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荒くれ騎士の嘆き歌  作者: OWL
第五章 蛍火乱飛~前編~(1430年)
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第10話 渡航

 新帝国暦1430年2月のこと。

エドヴァルドはメーナセーラに船の手配をして貰ったが、社会勉強と思って港で渡航費用を尋ねてみた。すると二週間前よりさらに値段が跳ね上がっている。


「帝都まで200万オボルだって?高すぎる!」

「一番安い部屋なら40万でいいぜ」


それでも高い、とエドヴァルドは唸った。


「おいおい、お坊ちゃん。急ぎなんだろ?この船なら一週間で着けるんだぜ。魔術師の先生方が24時間交代で船を進ませるからな」


どうやら発券係はもぐりの魔術師による快速船を案内しているようだ。

おそらく案内料もかなり取るつもりだろう。


(エディ、たぶん密航させるつもりだよ。絶対駄目だからね)

(わかってる)


到着はぎりぎりになってしまうが、正規の船で帝都につけるのだからどうしても急がなければならないほどではない。


「アルシア王国の首都なのにそんなに旅客船が少ないのか」

「この前出たばっかでな」


相手が貴族だとわかっているのにぞんざいな口の聞き方だった。


「ヴェッターハーンまで周るのは面倒だ。他に船は無いのか」

「坊ちゃん、そんなに金が無いのか?」

「金はあるが、銀行が無い」


シセルギーテから銀行口座を自由に使ってよいといわれて委任状も預かって来たが、まだ下ろせていない。


「仕方ねえな。手持ちはいくらだ。バルアレスのお坊ちゃん」


舐められないように一張羅を着て来たせいでバルアレス王国の出身だとバレてしまっていた。エッセネ地方の太守となった時の祝いの品として形式的にベルンハルトから祝いの品を贈られており国章の刺繍が施されていた。国章は森を意匠化したもので、後から縫い付けたエッセネ地方の紋章も雷で出来た大樹をイメージしたものだった。


「10万だ」

「しけてんなあ、そりゃあ快速船に乗るのは無理だな」


エッセネ地方の農民の半年分の稼ぎを持ってきて不足するとはエドヴァルドは思わなかった。割と民衆に近い暮らしを送って来たのだが、相場にはまだまだ無知だった。これではお坊ちゃんと言われても仕方ない。


「まあ、貨物船なら出てるが貴族のお坊ちゃんが乗るような船じゃないぜ。どうしてもというなら捻じ込めないか聞いてみてもいいが」

「いや、必要無い。貨物船ならもうアテがある」


 ◇◆◇


 エドヴァルドはメーナセーラの使いに乗船予定の船の船長を紹介して貰い、出国手続きを取った。船長は水夫と同じ船室で寝泊まりし仕事もこなして貰う事を条件とてエドヴァルド達に乗船許可を出した。


「寝てる間にケツを掘られないよう注意しな。奴らは山羊でもなんでもいいって連中だからな」


船長はエドヴァルドに忠告した。

以前に遭遇した傭兵もそんな事をいっていた事を思い出す。


「子供だと思ってあまり舐めた口を聞くなよ」


エドヴァルドはぬっと魔石を埋め込んだ拳を突き出した。

血のように赤い魔石が手の甲に輝いている。

貴族でも滅多につけておらず、職業軍人の魔導騎士も同然の為、一般人が目にする機会は少ない。とはいえ世に詠われる機会が多いので察しの良い物はそれとわかる。


「へぇ。ただ者じゃねえってわけだ。貧乏国のガキがそんなもん付けて貰えるとは驚きだが、やっぱお坊ちゃんだな」

「なんだと?」


エドヴァルドは手持ちの棍を固く握りしめた。

握りしめた時にきしむ鈍い音を意識しながらも船長は態度を変えなかった。


「俺ァ、何十年も海の上で暮らしてる。貴族なんか乗せた事もねえし、俺の仕事にそんなモンの相手する契約は入ってねえ。礼儀知らずとか言われる筋合いはねえ。無理を押し込んで来てるのは坊主の方だ。それでも俺ァ親切にも忠告してやってるんだぜ」


エドヴァルドはそれを聞いてふむ、と一思案した。


「わかった。言葉使いは許すがお前は祖国を侮辱した。それは別だ」

「わりいな、周りは憎まれ口を叩く奴しかいないんでな。これが通常営業なんだ。詫びといっちゃあなんだが、真面目な忠告だぜ、よく聞きな。最下級の水夫共はこれから二十年とか三十年、日当で100ずつしか払われねんだ」


エッセネ地方の小作農よりもさらに低い。

彼らは一ヶ月2,3万は地主から支払われるし、日が暮れれば集まって酒を飲んで騒ぐ程度の余裕もある。


「奴隷以下じゃないか!一ヶ月働いてようやく小麦一袋買えるかどうかだなんて許されるのか。とても生活出来ない」

「船の上じゃ飯は商会から出るから金を使う機会なんかねえよ。休暇もねえ、港に着いても下船許可は出さねえしな。僅かに倉庫と船を往復するのが許されるだけさ」

「酷過ぎる、人非人にんぴにんめ!」


風神の眷属である人非人にんぴにんは翼のある獣人の姿とされる。

本来悪口に使われる対象ではないが、なまじ人に近く蛮族じみた姿の為に帝国によって貶められた。完全に獣の姿の神獣を尊ぶのは許されるのに人に近いからこそ蔑まれるとは皮肉な事である。


「しょうのねえ坊ちゃんだなあ。俺も商会に雇われて船長やってるだけなんだぜ?俺ァ船主じゃねえ。俺をなじって何になるんだ?あの馬鹿な水夫共はよくよく内容も確認せず十年単位で契約しやがった。物価が上がる事も、世の中の変化もアタマに無かった。腕が立っても間抜けじゃ生きていけねえ。坊主は暗闇で揺れる船の中で満足に力を振るえるのかよ?後ろからいきなり棍棒で殴られても平気か?奴らはもう人生に絶望してる、柔らかい肌と穴がありゃいいんだ。死体でも構わねえのさ。俺ァ間抜けの後始末するのは嫌だぜ。帝都に着く前に死んでたら海から放り捨てるからな。それでも良けりゃ乗りな」


メーナセーラはエドヴァルドに出来るだけの事をしてくれたが、やはり彼女もお姫様であり、市井の事をわかっていた訳ではない。

現実問題としてこんな船にでも頼らないと渡航出来ない社会情勢だった。


※人非人

人でなしの意味で用いられるが、天竜八部衆である緊那羅から来たものである。半身半獣のインドの神で仏教に取り込まれ護法の一柱として尊崇されるもの。


本作品においては獣人と敵対する帝国側の価値観が従属国に及んでいる事を表現する為に持ち込まれた。

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2022/2/1
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