許した。
「ふっ、正直者だな」
「申し訳御座いません」
「まあ、よい。長年重責を任せてきた卿には真意を話しておこう。余も寵姫の元に入り浸り国政を蔑ろにしていると非難されてきたがそれでもここまで事態を悪化させた事は無い。世間では選帝選挙のたびに皇家が争いあって帝国の国力を減じているという批判もある。いずれ現体制では帝国を維持出来なくなるのではないかという危機感を議員達は持っており、正当な選挙で皇帝になったわけではない余はそれについてはなんともいえん。だが、政府が帝国全土を統括すべきか、これまで通りの体制を続けるべきか、選挙制を辞めてどこか特定の皇家が帝国を牛耳るべきかという議題には大いに興味がある。帝都で多少の混乱が起きた所で新旧合わせた五千年の歴史の前では大した事件ではない。違うか?」
「陛下はご自身の権力が奪われてもよろしいのですか?」
辺境伯の問いに皇帝は笑みを大きくした。
「はっはっは。兄の代理に過ぎない皇帝の権力が欲しければ誰にでもくれてやりたいところだ。後世の歴史家に覇気が無いと笑われようと構わん。だがな、こんな余よりも大きな問題を引き起こし収拾できない者が皇帝になれようか。選帝制に変わって幾百年、もし、余がきっかけで帝国の体制が代わり、今後数百年安定の時代が来るのであればそれもよし。連中が事態を収拾できないようなら、その時は余が直接事に当たるだろう。ここで余が卿と皇軍の連合軍五十万を擁している限り、どんな問題が起きようと対処できる。しかし単独で帝都に戻ればそうはいかん」
軍を率いて帝都に戻れば東ナルガ奪還作戦は破綻しかねない。
軍事力を供わなければ政府もラキシタ家も皇帝を軽視して事態を収拾できるとは限らない。帝国の将来の体制、現実的な問題も考慮して皇帝は最前線に留まる事を選んでいる。
「陛下のご意思はわかりました。で、あれば我々はここの問題に専念しましょう。して早速ですが『潜竜』問題解決にあたり魔術師団の結成が必要です」
「死んだ筈の神獣か・・・迷信深い兵士達の噂ではないのか?」
『潜竜』とは先の大戦でマッサリアに軍を率いてルプレヒトが留守にしていた辺境伯領を襲った神獣のことだ。生物学者達によって土竜の神獣と推定されている。
要塞都市ブリアルモンを蛮族軍が襲った際に二体の神獣が現れて結界に触れて地中から飛び出し、帝国軍と東方候が率いる軍に挟まれて討ち取られた。
一体は大蚯蚓、もう一体が土竜の形をしていた。死亡後に強烈な悪臭を放ち、あまりにも体が巨大だった為に移す事も出来ずその場で地中に埋められた。
が、実はまだ生きていて地中から地震を引き起こしていると噂されている。
「掘り返して見なければ分かりませんが、少なくとも一体は倒しきれずに逃げられたそうです。当時はとにかく悪臭対策で処理を急ぎ、混凝土詰めにして魔術師達の助けも借りて徹底的に封印処理を施した為、解除するにも同等の魔術師達を集める必要があります」
「報告書は読んだ。確か、イザスネストアスも加わっていたな。イーネフィール公家の魔術師長達も。今あれほどの力を集めるのは難しいぞ」
大規模な防衛戦だった為、通常は前線の戦闘に参加しない魔術師達も多数参加していた。帝国の防衛線が大きく破られ危機的状況だった当時と攻撃作戦の今回とはとは量も質も段違いだ。
「東方候にもご協力頂きましょう」
「そうだな、仕方ない、評議会にも命令を出そう」
◇◆◇
辺境伯の宮殿に滞在している皇帝の元には各地から報告が寄せられていたが、本国と蛮族戦線に問題の次に重要な問題はサウカンペリオン併合問題だった。
帝国と北方圏、西方圏、東方圏を繋ぐ要衝を帝国が直轄統治するのはもはや避けられないが、現地住民や一部の小王の反発が大きく、ふたたび市民戦争勃発が危惧されている。
皇帝の元に急報が相次ぎ、とうとう小王のひとりが三万の大軍をもって大規模な反乱を起こしてしまったと伝えられた。
「困ったな。ここに五十万はあるが、鎮圧に向けるとまた戦力の再編をしなければならぬ」
「参謀達からはオレムイストに焼かれて一旦後方で戦力再編をしていたラキシタ家の手勢に対処させるべきという献策がありました。これならば前線再構築の必要もなく、オレムイストとラキシタ家の軍を引き離し緊張緩和も可能で一石二鳥といえます」
「それはよい。ではベルディッカスに指示を出し事に当たらせよ」
「は」
当時ラキシタ家の軍は二手に分かれていた。
一方は派遣軍総司令官のガウマータ将軍の部隊で、今も最前線にいるが、もう一軍はベルディッカスが率いて再編成を行い予備兵力として待機させていた。
前線では兵士達の間に疫病が蔓延してうかつに戻せず蛮族とは膠着状態となっている。
以前のやりとりからカールマーンはベルディッカスを気に入って最近は本陣の幕僚として勤めさせており、帝都の宰相達がラキシタ家の帰還兵を拘束したと聞いた時は解き放つよう命令書を送り宥めてやった。
今回ベルディッカスにはサウカンペリオンで反乱を起こし大王を名乗るヴィルヘルムを討伐し帝都との連絡線、補給線を確保するよう指令を出した。
皇帝のもとにウマレルから急報があり、ボロスが死亡しファスティオンが姿を消した事を伝えられたのはこの後である。
「しまった!急いでベルディッカスらを連れ戻せ!事実はどうあれ弟二人を殺されたとあっては何をしでかすかわからん!!」
この命令は時、既に遅く約10万のラキシタ家の大軍は行く手を阻んだ関所の兵士達を「その指令は偽物である。皇帝からの勅命で叛逆者を討ちに行く、邪魔は許さん」と脅して押し通りサウカンペリオンに入ってしまった。




