第30話 暗中模索②
コンスタンツィアは囚われていたエドヴァルドの心を発見したと思ったが、アンを思い出し、しばらく自分も気落ちしていると再びエドヴァルドを見失ってしまう。
糸の道は少しずつ下へ下へと続いていく。
嘆き悲しむ声はその底の方から聞こえてきた。
アルシア王国でメーナセーラとイルハンに出会い、少しだけエドヴァルドの心は救われた。いっぽうでコンスタンツィアの心はまだ暗く、重い。
自分がお礼にとトゥラーンに残して行った服はやはり神器だった。
イルハンがそれを仕立て直しても力は失われなかった。
大切な人質だからと当初は手を出さなかった海賊が欲望に負けたのは何もアンが唆したせいだけでは無く、泉の女神の周囲の生物を招き入れる力が作用してしまった結果に過ぎない。
コンスタンツィアが気を取り直して再び、泥沼に沈むように下へ下へと進むと記憶は同盟市民連合の勢力圏に入った。久しぶりにみた同盟市民連合の諸都市は焼け落ちて、住民は殺気立ち、疫病が蔓延し、野盗が横行していた。
凶暴な肉食性の鼠は僅かな家畜を食らってさらに人々を飢餓へと追いやった。
この鼠たちは時に人の赤子さえも食い殺し、扉は固く閉められて余所者を拒んだ。
大地は大量発生した鼠の糞で汚れ、あちこち土地が酷く淀み、ねばねばとぬかるんでいた。コンスタンツィアが吐き気を催すような土地でもエドヴァルドは特に気にせず歩いている。
大地母神の恩恵によって帝国本土は肥沃で、あのようにマナが汚染された土地はそうそう無い。コンスタンツィアが以前通った時は未開とはいえ健全な土地だった。
しかしその土地は帝国の姫の捜索に非協力的だったという理由により滅ぼされ、帝国に雇われた傭兵が略奪、強姦、殺人、悪行といわれるような事はなんでもやっていた。
帝国正規軍の駐屯地もあったが、帝国に従わないまつろわぬ民に何をしようと彼らを放置していた。
ここの記憶はエドヴァルドではなく同調しているコンスタンツィアをむしろ強く苛んだ。
何万人、何十万人が不幸になったのか想像も出来ない。
打ちのめされたコンスタンツィアは意識朦朧としながら暗闇を彷徨った。
いつの間にか糸の道も見えなくなり多くの記憶を通り過ぎていた。
一度、イルハンのように元来た道を戻るかどうにかして目を覚まそうと思ったが、コンスタンツィアに考える力が残っていなかった。
母を求める泣き声を頼りに真っ逆さまに落ちていく。
もはやそれしか出来なかった。
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ある時、エドヴァルドはラリサの城内で雇い入れた使用人達の噂話を立ち聞きしていた。
「見てよ、あれ。あの神聖な塔が日に日に黒く淀んでいくわ。こんなのあり得ない。何千年も白く光り輝いていたラリサの誇りなのに」
「あそこに王妃様が幽閉されてるって噂、きっと本当なのよ。王都で邪悪な呪いにかけられたんだって!」
「そんな人連れて来ないで欲しいわ。私達に、この土地に呪いが移ったらどうしてくれるのよ」
エドヴァルドは廊下の角でその話を聞き、唇を噛みしめながら来た道を引き返していく。彼は必死に大貴族からラリサを守り、古代のエッセネ女公時代のように再び繁栄させようと努力していたが、民衆は迷惑に感じていた。
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この世界では目を閉じても意味が無く、目を逸らせることは出来なかった。目をそらせようと顔を動かせばさらにそちらでも見たくないものを見てしまう。コンスタンツィアは自分に対するものとエドヴァルドに対するものの両方で左へ右へと散々に打ちのめされた。
浮上する事は出来ず、記憶はどんどん幼い頃まで戻っていった。
特に母に化け物と呼んでしまった時のエドヴァルドの後悔は酷かった。
コンスタンツィアはここでようやくエドヴァルドの心を見つけたと思ったが、またしても一緒になって絶望してしまい身動きが取れず見失ってしまった。
そして記憶はエドヴァルドがコンスタンツィアを捜索しに同盟市民連合内に踏み込んだ時にまで達する。
エドヴァルドは『エイダーナの娘達』と呼ばれる部族の少女を救っていた。
これもコンスタンツィアが儀式を邪魔したせいで奴隷に落ちてしまった少女だ。
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キャスタリスは言う。
「さて、少年よ。無知が罪であることが理解できたかな?『魔女』達の無知ゆえに結果としてこの少女は奴隷に落ちた。聞けば橋の修復を請け負っていた業者は『魔女』が勝手に直したせいで仕事を失い路頭に迷った」
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イーデンディオスにも言われて反省はしていたが、ここまで酷い結果を招いているとは知らなかった。この言葉は今のコンスタンツィアの心を突き刺さり、エドヴァルドより先にコンスタンツィアの心を殺してしまう。
しかしエドヴァルドはキャスタリスに反発し、イーデンディオスも善意の結果は善意に導かれるべきと支持した。エドヴァルドはコンスタンツィアがしでかした事をひとつひとつ後始末して回ってくれていた。
その光景でコンスタンツィアは息を吹き返した。
今、まさにコンスタンツィアは精神的に死ぬ所だった。
何としてもエドヴァルドの心核を見つけ出し、心を救いあげて浮上しなければならない。
エドヴァルドの幼い心は双子の兄弟を死なせてしまった後悔の先にあった。
この深窓領域には記憶や時系列も関係無く混沌としていて亡霊たちがひたすら小さなエドヴァルドを責め立てていた。
「母親を化け物と呼ぶような奴は俺の子じゃない。出ていけ」
「エド。どうしてあんなことをいったんだい?僕は諦めていたのに」
「お前のせいで俺は弟を殺す事になった。お前のせいで、お前は家族を滅茶苦茶にした」
「エド、私はそんなに醜いですか?」
エドヴァルドが歩く方向に次々と家族が立ち塞がって彼を責めた。
「マーマ!マーマ!どこなのマーマ!会いたい、会いたいよ・・・マーマ」
幼いエドヴァルドはしゃがみこんで泣きじゃくったが周囲の家族は容赦しない。父親らしき亡霊はエドヴァルドの顔を掴んで引き上げておぞましい化け物へ向けた。
「お前が家族を引き裂いたんだ。お前がアレを化け物にした」
父親は幼子の髪を掴んで頭を醜く変貌してしまった母親に向け、罪を突き付けた。
「違う!違うんだ、父上。僕はあれが母上だなんて思わなかったんだ」
「そんな言い訳でアレが元に戻るのか?お前に母親はいない。兄弟もいない。当然父親もいない。お前はもう家族じゃない。一人で生きて野垂れ死ね」
父親に捨てられた幼子は大声をあげて泣いた。
いつの間にかさらに大人が増えている。
大柄な女騎士、意地悪そうな貴族、白髭の老人達・・・皆がお前の居場所はここじゃないと言って取り囲み、さらにエドヴァルドを地獄へと突き落としていく。
母を求めて泣き叫ぶ声にコンスタンツィアは居ても立っても居られなくなり、輪の外からやさしく声をかけた。
「エド、マーマはこっちよ。いらっしゃい」
「マーマ?」
幼子は顔を上げたが、怖い顔をした大人たちが見下ろしていて自分を蹴ってきた。再び顔をふせて蹲って頭を抱えて痛みに耐えながら母を呼んで泣き叫ぶ。
「お前にもう家族はいない。一人で生きろ」
皆の言葉に幼子は絶望する。
冷たい言葉にコンスタンツィアは怒り、人混みをかき分けて幼子を抱え込み父親に反発した。
「家族ならわたくしがなります!この子はわたくしが育てます!!」




