第36話 五法宮の戦い
ボロスを解放する為やって来たヴィジャイは四十年来ラキシタ家に仕えた政策顧問である。
前回の選帝選挙では先代当主と共に知恵を絞り、現当主シクタレスが基盤を確立する際には陰謀を張り巡らし叛逆者を始末してきた。その際には大恩ある先代の弟も家臣と反目させて死においやった。
シクタレスの子供達の中でもベルディッカスを特に高く評価してきたが、ボロスもファスティオンも武に尖り過ぎた上の二人の兄をよく補佐するだろうと将来を楽しみにしている。それゆえボロスを解放させる役目を買って出て帝都までやってきた。
が、そのボロスがいきなり人々を襲い始めている。
次の選挙に向けて、帝位の世襲化に向けて準備していた工作が実を結ぶ前に議会の選定対象から外れてしまう。
「若!?若君、何をなさっていらっしゃるのですか?」
かけられた声にボロスが振り返ったが、獣じみた唸り声をあげて黄色い目でヴィジャイを睨むばかり。
「どうか中にお戻りになって下さい。このままではラキシタ家は破滅ですぞ!!」
「イ、イヤだ!あんなトコロニ・・・地獄なんかニ戻ッて溜まるカ!!」
「そこまで酷い環境だったのですか?それなら交渉の余地もあります」
ヴィジャイはまだ破局を防ぐつもりだったのだが、ファスティオンは唖然としてヴィジャイを見た。
「ガレオット公爵を殺してしまったのにまだなんとかなるとでも思っているんですか?師父!逃げるしかありませんよ!」
袖に縋りつくファスティオンをヴィジャイは振り払う。
「ええい!ならば若君だけでお逃げなさい!ボロス様を見捨てて逃げてどうして我が君の元へ戻られましょうか!」
「父上に正確な状況を伝える者が必要でしょう!!」
ヴィジャイとファスティオンが言い争っている内にボロスは駆け出して法務省の衛兵を殺し始めた。何事かと出てきた官僚や、視察に来た議員団も悲鳴をあげて現場は阿鼻叫喚となっている。
衛兵の長らしき者が出てきて「あの乱心者を殺せ!」と叫び、ヴィジャイは対抗して若君をお守りしろと自分の護衛達に命じた。
ヴィジャイもラキシタ家から禄を食む有力貴族なので家臣には魔導騎士がいる。
完全武装させては議員を警戒させると今回は通常の武具で武装させていたが、法務省の衛兵は通常の武具でも十分倒せる。しかし次から次へと沸いて出て来てボロスを助けようとする彼らの進路を阻んだ。
「師父!この後どうなさるつもりですか!?監察隊が来たらおしまいですよ!!」
「ファスティオン様、まだいらしたのですか。早くお逃げなさい。騒ぎが広まる前なら街中に隠れる事も出来るでしょうし、北の山中に逃げ込めばどうにでもなります」
帝都の兵士は不足しているし、オレムイスト家がラキシタ家が攻めてくると煽ったので帝都防衛軍団も警戒して南に配置されている。
「師父は!?」
「私はここで若君を守って戦い抜きます」
「馬鹿な!死ぬつもりですか?兄上はあの通り錯乱して味方さえも襲っています!きっと何か薬でも飲まされたんですよ」
ファスティオンが指差す方向をみればボロスは拳に魔力を込めて己を守ろうとしたラキシタ家の兵士まで殴り殺していた。
次から次へと人に飛び掛かっては殴り、あるいは首筋に噛みついて動脈を食いちぎっている。魔力に目覚め魔獣化した初期の動物も錯乱して異常行動を起こす事があり、人では滅多に見られないがヴィジャイはそれを疑った。
蒼い上衣に真っ黒な鎧を来た監察隊が五法宮から出てくると、ボロスは向きを変えて門の辺りで詰まっている非武装の人々へ向かっていった。
監察騎士の一人がボロスを横合いから殴りつけてそれを防いだが、このまま外に出られると一般市民に大量の死者が出る。
「ファスティオン様はどうぞお逃げ下さい。もし捕えられても貴方は何もしていらっしゃらないのですから世間に公正な裁判を求めなさい」
「師夫は本気でここに残るつもりですか?」
「あそこに方伯家の御令嬢がいます。人質にでもとって何処かに立て籠もり時間を稼ぎ我が君の応援を待ちます」
「父上の応援?」
「もうここまで来たら挙兵するしかありません」
「今、兵を上げれば政府やオレムイストの挑発に負けたも同じ。帝国そのものに対して叛逆する事になりますよ」
「我が君は必ず勝利なさいます。プレストル伯もクシュワントもおりますから何も心配いりません」
こちらが決めたタイミングでないのは残念だが、もともとベルディッカスを次の選挙で帝位につかせてその後選帝選挙の廃止を打ちだし、反抗する皇家はすべて叩き潰す計画だった。
しかし、今そこまでファスティオンに話している余裕は無い。
五法宮の警備隊長はラキシタ家の手勢の全てを討ち取れと命令を下した。
ヴィジャイは魔術の杖を振るい床石を鋭い槍に変えて次々と敵兵を殺しながら会話している。賢者の学院を出たとはいえシクタレスに仕えている間、魔術を使う機会は無かったが、久しぶりに人を殺める為に魔術を使った。
「さあ、行ってください。兄君達にもボロス様が受けた仕打ちをどうぞお伝えください」
「仕方ありません。どうか御達者で」
ファスティオンは全員揃っての脱出を諦めて自分と僅かな護衛だけ連れて門へと駆け出した。
コンスタンツィアがヴィジャイに人質として狙われている事を知らずに側にいたエドヴァルド達は道を開けてくれた。門を出ると群衆は血まみれの一行に悲鳴を上げて逃げ惑う。
ファスティオンは公園の噴水で体を洗い、何食わぬ顔で立ち去りすぐにヴェーナ市を後にした。
◇◆◇
ボロスは現場に残ったヴィジャイの声にも返事をしなくなり、完全に発狂しているようだが、敵意を向ける者を優先して襲っているようだった。
五法宮に詰めていた監察騎士もそれほど数は多くない。武装では負けているが、ヴィジャイの家臣は騎士の武器を奪って少しずつ不利を補っていった。
コンスタンツィアの周辺には数人の少年しかおらず、彼女も逃げるつもりは無いらしい。これならどうにかなるだろうか、理知的なコンスタンツィアであれば破局を避ける為にいったん人質になってくれるのを応じてくれるかもしれないとヴィジャイは淡い期待を持った。
が、一行の中で一番背の低い少年は拾った剣でボロスに斬りかかっていく。
部下達もそれを防ごうと応戦するが少年の方が上手だった。
その少年とは初めてあうが、東方候の面影をみて誰か察した。
「フィリップ殿下!これは帝国の問題です。どうか関わりなきようお願いします」
一縷の望みをかけてヴィジャイは大声で頼んだ。
が、返答は厳しいものだった。
「黙れ!その狂人を取り押さえてから言え!」
「ボロス様は政府の手でおかしな薬を飲まされて暴挙に出てしまったのです!どうか道を開けてください!」
「駄目だ!向こうには民衆がいる、降参しろ!!」
無駄か、ヴィジャイは話しながらもマナをかきあつめていたがボロスの足元にもマナが集中していくのを感じそれを遮断した。ボロスに対して魔術を行使しようとしたのはコンスタンツィアだった。
フィリップを説得しながら魔術を使おうとしていたのもバレただろう。
人質になってくれるよう頼むのはもう無理かもしれない。




