第31話 神に愛されし黄金の大地
1430年も秋になり、エドヴァルドはナトリ河の河原の堤防でよく走り込みをしていた。走り込みには体力不足のイルハンも付き合わされて一緒にやっていた。
その堤防である日、車椅子のお婆さんが呆けてしまって徘徊しておりどうしたものか困っていると、その際にラッソという男が彼女を近くの神殿に預けて世話してくれた。
用心棒か何か荒事関連の仕事をしているらしく、腕もエドヴァルドと比べて遜色ない。さまざまな剣法にも通じており、フィリップが免許皆伝を受けたというツヴァイリング流剣法にも詳しかった。
学院内で訓練すると相手に筒抜けになるので学外の人間であるラッソはちょうどいい特訓相手となった。
彼らが鍛錬の場として使っているナトリ河には堤防沿いにいくらか田畑もあり、農家の人々と子供達が麦踏みをしていた。
ある日、体力も大分戻ってきたエドヴァルドは興味が沸いたので麦踏みを手伝う事にした。イルハンはもっと思い切り踏んでいい、エドヴァルドくらい雑で丁度いいのだと言われた。
ある程度、踏み込んだところで農家の人にその辺でいいよと言われ茶を振舞われた。
「お前さん達どこからきなすった、東方の子かい?」
「ああ、俺はバルアレスから留学に来たエドヴァルド。こっちはイルハン」
「留学・・・じゃ、もしかしてお貴族様?」
「まあ、そうともいう」
絶対権力者の皇帝やアルシア王と比べてバルアレスでは王も貴族も大差無い。
バルアレス王国であれば伝統的に交通の中心地である要衝エルニコアを治める者、エルニコア伯が王となり諸侯の長、まとめ役となる。それを王と呼称していた。
バルアレス王国では土地の支配者=貴族の為、平民の貴族もそこそこいる。一方帝国の場合は土地を持たない法官貴族の方が圧倒的に多い。各国それぞれ事情があるが、王侯貴族の支配体制が確立してから数千年経ち平民も貴族も混ざりあい、どこの国も『貴族』の定義が崩壊し始めていた。
「ボクらは一応王子だよ。ボク長男。彼は四男だけどエッセネ公爵本人」
「なんとまあ、失礼致しました」
農家のおばさんは慌ててひれ伏そうとしたがエドヴァルド達はいいからいいからととりなした。
「なんでまたこんな気紛れを?」
「何をしてるのか気になって。どうしてこんなに踏みつけるんです?」
「秋口に踏むと冬の冷害に強くなって来年の収量が大きくなるんですよ」
「へえ、あんなに踏んでも大丈夫なんだ」
イルハンはほんとに踏んでも大丈夫なのか気になって手加減してしまったが、子供達は思い切り踏みにじっていた。
「数日したらまた見に来てくださいよ。起き上がって元気に育ってますから。幼い頃に困難を潜り抜けた種こそが強く豊かに実るんです」
「そうかあ。稲で同じ事やっても駄目だろうなあ」
バルアレスのあたりでは稲作中心なので麦畑は無い。
「王子様なのに農作業に興味がおありで?」
「帝国の大地は恵まれて実り多きその田畑は黄金を産むと聞いたんだ。帝国の底力は土地にあるって。そして街道の石畳は黄金の延べ棒が敷き詰められているって。それは冗談としてもうちの領地は貧乏でね。是非参考にしたかった」
「そうですか。今はもうすっかり農地も減って穀物は他国に依存しちゃってるんですよねえ。古くからの農家も土地をどんどん売り払ってお金に変えちゃって、皆金儲けの事ばかり考えて嫌な世の中だわ。確かに黄金を産みましたよ。でもそのお金を使い切っちゃったらどうなっちゃうんでしょうね」
仲間が減って寂しがる農家の人にエドヴァルド達はかける言葉が無く話を変えた。
「もうすぐ収穫祭だけど、この辺は麦畑が多いですよね」
「そういえばそうだなあ。うちの国は今頃刈り取りの時期だけど帝国でも秋に収穫祭やってるって面白いな」
「農地はともかく自然の野山では秋が一番実りますから。それにここの麦は品種改良の産物ですよ。昔はこの辺も湿地ばかりで気候も穏やかだったそうです。ずっとずっと昔に埋め立てられて、冬の寒さも厳しくなって適した作物も変わったのだとか。でもね、今でも秋に収穫祭をするのは麦酒が出来上がる時期だからですよ」
麦秋といわれるように夏に収穫されるが麦酒の仕込みが終わるのは秋。
冬の備えが滞りなく済んでから、皆心置きなく飲んで騒いで浮かれ踊るのが帝国の秋だ。帝国の南部はまた違う風習があるが、大半の地域は同じである。
「そうか。帝国は凄いなあ。土地も気候も変わってしまっても適応して強大であり続けるなんて」
たまたま知り合ったおばさんにも学がある。
自分の故郷の農民と違って体格もよく、血色も良い。
「学院に併設されている植物園でも品種改良の研究してるらしいから、勉強してみるのもいいかもね」
「お前は?」
「ボクはレックスの所で就職するから必要ないかなー」
秋が深まり学年末試験も近づき、エドヴァルド達は試験勉強とフィリップとの決闘準備に忙しくなった。
◇◆◇
年末試験は男子の場合体力測定も伴い、来年以降の進路選択に影響する。
基礎体力の試験は筆記試験に先んじて行われた。
エドヴァルドは瞬発力は高かったが持久力が足りず、舞姫だった母譲りの体幹の良さがあり、幼い頃からよく運動しているおかげで柔軟性、平衡感覚は良いと判断された。
細かい評価が出るのは来年になるが、運動能力の採点では一年で10位以内に入っている。ツヴィークは1位、ジェレミー、ロイスは5位、6位と中々健闘している。シュテファンは23位、レヴォンは157位、ファスティオンは418位。ロックウッドは656位で皇家のお坊ちゃんたちの体力不足が目立つ。ちなみにイルハンはたまたま女の子の日でビリだった。
調子を見に来たレクサンデリが大怪我を負った後にしてはエドヴァルドは上出来と褒めた。
「フィリップの奴はどれくらいでした?」
「気になるのか?」
「どれくらい差があるのか参考に」
「彼は全てにおいて秀でている。お前が勝っているのはその跳躍力くらいだ」
エドヴァルドは体力を持て余して話ながらも体を動かそうと学院の壁を駆け上がっては木に飛び移り、空中で一回転して元の場所に戻って来た。
「戦いの役には立ちそうにないですね」
「自信が無くなったか?謝るなら今の内だぞ」
借金問題の成り行きでエドヴァルドに肩入れしてしまっているレクサンデリとしては穏便に事が終わってくれるのが一番いい。
「まさか。驕り高ぶったお坊ちゃんに現実を教えてやりますよ」
エドヴァルドには魔力でも基礎運動能力でも勝ち目はなさそうだが、実戦経験においては自分は遥かに上だという自負がある。
「その物言いだとお前も驕っているように聞こえる。武術の事はわからんが、人を見る目はあるつもりだ。よくない兆候だぞ」
「む、今のはただの負けん気を表明しただけです。戦いに臨んで相手を侮ったりはしない」
自分の闘志を高める為に少し強めの言葉を使っただけで、戦い方は慎重を期してフランデアンの翠玉館から情報を仕入れて学外で特訓している。
「そうか、ガドエレのがこの勝負をネタに賭けを主催している。お前に賭けておいてやったが、倍率は百倍だ。誰もがお前が負けると見ているぞ。それが世間の評価という奴だ」
「へえ、それって俺も参加できます?」
「無理に決まっているだろう。本人が参加したら不正行為し放題だ」
「ちぇっ」
「誰かがお前の為に私から金を借りて代わりに賭けてやるという抜け道もあるぞ」
借用書にはエドヴァルドの名が書かれる。
「御冗談。貴方から金輪際借りたりはしませんよ」
むろんエドヴァルドは断った。
「それは残念。黄金の山を積み上げる機会を逃したな」
それを聞くと少しばかりエドヴァルドも心が動いた。
「駄目だよ、エディ。堅実にね」
「そうだな。俺の為に借金してくれそうなのはお前くらいしかいないしな」
「西方組はどうした?」
レクサンデリがいう西方組はエドヴァルドと親しいジェレミー、ロイスらの西方王子達の事である。
「少しは賭けてくれると思いますけど、さすがに大金は」
「そうか。あまり賭けられても私の取り分が減ってしまうからまあいいか」
「一応勝つとは思ってくれているんですか?」
「いや、別に失っても構わないくらいの額だ、お前には悪いがどうでもいい余興に過ぎない。それより学生の人気投票は誰に入れた?」
これまでヴィターシャが主催していた学院の美男美女コンテストだが、今年はヴィターシャがいないので新聞部が引き継いで主催している。
「そんなものがあるんですか。ならいちおうコンスタンツィアさんかな」
「ま、そうだろうな。どうせ今年も彼女が一番人気だがセイラ殿もかなり追い上げているらしいぞ」
「へえ。学生の大半は帝国貴族なのによく彼女に投票しますね」
「イーネフィールあたりの民族は帝国人と見た目も近いからな。それでいて肥え過ぎの帝国人と違って体も締まっていて健康そうだ」
年配の帝国貴族は肥えてこそ気品と地位を示せると考えていたが、最近の若手貴族の一部にはダイエットが流行っていてセイラのような容姿を目指していた。
「ふーん、なんだか帝国人は自分らしさを見失っている気がするな。外国に関心を払うのはいいけど」
先日会った農家の婦人も今の世の中を憂いていた。
「諸王の王たる皇帝が治める国だ。国際化すれば自らが希薄化するのも仕方ない」
エドヴァルドは一応学院で学んだことをエッセネ地方の統治に生かしたいと思ったが、自らの特質を失った時、それは民の幸福に繋がるか若干疑問を覚えた。
「皆、煌びやかな帝国に憧れてやってきたのにその帝国が違うものになっているとは意外です」
「皆だって?試しに聞いてみたいが君の民は帝国をどんな風に思っていた?」
「小さい頃、よく下町に遊びに行きましたがそこで人々からは帝国の道は黄金で舗装されていて税は軽く平民は貴族のような暮らしを送っている。市民権さええれば誰もが幸福になれる、そんな風に聞いていました」
バルアレスの庶民にとって税は重く、自分達の主、貴族や王よりもずっと上、天上の存在である帝国人になりたいと思ったが、移動の自由もなく憧れるのみだった。
「で、君は帝国に来てどう思った?」
「通貨は紙幣ばかりで金貨もほとんど流通してない。黄金なんかどこにもない。白の街道は帝国でも白かった。金持ちは貴族のように振舞っているが、金が無ければ貴族も平民と変わらない」
「そうだ。今の世の中は資本主義だからな」
資本主義・・・そういえば小さい頃聞いた覚えがある気がする。従兄の家に仕えている経済顧問から聞いた話だったか、あの頃は意味が分からなかった。
「資本主義ってなんなんです?」
「簡単にいえば利益を追い求める論理さ」
「そんなに単純なんですか?」
以前レクサンデリは物事を難しく、複雑そうに言った方が他人に偉そうに思われるといったが、ここでは必要無く単純な説明を好んだ。
「論理は単純明快であるほど強い。昔の帝国は実り豊かな土地に育まれた人口の多さを力に変えて諸国に君臨した。今は金だ。世の中が変わろうと勝者は一握りだというのに自分だけは勝ち馬に乗れると信じて人々は帝都に集まり、金を落としていく。ここは今も昔も黄金の大地さ」
レクサンデリが指差す帝国の大地は掃き清められ白く磨かれた石畳が広がっている。一獲千金を夢見て世界中から集まってきた労働者たちが舗装してきた道だ。
馬に乗った多くの貴族や平民が行き交い、馬が落とした糞を薄汚れた男達がすかさず拾ってどこかへ持っていく。
「俺も彼らと同じか」
エドヴァルドも出稼ぎ労働者も帝国の富に引き寄せられてやってきた。
死んだ魚のような目をした労働者達は黄金を手に入れられなかった。
黄金を運ぶ道を舗装し維持するのが彼らの役目だった。




