第29話 暗中模索
夢の中の世界は真っ暗で奇妙な浮遊感があった。
しばらくするとその世界に慣れてきたのか若干、明るみが見えてくる。
蜘蛛の糸のような道があり、方々に張り巡らされていた。
しばらくぼんやりとその世界を眺めていたコンスタンツィアに声をかけてくる者がいた。
「コンスタンツィアさん。あっちだよ。行こう。エディが泣いてる」
「・・・イルハンくん?」
「ボクも疲れて眠っちゃって巻き込まれちゃったみたい」
イルハンは照れくさそうに笑った。
一人では心細かったのでちょうど良かったとコンスタンツィアも喜び二人は共に泣き声のする方へ進んでいった。
現象界のように歩まずとも意識を向けるだけで進んで行けたが、二人ともまだ現象界の意識に縛られて道の上を慎重に歩んでいく。
少しだけ開けた所に出ると、イルハンがエドヴァルドを湖で見つけて助け出した場面の情景が二人の心に浮かび上がる。
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イルハンの人工呼吸で意識を取り戻したエドヴァルドはしばらく嗚咽を漏らしていた。
「エディ、泣いているの?」
勇敢で力強いエドヴァルドがまさか泣くなんて、とイルハンは驚いて声をかけた。
「もういやだ・・・どうしてこんな所でこんな目に遭わないといけないんだ。家に帰りたい・・・ああ、家が無いんだった・・・。どうせ襲うならそのまま殺してくれれば良かったのに」
「エディ、エディってば!」
エドヴァルドはまだ朦朧としながら物騒な事を呟いている。
イルハンは驚いて大声で再度揺り起こした。命の恩人を死なせるわけにはいかない。
「あれ、イルハンか」
「『イルハンか』じゃないよ。あっ、足が折れてるじゃないか」
エドヴァルドは館で見つけた大きな毛皮を被っていてイルハンは足の様子に気づくのが遅れた。
「どうしたのさ、一体」
「暴漢がうちの敷地に入って来て突然襲い掛かって来たんだ」
エドヴァルドは苦痛よりも口惜しさと惨めさに泣いていた。
故郷から遠く離れ家族とも恐らく永遠になるであろう別れがあった。
守り役の騎士は領地に残り、小姓達も誰も着いてこない。
暴漢風情にこてんぱんにのされる自分が帝国騎士になんかなれる訳が無い。
自分はもうこれからずっとこうやって帝国の片隅で惨めに暮らしていく事になるのだ、とエドヴァルドの心は暗く沈んでいた。
「この辺りはもっと治安がいいと思ってた。とにかく病院に行こう。肩を貸すよ」
「このくらい縛っておけば平気だ。明日は学院に通わないと行けないし」
「何言ってるの!?無理だよ!絶対駄目だってば、変にくっついたら一生そのままだよ。お医者さんの所に行くからね!」
イルハンの背丈ではエドヴァルドを運ぶのは少々きつかった為、御者を連れてきて病院まで連れて行った。途中帝都防衛軍団が街道を巡回していたので暴漢がいる事を通報した。
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打ちひしがれてはいるが、エドヴァルドの心の痛みの大きな所はこのあたりにない。急な襲撃だったのか映像も乱れていていまひとつ記憶も鮮明ではない。
母を求めて泣く子供の声が気になってコンスタンツィアは次の記憶へと移動していった。
少し前の帝都に到着したばかりの頃の様子はイルハンからも聞いていたので入院中やレクサンデリとの出会いは大して問題が無かった。
もっと大きな嘆きの所へと記憶を辿っていく。
「ここだわ。彼の心が囚われているのを感じる」
「うん・・・」
イルハンにとって思い出したくもない海賊の根城。
「御免なさい。ボク、やっぱり見てられないから戻るね」
「えっ、ちょっと」
コンスタンツィアが止める間もなくイルハンの姿がかき消えてしまった。
「何だったのかしら・・・」
夢の世界にも慣れてきたのでコンスタンツィアは仕方なく一人で記憶の扉を開ける。
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そこは岩山の中だった。
見張り用の部屋で風が吹きこんできてゴーゴーと渦巻くような音を立てている。
壁の大穴からは遠く帝国艦隊が見えた。
海賊との海戦が行われている最中にエドヴァルドが一人の男装の女海賊を追い詰めた場面だ。
エドヴァルドは命乞いをする海賊に止めをさそうとして、反対するイルハンを追い出し海賊に近寄って行った。しかし棍を振り上げたままの状態で動けない。
やはり妊婦を殺すのは忍びない、と迷っていた。
だが、この女は女であること、妊婦であることを利用して本来死刑になるような重罪をしても度々帝国の法律から逃れてきた。そして同じ女性のイルハンを他の海賊に突き出して凌辱させた。
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『えっ?』
エドヴァルドと意識を同調させているコンスタンツィアにそれよりもう少し前の場面、イルハンの特殊な体について説明を受けている場面の記憶が流れ込んだ。
『この場面を一緒に見たく無かったのね、御免なさい』
この場にいないイルハンの秘密を知ってしまったコンスタンツィアは内心で謝った。今でも王子として学院に通っているイルハンの事は今後も触れずにおこうとコンスタンツィアは決めた。
それはそれとして、必死になって命乞いをする女にコンスタンツィアは見覚えがある気がした。エドヴァルドの記憶を辿りつつ、コンスタンツィアは自分の記憶も辿り、元の場面に戻る。
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どうしても罰を下してやりたい。
憎しみがエドヴァルドの心を満たしていた。
エドヴァルドの体に魔力が満ちて、それは目にも回った。
そしてその目は大きなお腹に既に生命が宿っている事も洞察する。
女海賊は自分に迫る男の目に躊躇いが移った事を察した。
「なあ、自分の手を汚したくはないだろ?あたしの事は帝国兵に突き出して任せればいいじゃないか。あんたが帝国の法律について気に病む事は無い。そうだろ?」
「クソが!妊婦を死刑に出来ない法律を悪用しやがって!!」
「あんたが気にする必要はないって」
どうやらエドヴァルドはどうしても振り下ろせないと知った海賊はへへっと笑い始めた。それをみてまたエドヴァルドの心に怒りが満ちるも、一度頂点を越えた殺意は元には戻らなかった。
「くそ、すぐに帝国兵に引き渡してやる」
エドヴァルドが背中を向けてイルハンの所に戻ろうとした隙を狙って海賊は隠し持っていたナイフを抜いて全力でその背中に体当たりした。
そのナイフは狙い違わず脾臓へと突き進む。
今さらどうしようもないのにコンスタンツィアは心の中で「あっ、駄目っ」と叫んだ。
常人ならその一撃で死んでいた筈だが、エドヴァルドは先ほどまで怒りで無駄に魔力を発散していた状態でその体はまだ第二世界の力で護られていた。
現象界の一撃ではその壁を破り切れず、致命傷にはならない。
エドヴァルドは振り返りざまに腕を大きく払って海賊を突き飛ばした。
海賊は勢いよく転がって壁の大穴から転落してしまう。
エドヴァルドが慌てて大穴ににじり寄って下を確認するとかろうじて外壁に掴まっていたが、今にも落ちそうだった。
「た、助けてくれ!」
「勝手な事を、畜生め」
エドヴァルドはすぐには助けず海賊をせせら笑った。
「頼むよ、もう二度と海賊なんてしない。子供を産んだらちゃんと育てたいんだ。あたしらは本当はもう海賊稼業を止めるつもりだったんだよ!」
どうか子供だけは助けてくれと泣きわめく様子にエドヴァルドはしぶしぶ手を伸ばしてその手を掴んだ。だが、ほっと安心した時に海賊は力が抜けて悲鳴を上げながら落ちて行ってしまった。エドヴァルドは背中の痛みが突っ張って、握り返す力が弱かったかもしれない。
転落していった女は途中、岩盤にぶつかって体はへし折れて、転がる度に磨り潰されてとうとうお腹も裂けた。
エドヴァルドはその時、既に生まれる寸前の赤子を見た気がした。
そしてその子が潰れて死ぬ所も。
赤子が大きく泣いた。
母を求めるように。
突き落としたエドヴァルドを憎むように。
それはエドヴァルドの自責による空耳か。
魔力の籠った目が見せた幻覚か。
心を同調させているコンスタンツィアさえも巻き添えにしてエドヴァルドの心は地獄に引きずり込まれるかのようにどこまでも落ちて行った。
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その場でエドヴァルドはしばらく動けず固まっていた。
遥か下には死体が二つ。
コンスタンツィアもやはり呆然としていたが、もう一人の自分が記憶を呼び起こした。
「アンだわ・・・。あれはあの時の花売り」
巡礼中に立ち寄った旧スパーニア王都に近く古戦場である嘆きの谷の慰霊碑の売店街の男装の女性。観光客を騙して慰霊の花を高値で売ろうとして兵士に逮捕されていた女。コンスタンツィアが別に詐欺ではないと解放し、帝国の法を学び強く生きろと諭してやった女。
言われた通り、その女は強くなった。
そして弱者を踏みにじるようになった。
賢く、強かに生きた。
コンスタンツィアは彼女の運命を変え、エドヴァルドの心を地獄に突き落としてしまった。
※アン・ボニー
18世紀の女海賊。
捕らえられた際に妊娠を主張した為、死刑は延期されそのうち逃げ切ったとも獄死したとも言われる。




