第26話 ヴィターシャ・ケレンスキー③
ヴィターシャはノエムにつきあってとある店に潜入調査に来たが、聞いたほど別にいかがわしい店でも無かった。店内は明るく、品の良い音楽が流れていてそれを遮るほど喧噪に満ちている訳でも無い。
接待役の女性と違って給仕はよく訓練されており、そつがない。
店内では普通に貴族風のパーティ、時に茶会と裕福な平民客をもてなして楽しんでいるだけだった。女性達に求められるのは客をちやほやしていい気にさせてやる事だ。
貴族風のもてなしで満足する客はそれでよし、さらに深い付き合いを希望する客は別の店に誘導している。真にいかがわしいのはそちらの店だった。
ヴィターシャもここは調査しても大して問題は出て来そうにないと判断した。
ホステス役の女性達はたいてい元貴族やちょっと冒険してみたいとやってきた貴族の女性で、本当に生活費がない切羽詰まった女性はさっさと別の店に送られていった。この分ではリスタとやらも既にここにはいまい。
お店側から投資を受けていないヴィターシャはいつ辞めても問題なかったが、一応一ヶ月毎契約だったのでしばらく小遣い稼ぎに勤しむ事にした。
そしてある日、ヴィターシャ目当ての上客がやってきた。
そこらのおのぼりさんや小金持ちと違って本物の裕福な貴族青年だ。
彼は不服そうに言った。
「なんで、こんな店に?」
「あら、『知は力なり』というのがセンツィア家の家訓ではありませんでしたっけ?何故かわかりませんか?」
ヴィターシャと個室で密会しているのは皇家であるセンツィア家のガルバ。
ガルバに二人きりで話がしたいと言われた彼女は自分を指名させてこの店に招いた。
「報酬が必要なら情報料を払うつもりはあったんだが」
「現金を要求するほど恥知らずじゃありませんよ」
「なるほど。それで君はこの店から間接的に報酬を得る、そして店にも貸しを作るという一石二鳥を狙ったわけだ」
皇家の御曹司という上客を招いた事でこの店も格が上がる。
将来の為に自立資金を必要としているヴィターシャだったが、これまでも取材で現金を要求した事は無い。しかし、こういった間接的な報酬は得ていた。
「私は金払いのいいお客さんを店からあてがって貰う事が可能になり、他の女の子達に壁の花とか馬鹿にされたり大きな顔をされずに済むわけです」
「なるほどなるほど。私から単純に支払いを受けるよりこの店を介した方が今後の活動に役立つというわけだ」
「そういうことですね」
「では、そろそろ話を聞かせて貰おうか」
二人は本題に入った。
「さて、セイラさんに婚約者がいるかどうかでしたね」
「そうだ。イーネフィール公爵は将来、息子ではなく彼女を後継ぎにするという噂は本当かどうかも」
「最初の質問については『婚約者なし』次の質問は『不明』です」
ヴィターシャは勿体ぶらずに知っている事を答えてから音を立てずにお茶を飲んだ。
「おいおい、出来ればもう少し詳細に応えて欲しいんだが。これで終わったら君の価値を下げる事になるよ」
ヴィターシャはカップを置いてから頷いて答えた。
「勿論、先に結論からお伝えしただけで詳細な情報もお知らせしますとも」
「それはよかった」
「セイラさんに婚約者はいませんが、ご本人はフィリップ殿下との将来を望まれているようです。外国勢が彼女を娶れる可能性はかなり低いですね。というのも後者の質問に絡みますが彼女が継承権一位になるようですから」
「さっきは不明といわなかったかな?」
セイラがイーネフィール公家を継ぐ場合は外国人の夫は婿入りする事になる。こういったケースでは夫には何の権力も与えられないので形だけの結婚で別々の国で暮らす場合も多い。
「あの国はちょっと難しいんですよね。セイラさんのお兄様をご存じかと思いますが、お兄様が後を継ぐ可能性もまだ残っています。お二人と直接話して伺った所ではセイラさんが継ぐ可能性が高いみたいですが家臣団はやっぱり男性の当主を望んでいるみたいなんですよね。まあ現当主もまだ若いですからそんなに焦る事は無いんじゃないかっていう雰囲気みたいです」
「まだ時期尚早ということかな。それにしても東方圏の王侯貴族にしては婚約発表が遅いんじゃないか?」
兄フランツは16歳、セイラは14歳で、他の留学生の場合はぼちぼち婚約者がいるからとかで異性が近づくのを拒否する者が出てくる年齢だ。
「だいたい15歳が節目みたいですね。16歳のフランツ様がまだである以上セイラさんも当分発表は無いと思います。お母様のプリシラ様が帝都に留学時代、南方の宝石王に無理やり嫁がされそうになって天馬寮監の家に逃げ込んだ話はご存じですか?」
「ああ、勿論」
セイラをどうにか娶れないかと探っているガルバは当然、親族の事も調べていた。
「なら話が早いですね。プリシラ様はどうやら子供達が学院を卒業するまで婚約を押し付ける気はないそうなんです」
「そうなのか?東方圏では父親が娘の婚約について完全に責任を持つのでは?」
「プリシラ様がイーネフィール大公位にありますからね。お父様の方は名誉称号だけで領地をお持ちじゃありませんし」
「父君のリカルド殿はフランデアン王の片腕の筈だが・・・」
ガルバはセンツィア家からリカルドの方に婚約を取り付ける為、打診していたのだがそれは無駄だった事になる。
「リカルド様も戦争中に敵国の姫を娶ってしまったので子供達に自家の都合を押し付ける気はないようです。自由恋愛を許しておいて息子に妹の傍に男を近づけるなと命令したそうで矛盾してますよねって侍女が笑って話してくれました」
「侍女?誰のかな」
「フランデアン系の方々がお住まいになっている翠玉館という御屋敷の侍女です。私も巡礼中に会ってからちょっとした知己になりまして」
「なるほど、大分近い筋からの情報というわけだ。だが、侍女風情の言う事など信用出来るのか?」
「侍女といっても亡国の王家の血筋だそうですよ。東方候の宮殿でしばらく匿われて勤め上げ、王室の事情を深く知っています」
茶目っ気の多く、口が軽い侍女だが黙っていればバレないだろうとヴィターシャは少しばかり大袈裟に言った。
「では、フランツ殿にはフランデアン系の貴族の子女と懇意にして貰ってセイラ殿に直接求婚した方が確実という事か。向こうのしきたりに礼を払って却って馬鹿をみたな」
「まあ正式な手順を踏んだ事を伝えれば悪い気はしないと思いますよ。でも今は無駄だと思いますが」
「というと?」
「セイラさんはフィリップ様にベタぼれですからね。初恋だそうです」
今アピールしてもうっとおしがられるだけだろうとヴィターシャは伝えた。
「じゃあ、どうすればいいと思う?」
「私は恋愛相談の相手じゃありませんよ・・・。仕事は終わりです」
ヴィターシャは呆れた口調を隠そうともしなかった。
「まあまあそういわずに。君ほど話しやすくて彼らの館の内部情報にも通じている帝国貴族の女性はそうはいない」
ガルバはそうヴィターシャを持ちあげたが、ヴィターシャはジト目のままだ。ガルバはヴィターシャの口を軽くするため、ベルを鳴らして給仕を呼び追加の注文をした。
食べ物というよりほとんど芸術作品のように凝った形の菓子が届く。
「はあ・・・仕方ないですね。セイラさんは割と勝気ですし、妨害すればするほどのぼせあがってフィリップ様にのめり込んでいくと思いますよ」
「打つ手なし、じゃあ困るぞ」
「東方の詩聖王子がセイラさんを讃えた詩を作り、それから求婚したそうですが、それも断られたみたいです。大恋愛の末に結婚されたご両親に憧れているみたいですし、財力や権力でも駄目でしょうね。初恋の目を覚まさせるような大事件でも起きないと駄目なんじゃないでしょうか」
ヴィターシャの視点ではフィリップ王子の血統はいいが、男性としては魅力を感じていない。セイラに求婚した詩聖王子も他の王子達も皆フィリップよりも自分がいかに素晴らしいかをアピールしたが全て玉砕した。
「セイラ殿は政治的な問題でフィリップ殿下に入れ込んでいるわけではないんだな?」
「政治的な問題もあってフィリップ様に入れ込んでいるのは確かだと思いますよ。家臣の人達もそう話していますし、でもそうなら弟のシュテファン様でも構わない筈なんですよね。むしろ年下のシュテファン様をウルゴンヌ、イーネフィールに招いた方が操りやすいでしょうし」
「なるほど参考になったよ」
「では、私からも一つ質問をよろしいですか?」
ヴィターシャは今回金銭的な報酬以外にもコンスタンツィアからの指示を果たす為に欲しい情報があった。
「勿論、何でも聞いてくれたまえ。また協力して貰う時まで覚えていてくれるなら」
「ええ、わかりました。では・・・」
わかったとは言ったが、ヴィターシャは即座に忘れる事にした。
ただの口約束であるし、また機会があったらその時に報酬は報酬で要求しようと考えている。
「では、ガルバ様にとって理想の皇帝とされている方は何方ですか?皇帝になったらどのような政策を実行したいと考えていますか?」
「理想としているのは祖父ティンバーだな」
「あれ?お爺様は皇帝では無かったような・・・」
「では該当者なし、だ」
「理由をお尋ねしても?」
「正確には祖父が皇帝になったらやろうとしていた事業を実現させたいといった所かな。後者の質問が無ければ近衛騎士サガの名を挙げていた」
そちらも皇帝じゃない、とヴィターシャは文句を言った。
「新帝国の礎を築いたサガは実質初代皇帝のようものだろう。帝都の人口は約500万、あまりにも人々は密集しすぎている。サガに習って新しい中核都市をいくつか建設して移住させてもいいのではないかと考えている」
「なるほど、その場合はどこに?まさかご自分の私領に?」
「いや、皇帝属州で良いと思う。どうせ我が家は弱小皇家、利益誘導をしようとしても誰もついてこないだろう。それより帝国全体の為にも地震の多い帝都への一極集中を失くしたい。マナの希薄化の問題もあることだしな」
ガルバは候補として旧スパーニア王国の都や、帝国南東部の都市、あるいはサウカンペリオンの沿岸部を列挙した。何処も物流や海運の中心となる都市でもともとある程度開発されている。
「では、ティンバー様の名を出した理由を伺ってもいいですか?」
「ああ、祖父は選帝選挙中に工部省を任された時、魔術による広域情報通信網への投資と開発を促していた。今の世の中ではより正確で詳細な情報をいち早く握った物が勝者となる。それを帝国が支配すれば今後も帝国の世は盤石となるだろう」
帝国の財政基盤を揺るがした内海貿易事件の様な詐欺、不正行為による被害拡大防止は勿論、各地の気候、収穫量をいち早く知る事で相場を操る事も出来る。
ガルバは帝国がこれまで高速道路である白の街道を全大陸に張り巡らせ、諸国を分断し、交易を独占し、いち早く各地の不穏な情報を得て軍団を急行させて未然に防いできた事が帝国が強大化した一因だと力説した。それをさらに強化したい。
「だが、魔術による強引な航行を可能にした快速船を諸外国も持つようになり少しずつ帝国の優位は失われていっている」
「転移陣は帝国が独占しているじゃないですか」
「転移陣を使えば大陸の端までは一瞬で行けるが、費用は高くつくし行ける場所は転移陣がある場所だけだ。それに新設は出来ないらしい。そこで魔術による情報中継技術を早期に確立して独占すればそれを代替できる。人も、物も直接送る必要はない。他国に開発される前に我々が開発して独占すべきだ」
「なるほど。それでティンバー様が行われていた事業は中断されてしまったのですか?」
ヴィターシャはガルバの考えに同意したが、祖父が開発に尽力していたのにまだ実現されていないという事は不可能だったのではないかと思った。
「どうも軍が横槍を入れたらしい。実験段階で他者に情報を盗聴される恐れがあるといって機密を傍受されない技術を確立するまでは世に出せないことになったとかでな。それまでは軍用とし、広くは公開しないのだとか」
ガルバもそれ以上詳しい情報は持っておらず、自分が選帝選挙に名乗りを上げ、責任者になって情報開示させたいとの事だった。
「なるほど」
ふむふむとヴィターシャは頷いた。他の候補者よりも面白い回答が得られた。
惜しむらくはセンツィア家が弱小皇家なので議会が皇帝候補者として選んでくれるか微妙な事。こうもはっきり発言しては軍から危険視されてよりいっそう選挙に残りにくそうな事だった。
「頷いているが本当に分かっているのかな?」
「といいますと?」
「帝都の人口が過大になっているのは人も物も集まり、密集している分情報も集まっているからだ。そしてその情報欲しさにまた人が群がって来る。何処にいても正確無比な情報が得られるのであれば、毎日毎日何千人も集めて馬鹿みたいに宴会騒ぎをする必要もなくなる」
「連鎖を断ち切りたいという事ですね。よくわかりました」
「そういうことだ、納得いったようだな」
「ええ、個人的には是非ガルバ様に将来皇帝になって頂きたいですね。コンスタンツィア様への報告書でも少しばかり加点しておきます」
ヴィターシャが割と真剣にそう思ったのか、ガルバは嬉しそうにうなずいた。
「ではもうひとつお願いをいいですか?」
「この際だ。なんでも言ってくれ」
ガルバは気前よく応じた。
「ラキシタ家のボロス様と親しいと伺ったのですが、紹介して頂いてもよろしいですか?」
こうしてヴィターシャは次から次へと皇家の少年達に取材を重ねていく。
◇◆◇
お供がいない時、誰かと二人きりになろうとしないという噂のボロスをガルバの協力でどうにか掴まえてヴィターシャは同様の質問をした。
「で、何でしょうか」
「お忙しい所を済みません、すぐに済ませますから。将来目指す理想の皇帝像、尊敬している皇帝について教えて頂けますか?」
「私は歴代皇帝全てを尊敬していますよ」
「あ、そうですか。特にこれはという方はいらっしゃらないんですか?」
自分の祖先の名を挙げるかと思ったが、そういう回答は出てこなかった。
武門一筋の家柄なので軍功の多い皇帝を挙げるかと思えばそれもない。武功を挙げた皇帝も内政の欠点があるとかで一長一短。欠点の多い皇帝と言われた人も後世には評価されている場合もあり、やはり尊敬できる分もあるという。
そんな事は分かっていて質問しているのにつまらない回答だとヴィターシャは途中で取材を切り上げた。




