第五章後編:挿話③:ウルゴンヌのマーシャ
フランデアン王の伴侶であるウルゴンヌ女王マリアには腹違いの姉マーシャがおり、普段は北の守りの要、五大湖の湖岸にそびえたつサンクト・アナン城の城主として暮らしていた。マリアはフランデアン王の唯一の正妃であり、マーシャは長年王の愛人のまま過ごし第二妃になるのは断っている。
姉妹仲も良く、スパーニア戦役時にはマーシャがマリアの影武者として軍を統率する事もあり、平和になってからもマリアがフランデアンに出張している時はマーシャがマリアの代役として国政の面倒を見る事もあった。
そのマーシャが珍しく呼ばれもしていないのにマリアの下を訪れていた。
大きなお腹を抱えて。
「まあ、お姉様。最近全然来てくださらないかと思ったら妊娠されていたんですね。おめでとうございます。話して下されば良かったのに」
自分だけ正妃として地位を得て二人の子に恵まれ幸福に過ごし、罪悪感を感じていたマリアは姉の初めての妊娠を喜んだが、マーシャは苦々しい顔をしていた。
「お姉様?」
どうしたのかとマリアは怪訝な顔で伺った。
「マリア、貴女がギルバート様を帝国に売ったと聞いたわ」
「ああ、その件ですか。彼はイルラータ公の家臣から領地を奪おうとしていたんです。帝国側ではギルバート様は流刑中に一切政治的な活動をしてはならないとされているそうですから引き渡したまで。・・・仕方ない事でした」
「その領地はもともとフラム・ダンペール・オダールの物でしょう。奥さんが不当に奪われた領地を取り返そうとして何の問題があるというの?」
「それを判断するのは帝国側です。私達が関わる問題ではありません」
流刑の原因となった問題を起こしたのは選帝選挙で争ったギルバートの祖父だが、孫も未だに本土復帰が認めれていなかった。彼は今もなおバルディ家の家臣団と繋がりを持っているのでは、と危険視されている。
マリアはギルバートの動きを察知すると早々に帝国の元内務大臣ヴィキルートにギルバートを売り渡した。
「彼女があまりにも哀れだと思わないの?ギルバート様は帝国に送られてすぐろくに裁判も受けずに処刑されたと聞いたわ。彼女は妊娠中で父親の顔を見せてあげる事も出来なかった」
つまりまだバルディ家の血筋が続いているという事だ。
「本当ですか?なら帝国にそれも教えなくては」
「マリア!!」
自分もお腹の中に子がいる為、マリアの発言を許せなかった。帝国に引き渡せば殺されてしまう。
「お姉様、これはお姉様の為なのですよ」
「わたしの?なんでそうなるの?」
「お姉様はこちらに来ると毎回彼女やギルバート様に招かれるくらい親しかったでしょう?私達が知っている事は何でも帝国に伝えてやらないと痛くもない腹を探られる事になります」
マリアの発言には理があるように見えたが、マーシャは信じなかった。
「どうかしら、この際イルラータ公を責める材料にして領地を全て没収するつもりなんじゃないの?」
「あの男はお父様の仇ですよ?もともと許す気はありません」
「お父様に毒を盛ったのは戦争中の混乱に紛れたグランドリー男爵家の者じゃない!」
彼女達の父は大国に囲まれていた自国の力を自身に集中させる為、中央集権化を進めて自国貴族の恨みを買っていた。グランドリー家はもともとイルラータ公の家臣団とも血縁関係があり、紛争をよそおって公の来援を願い、戦闘で負傷したウルゴンヌ公に毒を盛って殺害してしまった。マリアとマーシャの姉妹を残して全滅してしまったウルゴンヌ公の一族の悲運はそこから始まった。
「だとしてもあの男がけしかけて来なければああはならなかったのです。そんな事よりお姉様、もうそんなにお腹が大きくなっているのですからあまり興奮せず出産まではこの城に留まってください」
マリアは姉にギルバートの件にもイルラータ公の件にも関わって貰いたくなく、話を家庭内の問題に逸らした。
「ほんとうにわたしのお腹の子供の事を心配してくれているの?」
「何をおっしゃるのです?両親も兄弟もスパーニアに皆殺しにされてしまった私達にとってお互いの身以上に大事なものがありますか?」
「もしわたしに男の子が産まれたらフィリップが王国を継承するのに差しさわりがあると考えていたんでしょう?貴女がフランデアン王家の男子にかかる呪いをわたしに振り替えたって、わたしには女の子しか産めずその子に呪いを集中させてフィリップとシュテファンを守ろうとしたって呪い師から聞いたのよ!」
二人はマリアの執務室で話をしていたが、マーシャが飛び込んできた時に扉は開けっ放しなので外にも声が漏れている。扉の側には騎士が一人立ち番をしており、周囲に人が近づかないよう注意せねばならなかった。
マリアはその騎士、エムゼン公爵ナイルズに目くばせをして扉を閉めさせた。
「お姉様、落ち着いて下さい。お姉様が呪い師の戯言を真に受けるなんて驚いて二の句も告げませんでした」
「戯言だっていうの?シャールミンと私達が食事を共にする時、ずっと貴女だけお肉ばかり、私にはお野菜やお魚ばかり勧めて来たじゃない。巷じゃ食事の内容次第で男女の産み分けが出来るって、お魚を、特に近海で獲れるヒーリングをたくさん食べれば女の子が産みやすくなるって評判って聞いたわ。だからわざわざパスカルフローから輸入していたんでしょ」
マリアは姉が冗談で言っているのか本気で言っているのか判断に困った。
マーシャは子供の頃からよく真面目にふざけた事をする。腹違いなのに容姿がよく似ているのでマーシャの提案で服を交換して侍女達をよく困らせたものだった。
「お姉様・・・ウルゴンヌはもう貧乏ではないのですから私はただお姉様に好きな物を食べて貰いたかっただけです」
「でもマリア、貴方は子供の頃お肉なんて嫌いだったじゃない。でもフィリップで難産をしてディアーネに助けて貰ってから急に変わったわ。それをどう説明するの?」
「それは・・・あの時は体力が落ちていたから医者達にもっと栄養のあるものをと勧められて変えただけです。さあ、お姉様もういい加減にしてお休みください。そんな馬鹿馬鹿しい話を信じてしまうのはきっと妊娠して心が不安定になっているだけです」
「マリア、わたしの事はともかくフラム・ダンペールを帝国に引き渡さないと約束して」
「それは帝国の問題です、彼女の運命は帝国に委ねます」
「見損なったわ、マリア」
「なんとでも。これは国の為、引いてはお姉様の為です」
「わたしはもうこの国から出ていく、子供達にも彼女にも構わないで」
結局、二人は仲違いしたまま別れた。
マーシャが去ってからマリアはナイルズを部屋に呼んだ。
「陛下」
ナイルズは膝をつき、命令を待つ。
「フラム・ダンペール・オダールを捕縛してきて」
「マーシャ様はよろしいのですか?」
「お姉様に手を出す事は許しません」
「しかし、もし男子をお産みになればフィリップ様の脅威となりかねません。マーシャ様は北部の将兵からの人気が絶大です」
「・・・お姉様が男の子を産む事は無いわ」
「は?」
マリアの断言にナイルズは首を傾げた。
「何でもないから、早く行って」
ナイルズは直ちに命令通り捕縛に向かったが、フラム・ダンペール・オダールはマーシャに匿われて何処かに移送されており、行先を確認する為にマーシャも捕らえる必要があった。
ナイルズはマーシャに手を出すつもりは無かったが、彼女の居城サンクト・アナンへ向かった。しかし、マーシャは言葉通りウルゴンヌ王国から姿を消しておりナイルズは自由都市ヴェッカーハーフェンで彼女の行方を見失った。
マリアは報告を受けると自由都市にいる友人の女性記者に調査を依頼したが、結局最後まで二人の行方はしれないままとなり、帝国側も内縁の妻の事までは追及する余裕が無くそのままとなった。
※人物紹介
フラム・ダンペール・オダール
イルラータ大公の家臣である男爵家の生まれで父は徴税官を務めていた。
彼女の父は部下が帳簿を改竄して税を収めず逃亡してしまったのに気付かず、全責任を取らされて処刑された。娘達は奴隷として売り飛ばされウルゴンヌに流れ着いた。
そして娼婦となり、逃亡していた元部下がそれを知って彼女を買うようになる。
彼女はある日思い余ってその男を刺し殺した。
ウルゴンヌ内では敵国の過去のいきさつに関係なく単に奴隷が客を刺殺しただけ、という事件なので処刑する以外にどうしようも無かったが、彼女を哀れんだギルバートが彼女の身柄を預かって自分の妻とした。
※人物紹介②
エムゼン公爵ナイルズ
先王に率先して領地を献上し信頼を得てマリアの兄弟フィリップとシュテファンのお守り役となった。スパーニア戦役でその子供達は戦死し、三度落城を経験したが生き延びて、女王となったマリアのもとに戻り忠誠を誓った。数十倍の敵兵を前に何度も善戦し、敗北しても生き延びて残兵をまとめ長年抵抗し続けた為、不死身の騎士と呼ばれて恐れられた。
マリアは我が子二人に兄弟の名をつけ、今度こそ守り通すよう子供達にも忠誠を誓わせた。




