第45話 補講
エドヴァルド達の決闘が終わる頃、万年祭もひっそりと終わりを告げていた。一部ではまだ浮かれている者もいるが、各地の芸術祭、音楽祭などの関連イベントも終わり、闘技大会や体育大会などには皇帝や軍高官の観戦も盛大な表彰式も無く、盛り上がりに欠け、なし崩しに秋の祭りは下火になっていった。
エドヴァルドはお祭りどころではない。
進級する為に他の生徒達と共に補講に出なければならなかった。
「イリーはわかるが・・・なんでキャットまでいるんだ?」
カトリネル・モルドヴァン。
極東国家ディシア王国の王女でまだ10歳で、皆にキャットと呼ばれて可愛がられている。彼女も補講用の講義室に来ていた。
「赤点でした、えへ」
「キャットにはちょっと難しかったみたいだね」
笑ってごまかすカトリネルをイルハンが微笑ましく眺め、フォローした。
「補講って俺達だけ?全員東方人?」
補講対象者はエドヴァルド、イルハン、カトリネルの三人だった。
「・・・そうみたいだね」
「うう・・・ちょっと情けないな」
小さなカトリネルの為に椅子を引いて乗せてやったエドヴァルドは他の地域の留学生は何の問題も無かったとしり愕然とする。
イルハンは成績は問題なかったが、出席日数が少し不足しているのでエドヴァルドと補講に出ている。カトリネルは普通に落第しかけてエドヴァルドと同様に補講に出るよう言われていた。
「午前中は政治学と数学、午後はエディだけ体育科で訓練だったよね」
「ああ、なんか学院に出向している帝国騎士が腕前を見てやるだってさ」
帝国では健康の為に運動が奨励されていて一般市民にも運動公園や体育館が無料で開放されている。貴族が通う学院でも下級生の間は運動が必須科目で男子生徒は普通にスポーツ、女生徒は宮廷舞踊、礼法が必須で男女別となっていた。
エドヴァルドも一般生徒と同じように必須科目として体育の単位を取らねばならなかったが、さすがにエドヴァルドには不要だろうと帝国騎士との鍛錬で代用してよいという事になっている。
彼らが講義を受ける準備をしていると廊下から覚えのある声がしてきた。
「ここかな?」
「お、ここだここだ。やあエド」
講義室に入ってきたのはジェレミーとロイスの二人だった。
「君ら成績いい筈だろうに、どうした?」
「港でちょっと騒ぎがあってね。遅れる事になりそうだから相談していっそのことと思って帰国を取りやめたんだ」
「何かあったのか?」
「んー、お祭りで帝都に来た人の帰りの船とラキシタ家を怖がって帝都から逃げようとする人で港がごった返してる」
船旅込みで往復二ヶ月、帰国しても二ヶ月くらいしかゆっくりできないしその船が遅れるとなるとわざわざ帰国するのが二人ともめんどくさくなってしまった。
「あー、ファスティオンの所の騒ぎか。迷惑だなあ」
完全に他人事風でのんきな感想を漏らすエドヴァルドをロイスが心配した。
「いいのか?連中の兵士殺しちゃってるんだろ、恨まれてるかもよ?」
「知らね。向こうから襲ってきたんだから恨まれる筋合いはないね」
ファスティオンは見逃してやったし、エドヴァルドは別に彼らと対立しているつもりはなかった。
「ファスティオンの人相書きもばら撒かれて港の出入りも厳しかった。まだ見つかってないから帝都で潜伏してるかもしれない」
「こりゃ、戦国時代到来かな?でも俺が卒業して帝国騎士になるまで待って欲しかったなあ」
五法宮で巻き込まれて警備に協力してやっても無報酬、活躍しても政府からは感謝状も何も貰っていない。どうせ巻き込まれるなら軍務で給料を貰ってからの方がいいやと考えるエドヴァルドだった。
「俺はどうせ国に帰りたくは無かったし、工作室を借りてやりかけの仕事を終わらせようと思ったらそこでセイラさんに会ってここにエドヴァルド達がいるって聞いてさ。冷やかしに来た」
「・・・セイラさんいるのか?」
エドヴァルドは急にそわそわして、扉の向こうを気にした。
誰かが覗いていないか窓にも目をやるが、見張られている気配はない。
「ああ、キャットが一人じゃ心配だからってさ。面倒見いいよな、彼女。俺の所に嫁に来て欲しいが無理だろうなあ」
「フィリップと結婚するって噂だしなあ、帝国貴族も随分迫っているらしいがまったく相手にもされてないってな」
「俺の場合はそれ以前の問題だけどな」
肩を竦めるジェレミーにエドヴァルドは気になった事を尋ねた。
「ところで、やりかけの仕事って?」
「ああ、これだ。見てみるか?」
ジェレミーはカバンから二つ車輪がついた模型を取り出して皆に見せた。
「なんだこれ。車輪が縦に連なってるけど」
「まあ、見てなって」
ジェレミーが机に模型をおいて、ちょいと押すと模型はするすると机の上を進んで、途中でパタリと倒れた。
「なんだこれ?玩具か?」
「お前が前に使ってた車椅子の応用で移動の為の速力重視の乗り物をつくってみた。ちなみに玩具じゃないぞ。最初からデカいのを作るのは難しいし、協力者を集める為のサンプルだ」
ジェレミーが持ってきた模型は勢いをつけて乗って進むタイプの原始的な自転車だった。他にも靴に車輪を付けたり、板に車輪をつけたり試行錯誤をしているが、複数の、それも幅の広い車輪を付ければ摩擦が大きくなるので人力で速度が出る乗り物としては二輪車が良いという結論に至っていた。
「最終的には理論上、馬に近い速度が出ると思う。斜面を登るのは難しいが平坦な地形の多い帝国の都市部や白の街道でなら使える筈だ。しかも馬に比べて価格は千分の一、餌も世話も不要、場所も取らないし疲れ知らずで乗合馬車みたいに定刻を待つ必要も無い!」
革新的な発明だと力説するジェレミーだったが、エドヴァルドにはピンとこなかった。
「ふーん、凄いな」
「気の無い返事だな」
「いやさ、ジェレミーも一応王子じゃん?なんでそんな発明にのめり込んでるんだ?帰国できなくて暇なのか?」
エドヴァルドが世間知らずなだけで、趣味に没頭して道を究めひとかどの芸術家になった王族もいるし、別に珍しくはないのだが別の理由で言葉につまるジェレミーの代わりに理由はロイスが説明してくれた。
「こいつさ、こんな肌してるじゃん?故郷でも珍しいから虐められててな。帰りたくないんだってさ」
ジェレミーの青い肌は帝国でも時折奇異の目で見られるが、世界中から多様な人種が集まって来る帝都には変わった刺青や髪染め、装飾品を付けている人々も多く埋没するので地元よりはマシらしい。
「家臣だからってなまじ、へりくだられるより、変だと思うならはっきりそう言われたほうがマシだ。でも王族にそんなこと言える訳がない。国でずっと変な空気に囲まれて生きるより対等な人間が多いこっちで暮らして研究室に籠ってた方がいい」
「そか、俺もイリーもあんま国に帰りたくない事情があるし、冬の間も帝都に残る奴がいてよかったよ。これからもよろしくな」
「おう」
エドヴァルドは気兼ねなく手を差し出して躊躇うジェレミーの青い手を握った。
「ボクも忘れないでね」
イルハンも握手する二人の手の上から小さな手のひらを置いた。
「僕も真似した方がいいかい?」
ロイスが冷やかすようにいうと、皆肩を竦めそれぞれ手を離した。
「ところで、ロイスの方も何か開発してるのか?西方の神様は工芸を司る神が多いっていうけどやっぱ影響受けてるのかな?」
「まあね。家風みたいなものはあるかもしれない。僕の場合は短距離魔力通信を波長の合う個人対個人ではなく特定地域の範囲全体に拡大させられないかどうかを研究してるんだ」
「そんなの風の魔術で一発じゃないのか?」
「うちらはああいうの苦手なんだよ。それに風の魔術で拡声したら煩いし誰にでも情報が伝わっちゃうだろ。使い手も限られるし、西方には魔術の使い手も少ないからそれじゃ困るんだよね」
風の魔術で拡声して遠方の相手に伝えるのは主に東方圏で使われている通信手段だが、他の地域では使い手が少ない。昔は使い魔が秘密にしたい情報を渡していたが、使い魔を調教できる魔術の技が絶えてしまったので別の方法が各国で模索されていた。
「そういえば、イザスネストアス爺さんも自分では使い魔は作れないとかいってたな。最後の一羽で貴重なんだとか」
「だからこうして魔術装具を中継ポイントになる霊脈に設置して増幅し、それらを蜘蛛の巣のように繋いでどこが切断されても通信網自体は損なわれないようにする。これまでの人対人ではなく物、装置に記憶させる事で個人の資質に左右されない通信網を作るんだ。噂では帝国軍でも同じことをやろうとしているらしいんだが先に特許を作って・・・ここまで言ってる事わかる?」
皆、ちんぷんかんぷんだという顔をしているのでロイスはいったん説明を区切った。
「ぜんぜん。単語の意味もよくわからない」
ロイスは皆に図解してやろうとしている事を説明しようとしたが、その前に補講の担当教授マクスミウスがやってきた。
「おや、予定より多いようですね」
「ああ、済みません僕らの事は気にしないでください。でも、先生の講義はとても面白かったのでよければ是非もう一度講義を受けさせて頂ければと思いますが」
ジェレミーとロイスは冷やかしに来ていたのだが、せっかくだからとエドヴァルド達と共に席に着いた。
「ほう、何処が気に入ったのかな?」
「やっぱり独自の視点ですね。マッサリア出身という変わった経歴をお持ちですし」
「へー、じゃあ同盟市民連合の人か」
マッサリア出身と聞いて、エドヴァルドは北方圏の同盟市民連合があった地域の事が思い当たった。キャスタリスのように帝国から移動の許可を受けたのだろうか。
「いや、軍団都市で生まれた人だからちょっと違う」
ジェレミーはその勘違いを正した。
駐屯軍の大規模な基地の場合、基地機能を維持する為に鍜治場、水道も整備され小規模ながら牧場、農場もある。民間の商人、職人も住まい人口一万人以上の都市となっていてマクスミウス教授はそこの出身だった。
「エドヴァルドは最初の講義の自己紹介でいなかったから聞いてなかったよな。『マッサリアの災厄』の時、前線で北方軍が敗れたのが伝わると民間人は急いで退避したんだ。結局マッサリアは西方圏に組み込まれたから先生は帝国本土の市民権を貰って今に至るってわけ」
「へえ、じゃあちょっと聞いてみたい事があるな」
「ふむ、ここには留学生しかいない事だし何でも聞いてみるといい」
補講に来たマクスミウスだが、普段は帝国貴族の目を気にしてあまり好きなように講義が出来る訳ではない。この補講には帝国人はいないので生徒からの質問に喜んで応じた。
「先生!何故マッサリア同盟市民達は戦わずに蛮族に降伏してしまったんですか?」
「なるほど。その件か」
「私も気になります。蛮族なんて交渉が通じる知能があるとは思えません。武装放棄なんて論外です」
エドヴァルドの疑問にジェレミーとロイスも同調した。
「同盟市側としてはもともと自衛能力に乏しかった事もあるが、人語を介する蛮族が都市の占拠はしないし、略奪もしないと約束して来た事による」
「同盟市はそれを信じられたのですか?」
エドヴァルドの記憶にある蛮族の姿は幼い頃、故郷に見世物としてつれてこられた直立歩行する巨大な牛の怪物であんなのが平和的に会話して危害を加えませんといった所で信じるきには慣れない。
マクスミウスも頷いた。
「ま、信じる他無かったのじゃろうな。帝国軍の司令官は共和政体を取っている同盟市民連合を守る気が無かったし、軍団の主力は遠く離れていてどうしようもなかった。他にも何点か問題もあってのう、とある遺跡が発掘された事もあって蛮族に対する敵意が薄かった」
「遺跡、ですか?」
「うむ。征服期のものらしいが、壁画にあるスクリーヴァの絵姿が猿そのものでな。先祖返りという言葉を聞いた事があるかね?」
「ええ、私も先祖返りのようなものです」
エドヴァルドは習っていなかったが、ジェレミーには知識があった。
かつてスパーニアの貴族の一人が先祖返りで姉に蛮族の遺伝が発現したと告白したこともある。それは記録から抹殺されたが傍聴人から噂は流布された。
ジェレミーの青い肌も先祖返りの一種なので彼は気になってその件を調べていた。
「遺跡の発掘調査によってスクリーヴァは神々の眷属であり、猿人であったという説が広まった。蛮族は野の獣よりは知性は高く、魔術を使う者すらおる。意思の疎通も可能であるし、人に近い姿の種族の場合は稀に番いになる者達すらおった。そういったことから我々は戦争をやめて分かりあえるのではないか、と市長達が話し合ったのじゃ」
「つがいって・・・あれと?子供が出来るんですか?」
エドヴァルドは半信半疑で尋ねた。
「うむ。かつて奴隷を使った交配実験が行われ確認できたという噂があってな。ネヴァ地方では蛮族に孕まされてしまった女性は子供を森の中に捨てて運命を自然に委ねるという風習を持つ部族もあるそうだ」
「うへえ・・・」
エドヴァルドにとっては衝撃的な話だったが、もともと知っていたジェレミーには別の疑問があった。
「蛮族同士でも種が違えば繁殖は出来ないというのに、なぜ人類だけが多様な種族と繁殖可能なのでしょうか」
「恐らく人類が神々に最も近い生命体であるからじゃなろうな。今はほぼ抹消されておるが、僻地の民話では神々は姿を変じて馬やら魚やら、同性とですら子を育む事が可能であったという話が残っておる」
ちょうどそういった神話が残る国の出身のイルハンはマクスミウスの説明に頷く。
「神話ではよく聞きますが、神々は本当に同性間で子を作れたのでしょうか」
「うむ。一部の生物では相手に応じて性別を変化させる事が可能らしいが、高次の精神生命体である神々にとっては現象界における性などそもそも問題外らしいのう」
「でも神々にも性欲とかあるんですよね?時々神々を絶対視してそういう欲望からは無縁だとか超越しているという信者もいますが」
「そりゃー間違いじゃな。現象界で肉体を持つ限りたとえ神といえど肉欲から無縁ではいられん。太陽神モレスの聖印からして男根でもあるしの。大地母神達も大勢の愛神がいてたくさんの神を生んだものじゃ。今でも一部の宗教結社はそういう神々を讃えて乱交の宴を催しているくらいじゃぞ」
風紀上あまりよろしくはないが、宗教的伝統という建前を取ればそういう宴は禁止されていない。
「え、モレスの聖印って太陽を現しているんじゃないんですか?」
「現代では体面上そういう事にしているが、古い寺院ではそのままずばり男根像が祀られておるぞよ」
話がだんだんきわどくなってきたのでエドヴァルドは皆に口を挟み、すやすや居眠りをしているカトリネルを慮った。
「先生、キャットもいるんだし・・・ちょっと表現を控えて貰ってもいいですか」
「おお、すまんすまん。東方の姫君にはまだちょっと早い話じゃったかな」
名前を呼ばれて耳がぴくっと動いている所を見ると狸寝入りかもしれない。
そのカトリネルの方を向いた時、何となく悪寒がしたので周囲を見回すと扉に少し隙間が空いていてセイラがこっそり覗いていた。
目が合ってセイラはこそこそと去って行ったが、気が付く前に口出ししておいてよかったとエドヴァルドは胸を撫でおろした。
「では、先生。現象界から天上界へ去った後の神々はどうなのでしょうか」
「天界の事は諸説あり、不明点が多いのう。天界・・・つまり第一世界と第二世界の間の存在といわれる精霊達の場合は多くの逸話があるが、やはり愛欲とは無縁ではいられないようじゃ。そこから推し量る限り我々とは別の形で欲情する事はあると思われる」
コンスタンツィアがこの話を聞いていればエドヴァルドに色目を使っていた精霊がいた事を指摘してやった事だろう。裸でまとわりついていたのをみたコンスタンツィアは少しばかりイラッとして燃やしてしまった。風の精霊達にとっては雷神の加護を受けているエドヴァルドとは相性が良くフィリップの決闘とは関係がなくとも精気を啜りたい対象だった。
「ちなみにこの第二世界は感覚界、精神界、魔力界、色界などと呼ばれる事もある。第三世界は現象界、物理界、地獄界、欲界じゃな。宗教家や魔術師、学者によって呼び方は様々じゃから大きく分類して第一から第三世界まであり、より高みに行くほど肉体から乖離していくと思えばよい。そして下に行くほど地獄へ、肉体の核へと繋がっていく」
以前は神学教授だったマクスミウスはこちらの話が好きなようで、イルハンや西方圏の王子達も興味深く話を聞いている。
しかし、学力にやや問題がありまともに授業が受けれないと来年に影響してしまうエドヴァルドは無駄話をしている暇があれば早く本題に入って欲しかった。




