第27話 コンスタンツィアとレクサンデリ
少しずつ暑さが増してきたある日、コンスタンツィアは学院の廊下でレクサンデリを見かけた。何やら込み入った話をしているようで周囲の人はそこを避けて通っている。ジュリアはいつも通り一歩引いて主人を見守っていた。
コンスタンツィアに気づいたレクサンデリが声をかけてくる。
深刻そうに話していた少年もつられてコンスタンツィアの方を向いた。
かなりの美少年だが、どこか見覚えがある。
「おう、コンスタンツィア。彼が話があるそうだ」
「何かしら・・・ってあら、貴方は確か・・・トゥラーンのイルハン王子殿下。お久しぶりです」
イルハンは挨拶もそこそこに切羽詰まった様子でコンスタンツィアに近づいて来た。
「あの、コンスタンツィアさんにお願いがあるんです!」
「どうぞ何でもおっしゃって」
遭難から保護された時の借りもあるのでコンスタンツィアは気軽に応じる。
「実はお金を・・・じゃなくて、ああ、いやそれも必要だけど名医を手配出来ませんか!?エディが死んじゃいそうなの!」
「エディ?」
イルハンが興奮してうまく話せないのでレクサンデリが言葉を継いでやった。
「君の捜索に協力してくれた国の王子だ。バルアレス王国のエドヴァルド。帝都で暴漢に襲われてずっと昏睡状態が続いているのだが、彼の国の大使館が治療費を出してくれないらしくてな。このままだと治療を放棄される」
「王子なのに?」
「王の許可を得ず自分で勝手に留学したようでな」
「なるほど。それで近衛騎士のツテを借りてわたくしに依頼してきたのね」
「なんの話だ?」
「気にしないで。治療費くらいならわたくしがお支払いしますから安心してください。イルハン殿下」
コンスタンツィアにとって借りがある相手だし、治療を放棄された自分の母を思い起こし金で済む問題ならと治療費を融通してやる事にした。
「ああ、良かった。有難うございます。コンスタンツィアさん。それで名医に心当たりはありませんか?」
「名医と言われても・・・わたくし、お医者様にそんなに知り合いはいないわ。今のお医者様では駄目なの?」
「オスラーさんという方なのですが、もう何も出来る事は無いっておっしゃるんです」
コンスタンツィアはその名に聞き覚えがあった。
「もしかしてウィリアム・オスラー先生?」
「え?ご存じなのですか?」
ひょっとしたら評判の名医なのかも、そのお医者様でもエドヴァルドを治せないというのだろうか、イルハンの顔が暗く沈む。
「わたくしのお母様を看取ってくれた先生なの。医者としてどれほどの方なのかは存じ上げませんが、誠意ある方だと思います。知らない方でもありませんし直接お話を伺ってみましょう」
コンスタンツィアは放課後、病院に行って見る事にした。
「お姉様、本日は議員の先生方と懇談会の予定が・・・」
「あぁ、そうだったわね・・・」
どうしたものかと悩む。
皇帝不在をいい事に宰相達はかなり急進的にこれまで温めてきた政策を実行するつもりで、怖気づいた議員がコンスタンツィアに相談してきていた。
免税特権のある皇家が直接経営している商会をいったん政府直轄にするか、皇帝属州での営業禁止にするだの、全当主は就任時に議会で政府の指示に従う事を宣誓させるだのかなり過激な法案が予定されている。
デュセルの下で各大臣が対立しつつ皇帝に従っていた従来と違い新政権はさまざまな業界にも協力して干渉を強める気でいる。
抽選制徴兵制の復活、課税の倍増、諸外国への法務省監察隊による監査の再導入。
皇家だけでなく富裕層から平民まで帝国の各界全体からだけでなく外国からの猛反発が予測され、それを恐れた議員達は穏健派を中心に政府と対立し始めている。
他にも庶民や外国人の反発を招きそうな事柄があった。
近年服装があまりに前衛的になりすぎて、服装規定を明確に定めようと内務省が法案を準備中であった。肌は何処まで隠す、逆に顔は常に隠してはならない、男性の髭の長さ、刺青の禁止だとかをがんじがらめに定めている。風習の違う外国人の反発は大きく、自由なデザインを貫きたい服飾業界は既に議員達へ献金しロビー活動を始めていた。
公序良俗を乱すと非難されている下着や水着のような恰好の裸人教ブランドの服を愛好するのは帝国人の中でも一部であって、それを規制したいからといって業界どころか一般人の暮らし方にまで指図するのはやりすぎだとコンスタンツィアも考えている。
一方、学院内でもスカートの丈の長さを制限しようとか男女交際についても決まりをつくろうと風紀委員が活動している。主にフィリップとユースティアだが、コンスタンツィアは理事代行としてこの二人とは今、ちょっと冷戦状態にある。
コンスタンツィアは自分は古式ゆかしいドレスを愛好しつつも割と平民発の尖ったデザインを眺めるのは好きである。人間の動物としての肉体美が強調されていて普段着としてはともかくデザイン性は認めていた。
学院の些事はともかく、コンスタンツィアも父達から今年は議会での対応についてこれといった指示が無いので自分で考えて決めなければならない。各地で騒乱が発生し、帝都の治安も決してよくない状況の中、政府と議会でこれ以上対立して欲しくない。
この状況で議員との会談を当日キャンセルとはしづらい。
コンスタンツィアの悩みを知ってか知らずか、レクサンデリが一応イルハンから聞いた情報を小耳に入れた。
「彼はもう数日の命だそうだ。明日にしたらどうなっているかはわからないぞ」
それを聞いて即断する。
「そう。そこまで悪いの。じゃあ、今すぐ行きましょう」
「今か、決断が早いな」
母の死に目に会えなかったように手遅れになる事を恐れ、午後の講義は欠席する事にしてコンスタンツィアは先に瀕死の少年に会いに行く事にした。議員達との会談は夜だから、それまでに済ませれば良い。
◇◆◇
コンスタンツィアは自宅の馬車にヴァネッサとイルハンを乗せて病院に向かった。レクサンデリは後で合流すると行って同乗は断った。
病院に到着するまでの間、コンスタンツィアは馬車の中でイルハンに詳しい状況を聞いた。
「あのですね。帝都についた日にエディは家庭教師のイザスネストアス先生の家に下宿する事になっていたので、僕らはそこにいったんです。でもそこは到底人が住める家じゃなかったんです」
イルハンはエドヴァルドにこんなところに住むのはやめてうちで一緒に暮らさないかと言ってみたが彼は迷惑をかけるわけにはいかないと断った。
翌日、エドヴァルドは誰かに襲われて死にかけていた。
イルハンはまだ別れた日の事を悔やんでいた。
◇◆◇
その日、イルハンは館まではエドヴァルドと一緒だった。
「寝床も腐って崩れてるよ」
「持ち主の爺さんはよく壺の中で蓋を閉めて寝てたからなあ・・・」
「変な人だね」
「亡者共に襲われた時に頑丈な壺の中に逃げたんだと。それ以来夜はそうやって寝るようになったらしい」
「そっか・・・狭い島が亡者の巣窟になったら大変だったろうね」
二人は崩れた館の敷地を一周して、エドヴァルドはとりあえず比較的まともな裏手にある石造りの小さな小屋で寝泊まりすることにした。
地下は鼠も巣くっているし、じめじめしていて水がたまり、虫がうようよいるのでさすがにエドヴァルドも避けた。イルハンは最後にもう一度だけ誘ってからナツィオ湖を離れた。
◇◆◇
「次の日に、僕が様子を見に行ったら気絶したエディが湖に浮いてたんです。体中が傷だらけで膝が滅茶苦茶に折れてて、なんとか引き上げた時にはまだ息があったから急いで水を出して先日までお世話になっていた軍の病院に運び込んで治療して貰って・・・えとえと・・・」
イルハンは悔しさと哀しさで次の言葉がなかなか見つからず泣きじゃくり始め、コンスタンツィアが頭を撫でて慰めた。。
「可哀そうに。きっと良くなるわ。せっかく海賊から逃げ出して来たのですもの。神々も死なせるつもりなら海賊の所で死なせていたでしょう。まだ死ぬ運命じゃないのよ」
「そうだといいんですけど」
コンスタンツィアはハンカチを取り出して涙に濡れるイルハンの顔を拭いてやった。普段のヴァネッサならあまり男が近づくのは良しとしない所だが、相手がまだあんまり男らしくない中性的な美少年だったので気を悪くせず相手を心配して必要な事を聞いた。
「それで警察には?」
「もちろん通報しました!レックスにも頼んで口添えして貰ったんですけど、目撃者のエディがずっと気を失ったままで詳しい事がわからなくて・・・」
エドヴァルドは初めのうちは意識を取り戻して多少話せたらしいがその後体調が悪化して昏睡状態になっていた。医者によるとまだ海賊に受けた傷が完治していない状態で消耗していた所にさらに追い打ちをうけ、淀んだ湖で何か悪い病気にかかってしまったんだろうということだった。
病院では外傷は治療出来ても、感染症についてはほぼ打つ手はなく、回復するかどうかは本人の体力次第とイルハンに説明している。コンスタンツィアが再びイルハンに質問した。
「貴方とレクサンデリはどういう関係なの?」
「えっと、エディの武術の師匠がレックスの所に口座を持っていて知り合ったんです」
女性の元帝国騎士シセルギーテの事だ。イルハンは大した縁も無いのに親身に付き添ってくれたレクサンデリに随分感謝しているらしい。
「でも金銭的問題は助けてくれなかったのよね」
「え、うん。それはさすがに」
情はあっても金、仕事に関わる問題についてはシビアらしい。
また聞き役に回っていたヴァネッサが素朴な疑問を口にした。
「でも、海賊と渡り合うくらいの王子様なんでしょう?そんな人をそこまで叩きのめすなんて相手は大勢だったんでしょうか」
「わかりません・・・あの廃屋を根城にした盗賊団がいたのかも」
「ああ、なるほど」
「どうかしら、ちょっと変ね」
ヴァネッサは納得したが、コンスタンツィアは疑問に思う。
あまり人の近づかない森とはいえ、帝国兵が巡回する白の街道が近いし、あまり大規模な盗賊団が根城にするとは考えにくい。
「まあ、捜査官に任せましょう。足跡があれば何かしら掴んでいるかもしれないし」
「そうですね」
◇◆◇
「お久しぶりです、先生」
「ああ、これはコンスタンツィア様。ご立派になられて、いったいどうされました?」
コンスタンツィアはイルハンを指し、彼に聞いてバルアレスの王子の容態を見に来たと伝えた。
「手の施しようがないというのは本当でしょうか?」
「ええ、外科医達は皆、最善を尽くしました。骨はそのうち元通りになるでしょうが、病状は深刻です」
「治療費が無く、彼にもバルアレス王国側にも払えない為、もう処置を放棄されたとか・・・」
コンスタンツィアは慎重に医師に実態を確認する。
「ああ、その件ですか。それはあまり正確ではありません」
「・・・正確では無い?」
「ええ、治療は終わっているのでこれ以上の措置は必要ありません」
「でも目が覚めないのでしょう?」
「はい、病院にいてもご自宅で静養していても状況は変わりません。私に任されているのは芍薬湯やケシ汁を飲ませて痛みを緩和してやる事くらいです。目が覚めない為、与える必要もあるかどうか疑問です」
オスラー医師に出来る事はコンスタンツィアの母同様に痛みを和らげ、死をみとってやる事くらいだった。イルハンは聞いた話とちょっと違うと口を挟んだ。
「でも会計課で、これ以上お薬を出せませんって言われたんです」
「ああ、それはきっとお薬ではなく栄養剤の事ですね。オルニッヒの蜜は品質によっては指先ほどの大きさのひと瓶で庶民の家庭なら数か月分の値段がするんです」
以前、来院した時は全額政府予算から治療費を出されたので惜しげもなく使っていたが、今回は政府から治療費出ないと知ると会計課は態度を変えた。
オルニッヒの蜜から作る薬は万能薬、死者も生き返ると言われるほどの強力な栄養剤で、今のエドヴァルドのように本人の体力次第といわれる状況では何が何でも欲しい代物だった。
病院はどうせ政府が払うと思っていたので、エドヴァルドの国の通貨でいえば2000万オボル以上既に使っていた。このままだと大赤字である。
「お金はわたくしが全額これまでの分も支払います。使って上げてください」
「コンスタンツィア様がおっしゃるならすぐにでも手配させます。どうか我々を冷たいと思わないで下さい。これだけの金額があれば助からない筈の命を何人も助ける事が出来るのですから」
「分かっています、先生。むしろこれまでのご厚情に感謝します」
「コンスタンツィア様の御理解を得られて嬉しく思います。ですが、今までも彼には栄養剤を与えていましたが、一向に回復しません。このままでは間違いなく衰弱死します」
「何が問題なのです?」
オスラーは答えず、病室に案内した。
そこではエドヴァルドが折れた足を固定され、全身を包帯で巻かれて昏睡状態のまま苦しんでうわごとを漏らしていた。
オスラーはその言葉を聞くように手振りで指した。
耳を近づけたコンスタンツィアはその内容に驚く。
「・・・たい」
「なに?」
「もう・・・しにたい。ははうえ・・・」
オスラーはこれでお判りでしょう?とコンスタンツィアに静かに伝えた。