第18話 辺境国家の第四王子⑥
ある日の夕食の席でエドヴァルドは嘆いた。
「もー、これ難し過ぎるよ。聞く度に違う事言ってるように聞こえる」
エドヴァルドが悩んでいるのは古代神聖語だ。
ヤブ・ウィンズローから習っているのだが、覚えがよくない。
たどたどしくしか発音できない。聞くのも別世界の言葉のように思えてならない。
「ねえ、シセルギーテ。マグナウラ院を卒業したんでしょう?シセルギーテはほんとに使えるの?」
問われたシセルギーテは視線をちょっとずらした。
「勿論ですとも。皇帝の前では帝国騎士は古代神聖語を話す必要があります」
「叙勲の時だけでしょ」
スーリヤが突っ込みをいれた。
「そうなの?」
「・・・まあ、そうです。実際使いませんよ。試験には出ますが」
「出るんだ・・・。あーあ、学ばなくても最初から使えればいいのに」
日常的に使っている母国語はいつの間にか話せるようになっているのだから、同じように使えればいいのに、とこぼす。
「生まれつき話せるのは神々くらいなものでしょうねえ・・・」
マグナウラ院を卒業したといってもシセルギーテは近衛騎士の推薦で入学が許された。途中で戦争が起き、学科試験をかなり免除され、義勇兵として蛮族戦線に加わったりしてろくに学業はこなしていない。しかし、せっかく王子から尊敬されているのに実は勉強は駄目駄目だったとはいいたくない。
「少し、気晴らしでもしますか?毎日毎日勉強勉強で疲れているでしょう。帝国では週休二日制が当たり前です。いきなり根を詰めすぎではないかと思うのですが」
シセルギーテはスーリヤにそう提案した。
「そうねえ、先生たちが良ければお休みをいれさせて貰いましょうか」
そんなわけでエドヴァルドには休暇が与えられた。
◇◆◇
「ね、早く早く!」
休日にエドヴァルドは暇なシセルギーテとタルヴォ、そして先生方や親しい奴隷娘のシアを連れて闘技場に向かった。シセルギーテが帰還する際、捕虜にして連れて来た蛮族が剣闘士達と戦わされるのだ。
キャスタリスは知識の探求の為に、ウィンズローも好奇心でついて来た。
「よく蛮族をここまで連れて来られましたな。帝国は蛮族は容赦なく皆殺しにしていると聞いていましたが」
「まあ、そうですね。ですが例外はあります。時折こうやって蛮族を使って興行を行う事で帝国外の住民にも蛮族の脅威を分からせる必要があります」
各国に課した兵役だけでは足りないので義勇兵を募集する為にも必要な事だと判断された。
エドヴァルドは蛮族について簡単な知識は得ていたが、見るのは初めてなので楽しみにしていた。エドヴァルドはシセルギーテにどんな蛮族なのか尋ねてみた。
「蛮族って人間っぽい姿した獣なんだよね?」
「ええ、神代に神々の争いに失望して大陸中央部から去って行った神獣とそれを慕う獣人達です。神々の争いによって荒廃した地上を再建したと自負する帝国は彼らが人類領域に戻ってくる事を良しとしません」
さて、その蛮族や獣達が戦わされる闘技場では賭けも行われているが、人気は後半戦の戦いだ。最初の内は使い捨ての奴隷達が戦わされて為す術もなく虐殺されていく。
東方行政府の指示で興行主は蛮族がいかに恐ろしい存在か知らしめる為にわざと勝てない戦いをさせる。疲れてきたころに本職の剣闘士や蛮族や魔獣狩りに慣れた傭兵が出てきて始末をつける流れだ。
観客席の中にはほとんど全裸の男もいた。
「あ、ムスクルスおじさん」
「やあ、少年。余にお布施に来てくれたのか?」
筋肉をこれ見よがしに見せつけてくる明らかな変態にタルヴォは弟の前に出て庇った。
「なんだ、こいつ」
「余は雷神トルヴァシュトラである」
腰に両手をあてて自称雷神様は胸を張った。
「はぁ?おっさんアタマおかしいのか?」
「見た目からしておかしい。王子、近づいてはなりません」
ウィンズローも杖を構えてタルヴォやエドヴァルドを庇った。
キャスタリスは興味が沸いたのか露出狂の変態に話しかけた。
「そなたが雷神でないことを証明できぬ故、仮に信じるとしても半分だ。そなたは何故自分が雷神であると確信しているのだ?」
「おお、涜神の徒よ。疑うとは情けない。自らが神である根拠を述べる神がいようか」
「おい、相手にするな」
タルヴォが止めるもキャスタリスは聞かない。
「しかし、そう思うに至ったのには何か理由があろう。神ならば自在に奇跡を起こせるのか?近年滅多に奇跡の発現は無いと聞くが出来ればこの目で見てみたい」
「愚かな。余がここにいる事こそが奇跡である」
「そういわずに無学な僕に叡智をお授け下さい」
キャスタリスは食いついて話さない、試しにへりくだってみたりあの手この手で口を開かせようとした。知りたがりのエドヴァルドも音を上げるしつこさだったのでムスクルスも重い口を開いた。
「仕方あるまい。そこまで言うのならば教えてやろう。余はある晴れた日に雷に撃たれた。周囲の人間は皆倒れ、黒焦げになって息絶えたというにも関わらず余だけが無事であった。余はあの時、雷神がこの肉体に入って来たのを感じたのだ」
雷の直撃を受けて無事だった事が根拠らしい。キャスタリスは気の毒そうに言った。
「雷雨の激しいエッセネ地方では数十年に一度直撃を受けて生還したものが出るらしい。君の話だけでは神であるという根拠にならない」
「生意気な!他に話は無いのか!?」
あっさり否定されたムスクルスは他に聞きたい事はないのか問うた。
「では、ひとつ聞きたいのだが、神喰らいの獣からどうやって神々が逃げたのか知らないか?」
神話では神々ですらその獣には対処のしようが無かったという。森の女神達が犠牲となって封印するまで皆逃げ惑ったと神話では語られていた。
「このように分神を行ったり、別の生物に乗り移って避けたのだ!」
「証明して欲しい」
「こっ、この不信心者め!少年を見習え!」
ムスクルスは怒るが、根拠のない話をキャスタリスは頭から信じなかった。
「とはいえ半分は信じると言ったではないか。神ではないと否定する根拠もない、故に半分は信じよう。半不信人者ということになるな」
「馬鹿にしおって!」
彼らの論争を他所に闘技場では蛮族との戦いが続いている。奴隷戦士はなすすべなく全員虐殺されたようだ。観戦していたタルヴォがムスクルスに話しかける。
「よう、おっさん。神様ならあれくらい倒せるだろ。やってくれたら信徒になってやるよ」
「よかろう、見ているがよい。モレスよりも逞しく、ウィッデンプーセよりも思慮深く、オーティウムよりも猛々しい我が一撃を受ければ蛮族など鎧袖一触よ!」
観客席からダッシュで闘技場に飛び込んだムスクルスは拳を振り上げて蛮族に立ち向かっていく。蛮族は頭に二本の角を持ち、下半身は毛深く牛のような足を持つが、上半身のはちきれそうな筋肉を持つ巨人という歪な恰好だ。顔は完全に闘牛のようで血を浴びてすっかりいきり立っている。
蛮族は向かってくるムスクルスに大きな手を握りしめ、そしてそれを下ろした。
ムスクルスは蛮族の拳でぺちゃんこになり、全身から血を吹き出した。
「動かないぞ」
「そりゃ死んでますから動かないでしょう」
タルヴォとウィンズローは平然と話しているが、エドヴァルドは一瞬の惨劇に言葉も無い。ウィンズローは丁度良いと講義を始めた。
「王子、あの通り平民は魔力を持たないので現象界、第三世界からの攻撃で簡単に死にます。魔術師も魔力を杖や外に使うのでやはり直接的な暴力には弱くあります。しかしシセルギーテ殿のような魔導騎士は全身に魔石を埋め込み体を魔力で覆い、体内に向けて魔力を行使して己の肉体を強化します。魔力が漲っている間は第三世界の攻撃で傷を与える事は困難です。ちなみに魔導騎士が使うような魔力を内なるマナ、魔術で使う魔力を外なるマナと言って区別します」
魔導騎士を倒すにはより強力な力を行使するか、魔力を解除しなければならないと説いた。
「じゃあ、神々はどうなるんだ?神話じゃ神喰らいの獣ってのが食らっちまったよな。人間でも神に勝てるのか?」
まだ派手に血を吹き出している死体を見下ろしつつタルヴォやウィンズローは平然と話していた。
「伝説では神と人の子である英雄が神を打ち倒した例はありますが、神々は第一世界、啓示の世界の存在です。我々の肉体は第三世界にあり、精神は第二世界までは踏み込めますが、第一世界まではとてもとても・・・第一世界にまで踏み込める武器が無ければ傷を与える事は出来ないでしょう。例の獣は神獣と同様に第一世界の生物だと思われます。そしてあの変人が神であるならば、蛮族風情に殺されはしなかったという事です」
少年らはなるほどと頷いた。
キャスタリスはウィンズローやエドヴァルド達に問いたい事があった。
「諸君らは目の前で人が死んでも平気なのかね?しかも見世物で。タルヴォ殿、彼を無意味に死に追いやったのは君だ。心に咎める所はないのか。エドヴァルド王子。どうなのだ?離宮には何人も奴隷が働いているだろう。遊びで死なせたいのか?」
タルヴォはあいつの勝手だと別に気にしなかったが、エドヴァルドは知人の死に胸を痛めていた。あんまりにもあっさり死んでしまったので現実感が無い。
「坊ちゃまを虐めないで下さい!」
シアがキャスタリスに抗議する。
「虐めているつもりはない。単にどう考えているか知りたいだけだ。君はどうなのだ?奴隷の身分から解放されたくはないのか?現在の王制に問題を感じた事は?」
「何故解放される必要があるんです?私はご主人様の・・・スーリヤ様の奴隷である限り生活は保障され誰にも危害は加えられません。貧しい同国人達は各地に散って鞭で打たれ奴隷でなくても30年で一万オボルの法外な契約で縛られて逃げ出せません」
「なるほど、自分より下がいるから現状から逃げ出さないわけか」
「そうは言ってません!」
◇◆◇
「声を荒げてどうしたんだい?」
注目の的になっているよ、と優しくエドヴァルドに声をかけたのは二人の王子だった。
「あ、レヴァン兄上、ヴァフタン兄上も!」
アルシア王国から嫁いできたクスタンスの双子の息子である。
他にトワージや王城勤めの騎士もいる。
ベルンハルトは城の守備も残しているが、敵にこちらまで攻め寄せてくる気配はないので彼らも暇をしている。エドヴァルドが説明に困っている間にタルヴォが彼らに話しかけた。
「どうってことはない。ちょいとあの蛮族が強すぎるみたいでな」
「やあタルヴォ。君もいたのか」
「タルヴォ兄上、じゃないのか?」
レヴァン達兄弟はタルヴォより一つ年下の16である。
「これはこれは、タルヴォお兄様。失礼致しました」
ヴァフタンの方が大仰な礼をして敬った。
「こいつめ!」
当てこすりのようだったので、タルヴォが腹を立てて拳を振り上げようとし騎士達が剣に手をやって前に出て止めようとする。周囲にも緊張が走るが一瞬の間をおいて二人は肩を叩いて笑いあった。
「やあ、よく返って来たな。アルシアのデベソ野郎」
「抜かせ!まだ王都にいたとは驚きだ。いつ神殿に入るんだ?」
二人の仲は悪くない。
軽口をいいあう仲だった。
「エドヴァルド王子、彼らは?」
キャスタリスに聞かれてエドヴァルドは双子の兄だと答えた。
「それで、どちらが兄で、どちらが弟なのだ?」
「レヴァン兄上がお兄さんでヴァフタン兄上が弟だよ?」
「何故、レヴァン殿が兄なのだ?」
「え?・・・それはそう決まっているからだよ」
「何故決まっているのだ?」
エドヴァルドはまためんどくさい事になったと嫌気がさしてきた。
「おい、何やってるんだい。エドヴァルド、私に抱擁してくれないのか?」
レヴァンが話しながらエドヴァルドを強引にだっこした。
「おぉ、すっかり重くなったな」
「ぼく、もう六歳だよ。だっこされるような歳じゃないもん」
「はっはっは。ならもっと大きくなってくれないとな。ラリサの塔くらいに」
「ラリサ?」
「僕に与えられるかもしれない領地にある神の塔さ」
レヴァンはしばらくエドヴァルドの暖かい体とぷくぷくのほっぺを堪能した後地面に下ろしてやった。
「殿下がた、あちらへ」
騎士達が貴賓席の方へ移動するよう促した。庶民たちの近くでは護衛しづらい。
「シセルギーテがいるんだから平気さ。近くから見た方が迫力があるだろ。な、ヴァフタン?」
「そうだね、たまにはこういう所もいいかな。しかしシセルギーテはよくあの怪物を倒せたね」
ヴァフタンは感心して腰を落ち着けた。
「殿下」
周囲の騎士は渋い顔だ。
「いま、いいところなんだぜ。お前達も座れよ」
タルヴォが騎士達にも着席を促した。
「黙っていろ、タルヴォ。若様を誑かすな」
庶子とはいえ、あまりに邪険な口ぶりにタルヴォがかちんとする。
「さっさと帰りたければお前らがアレを倒して来たらどうだ?いや、やはり無理か。日頃、馬鹿にしてきたスーリヤ殿の騎士は帝国騎士だからな。魔導騎士ですらないお前らには到底無理か」
「なにおう!?」
レヴァン・ヴァフタン兄弟の護衛を勤めるのはアルシア王国派の騎士達。
彼らは隣国でありながらバルアレスよりも発展しているアルシア王国との関係を強化したいのだが、王は南方圏との協力関係を重視している。
彼らから見ると南方から嫁いできたスーリヤが邪魔だったので、取り巻きが嫌がらせを繰り返していた。クスタンス本人から見るとヴァルカは余りにも小さすぎるので敵視するまでも無いのだが。
争いに巻き込まれたシセルギーテは自分の名を出すなと迷惑がった。
「ちょっとタルヴォ殿、私を引き合いに出さないで下さい。迷惑です。蛮族退治は慣れていないものには危険ですよ。戦い方に慣れていれば平民でも倒せますが今まで実戦に出た事が無い者には危険です」
「そうだな。馬上槍大会ばかりで本物の戦いを経験した事の無い騎士達には無理だな」
馬上槍大会は古代からの人気競技で民衆も熱中しており、賭けられる金額も大きく騎士達はなかばスポーツ選手のようになっていた。
「戦った事ないの?」
エドヴァルドは不思議そうに騎士達を見上げた。
王が戦場に出てるのに、彼らがこんなところでうろうろしているのが疑問だった。
もちろん、今は後方にも戦力を配置する必要があるので当然の事なのだがエドヴァルドにはまだわからない。
だが、騎士達はこれまでも蛮族戦線にも参加した事すらないのでこの指摘が堪えた。
「やってやろうじゃありませんか」
かくして実戦経験の無い騎士達は蛮族との戦いに赴き、そして死んだ。
生き残ったのはトワージだけだったが、彼も重傷を負った。
結局シセルギーテが蛮族に止めを刺してこの見世物は終わった。
キャスタリスが今日、無駄な死を招いたタルヴォに問うた。
「死なせすぎではないか?」
「あいつらが自分で選択した結果だろ?それに死んだからどうだっていうんだ。戦って死んだ者には神の祝福があるとトルヴァシュトラの神官が言っていた」
名誉の死を遂げられたんなら別にいいだろ、と意に介さない。
「死んでからの祝福に何の意味があると?あんな戦いに何の意味が?」
「トルヴァシュトラにとっては戦い自体に意味があるんだよ。結果はどうでもいい。戦って、殺し、殺される事こそが信仰の道なのさ」