第46話 補講②
エドヴァルド以外はマクスミウスから自分の知らない話を聞きたがったが、エドヴァルドは皆が知っている話を聞かねばならないので軌道修正を求めた。
「先生は政治学の講師では?」
「おお、そうじゃった。そうじゃった。エドヴァルド君に必要な知識を与えねばならんの。君は政体循環論という言葉を知っているかね?」
「いえ・・・」
エドヴァルドは言葉からして政体とはつまり王制の事かと思ったが、循環という言葉と結びつかなかった。地元地域では古代からずっと王制である。帝国も皇帝がずっと頂点に君臨している王制ではあるまいか、循環などしていない、と考えた。
「うむ。帝国も王制の一種ではあるが神聖期には皇帝よりも大神殿群の方が権威は上であった。徴税すら皇帝が神殿にお伺いを立てねばならないほどにの。宗教勢力の政治体制は寡頭制が大半じゃ。有力な宗教の戒律がそのまま帝国の法を支配する異常な事態じゃった。当時の聖堂騎士団が武力と財力を握ってそれを助けた。絶対的権力を持つ専制君主が存在したのは征服期くらいなものじゃのう」
「現代では皇帝はあまり口を出さず帝国議会と政府が実質的に帝国を動かしてるんですよね」
「うむ。現皇帝の治世においてはそうじゃが、これは皇帝次第で明文化されているわけではない。大半の皇帝は望んで選挙を勝ち抜き帝位に就いているから積極的に親政を行う。だが、この場合皇帝の指示に問題があってもそう気軽に皇帝陛下の首を挿げ替える訳には行かん」
「では、皇帝が間違いを犯したら誰が正せるんですか?」
「うむ、そこが問題じゃった。強引に皇帝の首を挿げ替える為に何度も親衛隊や有力な軍人による暗殺劇が起きた。そういった際には事態を収拾する為に無関係な軍人の家系が臨時で帝位に就いて実力で混乱を収めたがやはり帝国だけでなく諸外国にも影響が多大で望ましい結果とはならんかった。故に現皇帝カールマーン陛下のように基本的には政府に責任を負わせて不満が高まったら政府の首を挿げ替えるというのがより良い統治方法なのではと帝国の政界では議論されていた」
「いた、という事は違うのですか?」
エドヴァルドの問いにマクスミウスは重々しく再度「うむ」と頷いた。どうも癖らしい。
「今のラキシタ家のように政府や議員を軽んじる皇家が多いからのう。皇帝陛下が帝都を長く空けているという稀な事態じゃが、この場合誰も収拾をつけられん。このあたりは課題として来年以降皆でよく議論したい」
マクスミウスは黒板にこれまでの統治システムの変遷を書いた。
神々の時代には太陽神モレスの独裁から始まって、五大神による寡頭制、そして神々の子孫が増え、さらに眷属も繁栄していくにつれて多数派が支配する合議制になり最後には破滅した。
人の時代に入るとスクリーヴァの独裁制、少数の高位聖職者による神権制、そしてやはり民衆の支持を得て皇帝が神権制を打倒したが古代帝国は疫病により滅んだ。新帝国時代になって再び独裁制に戻り、総督制、副帝制など少数の有力者による寡頭制となり、その後選帝侯による選挙皇帝制が始まり多少の混乱はあれど、古代に比べれば安定した時期を迎えている。
その辺りの説明を受けたエドヴァルドは再度質問した。
「つまり、紆余曲折はあれ神代から今日まで続く帝国の柔軟さに習うべきであると?」
留学生の王子達は入学の際に、帝国の優れた技術、政治体制を学んで自国の発展に生かして下さいと訓示を受けるのだが、近年入学した生徒らは割と政情は荒れていないか?と首を傾げている。マクスミウスも少し気まずそうだった。
「そうは言わん。神々さえ己の過ちから地上を失い人類に託した訳であるからたかが五千年の歴史では結論を出すにはまだ早い。しかし古代に比べれば人類にとって破滅的な戦争は減り、繁栄しているのは確かじゃろう」
「我々の故郷は半世紀前に一度破滅しかけましたけどね。リブテインなんかは完全に国家ごと消滅しましたが」
ジェレミーとロイスは西方圏で起きた第二次市民戦争の事でちくりとマクスミウスに釘を刺した。
「おお、すまんな。忘れておったわけではないぞよ。儂の故郷も壊滅したからのう。こういってはなんだが、それでも人類自体が存続の危機に陥るほどの被害では無かった。神々は己らの争いで地上を破壊し、神喰らいの獣によって全滅の危機を迎え、地上を失ったがの」
マクスミウスの物言いが少し神々を子馬鹿にしたようだったので、ジェレミーが疑問を口にした。
「先生は神々が絶対とはお考えではないのですね。以前は神術さえよくされたと聞いた事がありますが・・・」
その広範な知識と多才な能力からマクスミウスは学院に招聘されたが、今の彼は神術は使えない。
「どうも学問として神々に向き合うようになってからうまく術が使えんようになってしまった。何も考えずただ神々を讃えてマナを捧げていた頃は誓約を課して不真面目な生徒を縛る事が出来たのじゃがのう」
狸寝入りをしていたカトリネルはいつの間にかカバンから人形を取り出してそれを枕に本格的に眠っている。この子ほんとに来るだけ来ただけだな、とエドヴァルドも呆れるサボりっぷりだった。マクスミウスもちらりと視線をやっただけでカトリネルを放置した。
「慈愛の女神達の信徒もこの100年、神術、治癒の奇跡を使えなくなったと聞きます」
「彼女らの場合はさんざん人々に貢献してきたのに唯一信教の乱で迫害され、人の助けも神々の助けを得られず信仰に疑いを持ってしまったのが原因ではないじゃろうか。癒しても癒しても人々が傷つけ合い便利な傷薬として扱われる日々に絶望して信仰を見失ったともいわれるが、儂にはちとわからんな。神術は信徒以外には目に見えず感じる事も稀な奇跡であるし」
ちなみにパルナヴァーズやエドヴァルドがトルヴァシュトラに加護を祈った時に現れる雷も実際に落雷があった訳ではない。信仰についても戦士の技にも詳しくないジェレミーは素朴な疑問としてマクスミウスに尋ねた。
「魔力を持たない筈の平民出身の聖騎士の中には魔導騎士と五分に戦える者もいるそうですが、それも神術を駆使しているからでしょうか?」
「神の加護などせいぜい勇気を少しばかり与える程度で本人の実力じゃと思うが、戦いの事までは儂にはわからん」
エドヴァルドとしてはそういう話より政治体制の解説が欲しくて再度軌道修正を求めた。
「先生!こんなんで本当に単位貰えるんですか?できれば現在の帝国の政治状況とか解説して欲しいんですけど」
「なんだ。やっぱり気になるんだな」
講義前は気にしないみたいなことを言っていたのに、とジェレミーは蒸し返した。
「そうじゃな。ラキシタ家の今後の動きについて諸君はどう思っておるかの」
「帝国人同士の内ゲバ」
「いくら武門の誉れ高い家柄といっても単独じゃ帝国正規軍には勝てないでしょう。どこかで妥協するんじゃないでしょうか」
「そういう家柄だからこそ引けないんじゃないかな。強気な姿勢を維持しつつ、裏では皇帝に調停を働きかけて結局ずるずると引き延ばされると思うよ」
「すぴー」
「はやくご家族がボロスさんの事弔ってあげられるといいですね」
それぞれの意見を聞いてからマクスミウスは自説を述べた。
「儂は連中は来春に本気で攻めて来ると思っておる」
「それはまた何故ですか?ラキシタ家は蛮族戦線に15万も派遣しています。遠征に出せる戦力としては限界まで振り絞っていると聞きます。本国にはほとんど戦力は残っていない筈です。数万かそこらはまだ絞り出せるかもしれませんが、その程度の戦力でこの帝都に攻めるのは馬鹿のやる事です」
「しかし連中は騎士道馬鹿じゃ。不名誉を雪ぐ為、息子の亡骸を奪い返す為、政府が折れない限り必ず来る。帝都にも同志がいるじゃろうから、戦力不足もどうにかするであろう」
教授は黒板にチョークで勢力図を書いた。
「現状維持派、帝位世襲回帰派、象徴帝制派・・・なんですこれ?」
「今の帝国議員達の派閥じゃ。皇家連中は大体現状維持派に属するが、ラキシタ家は帝位世襲回帰派じゃの。今の政府は象徴帝制派であり、皇帝ご自身も象徴でよいと思っていらっしゃるようじゃ。しかし皇帝陛下の後ろ盾が無い限り彼らはラキシタ家には立ち向かえないゆえに蛮族戦線に兵力も皇帝陛下も集まっている現状では力不足となる。オレムイスト家が対抗して帝都に入っているが、それがなかったらラキシタ家に押されるままじゃったろうな」
帝国の政界では選帝選挙のたびに帝国の治世が荒れるのを憂いて、再び政体を変えるべき時が来たのではないかという議論が深まっている事をマクスミウスは説いた。政府に大きな力を持たせるか、実力のある皇家が世襲すべきか。
「では、議会にもラキシタ家同様に帝位世襲派がいるということですか?」
「そうじゃ、安定した強力な帝国を復活させる為にもっと強力な中央政府を求める声がある。象徴帝政派の中には共和主義者が紛れ込んでおるゆえ、それに反発する議員が帝位世襲派に集まっているのじゃ。先日亡くなったガレオット公爵は穏健派じゃが、世襲派のラキシタ家に理解を示して居った。現議長は共和主義者だという疑いがある」
「そりゃまた何故です?」
「議会の権力を強化しようというのは象徴帝政派の一貫した思いじゃが、議長は平民にも門戸を開放し議会に呼ぼうという派閥に属する」
三大勢力の中に、その勢力を隠れ蓑にしたもう一つの勢力がある。
そして三大勢力に見えて実際の所は、より大きな視点で見れば貴族による寡頭体制を続けるか、平民を政治指導者として迎えるかという二つの勢力の争いだとマクスミウスは説いた。
「古い考えのラキシタ家が政府代表の座を奪い取った所で今更統治はうまくいかん。最近、民間資本の新聞社が乱立しているが、その中の一紙で議長を支持している新聞社がある。読んでみるといい」
「あ、読んだ事あります。『ヴィーヴィー』とかいう新聞社ですよね。女性誌とか風俗誌とかも発行している出版社が運営している所。ただ、ちょっとわかりづらかったです」
ちょくちょく女性向けの雑誌にも目を通しているイルハンが自分にもわかる話題があると少し喜んで口を挟んだ。
「うむ。最近は当局の圧力にもめげずに社説を書く新聞社が出て来たが、やはり民主的な選挙で選ばれた平民の代弁者を帝国議会へ!とは言えんからの。わざと回りくどく書いておるのじゃろう」
表向き新政府、象徴帝政派を支持している為、当局も多少の言説は黙認しているようだ。
エドヴァルドは新聞というものになじみがなく、アルシア王国の港町あたりで初めて目にした。
「それにしてもうちの国では高札立ててお触れをだしたり、集会所で手書きのビラを捲くとかくらいですけど。良く民間でこんな馬鹿でかい帝国全土に跨るような新聞の流通網を確立できますね」
「帝国のみならず、海外の自由都市連盟でも一、二週間遅れで発行されておる。例の新聞社はまだそこまで大きくはないが、いずれ三大新聞社に並ぶであろうな」
マクスミウスは『ヴィーヴィー』を高く評価しているようだった。
「でも三流紙だって聞きましたよ。闘技大会の賭け試合の人気の戦士の特集だとか騎士と女優の不倫だとか、大衆的な情報を扱ってるって」
ジェレミーは新興新聞社についての噂を述べた。
「そうじゃの。三大新聞社と違って購買層が貴族や富裕層ではなく、対象が主に平民じゃからの。大きくなるまでは書い手が欲しいものを書かざるをえまいて。しかしながら時折、政治の時事問題も扱ったり、女性の権利拡大も訴えて、平民のみならず未亡人の貴族の資産家などからも寄付を受けておる」
「済みません、先生。自分で聞いておいてなんですが、話をラキシタ家に戻して貰っていいですか?」
「おお、そうじゃったそうじゃった。つまるところラキシタ家に同調する勢力は議会内にも存在し、帝国騎士の中にはかなり多い。彼らは南から陸路で来る以外に選択肢はないが、途中の州知事達の中にも帝位世襲回帰派は多く抵抗もせず通してやる可能性がある」
ラキシタ家の領地は45州で人口の見積もりは1500万から2500万とされる。
帝国がある中央大陸の南に位置するラキシタ家、フリギア家の領地は南方大陸が目視できるほど狭い海峡があり難民も渡って来てさらに人口が増えている可能性もある。難民に衣食住を与え、武器兵糧が調達可能ならさらに数万は徴兵可能だとマクスミウスは見積もった。
「この南のビコール河がある以上、帝都防衛は楽だし多少兵力を集められてもちょっと難しいんじゃないかな?」
それからジェレミーの言葉を皮切りにエドヴァルドも含めて皆でラキシタ家はどうやったら帝都を落せるかという戦略議論に熱中してしまい、途中でイルハンもカトリネルと一緒に午後まで眠っていた。
帝国人ではない留学生達にとっては完全に他人事で火事を眺めて楽しむ野次馬のようなものだった。




