第3話 続く難題③
オスラー医師がエドヴァルドの体に負担をかけずに銀行まで連れて行く方法を見つけるというので、イルハンはレクサンデリに利子をこれ以上積み上げるのを待ってくれるよう頼みに行った。個人的事情も話す事になるので学院内で話すのは避け富裕層、貴族向けの接待に使われるような仕切りのある半個室の喫茶店に呼んだ。
「済みません、レクサンデリ様。わざわざ来て頂いて」
「なに、構わないとも。ジュリアも気にしていたからね」
ジュリアは一応事務的な事柄以外も報告してくれたようだ。
「実は二つお願いがありまして」
「一つはエドヴァルド君の借金の事だろうね、もうひとつは?」
「もう一つもエディの事なんですが、退院後でもどうにか今年からの入学を許可して頂けるようになりませんか」
なるほど、とレクサンデリは頷いた。
「これからではどう頑張っても出席日数が半分以下になってしまう。単位さえ取れればいいという問題じゃない」
「補習を受けても駄目なんですか?」
「さあ、私は学院の運営側ではないからね。教授会と理事会が決める事だよ」
やっぱり駄目か、とイルハンは項垂れた。
皇家といっても何でも出来るわけはないのだ。
「じゃあ借金の方は・・・?お金はあるのにどんどん釣り上がるなんて酷いです。30万が100万ですよ?」
「それも彼が契約書に署名した内容での条件だからな」
「まさか退院した直後にまた病院から出られないほどの怪我をするなんて思いませんよ」
「そういう時の為に保険の扱いも始めたんだ。彼に紹介しておいてくれたまえ」
「保険・・・ですか?」
東方でも東方職工会が会員の生活安定の為に働けないほど健康を害した場合や突然死を迎えた場合の遺族の為に金を出し合った共済健康保険制度はあるが、イルハンは職人組合内の制度の事まで詳しく知らなかったし帝国の保険会社が一市民の保険も扱っている事はまったく知らなかった。
「ふうむ、まだ宣伝が足りなかったか」
レクサンデリは詳しく説明しようとしたが、イルハンは自国も貧乏でそんなものに入る余裕はないと断った。そういう人こそ突然怪我をした際、周りを助ける為に必要なんだとレクサンデリは説明しようとしたが、イルハンは心配事で話を聞く余裕がなくレクサンデリも諦めた。
「無理です、ボクも彼もそんな余裕はありません」
「でも一国の王子だろう?彼の口座には結構な額が眠っていたよ」
正確にはシセルギーテの口座だが、自由に扱っていいという委任状だった。
「ボクの国は海賊に誘拐されても身代金も払えないような国ですし、彼の場合は国に無断で渡航して来たんです。それに彼の口座、というより彼のお師匠様の口座ですがあれはお母様の病気を治療する為に必要なんだそうです」
「へえ、どんな病気なんだい?」
「バルアレスのお医者さんは誰もが匙を投げてしまったので、帝国から高名な魔術師やお医者さんを招聘して研究に当たるほどの酷い病気みたいです」
エドヴァルドは船旅の頃、イルハンに家族関係の事を話しており、美しかった母が面影もないほどに肌が爛れて全身の病巣から膿が吹き出し、死臭のような悪臭が宮殿全体に周って人が次々と感染死する様について語っていた。
イルハンもどうにかそれを説明した。
「あのスーリヤ殿がねえ」
「ご存じなんですか?」
「直接会った事はないが、父が万年祭で披露されたスーリヤ殿の舞を絶賛していた事がある」
「なら是非お父様にもお話してエディを助けてあげて下さい」
イルハンはここぞとばかりに頼み込んだ。
「君、商売は商売だよ。そんな事を父に頼んだら私は後継ぎから外されてしまう」
「レクサンデリ様には他にご兄弟が?」
「弟が二人いる。ガドエレ家ほど苛烈ではないが、十代の内から事業を任されて当主の座を競う。そう簡単に甘い所を見せるわけにはいかない。規則は規則だ。彼は将来有望そうだから、囲ってしまうのもいい」
レクサンデリは冗談めかしていうが目は真剣だった。
将来は女性初の近衛騎士かと騒がれていたシセルギーテの推薦で帝都にやってきて、既に近衛騎士シクストゥスにも認められ、非公式だが海賊の大半を一人で片付けたという若すぎる少年。まだまだ年相応に甘いところがあるうちに契約でがんじがらめにしてしまいたい。
レクサンデリはそう打算を脳に忙しく駆け巡らせる間にもイルハンは必死に情に訴えて頼み込み続けていた。
レクサンデリが気づいた時にはすっかり涙目になり嗚咽しながら母への愛の為に苦しむ親友にどうか情けをとすがりついて訴えていた。しかしその大半をレクサンデリは聞いていなかった。
「あれほど将来有望な戦士がお母さんの為に自暴自棄になって死にたいと漏らすほどなんですよ、せめて入院期間中は返済額を釣りあげるのをやめてあげて下さい。彼のお金は全部お母さんの治療の為にあるんです」
情に負けるようでは次の有力な皇帝候補と目されるアルビッツィ家の嫡子として不適格だ。レクサンデリは人としての情は持ち、十分哀れに思っていたがそれに判断を左右される事は無い。
「うーん・・・しかし君はそうしていると女の子みたいだな」
レクサンデリはさらさらのイルハンの髪に手櫛を入れ、指先で涙を拭ってやりなんと柔らかくすべらかな肌なのだろうと頬を突いて感心していた。
「ふざけないで下さいよう・・・」
「いや、すまない。話はよくわかった。彼なら将来きっと簡単に借金を返せる人物になるだろうと私も確信したよ。今のうちに貸しを多く作ろうと思う」
「そんな・・・」
酷い、という言葉をイルハンは飲み込んで別の言葉を続ける。
「僕・・・彼と一緒に六年間を送りたいんです、僕がいまここにいるのは彼のおかげなんです。彼が立派な帝国騎士になるのを僕は傍から応援したい、だから・・・」
言いつのるイルハンの後ろの衝立が突然どかされて急に人が現れた。
予期せぬ事態にレクサンデリは面食らう。
「話は聞かせて貰ったわ。失望したわよ、レクサンデリ」
レクサンデリが個室だと思っていた部屋には衝立があり、その向こうに息を潜めていた女性達がいて、皆一様にレクサンデリを非難する目で見下ろしていた。