第9話 世話焼きコンスタンツィア
エドヴァルドが覚醒してから少し経ったばかりの頃のこと。
高熱も収まり、ようやく関係者は安堵の溜息をついた。
毎日お見舞いに来ていたコンスタンツィアもオスラー医師からもう心配ないと聞いてほっとしたが、安堵の吐息を漏らし、また大きく吸った時何かすえた匂いがした。
「あら、ちょっと匂うわね。先生、この病院では患者の体を綺麗にしてあげていないんですか?」
「いや、定期的に拭いてやっているが隅々までというわけにはいかないな」
洗髪も出来ないので濡れたタオルで拭いてやるだけだという。
「そうですか、じゃあ今日はわたくしが頭を洗ってあげましょう」
エドヴァルドは「えぇっ?」と驚いたが、オスラー医師はコンスタンツィアの申し出を歓迎した。
「ああ、助かるよ。今は軍団兵の負傷者が多くてね、職員の手が足りないんだ」
エドヴァルドは一番いい病室に移されたので、部屋の中には洗面台もある。
病院の高階層にまで水道が通っている事にエドヴァルドは面食らったものだった。
◇◆◇
オスラーが退室するとコンスタンツィアは腕まくりをしてさっそく準備をする。
「ヴァネッサ、水を張っておいてね。さ、エドヴァルド君、濡れてしまうからシャツを脱ぎなさい」
「あ、いや。貴女にそんな事して貰う訳には・・・。そうだ、イリー、イリーに頼みます!」
「そうそう、それがいいですよ。お姉様」
もう健康に心配は無くなったのに未だにコンスタンツィアが世話を焼いている事が面白くないヴァネッサはイルハンにやらせればいいと同意した。
「彼だって途中入学だし、大変なのよ。長時間手間をかけさせてはいけないわ」
「『彼』ですか・・・」
エドヴァルドは夢の中から引っ張り上げた術について説明を受けて記憶を覗かれた事を知っている。彼が彼でない事も知られている筈だ。
ただそれを自分から口にだしてボロを出すわけにはいかない。
「いいじゃないですか、別に。男の子同士、お友達にやって貰った方がいいと思いますよ」
ヴァネッサは水を張る様に頼まれたのにその場から動いていなかった。
「ヴァネッサ。手伝ってくれる気がないのなら出て行って」
「ええっ?」
いつになく冷淡な口調のコンスタンツィアにヴァネッサは面食らった。
普段は我儘をいっても気にせず寧ろ可愛がってくれるのに、今日はいつもと違った。
自分で脱ぐ気が無いらしいと悟ったコンスタンツィアはエドヴァルドの背中に回って後ろからわざわざ手を回してボタンをひとつひとつ外していった。どうにもヴァネッサにあてつけているようだった。
「ちょっとお姉様!」
「何?わたくしは出て行きなさいと言ったのよ。エドヴァルド君も落ち着きなさい」
コンスタンツィアは真っ赤になってあたふたしているエドヴァルドにも叱りつけた。
「お姉様の馬鹿っ!」
不貞腐れたヴァネッサは言われた通り先に帰ってしまった。
「ほんとにまだまだ子供ね。あの子は」
「あの自分で脱ぎますから・・・。今のは彼女を追い出したんですか?」
「ええ、後で御機嫌をとってあげなくちゃね」
エドヴァルドが自分でボタンを外し始めたので、コンスタンツィアは自分で水を張りに行った。少し離れた所から声をかける。
「イルハン君の事は彼が望む限り男性として学院は受け入れるから心配しなくてもいいのよ。女生徒の中に男子生徒が紛れ込むのは困るけど、逆なら別にいいでしょう。正確には逆でもないのよね?」
「ええ。僕はあいつの性別がどっちでもいいですが、対外的には継承権の問題もあるので王子のままの方がいいと思います」
「そうよね」
水を入れている間にコンスタンツィアは今度は大きな椅子を逆向きに設置した。
そこにエドヴァルドを座らせて後頭部を洗面台に向けて洗髪の準備をする。
石鹸の類は備え付けがあった。
「あの、俺は自分で髪くらい洗えますけど」
「下半身に負担がかかるでしょう?退院が遅れたら余計面倒な事になるのよ。さ、浮かせますからね」
「浮かせる?」
コンスタンツィアは魔術でエドヴァルドをベッドから浮かせて椅子に運ぼうとしたのだが、妙な反発があって失敗した。エドヴァルドは奇妙な浮遊感に襲われただけで、目を白黒させる。
「ああ、魔石があったのを忘れていたわ。ほとんど力を失っているようだけどさすがに魔導騎士ね」
魔石を埋め込んだ魔導騎士の体は魔術が効きづらい。
抗魔の力が籠った鎧や盾を装備している場合は直接的な魔術はほぼ無効になる。
「それ、外すわけにもいかないのよね?」
「ええ、イルハンにまた固着して貰わないといけなくなるし、同化している皮膚ごと抉らないと行けないので相当血が出ますよ」
「じゃ、今はわたくしが運んであげる。さ、いらっしゃい」
コンスタンツィアはベッドの端まで来るように言った。
そこから自分が抱えて運んでやるのだ。
「あの、そこまでして貰わなくても・・・」
「わたくしがやらなければ他の誰かに手を煩わせるだけでしょう?それにわたくしは貴方のご家族にわたくしが面倒見るといって引き取ったんですからね」
来ないなら首根っこ掴んで無理やり引きずられそうな勢いだったのでエドヴァルドは仕方なくベッドを這って洗面台側へ近づいた。
ベッドの端で腰かけたエドヴァルドを正面から抱えて運ぶ際にどうしてもまたコンスタンツィアの柔らかい体に触れて緊張してしまう。
「こら、しっかり抱きついてくれないと危ないでしょう」
エドヴァルドが変に体を強張らせているだけなのでコンスタンツィアもやりづらい。
今日のコンスタンツィアは装飾過多気味の普段着ではなくいたってシンプルで真っ白な装いだったので体のラインが際立ってしまい、思春期のエドヴァルドを困惑させた。帝国人にしては肌の露出はほとんど無いが、服に装飾が無いとこれはこれで困るなあと心の中で現実逃避する。
コンスタンツィアはエドヴァルドを一度ベッドに降ろして、今度はエドヴァルドの方から自分の背中に手を回させてしっかり掴ませた。
「もっと力を入れても大丈夫よ」
「うう・・・」
「怪我人が恥ずかしがらないの。メーナセーラさんには甘えていたじゃない」
「ううう」
やはり全ての記憶を見られている。エドヴァルドは真っ赤になって俯いた。
日頃イルハンにちょっと兄貴ぶったり、領主として偉そうにしていたり、旅の間もちょっとニヒルな王族を気取っていた事も全部向こうは分かっている。
近年、心は傷つきながらも肉体的には成長し、シセルギーテからも武術の腕を認められ成長期特有の奇妙な万能感があって時々傲慢になっていた事もあったが、夢の中までやってこられた時に見られたようにまだまだ甘えっ子の末っ子らしいところが残っていた。
「お姉さんには甘えられたでしょう?わたくしは母親代わりなんですからわたくしにも甘えていいのよ」
「あ、貴女は母親じゃない。です」
「そうね。まあ保護者ってところかしら、当面の。言葉の定義なんかどうでもいいからさっさと洗いますよ」
「いや、やっぱり年頃の女性の手を煩わせるわけには・・・」
「イリーちゃんとは一緒にお風呂に入っていたくせに。しかもあんなことまで・・・」
エドヴァルドはまたうっと口ごもった。
悪ふざけでイルハンには随分なセクハラをしている。
「あいつの事は男とも女とも思ってないし・・・あくまでもダチで中性みたいなもんだと」
「家族も中性みたいなものでしょう?もういい加減に観念しなさい」
埒が明かないのでコンスタンツィアはもう一度正面から抱きかかえた。
持ちあげる時にエドヴァルドの顔がコンスタンツィアの豊かな胸に埋もれてしまう。息が出来なくて鼻息が漏れてしまった。
「ちょっと、あまり息をかけないで」
(大きすぎるんだよ!)
口を開いて謝ると余計に面倒な事になるので黙って頷きながら両手に力をいれてコンスタンツィアにしがみついて体を起こした。
もう開き直ってコンスタンツィアの柔らかな胸に顔を埋めて抱き着き背中に腕を回す。上に大きなものが乗っている割には腰は細く、遠慮がちにつかむとくすぐったいから思いっきり掴めと叱られた。
向こうがいいと言ってるんだからもういいや、とエドヴァルドも開き直って完全に体を預けて、初めて感じる大人の女性の体の柔らかさ、包まれるような香りに翻弄された。鼻腔をくすぐる馥郁たる香りに鼻を鳴らしてしまい、普段は胸元も露わな帝国人の服装を嫌っているのに、今は邪魔な服だなあとさえ思う。
コンスタンツィアがどうにか洗面台に向かって逆向きの椅子に座らせて背もたれを倒し、洗面台にエドヴァルドの後頭部を突っ込みさあ洗ってやろうとしたところで動きが止まった。
エドヴァルドの顔が真っ赤に染まっている。
「どうしたの?何処かぶつけちゃった?」
「い、いや。どこも?」
触れてもいないのに熱が伝わってくるほどのぼせている。
顔を背けようとしても眼前に覆いかぶさるようにコンスタンツィアの体があった。
視界は大きな胸で埋まっている。上に視線を向けるとコンスタンツィアと目があった。
「そう?なんだか顔が熱いけど」
「び、美人すぎるから!」
思わず本音で言い訳してしまうエドヴァルドだった。
コンスタンツィアの素の表情はきつめの美人といった容姿だが、自分には好意を持ってくれていて微笑みを絶やさないでいてくれるのが嬉しい。
自分の中身がいじけた子供で、暴力的な性格で、憎しみに駆られて大勢殺してきたこの手が汚れているのを知っていてもまったく気にせず触れてくれる事で癒される。
母親のように優しく接してくれているのに、自分の男の部分が反応してしまったのが恥ずかしい。
記憶も見られたし自分のような子供の考えている事などすべてわかっているのに、信頼してくれて体に触れるのを許してくれるのが愛おしい。
そうして真っ赤になって照れているストレートな表現にコンスタンツィアは微笑んだ。詩聖王子から技巧を尽くした愛の告白を貰ったり、今までさんざん飾り立てられた言葉を受け取って来たがここまでわかりやすい態度は無かった。
「まあ、嬉しい。でもわたくしを鑑賞するのは後にしてちょっと目を瞑っていてね」
孤児院の悪ガキはコンスタンツィア相手でも随分悪戯してくれたものだが、エドヴァルドは大人しく目を瞑ってされるがままになった。
◇◆◇
しばらくは静かな時が流れた。
コンスタンツィアは手慣れたもので、ぐわしぐわしと思いっきりエドヴァルドの頭を泡立てた石鹸で洗っている。悪ガキには力を入れ過ぎるくらい入れた方がいいと経験上知っていた。
「あの・・・どうしてこんなに手慣れているんですか?帝国でもっとも高貴な姫君なのに」
「もう経営は人に任せているけど孤児院の面倒を見ているの。最近院長先生が病死してしまって大変なのよ」
「孤児院の?貴女ほどの人が孤児を自ら世話しているんですか?」
バルアレス王国の女性貴族も暇つぶしの慈善活動はしているのだが、基本的に金を出すだけ。訪問して読み聞かせをしてやる事もあるが、掃除だの料理だの洗濯だのまでしてやる事は無い。
コンスタンツィアの場合は多忙であるのにも関わらず、時間をつくって訪問し、身だしなみの整え方まで世話してやっている。
「母達から受け継いだ義務のようなものよ。帝国は子供を何よりも大切にするのが伝統ですからね。範を示さないといけないの」
洗い終わってからタオルで髪を拭いてやり一息つく。
「そういえば爪も切らないとね」
さっき掴まれた時に爪が肌に食い込んでちょっと痛かったのを思い出した。
「それくらい自分でやります・・・」
「そう?でも足の爪先は自分じゃ出来ないでしょう」
折れた方の膝は固定されているので他人がやってやるしかない。
コンスタンツィアは続いて足の爪を切ってやりはじめた。
エドヴァルドの足を自分のふとももの上に乗せてやって爪先を掴んで爪切りでパチンパチンと手際よく切っていく。
飾り気のない服だが、素材がよほどいいものなのか滑らかで太ももの柔らかい感触がダイレクトに伝わって来てエドヴァルドは悶えた。
(もう駄目だ。俺、おかしくなっちまうよ・・・、助けてイリー!ヴァネッサでもいいから誰か乱入して気を逸らしてくれ!!)
コンスタンツィアが爪先に集中している間、足が動かないように必死で耐え続けた。
「あ、あの貴女は帝国でも特に偉い貴族のお孫さんだと聞いたのですが、どうしてここまでしてくれるんですか?使用人とか他の人にやらせるとか・・・」
神話の時代から続くような名家は帝国にも他にはない。それほどの高貴な姫君と聞いたのでエドヴァルドは恐縮する。
「これは私事だもの。わたくしが個人的な事で他人にこんな事をお願いできるのはヴァネッサくらいなものね」
「彼女も確か遭難者の一人でしたよね」
一時期コンスタンツィアの名前すら完全に忘れていたエドヴァルドだが、そういえばヴァネッサやヴィターシャについても捜索依頼があったのを思い出した。
「ええ、そうよ。二人からはもうお礼を言って貰った?」
「え?いいえ」
「そう。あら、そういえばわたくしも言ってない気がするわね。ありがとうエド。わたくしの浅慮で引き起こした結果の後始末をしてくれて」
やすりで切った爪先を整えた後、コンスタンツィアは立ち上がって礼を言った。
「あ、いや。当然の事をしただけです。それにキャスタリスへのあてつけもあったし・・・」
「それでも嬉しかった・・・。加えて貴方の故郷を苦しめたのはうちの国の兵士達だし、本当に御免なさいね」
「それも貴女が詫びるような事じゃないです」
パルタスの残党をラリサの近辺まで送り込んだのはエールエイデ伯であろうとエドヴァルドは考えていた。国境の守りをわざと緩めて、ラリサまで誘導して敵対者を始末しつつ近隣貴族が自分を頼り、己の地位を強化するのに使ったのだろうと想定している。
「そうね。こんなことをいって申し訳ないけれどわたくしも実の所そんなに後悔している訳じゃないし、自分の行動を恥じているわけでもないの。ただ必死に生き延びようとしていただけだから」
「じゃあ、何故?」
「・・・それでも苦しいの。あんなに惨い結果になっているなんて思わなかった。理性は割り切っているのに、正しい事をしても苦しむものなのね。それとも本当の自分は実は正しくないと心の底では考えているのかしら」
コンスタンツィアはしばらく心の中で意見を戦わせてみたが、結果はいつも同じ。
自分は何も間違っていない。女海賊の件も、同盟市民連合での振舞いで起きた結果も巡り合わせが悪かっただけだ。
きっと同じ行動をして、また苦しむ。
「貴方がいてくれてよかった。エド、貴方がいなかったらもっと酷い結果になっていたでしょう」
「僕がいて・・・良かった?貴女の捜索は旅行気分で大人の騎士達についていっただけ。発見したのは別の人で何の役にも立たなかったのに」
コンスタンツィアは頭を振る。
「貴方はわたくしの心を救ってくれたわ。貴方がいなかったらわたくしは自分に自信が持てなかったかもしれない。貴方が最悪の事態を回避してくれたからこそわたくしはこれからも自分の行動に自信を持っていける。貴方はわたくしの誇りを救ってくれたのよ。ありがとう、エド」
迷いを払ってコンスタンツィアは改めてエドヴァルドに礼をいう。
自分の行動が無駄にならないよう、良い結果を招くようにフォローしてくれた少年の為にも自分の行動を恥じてはならない。
自分は人々を導く貴族の中の貴族。
そして貴族達すら導き、次代の皇帝を選ぶ選帝侯の長女なのだ。
完璧な人間などいないし、後に続いてくれる人が自分の至らない所は助けてくれる。
そう信じる事が出来た。
同盟市民連合の各市で起きた事件、エッセネ地方に侵入した賊の件、そして女海賊の件、遺跡に収めらているべきものを持ち出した結果イルハンを苦しめてしまった件が思い出された。エドヴァルドの夢を覗いてからコンスタンツィアも苦しんでいたが、口に出してエドヴァルドに礼を言うと少し楽になった。
「じゃあ、もう苦しまずに済みますか?これからも貴女らしく生きられますか」
「ええ。勿論」
「それなら僕も良かった。家族に不和をもたらしてばかりだったから・・・自分は居ない方がいいって・・・そう思ってたから、『いてくれて良かった』と言って貰えて凄く嬉しいです」
気を張っていたエドヴァルドの肩から力が抜けたのをみてコンスタンツィアはふふっと微笑んだ。
「じゃ、もう『死にたい』なんて言わないわよね」
「・・・はい」
覚醒後もしばらくはぎこちなかった関係もほぐれた。
つい先ほどまであたふたしていたエドヴァルドも和んで自然に過ごせるようになり、コンスタンツィアが毛先を整えてやっている間に気が緩んだエドヴァルドがうとうとと眠り込んでもたれかかってしまうほどに。




