第35話 五法宮
一行が目指す五法宮。
そこは帝国政府に寄贈される前は法を司るフォーンコルヌ家の宮殿だった。
この五角形の形をした宮殿の頂点それぞれに塔がある。
その中の一つに精神を病んだ皇族、大貴族、政治犯を幽閉していた塔もあり、議員の視察団の目的地はそこだった。
段取り合わせをしていた法務官と合流したガレオット公爵はそこで一同に指示を出した。
「さて御一同、ここで視察先を分担します。私やコンスタンツィア殿はボロス殿用の部屋を、ガルストン議長殿達は調理場、洗濯場を、フィラレート教授は職員の調査を。ラキシタ家からはヴィジャイ殿とファスティオン殿だけ私共と御同道ください。お付きの方はここで待機を」
それぞれ了解していざ塔に入ろうとした時、不意に大きな地震が起きた。
足元から突きあげられるような不快な感触にパラムンが驚きの声を上げる。
「うおおっ、なんだこれ!」
「じ、地震だけど、こんなでかいの初めてだな」
エドヴァルドもパラムンにこんなもの慣れっこだと強がって見せたかったが、どんどん揺れが激しくなりそんな余裕も無くなった。
「みんなこっちへ」
帝国の建物はかなり耐震性を重視しているので、このくらいで倒れはしないが、何れかの塔から物が降ってくると危ないのでコンスタンツィアは外国組を誘導して少し離れさせた。
その間も酷く揺れているので歩きづらい。
地面が割れて水が噴き出している所がある。
初めて地震を体験したパラムンは恐怖に慄いて近くのヴァネッサに抱き着いた。
「きゃっ!何するんですか!!」
思い切り引っ叩いてパラムンを遠ざけ、コンスタンツィアに抱き着く。
「さ、触られました。外国の男に!」
「はいはい、落ち着いて」
涙目になってコンスタンツィアに抱き着いているヴァネッサを見て、エドヴァルドはぽかりとパラムンを叩いた。
「お前も護衛買って出たんだろ。あたりを警戒しろ。イリーは平気か?」
「なんとか」
なんとかといいつつもイルハンも怯えて地面にへばりついていた。
だんだん揺れが収まり、そこかしこで職員が建物から出てきたが慣れっこのようでそれほど慌てた風はない。今日のは久しぶりに大きかったなーと呑気な笑い声も聞こえた。
エドヴァルドが議員達に目をやると、老人達も平気そうだ。
「まったく。また道路や水道管の補修が必要になるぞ」
「これではいつまで経っても財政の健全化は達成できそうにない」
「地震の研究予算や建築技術への投資も必要だ。やはり増税は避けられないな」
芝生に伏せていた人々も立ち上がり、パンパンと土をはたいている。
どこかで爆発音が響いて騒ぎ声がする。
「ほら、早速水道管が破裂したぞ」
エドヴァルドもどうやら危険はなさそうだと警戒を解きかけた時、塔の中から悲鳴が聞こえた。それもただの悲鳴ではない、断末魔のようだった。
「なんだ?」
打撃音も聞こえる。
「コンスタンツィアさん、ここを離れましょう」
「・・・そうね。ほら、ヴァネッサ」
「ふえっ?」
コンスタンツィアに抱き着いたまま周囲を気にせず胸に顔を埋めていたヴァネッサはまだ異変に気が付いていなかった。
「おい、パラムン。平気か?ひとまず預けた馬の所まで移動しよう。おいっ」
「おー、ククの実が四つあるみたい。俺も飛び込みたい・・・」
「おい、いい加減にしろ」
エドヴァルドはパラムンの耳を引っ張って正気に戻させた。
周囲に人が大勢いる安心感で少々油断が過ぎていた。
◇◆◇
塔の入り口には大きな鋼鉄の扉があるが、そこから大きな打撃音が響き渡り始めた。分厚そうな扉に拳の形が浮かび上がる。
中から誰かが殴りつけて鋼鉄の扉をあそこまでひしゃげさせているのだ。
貴族を幽閉する為の塔なので、扉にも魔術が掛けられてあったがそれも激しい打撃を防ぎきれず魔力の火花を上げて消し飛んだ。
「何かヤバいのがいる」
パラムンもようやく緊急事態を悟った。
ヴァネッサの方はこんどは怯えてコンスタンツィアに抱き着いたまま固まってしまい、コンスタンツィアも邪魔になって動けない。
「失礼」
エドヴァルドは仕方なく二人の背中に両手を回して間に挟まりつつ、強引に抱き上げて足に魔力を込めて大きく跳躍してその場を離れた。
パラムンとイルハンも慌てて走って追いかけてくる。
離れた芝生の上に柔らかく着地するとヴァネッサが抗議してきた。
「ちょっと貴方ね!お姉様に勝手に触らないで」
「黙って」
エドヴァルドは人差し指をヴァネッサの唇にあてて黙る様命じた。
「ヴァネッサ、言うとおりにしましょう。視察どころじゃないみたい」
半クビトほど離れたが、扉が破られたのが見えた。
鉄の扉が大きく宙に飛んで、こちらに振って来る。
危うく退避中のイルハンの側に落ちる所だった。
コンスタンツィアは光学魔術で塔の入り口を拡大して見てみると中からボロスが現れたのが見えた。口は血だらけで目は爛々と光っている。
「脱走する気?」
地震で幽閉環境に何か問題が生じたのを幸いに脱走を試みたのだろうが今、このタイミングでとはなんとも間の悪い事だ。
到底擁護出来なくなる。
現場ではガルストン公爵が宥めて塔に戻る様説得し始めたが、ボロスは彼を襲って一撃で殴り殺してしまった。議員達から悲鳴が上がり、人々は一斉に逃げ始めた。
「どうします?」
エドヴァルドは今後の対応をコンスタンツィアに尋ねた。
「説得したい所だけど公爵閣下と同じ目に遭いかねないわね。すぐに監察隊が出てきてボロスは殺されるでしょう。これ以上関わりたくないし、逃げましょうか」
「じゃ、そうしましょう」
結論が出た頃イルハン達も追い付いてきた。
五法宮の衛兵達も飛び出して来てボロスを取り押さえようとしているが、ヴィジャイとファスティオンの部下達がボロスを守って戦っている。
「・・・なんだかボロスはラキシタ家の兵士も手あたり次第襲っているように見えるわ」
「え?」
エドヴァルドも目を凝らしてみるとどうも混戦模様だ。
エドヴァルド達はただの観光に来ていただけなので武器はないが、向こうにはある。しばし逡巡していると後ろから声が掛けられた。
「どうした。何があった?」
「む、アンタか」
フィリップとフランツがすぐ後ろまで来ていた。
騒ぎを聞きつけた野次馬も集まって来ている。地震で建物から出てきた人はこの争いに巻き込まれ、外からは人が集まり現場はしっちゃかめっちゃかになっている。
ほうぼうで急を知らせる鐘が鳴らされているのでさらに衛兵が集まって来る筈だ。
コンスタンツィアがフィリップ達に状況を教えてやったが彼女にしても状況はわからない。一方フィリップはどうやってか状況を理解したようだ。
「ヴィジャイとやらはボロスを守って死ぬつもりだが、ファスティオンは止めている。逃げる気だ。こっちに来るぞ」
フィリップのいう通り、ファスティオンはこちらに向かってきた。護衛に数名連れている。
「逃げる気なら立ち塞がる必要は無いわ。道を開けましょう」
衛兵が幾人かファスティオンに追いすがって来て彼の護衛が残って足止めしている。彼らが立ち塞がればファスティオンを捕える事は出来なくはないが、フィリップにとっては帝国の内紛であり、コンスタンツィアも現時点ではファスティオンは争いから逃げているだけだし、自分の職務でもないので妨害はしなかった。
一応同窓生のエドヴァルドはファスティオンに声を投げかけた。
「おい、どうするんだ!?」
「父に報告します。これは陰謀です。兄上の本意ではない!!」
「そうか。まあ達者でな」
エドヴァルドも道を開けてやった。
「済みません!」
ファスティオンと護衛は集まってきた騎兵から馬を奪い五法宮から逃走した。
残ったのはヴィジャイ他、ラキシタ家の兵士とボロスだが法務省の衛兵では勝負にならず、どんどん切り倒されていく。
蒼い上衣を着た監察隊の騎士がおっとり刀で駆け付けたが、まさか敷地内に突然腕利きの敵が数十名現れる事は予測しておらず、戦力の逐次投入になってしまいこれまた倒されてしまう。
「なっさけねーな、おい」
他人事ながらあまりの脆さにエドヴァルドは呆れてしまう。
ボロスは見境なしに非武装の官僚も襲って殺しているようだが、徐々に大手門があるこちらへ近づいて来る。
フランツは状況が悪化していくと自分達も野次馬をしている場合ではなくなってきたと悟った。
「このままだと巻き込まれてしまう。殿下、僕らも逃げよう」
フィリップは後ろを振り返って、野次馬を見てから首を横に振った。
「駄目だ。ボロスは錯乱している。ここを出た向こうは一般人もいる公園、大惨事になってしまう」
フィリップは魔術を使ってか、ファスティオンの護衛に倒された兵士の剣を自分の手元に引き寄せてラキシタ家の一団と相対した。
エドヴァルドもどうしたものか再びコンスタンツィアに問いかけた。
「コンスタンツィアさん。僕らはどうしましょうか。逃げた方がいいと思いますが」
「他国の王子が帝国の臣民を護ろうというのに、わたくしが何もしないわけにはいかないわ。見た所ヴィジャイ様は魔術をよく使うようです。わたくしは彼を止めましょう」
「じゃ、守ります。パラムンはお嬢さん達を連れて安全な所へ」
「おう、じゃ、ヴァネッサさん。行くよ」
ヴァネッサは嫌がったが、コンスタンツィアが足手まといになるから行くように言われて仕方なくその場を去った。イルハンも一緒である。
五法とは法の神エミスが社会生活を営むようになった人々にこれだけは守るようにと指示した法を指す。
嘘をついてはならない
殺してはならない
犯してはならない
盗んではならない
天を敬い、その存在を忘れてはならない




