第39話 緊急閣僚会議
ウマレルら新政権の閣僚達は帝国を再強化すべく各種改革を始めていたが、各界の反発は想像を超えていた。
皇家、裕福な貴族に対し資産制限や特権剥奪を試みた所、彼らは報復として公共事業への寄付を止めた。
古来、公共事業や社会福祉は富める者、貴族の高貴な義務とされてきた。
道路、水道、衛生、貧民への食糧配給もろもろの社会基盤の維持は貴族の寄付によって賄われてきた部分が多く、皇家からの投資、特にアルビッツィ家とガドエレ家がそれを止めてしまうと政府予算でやるしかないが負担が重くのしかかってきてしまう。
財政健全化どころか一気に悪化する事となった。
そこで政府は今後も帝国が強力な力を保ち続ける為に平民に対して増税し、貴族が負ってきた義務を果たして貰おうとした。
「だが、愚かな大衆は我々を憎み、皇家に依存するのを止めない。我々は岐路にある。今後一体どうすべきだろうか」
ウマレルは閣僚会議を招集し大臣達に今後の方針について意見を求めた。
「急な増税に対する反発により治安悪化を抑えきれません。内務省としては議長がおっしゃるように10年、20年かけて少しずつ増税していくのがよろしいかと存じます」
「財務省としては反発など無視して断行すべきと考えます。時間をかければかけるほど鉄鎖銀行に支払う利子が大きくなります。帝国市民と外国の一般庶民との税率の差は2倍から3倍です。兵役義務も無くなり、我が帝国の市民は甘やかされ過ぎました。反発は断固とした態度で抑えつけるべきです」
「しかし、いきなり倍というのは・・・」
内務大臣はいささか酷ではないかと疑問を投げかける。
「全市民に対してではなくひとまず一定以上の資産を持つ富裕層からです。問題は無い筈です。反発に対しては芸術分野の規制、検閲を緩める事で不満を逸らしてはどうでしょうか」
「軍務省としては財務省の意見に全面的に賛同する。もし10年、20年かければ市民はますます力を持ち政府に反抗するようになってくる。帝国で革命が起きるぞ」
「その革命を起こさぬようもう少し市民にゆっくりと丁寧に説明する必要があるのではないか、と申し上げておるのです」
「説明は大いにすべきだ。新聞記者達を買収し大いに広めて欲しい。諸外国に比べ帝国市民がどれほど恵まれた環境にあるかを。しかし時間は無い。我々は皇帝陛下に方針を理解して頂き好きなようにやってよいと承諾を頂いているが、次の皇帝はどうだろうか。次の選挙が始まれば候補者達は皆、人気取りの為に減税を打ち出し、公共事業への投資を活発化させますます己らに依存させる。その前に改革を終らせねばならない」
急進派の軍務大臣と穏健派の内務大臣の対立が激しく容易には妥協できなかった。
不毛な言い争いを避けたウマレルは一旦話題を変えて、法務大臣ベイカーに問うた。
「皇家といえばラキシタ家のボロスの件はどうなっていますか?いい加減法廷を開くべきだと思いますが」
「あー、その件についてはいまだ証拠が出揃わないと監察隊から報告を受けています」
「もう半年ほど経ちますが、まだ調査が必要なのですか?」
ウマレルの元には帝都の各市長からも陳情が相次ぎ、治安が急速に悪化しているので帝都の臣民を早く安心させて欲しいと要請されている。
「どうも監察隊の責任者や検死官、協力を依頼した法医学者に不審死が相次いでおりまして何度も再調査を行って長引いております」
「それはいくらなんでもおかしい。ラキシタ家が暗殺者を送り込んでいるのでは?」
「あの騎士かぶれの一族がそういった手段を使うとは思われません。むしろ対立しているオレムイスト家が関与していないか調査させているところです」
「ちょっとよろしいですか?例の殺人事件についてはボロスの犯行と言われておりますが疑わしい点があります」
宰相と法務大臣の会話に内務大臣ガレノスが口を挟んだ。
貴族に対する犯罪捜査は法務省監察隊の役割で一般的な犯罪は内務省が監督しているので本来は口を挟む立場でないが宰相は発言を許可した。
「というと?」
「ボロスは当初、現行犯逮捕にも関わらず自分の犯行を否認し現場に第三者がいたと証言していました。現場に証人が多数いた為それは否定されましたが、彼の弟ファスティオンももう一人の存在を仄めかしています。管轄外という事は弁えていますが我々も独自に調査した所、当日現場ではいくつか問題が起きていた事が確認できました。受付や警備員の証言から招待されていない方伯家のコンスタンツィア嬢がいた事が確認されています。彼女は招待客に至急の用件があり、人命救助の為に強引に会場に入り込んだ事を認めました」
「はあ・・・それが何か関係しているのですか?」
「いや、彼女自体は関係ありません。現場に何か異常が無いか確認する過程で判明した事でその際にはもう一件別の問題がありました。殺されたアヴェリティアのルクスの御者を務めていた男も会場に侵入を試みて摘まみ出されているのです。この御者は以前殺人罪で起訴されて裁判で証拠不十分の為釈放されましたが、ルクスに解雇されて彼を恨んでいました。殺人の動機は十分にあります」
この御者は通りで子供を撥ねてしまい、現場にいた北方候の娘ストレリーナと問題を起こした。まだ息があった子供を救助せず、容態を診るフリをして殺害したがそれはルクスの命令だったという。当時ルクスは否定して、御者に責任を押し付けた。
法医学者と検死官の調査によって死因は馬車に撥ねられた事だと判明しているが、この御者が死を早めたという疑いは残る。
法務省に強い影響力を持つシャルカ家の家臣であるアヴェリティア家の問題に深く関与する事を避けた法廷は証拠不十分で無罪とした。
「動機があるのは理解しましたがその御者はどうしていますか?」
「精神病院に収容されていましたが、錯乱して抜け出し行方不明になっており、先日飛び降り自殺を行って遺体が発見されました。内務省で調査をしたところ、本件に関与しているのではという疑いが出てきました」
「自殺してしまっては今さらどうしようも無いでしょう。法務省から報告が無かった事が残念です」
閣僚達は法務大臣と司法長官に二人に非難の目を向けた。
「確かにそれほど重要な証人を確保出来ていなかった事は監察隊の落ち度です。しかし現場にいた客達の証言から殺人事件が起きた部屋にいなかった事は確認出来ています。よしんば生きていた所で変わりありません」
「魔術によって姿を隠していただけということはあり得るのでは?」
「御者は完全に平民でそんな高等魔術は使えません」
「では、さらなる第三者が協力して魔術を行使したとか」
「もちろん可能性だけならいくらでもあるでしょうが、それではいつまで経っても法廷は開けません」
結局、新たな証拠が出てこない限りボロスの犯行で裁判を進めるしかない、というのが法務省の立場だ。
「犯罪については動機がいるでしょう。ボロスほどの立場ある人間がそうそう安易に殺人に走るとは思えず、本件でもっとも利益を得た者が疑わしい」
内務大臣ガレノスはそれでも他者の犯行説を主張した。
「もっとも利益を得た者とは?」
「もっとも利益を得た者は前線でラキシタ家の陣営地を焼き払い味方殺しの汚名を蒙っていたオレムイスト家、次にルクスから性的虐待を受けていたマヤ姫。実行犯は御者としても何者かの助けが必要だというならこの二者が疑わしい。そして法務省で権力を握っていたフォーンコルヌ家やシャルカ家は締め出された恨みで我々を混乱させようと捜査を妨害している可能性があります」
法務大臣はそれは陰謀論で何の証拠も無いと内務大臣の意見を拒絶した。
マヤ姫の件は誤解で友人や複数の証言から最近は仲睦まじかった様子が報告されている。
「まあまあお二人とも、結局ボロスからも本人の肉声で情報を発信して貰わないとこれ以上の進展は望めないように思えます。最終的には皇帝陛下にご裁断頂くにしてもいつまでも長引かせても状況は悪化するだけでしょう。さて、現場にいた司法長官からは何かありませんか?証拠が出揃わなくてもいい加減始めるべきでしょう」
この閣僚会議には各省から大臣がひとりずつ出席しているが法務省からは法務大臣と司法長官の二人が出席している。
法務省の権限があまりにも強すぎる為、権限を分掌しているからだ。
法務大臣は法が適切に運用されているか、改正すべき点は無いか、運用、議会対策についてを主に担当して司法長官は裁判所の監督や行政府に違法行為は無いかの監査を行っている。
もともと裁判所は行政府の支配下にあったが、貴族の庶民に対する犯罪や、大貴族、皇家が関与すると違法行為を忖度してしまい公平性が保てず紛争の種となっていた。
そこで司法は独立させて分権する事になった。
司法の長である最高裁判官は皇帝であるが、皇帝からの委託を受けて最高裁判所長官がこれを行う。司法長官という職務は昔の名称の名残であり、司法の長では無くなった。あくまでも行政側の人間である。
そしてその司法長官は現場の当事者だった為、客観性を欠くという事で審理からは外されている。ボロスが幽閉されている塔の責任者だった彼は重い口を開いた。
「・・・言いづらい事ですが実はボロスは既に死亡しております。本人不在で裁判を始めるしかありません」
「はあ!?それは一体どういうことですか?」
さすがに釈放要求を拒絶して皇家の御曹司を幽閉していたのに死なせてしまったとあっては政府の信用を損なう。
「昨日、看守が見回りをした時には死亡しておりました。おそらく食事に毒が盛られていたかと思います。公にする前に調査を優先しておりましたので報告が遅れたことをご容赦ください」
食材の調達先、関与している人間の洗い出しの真っ最中だという。
「私にも法務大臣にも報告していないとは度し難い。で、状況は?」
「関係先で疑わしいところは何も出てきていません。そも、長年貴族の幽閉という困難で慎重さを要する業務に携わってきた者達で身元確認は厳重です。ガレノス殿の言葉を借りるならばボロスの殺害で利益を得た者から順に捜査すべきでしょう。疑わしいのはオレムイスト家ですが、面会者に関与している人間はおらず、逆にラキシタ家が疑わしく思えます」
「いくらなんでもそれはないでしょう。実子を殺害して何の利益が?」
「三男くらい失ってもたいした痛手ではないでしょう。現行犯逮捕されて難しい立場に立たされていたラキシタ家はこれで息を吹き返して堂々と我々の非を主張できます。何度も面会して差し入れに来ていたファスティオンが毒殺の犯人としてもっとも疑わしい」
調達先を厳選し毒見も行っている以上、唯一差し入れに来ていたファスティオン以外に犯人はあり得ないと司法長官は主張する。
「信じがたい話ですが、いつまでもボロスの死は隠せないでしょう。至急、ファスティオン殿に出頭を依頼し、法廷を開いて公にして議論すべきです。隠せば隠す程、我々が非難される」
他の閣僚達も宰相に賛同して口々に意見を表明する。
そして会議中に宰相補佐官が伝令からの報告を受けて入室しウマレルに耳打ちした。ウマレルはひとつ頷いて真剣な口調で閣僚達にも内容を伝えた。
「五法宮からの急報です。ボロスが突然暴れ出してラキシタ家の手勢も協力して脱走を幇助し、査察に来ていたガレオット公爵らを殺害しました。現場にはファスティオンやラキシタ家の重臣ヴィジャイらもいたようですが、ヴィジャイは死亡、ファスティオンだけは逃亡しました。市内各所でもそれを支援する為か爆発騒ぎが相次いでいます」
閣僚達は情報の信憑性の再確認を求めたが、軍務大臣イドリースは即時帝都への戒厳令を主張した。
「ファスティオンは自家に逃げ込む筈、早馬を出し、魔術も使って速報を送りビコール河の警備を行っている軍団に命令を出して橋を全て閉鎖。港の船も出港を全て停止しなくては」
「それはあまりにも過激過ぎる。帝都の経済が大打撃を受けてしまう」
財務、商務大臣は二人とも反対したが、宰相は同意した。
「死んだはずのボロスが暴れて脱走したというのは疑念が残るが、状況を確認していてはラキシタ家に先手を打たれる。詳しい状況がわかるまで一日くらい橋を封じても今後予想される被害よりはマシでしょう。戒厳令はともかく、逃亡手段は封じなくては」
帝都は北と南に大河があり、そこから支流、運河が都内を複雑に巡っている。
まずは南の大河ビコールを封鎖してから包囲を狭めて帝都内を捜索する必要があった。
「ああ、あと陛下にもお伝えせねば。宮廷魔術師を呼んで転移陣を利用して文書だけでも送らねば」
が、転移陣はつい先ほど起きた大地震の影響か文書の送付も困難になっており、早馬を出す事になった。
その後、宰相自身も現場に行き、議長やコンスタンツィアから話を聞いてボロスが暴れて多数の職員を殺害したのは事実だと確認出来た。ボロスが暴れた際に幽閉されていた他の貴族にも死者が出ていた。かなりの要人でサウカンペリオン問題を解決するのに役立つ人物の筈だった。政府はそれにも打撃を受けたが、まだ代用が利く者が生きていたのでその件の対処は後回しにされた。
議会の代表者と会議を開く前に、再度閣僚会議を開いて政府の立場を再確認する。
「ボロスが毒殺されていたとうのは間違いありませんか。長官」
「私も死体を確認しているので間違いはありませんが、息を吹き返すという事は稀あります。ひょっとしたら毒で仮死状態になっていたという事もあり得ます。もしかしたら仮死状態になって脱走するつもりが失敗したのかもしれません」
「それではファスティオンが毒殺したというのはつじつまが合わなくなるでしょう。毒殺されればラキシタ家は我々の非をならして追い込まれた状況を打開出来た筈では?」
「それはまあ・・・確かに」
司法長官は自身の見解が否定されることになりしどろもどろになった。
軍務大臣イドリースはこの場でその件を追及するより差し迫った問題の打開について提案する。
「何はともあれ陰謀論について話し合うより、現実に起きた事象に目を向けるべきだ。ラキシタ家は五法宮を襲撃してボロスの奪還を試みたが彼は現場で討ち取られて失敗した。ボロスが事前に毒を盛られて仮死状態だったのか否かは確認しようもなく、いちいち議会や世間に公表する必要はない。我々はこれまで通りラキシタ家の犯罪を追及して当主を帝都に召喚する。当然向こうは反発するだろうが、議会と協力してラキシタ家に全軍事力放棄を迫る。幸いラキシタ家は大軍を蛮族戦線に送り込んでいるから自領に残る軍事力はたかがしれている。各地の反乱については各州知事に徴兵を許可して事に当たらせ本国内の全帝国軍を集結させてラキシタ家を討伐させる。この際ユンリー将軍の罪を許してもいい」
法務大臣は叛逆者を赦免する事に反対したが、兵力を必要としている正規軍をこれ以上割く事は出来ないというイドリースの主張をウマレルは容れた。
「罪を功によって免じるのは筋違いだが、ユンリー将軍はラキシタ家と戦闘が発生した際には先鋒を務めて貰う事でその罪は許そう。もし将軍が断っても彼の部下にそう提示する事で引き抜き正規軍の負担は軽減できる」
閣僚会議の意見はウマレルによって統一され、深夜に開かれた議員団との会合でも受け入れられた。政府はラキシタ家に特使を送って、当主の出廷とファスティオンの引き渡しを要請し、私兵団の解散を要求したが、その返答は苛烈だった。
『我、シクタレスは名誉にかけて我が子の罪を否定する。ボロスは濡れ衣を着せられ投獄され、さらに謀殺された。政府はボロスにかけられた嫌疑を晴らす為、再調査を行い遺体を返還せよ。そしてファスティオンにかけた手配を解く事を命じる。我々はファスティオン捜索の為、帝国全土に対し立ち入りを要求する。同時にウマレルは我が宮殿に参上し額づいて不手際を謝罪し詳細を報告せよ。これが容れられなくば我は全軍を率いて帝都を落とし無能な官僚を一掃し、全ての閣僚を陛下の宮殿から追放する。我は無実の者を殺害する事は無く、陛下の兵士と戦うつもりもない。全将兵達に告ぐ、権力を弄ぶ政府に従う必要はない、我が軍を率いて帝都に向かう時は立ち塞がる事なかれ』
当主シクタレスはウマレルが参上する期限を翌春と定めた。
返答の使者は政府に対してだけでなく帝国正規軍や市民達にも己の立場、正当性をアピールして回っていた。
市民達は増税を打ち出したウマレルらを嫌っていてラキシタ家の肩を持ち始めていく。
ウマレルはシクタレスの要求を拒否し、当初の立場を維持し、兵力の集結を命じた。




