第5話 拳聖ヨハンネス
エドヴァルド達はアルシア王国内を海へと向かって進んだ。
絶対君主制のアルシア王国内は貴族の領地ごとの関所も無く、賄賂を贈らずとも州境を問題なく通過できた。
「いやー、文明国は違うねえ」
「イリーの国は違うのか?」
「ボクの所も近所の国もてんで駄目だよ。入市するのに賄賂贈らなきゃ延々と検査長引かせて大行列なんだ」
エドヴァルドは自分の国はどうだったかな、と思い出してみてもさすがに自国の王子相手にそんなものを要求する兵士はいないので外国に出て見なければわからないことだった。
通行税は領主達の重要な資金源であり、関所の兵士、監督している役人にとっても私腹を肥やす為に無くてはならないものだった。タチの悪い役人がいる場所の情報は商人達に共有されて避けられる。商人達は遠回りしても出来るだけ面倒の少ない場所を通り予定外の出費は避けた。封建社会が続くバルアレス王国では上からの命令では簡単にしがらみを断つ事は出来ず発展から取り残されている。
帝都に行くためにはアルシアの王都のすぐ近くにある港町まで行く必要があり、都内もあっさり通過したのだが、小さな子供も綺麗な学生服を着ていて通学中のところを見かけた。
「やっぱうちとも違うな・・・」
バルアレス王国は貴族連合国家に過ぎないが、アルシア王国は絶対的な権力を持つ王がいるだけあって、道中の諸都市も王都も学生には同じ制服が使われている。
農業国であり、東方職工会の小さな商会の親方が牛耳るバルアレスでは画一的な制服、工業製品はあり得ない。
「別世界だよね。大陸の西と東の端の差でしかないのに」
東方圏から出た事がないイルハンにとっては東方大陸が世界の全ての為、アルシア王国が既に世界の果てのような場所だった。エドヴァルドにとっては隣国とはいえ、やはり文明の差が大きい。
一般の宿にも大きな風呂があり、井戸から汲んだ水ではなく水道から注がれた水が温められて提供されていた。技術的には帝国から提供されたものだ。
「昔、さっさと帝国に降伏したから優遇されてるのさ」
苦い思い出ばかりとはいえ、エドヴァルドにも郷土愛はあり自国よりアルシア王国が発展している事があまり面白くない。
「お隣なのに仲悪いんだ?」
「・・・そんなに簡単に片付けられる仲じゃない。姉さんはこの国にいるしな」
レヴァンかヴァフタンのどちらかが王になっていればこの国とも協力していけた筈だが、二人とも他界してしまった。イルハンにはまだそこまで深い事情を話せず適当に言葉を濁して先を急ぐ。
◇◆◇
港へと続く街道を歩んでいると、向こうから走って来る男がいた。
飛脚でもないのに街道を徒歩で走る男は珍しい。それに男は追いかけられているようだった。
「なんだろ?」
「とりあえず道をあけよう」
関わりたくないので道をあけたエドヴァルドだったが、集団の後ろから追いかけてくる騎兵が道を塞げ、そいつは犯罪者だと怒鳴っているので他の通行人の何人かが道を塞いで協力した。
「なんか犯罪者なのかな?お爺さんだけど」
走っていた集団の先頭にいた年寄りは道を塞がれて止まり、後ろの衛兵らが囲んだ。騎兵も馬を下りて、剣を抜いてその年寄りに突きつけた。
「あいつ、魔導騎士だ。イリー、もうちょっと下がろう」
エドヴァルドは腕を引いてイルハンに距離をとらせた。
むろんその魔導騎士はエドヴァルド達に一切関心を示しておらず、警戒する必要はなかったが騎士の実力がわからないうちはその力でどんなとばっちりが飛んでくるかわからない為、エドヴァルドは距離をとる必要があると判断した。
民衆らは獲り物が始まりそうだと喜んでいる。
このあたりの庶民の精神性はバルアレスともたいして変わらない。
騎士は老人に向かって宣告した。
「さあ、大人しくついて来て貰おう。感染拡大防止の為、貴様は隔離所で待機して貰う」
「嫌じゃ!あんな所に押し込まれたら死んでしまう。絶対に御免じゃ」
「嫌が応もない、拒否するならこの場で処刑する」
「はっ、やってみるがいい!」
道中にも疫病が広まっているという話はあったが、辺境地方では日常茶飯事なのでエドヴァルドは出発時にイザスネストアスらに言い含められたように出来るだけは衛生に気を付けてきている。そのおかげか道中はずっと健康でいられた。
一方、他の野次馬は感染者がどうのこうのという話を聞いて、慌てて老人から離れて逃げ出した。濃厚接触者判定されたら自分も隔離所に閉じ込められてしまうので関わり合いにならないのが一番だ。
挑発された騎士は斬りかかったがエドヴァルドの見る所多少は手を抜いている。
この時点ではあまり魔力は籠っていないので常人としての力を振るっていた。
老人は剣を難なく避けて、ついでに肘裏をポンと叩いて押すと騎士は剣を取り落としそうになり、その滑稽な仕草に野次馬が笑う。
「おのれっ」
騎士は怒って肉体を強化する為に本気で全身に魔力を漲らせ始めた。
「イリー、もっと離れておこう」
身体能力が強化された魔導騎士は重武装の状態でも一瞬で距離を詰めてくる為、エドヴァルドはさらに警戒を強めた。だが、老人の方は腕に覚えがあるのかあくびを噛み殺して余裕の構えだ。
騎士は神速で突きを放ったが、老人はあっさり躱した。
続く連撃も、なんなく躱していく。
「すげえ、予め攻撃を予測しているみたいだ」
老人の体に一切魔力は見られない。
それに騎士の攻撃は肉眼でみて躱せる速度ではない。
老人が躱すだけで反撃しないとみると騎士は大きく振りかぶった一撃を放とうとする。避けても、剣の間合いから逃げ切れないようにする為に一気に踏み込むつもりだ。
動きが変化したのをみた老人は逆に距離を詰めた。
剣を振るう前に肩の一点を指で突いてその動きを止めてしまう。
動作の支点となる部分の動きを止められると、剣は目標を外すばかりか魔力も無駄遣いだ。
騎士の体に込められていた魔力が雲散霧消していくのをエドヴァルドは視認した。
騎士が躍起になって魔力を全開にすればするほど、浪費が激しくなっていく。
「あのお爺さんって普通の平民だよね?」
「ああ、だが魔導騎士との戦いに慣れているみたいだ」
イルハンとエドヴァルドが見守る中、騎士は魔力が尽きて常人と変わらない状態になってしまった。
こうなると重武装で疲れ切った男と涼し気に立っている拳法家でしかない。
勝敗は歴然としており野次馬は老人に喝采を浴びせた。
「儂の勝ちじゃな。では行かせて貰う」
「無念」
騎士は項垂れて敗北を認めた。
平民に負けた屈辱からか、握りしめた拳をぷるぷると震わせている。
群衆は立ち去ろうとする老人に道を空けながら口々に褒め称え、逆に騎士を嘲弄した。騎士の従士らは怒って群衆に槍を向けるが騎士は止めた。
「主命を果たせないとは恥じ入るばかり、何を言われても仕方ない。無念だ。先祖に会わせる顔もない」
騎士はそういって剣を逆手に持ち今にも自刃しようとした。
「待てっ」
エドヴァルドは思わず止めに入った。
イルハンと再会して心和んでいたいた為か、普段よりも彼の心優しい面が現れて、自殺を止めた。魔力を全開にして瞬時に踏み込んで棍で剣を払ったので、突然現れた少年に周囲は驚いた。
騎士の方はそれに驚かずに慨嘆する。
「このような生き恥は耐えられぬ。死なせてくれ」
「あんたは先祖に会わせる顔も無いと言ったが、あんたが死んだら誰が祖霊を祀るんだ。その方が不孝じゃないか」
「そうじゃ、何も死なんでもよかろう」
老人も戻って来て慰めた。
周囲の群衆もちょっと調子に乗り過ぎたと気まずい顔をしている。
騎士は頭を振って二人に答えた。
「しかし他に生き恥を雪ぎようもない」
エドヴァルド達は老人を責めるような目でみた。
騎士は職務に従っているだけで、非があるのは老人のほうだ。
「ああもうわかったわかった。ついていけばいいんじゃろ。しかし何処かに宿を取るから個室で待機させてくれ」
「あ、そういえばあんた感染者なんだっけ」
エドヴァルドは慌てて距離を取る。
「なんじゃい。今さら。儂はいたって健康そのものじゃ。こう見えても医学書だって出版しておるんじゃぞ。じゃからこの国の指示には従えんのじゃ」
「へえ、人は見かけによらないな。有名人なのか?」
魔導騎士に勝てる平民なのだからただ者の筈がない。
そんな簡単な事もエドヴァルドはすぐに思い至らなかった。
「おうとも、儂はヨハンネス。人呼んで拳聖ヨハンネスじゃ」
エドヴァルドは思い出した。
師イーデンディオスが持ってきた『人体機能論』の著者の名前だ。
かつてシセルギーテと共にその書を参考に人体の急所、そして肉体鍛錬法を学んだのだった。
※祖霊
祖霊を祀る子が絶えた時、先祖は地獄に落ちると言われる。
国によっては守護神、すなわち神と同格と崇められる。




