第47話 女番長セイラ
午前の補講が終わり、さて昼食をどうしようかと相談していたところカトリネルが待って欲しいと頼んできた。
「セイラさんとご一緒する予定なんです、よかったら皆さんもご一緒にどうですか?」
「もちろん、喜んで。いいよね。エディ?」
「ん、おお」
先ほどの件で絞られるかも、と思ったエドヴァルドはあまり会いたくなかったが嫌とはいえず消極的に同意する。ジェレミー達は学院でも評判の姫君との相席に喜んで応じた。
しばらく待っている間にエドヴァルドはロイスに気になっていた事を尋ねた。
「そういえば、ロイス」
「なんだい?」
「ロイスの名前ってロイス・ファーズマン・バラナっていうんだっけ?」
「そうだけど、それが何か?」
「実はうちの領地にもパルナヴァーズ・ファーズマン・ザオって奴がいるんだが、前にレクサンデリに聞いたら古代は西方から東方まで外海経由で直接交易していたからその交流の名残だろうってさ」
「へえ、面白いな、それ。外海の海竜を避ける航路が発見出来れば西方と東方で直接貿易が可能になるかもしれない。そしたら帝国に関税も取られず交易で儲けられるぞ。エドの領地は東方の外海側だし、うちらで将来事業を起こしてみないか?」
ロイスは話を聞いた途端、乗り気になった。ジェレミーも外海側の国なので興味深げに話を聞いている。
「うーん、うちの領地の沿岸部は聖なる森って言われてて昔から開発禁止なんだよなあ・・・」
先日パルナヴァーズに尋ねてみた所、すぐには難しそうだった。地元民の意識が変わり、十分な利益を提示できなければ反乱が起きる。
「じゃあ、イルハンの国はどうだ?内海を通すのも陸路で交易するにも全部帝国に関税を持っていかれるしお互い主要な特産品は違うから利益になると思うぞ」
「実際に海竜を避けられる航路が見つかればいいんだけどね。うちの国は外海の嵐に耐えられるような船は無いんだよね・・・。大型船の造船所も無いし、一から事業を起こすにはお金も無いし・・・」
「イルハンはレクサンデリと親しいんだから彼から資金を融通して貰えばいいじゃないか。うちらもロックウッドに頼んでみるよ。キャットも是非頼むよ」
「あい」
カトリネルのディシア王国は極東の最北部の国であり、イルハンは中部、エドヴァルドは南部の国と交易拠点にするにはばらけていてちょうど良かった。
しかしながら三者三様の理由で、それが実を結ぶのはもう少し後代の事となった。
◇◆◇
東方の三王子、王女達はそんなに乗り気ではなかったが、ジェレミーとロイスは将来の夢が出来たと喜んで上級生になったら海洋学や天文学も学んでみようかと話している。しばらくそんな雑談をしていたところセイラとその友人ソフィア、そして北方人達がやってきた。
セイラが一人抜け出して小走りで近づいてきた。その体には玉のような汗が浮かんでいる。
「ごめんね待たせちゃって。キャット、一人で大丈夫だった?」
「あい、平気です」
カトリネルはサボって散々寝ていたのにまだ気だるそうにしていた。
「イルハン君。この子、時々そこらで眠ったり、ふらふらしちゃってる時あるから注意して見ててあげてね」
「そうなんですか?」
「ええ、ちょっと変わった病気らしいのですけれど医学の発達した帝国なら治療法があるかもって早めに留学してきたのですって」
女子組とはあまり交流が無かったのでイルハンもそんな様子までは気が付かなかった。
「わかりました。注意しますね」
「ええ、お願い。他の皆さんもよろしくね」
「喜んで任されましょう」
ジェレミーとロイスは気前よく相槌を打ったが、彼らは今日は冷やかしでたまたま一緒だっただけなのに調子いい事である。人気の高いセイラ姫から頼み込まれてデレデレしていた。
「エドヴァルド君もお願いね」
セイラはそっぽを向いていたエドヴァルドにも念押ししたのだが返答は酷いものだった。
「やかましい、いわれなくても注意してる。いちいち煩いんだよクソアマが」
「え?」
エドヴァルドは前に頼まれた通り、セイラを罵った。
吃驚して固まっているセイラにさらに畳みかける。
「このクソ寒いのにまたそんな薄着で来やがって。真昼間から売女みたいな恰好して男を引き連れてお盛んだな、淫売め」
彼女は待っている間に北方人達と武術の鍛錬を、ソフィアは軽い運動をしていて少し汗をかいていた。これから着替えに行く途中だったのでまだ薄着で動きやすい恰好のままだった。
「どうした?ん?なんとか言ってみろ。ケツみてーな胸剥き出しにしやがって下品な女だ」
エドヴァルドも言いたくて言ってるわけではないのだが、少しばかり頑張って演技してみた。セイラは驚いて固まっている。
ソフィアと話していた北方人達は「え、こいつ何突然切れてんの?」という顔をして静まり返った。イルハンはいち早く立ち直ってエドヴァルドの腕を掴んで揺すった。
「え、エディ?仲直りしたんじゃなかったの?」
「ん?おお、したぞ。これは頼まれて仕方なくやってるんだ」
「誰がそんな事をエディにやらせてるの!?」
エドヴァルドが脅迫されてる?いや、まさかとイルハンは混乱していた。
「本人だぞ。セイラさんに自分を罵って欲しいと頼まれ…」
「い、言っちゃダメぇ!」
エドヴァルドは最後まで言い切る事が出来なかった。
セイラによる拳聖仕込みの斜め下から顎を抉り上げるようなアッパーカットでエドヴァルドの意識は刈り取られた。
◇◆◇
エドヴァルドが気が付いた時には医務室に寝かされていた。
冬季休校中でも学院の設備は解放されていて、特に武術の鍛錬で怪我人も頻繁に出るので利用は許可されている。
「あのう、頭は大丈夫ですか?倒れた時に打っていたから」
エドヴァルドの隣で看病していたセイラが済まそうに見下ろしていた。
「あ、はい。大丈夫です。一体何が?」
エドヴァルドはセイラに殴られて気絶していた事を認識していなかった。
それに気が付いたセイラは強引に押し切る事にした。
「あのですね。貴方、人前ではあんなこと言わないで下さい。何考えてるんですかまったく」
「ええ?」
言われた通りやったのに、という思いと何が起きたのか教えて貰えなかったのでエドヴァルドは目を白黒させている。セイラはさらに畳みかけた。
「だから、さっきみたいに私を人前で侮辱しないでください。ああいう言葉を使うのは二人っきりの時だけにしてください。分かりましたか?」
「でも人前で言った方が自分への罰になるかと思って」
「貴方一生、周囲から軽蔑されて生きるつもりなの!?そこまでしろなんて言ってないでしょ!」
人気者のセイラを会うたびに罵倒していたら、せっかく回復したエドヴァルドの評判も地に落ちる。
「良かった。寛大なお心に感謝します」
「そう。ところでさっきのアレ。本気でそう思ってます?」
「いえ、とんでもありません。姫の優しさと高潔な志はよくわかっています」
アンの事もわざわざエドヴァルドに言わなければわからなかったのに、自分から申告してきた件、入学署名の件の事も感謝しているし、セイラには好意を持っている。そういうエドヴァルドに対してセイラは少し頬を膨らませた。
「答えになってない」
「・・・ちょっと今日の恰好は魅力的すぎたかなーとか思いましたが、他国の方なので尊重するつもりです」
「やっぱり本心だったんだ」
「済みません。ほんの少し悪意が入りました。キャットの事も十分注意してやるつもりでしたし、言われなくても分かってる事を上から目線で言われると腹立たしいなーとか、姫があんな恰好で北方人と歩いてきたからちょっと妬けました」
「そうよね。ちょっとお姉さん風をふかし過ぎたかもね。私も分かってる事指摘されるのは嫌になる事あるもの。・・・ところで運動する時ももうちょっと控え目な服装の方がいいと思う?」
「え・・・と、そうですね。姫があんまり魅力的なので目のやり場に困ります。でも、自分が口出しする事ではありませんから目を逸らして見ないように努めます」
「ち、違うでしょ?今は二人きりなのですから他に言う言葉があるでしょ。叱りたかったら叱ってくれてもいいのよ?」
セイラはちょっと見上げるような仕草でエドヴァルドににじりよった。
まだ薄着のままで胸の谷間が見えてしまい、エドヴァルドは慌てて視線を上げる。
目線の先にはまつ毛が長く、涙が少し滲んで輝く目、健康的な美人の魅力、何かを期待するようなセイラの眼差しに頭がくらくらとしてしまう。帝国人らしく割とがっしり体型のコンスタンツィアと違って線も細く違った魅力があった。
「どうしたの?ねえ・・・叱って?はしたない恰好が駄目なら駄目って言って。でも、それからちゃんと慰めて労わって優しくしてね?」
近づいて来るセイラの甘い香り翻弄されていたエドヴァルドが、視線を泳がすとイルハン達が物陰から二人の様子を伺っているのが見えた。
「おい、こら。イリー、何覗いてんだよ」
「あ、気づかれちゃった」
イルハンに続いてぞろぞろとジェレミー、ロイス、ソフィア、イーヴァルらが出てきた。
「ちょっと貴方達、私が看病するから先に行ってと言ったのに!」
覗き見に気づかなかったセイラが慌てて離れて憤慨する。
「いや、だってさ。年頃の男と女二人きりにしたら不味いじゃん?」「なあ?」
「私は二人だけにしてあげなさいっていったのよ?ねえ?」「あい」
にやにやしている野次馬に、真っ赤になって怒っているセイラ、エドヴァルドは何がなんだかわからなかった。
そこでイーヴァルが説明してやった。
「お前、セイラに叩きのめされたんだぞ。一撃でな。いやー、なかなかいい拳だった。魔拳使いとして格闘大会にも出れそうだな」
「嘘だろ?」
「嘘なんかつかねーよ、皆の前で突然お前がセイラを侮辱するからお仕置きされたんだ。覚えてないのか?」
いやー、セイラさんが優しくて良かったなとロイスはエドヴァルドの背中をぽんぽん叩いた。
◇◆◇
それほど長く気絶していたわけでもないので皆で遅めの昼食に向かった。
そこで改めてエドヴァルドはセイラに汚い言葉を使った事を謝罪して許しを得た。
「姫は帰国されないんですか?」
「セイラでいいわ。・・・サウカンペリオンの情勢も危険らしいですし、かといって船旅はあまり好きでは無いですし、今年は様子見しようかな、と思いまして」
陸路で帰国するにはかならず寄る事になるサウカンペリオンで併合反対派の小王が大規模な反乱を起こしているという噂が漏れてきていた。
転移陣が使えない今では長い旅をして帰国するのは少々めんどくさいし危険だ。
「今の帝都に残るのも不安では?」
「いくら何でも私達にまで危害を加えたりはしないでしょう。ラキシタ家が噂通りこの際、皇帝の座を奪おうとしていたとしても」
セイラの友人、ソフィアも同意した。
「いざとなったらうちで匿うしね。それに女生徒はさ、自由にできる期間が短いの。わかる?」
「うん?」
何の事だろうと首を傾げるエドヴァルドにソフィアは説明してやった。
「みんな結婚適齢期に六年も学院にいるから途中で結婚したり、出産したりするでしょ?仕込むだけ仕込んだらさよならしちゃう男の子と違っていろいろ大変なの。この貴重な六年間にわざわざ何ヶ月もかけて行ったり来たりなんて馬鹿馬鹿しいじゃない?」
「あ、ああなるほどね」
男は無責任な感じのいわれようだったが、エドヴァルドはとりあえず同意した。
確かに自分がもし誰かと学生結婚をして子供を作っても世話は任せてとりあえず自分だけ卒業を目指すだろう。
セイラがちょっと話題をずらして口を挟む。
「ソフィアが天馬を貸してくれたらいいのに」
「だーめ。天馬が認めた人だけにしか牧場からださないよーだ」
天馬と相性が良い人間は数十万人に一人。
セイラはソフィアと仲が良かったので試させて貰った事はあるが、残念ながら天馬はその背に跨らせてくれなかった。
エドヴァルドも時々空にソフィアが駆る天馬を見かけたことがあったので気になっていた事を尋ねてみた。
「天馬ってそんなに気難しいんですか?」
「気難しいっていうか臆病ね。君も試してみる?」
「臆病ならいいです。軍馬として調教可能な馬なら欲しかったけど」
「あらら、大勢の騎士が名誉を求めて挑戦するのに」
「名誉ならいずれ戦場で稼ぎますよ」
「セイラに一撃でのされちゃう騎士様が戦場に出れるかな~」
ソフィアの軽口に一同が大いに笑った。
エドヴァルドも今回ばかりは笑われても怒るより恥じ入るしかなかった。
◇◆◇
カトリネルを彼女の家臣に預けてからソフィアとセイラは帰路につく。
「ねえ、エドヴァルド君とほんとは何があったの?」
「え?」
先ほどは皆がスルーしていた事を友人の気安さからソフィアは突っ込みを入れた。
「仲直りしたにしては不自然だったし、医務室でのあの仕草・・・涙に濡れた目で『私を叱って』だなーんて。危ない性癖に目覚めちゃった?」
「き、き、き・・・」
「キ?きゃあ?」
「聞こえてたの?」
ソフィアはくふっと笑う。
「天馬を管理する為に人工的に品種改良を受けてきたヴァフレスカの一族の目と耳は野生動物並みよ?」
「そうだったわね・・・」
「で、どうしてあんなことを?ほんとに言葉責め大好きな変態さんになっちゃった?」
「ち、違うっていろいろと理由があってね・・・」
セイラはエドヴァルドにトラウマを与えてしまった事件の事を話した。
「で、自分に対する罰として彼を利用してるの?なんか無理やりで可哀そうじゃない?」
「彼なら平気でしょ、すらすら罵りの言葉が出てくるし。単純だし、割と本音で言ってるし」
「でもさ、結構親切で優しいところもあるって噂だよ?道に迷ってたお婆さんを送ってあげたりとかさ」
「へえ・・・」
カトリネルに気を配っていた事といい、人は見かけによらないものだとセイラは見直した。
「で、なんでまた彼の事気に入っちゃったの?フィリップ様はもういいの?小さい頃からの刷り込みみたいな好意だしね。いっそ乗り換えちゃう?」
「そういうんじゃないったら!」
「じゃあ、どういうこと?」
イーネフィール大公家の復権を目指すセイラの野望に変わりはない。
フィリップと共に自国をより豊かに発展させたいという気持ちも同じだ。
「・・・だってさ。あんな風に怒られた事無かったんだもの。お母様は放任主義だし、お父様もお兄様も大事にしてくれて何でも許して貰えたし。帝国に来てもなんかちやほやされてるしさ」
「で、自分の事を歯牙にもかけない野蛮人が現れたのが新鮮だったんだ?」
「まあ、端的に言えばそういうこと」
ソフィアの客観的な指摘にセイラは頷かざるを得なかった。
有象無象の男達よりは気になっているのは確かだ。
「で、野蛮人かと思えば骨折した足で跪いて『姫』なんて礼を尽くされて、叱られたり、優しくされたりで参っちゃったと」
「違うっていってるでしょ!もう!!」
また揶揄われてセイラは憤慨し、速足で歩きだす。
「ごめんごめん。でも気を付けてね」
「何を?」
「高圧的に出られた後、優しくされると誘拐犯に絆されちゃう被害者もいるんだって。今のセイラの心境に近いかも」
「気の迷いだっていうの?」
「さあ。気の迷いっていうなら幼馴染で刷り込まれてるフィリップ様に対する気持ちの方がそうかもね」
「もう、揶揄わないでよ」
セイラ達の周囲にはちらほらと結婚する者が出始めてきた年代だ。
もう子供ではない。セイラも家の事情を考慮して現実的な伴侶を選ばなければならない日が近づいている。
「そして、セイラが迷ってるうちに私はエドヴァルド君を攫って行くのでした」
少しばかり深刻な顔のセイラに対してソフィアは軽口を叩いた。
「ちょっと、なにソレ!」
「あら、困る?困っちゃう?」
「困るも何も・・・彼の事好きなの?どうして?」
本気で言っているようには見えず、自分へのあてつけかとセイラは思った。
「我が家、ヴァフレスカの一族が天馬と相性のいい子供を産む為に品種改良を受け続けてきたのは知ってるでしょ?変わり種の男を一族に引き込むのが我が家の習わしなのさ~」
「そういえば・・・あなたのお母様。シャールミン様に初対面で愛人契約書を渡して子供下さいとかおねだりしたみたいね・・・。お父様から何度も笑い話で聞いたわ」
「まあね。で、シャールミン様ったらうちの母を見て『天女様みたいだ』なーんていってたんですって」
ソフィアの母、カレリアは十歳を超えたばかりのシャールミンの前に天馬と共に舞い降りて突然そんな要求をした。可憐な天女とみまごうばかりの女性にそんな要求をされたシャールミンは随分驚いたものだった。
「無駄だと思うけど、やるならやってみれば?」
「じゃあ、今度天馬デートに誘ってみよっかなー」
「彼、臆病な馬はいらないっていってたじゃない」
「うちの牧場にはたくさん普通の馬もいるしー。うちに来れば好きなだけ乗馬訓練できるしー?」
「ちょっと、本気なの?」
「どうかなー。東方人らしく奥ゆかしいセイラは嫌いじゃないけど、そのまんまじゃ幸せ逃がしちゃうかも」
ソフィアはフィリップとエドヴァルドの決闘における最後の一撃をみて、エドヴァルドが天に愛されているのでは?と思った。
現時点では半ば本気、残りの半分はセイラに発破をかける為にそう口にした。




