第15話 選帝侯の孫娘③~神殿領へ~
「レクサンデリ、まだついてくるつもりなの?」
自由都市近郊での観光に何故か彼もついて来た。レクサンデリと用があるといえば引き下がるので地元有力者の弾避けには便利だったので彼女も別に構わなかったが、巡礼にもしばらくついてくるという。
「君が心配なんだ」
「嘘ね。さっさと仕事に戻ってくださいな」
「嘘をつく理由などないさ」
コンスタンツィアの見る所、レクサンデリは明らかに嘘をついているが、それが何故なのかはわからない。
帝国に多くの食糧を供給してくれているイーネフィール公の娘を将来娶るつもりなのかと疑っている。数年経てば似合いの年頃だろう。
「何でもかんでも色恋沙汰に結びつけるのが君らのよくない所だ」
「君ら?」
「あちらもあちらでいろいろあるのさ」
「分かったような事をいって・・・。不便な旅暮らしが嫌にならないの?」
コンスタンツィアは蛇口を捻れば水がでるような水道もない所を旅したくはない。一番厄介なのは排泄の問題だ。ヴェッカーハーフェンにはまだ帝国と同じような水洗トイレがあるが、今後はそうはいかないだろう。
しかし、レクサンデリはそういった旅の不便さは気にならないという。
「いいや?むしろこれこそ人生だという気がするね。寒さに耐える為に手持ちの道具で工夫し、水や食糧を安く買う為に交渉する。浮いた金でささやかな贅沢をする。ああ、まさに今、私は自分の人生を生きているのだと実感する」
「でも将来皇帝を目指すのよね?」
「無論そうだ、これまでの経験を生かす為に、帝国に比類なき繁栄をもたらす為に」
拝金主義者、自家の繁栄を優先して帝国本土より海外活動に積極的なアルビッツィ家からこんな台詞が出て来るとは意外だった。
「疑わしいわね」
「意外か?万人を富み栄えさせてこそ我が家の繁栄がある。帝国を栄えさせたければ、諸国にも繁栄して貰わねば。人類の中心地は帝国本土なのだ。人も金も物もあらゆるものが帝国に流れ込む。帝国により多くの富を送り込むには諸国にも恩恵をもたらす必要がある」
コンスタンツィアは話半分に聞いておいた。
◇◆◇
いくつかの神殿が密集している神殿領に着いて予定通り詣でたが、一つの神殿に寄らずに通り過ぎようとした時、ヴァネッサがコンスタンツィアの袖を引いた。
「コンスタンツィア様、ノリッティンジェンシェーレ様の神殿ばかりではなく妹神シレッジェンカーマ様の神殿にも参りませんと」
「え、カーマ様の神殿にも?」
それは予定に入れていなかった。
大神ノリッティンジェンシェーレの妹神シレッジェンカーマは愛の女神である。
そのカーマ神殿の教える所は『愛を求め、性技を極め、喜びと共に命を育むべし』
シレッジェンカーマ神の信徒は今や激減し、大地母神の神群の中では異端のように扱われている。
「大神の妹神ですよ?偏見はいけません。もう唯一信教はいないのですから遠慮なくお参りしましょう」
カーマは神話の中で何百といいう愛神がいた神であり一夫一婦制が確立された帝国では古い神の過激な信仰は下火になっていった。
寄進が減ったカーマの神殿では神聖娼婦の活動が増えて減収を補った。
そして新興宗教の唯一信教からは不道徳な神を信仰し、疫病をもたらす集団だと叩かれ宗教戦争が勃発した。
「まあ確かに信仰が禁止されたわけではありませんし、構わないのではないですか?」
ヴィターシャもヴァネッサに同意した。どうせまだ暇である。
コンスタンツィアもまあいいかと立ち寄る事にした。帝都ではなかなか寄り辛い神殿であるので好奇心も沸いた。男性の入場は遠慮して貰って女性達だけで参拝する。
出迎えたカーマの女神官は中年の女性だったが、性愛の女神の神官であるからか心なしか色っぽい。
「ようこそいらっしゃいました。コンスタンツィア様。お母上のお加減はいかがですか?」
「母をご存じですか?」
こんな所に母の知り合いがいるとは意外だった。
自由都市から近いとはいえ白の街道はこの先行き止まりである。
近くの神々の森に巣くう魔獣も多く、沿岸部の地形も入り組んでいて打ち寄せる波が激しく港も無い。帝国軍も古代にここから南に上陸して東方圏を攻撃するのは諦めた。
「もちろんですとも、エウフェミア様も昔ここで同胞となりました」
「母はシレッジェンカーマの信徒だったのですか?そんなことは聞いた事がありません」
「本土では偏見がありますから言えなかったのでしょう」
「では、貴女も黙っていてください」
神聖娼婦の活動は行われていないようだが、同一視されては困る。
「もちろん、広めたりはしませんが偏見をお持ちでしたら、解いておきたいと思います。かつての信教の目的は『唯一絶対の神』への信仰を拡大する為に旧教全体を破滅へと追い込む事であり、シレッジェンカーマ様が攻撃されたのはその口火にするのにちょうどいい標的だったからに過ぎません」
「昔の話はわたくしには関係ありません。今の帝国は一夫一婦制であり、カーマ神の事は尊重し敬いもしますが、生き方としてありえません」
コンスタンツィアは宗教問題に関わりたくはなかった。巡礼も母を想ってこその旅である。
「愛を知らぬ者に愛を与え、子を望む者に子を与える。それが私どもの役目です。ここ東方圏においては代理出産を担う事もあります」
「・・・代理出産ですか?」
「はい、ここ東方圏においては父親の権力は絶対です。しかし子に恵まれなかったといって離婚することは相手の父親が許しません。神に永遠の愛を誓ったにも関わらず離婚が横行する帝国人の方こそが不道徳とみなされます」
「そこで本妻の代わりに報酬を得て産むというわけですか?」
世の中いろんな考え方があるものだとコンスタンツィアは驚く。道徳とは何であろうか。神に誓ったからといって離婚せず、愛してもいない女性に子供を産ませるのが正しいのだろうか。
「報酬を得ても子を産むのは楽な事ではありませんよ。血を継承していく事の必要性は方伯家の方ならばよくお分かりの筈。不道徳な娼婦達と違って神聖娼婦は愛を知らぬ者に愛と子を恵むのが本来の役割です」
「しかしながら報酬を得るのが目的になっていたからこそ信教に攻撃されたのではありませんか?」
「確かにその通りでしょう。信徒でも何でもない者が神殿に集まり過ぎました。私達は本来の信仰を取り戻し、地上に神の愛を広め、再び子供達で栄えさせる事でカーマ神への償いとしたいと思います。一人しか愛したくないのであっても良いのです。シレッジェンカーマほどの大きな愛を私達が持てずとも非難されることはありません」
コンスタンツィアの考え方に少しは変化はでたものの、まあご自由にという心境だった。帰り道にヴァネッサからこっそり話しかけられた。
「コンスタンツィア様は近年帝国で少子化が問題になっている事をご存じですか?」
「いえ、そうなの?」
五都市から構成される帝都の人口は数百万であり、とても人口が減っているとは思えない。
「はい、家系図をみるとお爺様やその前の世代は御兄弟が大勢いましたが、最近はどうですか?双子や三つ子が生まれる事も減りました」
「そういえば・・・そうね。お父様の兄弟の話も聞いた事が無いわ」
「でしょう?子供を授けて下さるのでしたら私シレッジェンカーマ様を信仰しようと思うんです」
「あらあら、決まったお相手でもいるの?それとも悦ばせたい相手かしら?」
コンスタンツィアはちょっと意地悪くいった。子宝を授けてくれる神なら他にもいるのでカーマでなくてもよい。今日の訪問先でも大きなお腹の神像を撫でていく女性がいた。
「候補者は何人かいますけどね。そんなことより大神の妹神ですよ?復権すればきっと信徒には大きな恩恵が神から与えられると思うんです」
「まあ!」
打算まみれの台詞に非難の声があがる。
コンスタンツィアは打算からの信仰で神の加護が与えられるのだろうかと疑問だったが神話を思い返してみると神々も精神性は人間と変わらず愛憎に満ち、行動も欲深かった。なら神の子である人間が同様の行動をとっても案外怒らないかもしれない。
◇◆◇
神殿領には太陽神モレスの神殿もあり、これまで護衛がてらつきあって貰ったのでレクサンデリと一緒に彼女達もお参りした。
「あら、可愛い」
ヴィターシャがモレスの神像を見てくすくすと笑った。
「ほんとですね。ちっちゃいです」
ヴァネッサも同意する。
「あら、まあ」
コンスタンツィアもソレを見て笑っているとセイラが怒りだしてしまった。
これまで割と仲良くして親交を温めていたのに急に不機嫌になったのでコンスタンツィア達は困惑している。
「こらこら、お前達。ここは帝国じゃないんだ。あまり帝国人の評判を悪くするような真似は慎んでくれよ」
「でも、ねえ?」
モレスといえばたくさんの種を蒔いた創造神。
帝都では男根だけを象徴した男根像が信仰の対象として、万物の根源スペルマータとして崇拝されてもいる。豊穣多産を象徴とする大地母神との相性もよく、古代に比べれば少なくなったが信徒も多い。
「モレスさまのアレがあんなにちっちゃいわけないじゃないですか」
ヴィターシャがいう。
「それは帝国の常識だろう。古代帝国が征服した際に神話を再編纂して彼らの信仰を歪めてしまった為に、本来の信仰が失われているんだ。それに新帝国時代に入ってからも唯一信教の聖像破壊運動で壊されてしまったからな。作り直したんだろう」
「だからってなんであんなに小さくなるのかしら?ひょっとしてアレが普通なの?」
実物を知らないのでコンスタンツィアは帝都の神像が常識なのかと思っていた。
「いや・・・そんなことは無い」
「本当かしら?最近はもう何が普通なのか分からなくなってきたわ」
「お前が方伯家のお嬢さんで無かったら時間をとっても良かったんだが」
「ふうん、お眼鏡には叶っているわけね」
レクサンデリは容姿としてはコンスタンツィアを好んでいる。ただ、手を出せる相手ではないと割り切っていた。このやりとりの間、レクサンデリの従者のジュリアという女性がレクサンデリをちょっと睨んでいた。
「さて、アレが小さい理由だが」
彼はこほんと咳払いしてから話を続けた。
「学者によると東方圏の人々は性欲を表に出すのを避ける傾向にある。生命のあるべき姿、目的からすると奇異な事だが、これが彼らの文化だ。その象徴とされるアレも小さくなる。そして一部の神々の場合性別がわからなくなっているものもある。これは我々のせいだな」
征服期が終わった後、帝国が全世界を直接統治していた神聖期に二千年かけて神話を再編纂して統一聖典を作り古代の伝承を遺跡ごと破壊してしまったので、名前や性別が滅茶苦茶になって後代に伝わってしまった。
「その結果、男神だった女神だったり両性具有に変じる神まで信仰され性の特徴が失われていった。より完全な神ほど性の特徴が無いとされる。まあ東方圏は広いので地域差はあるがそういうことだ」
「なるほどね。理解したわ」
コンスタンツィアにもようやく納得がいってカルチャーショックも和らいでいく。
「そういうことだから、アレを確認したいとかいいだすなよ?」
「言いません!」
淑女にあるまじきことについコンスタンツィアの語気が荒くなった。