第4話 アルシア入国
新帝国暦1430年1月末、エドヴァルドは東方圏の東側から西側までやってきてアルシア王国の国境に達した。大陸中部や東部から大勢の旅人や隊商が集まっており、関所にはかなりの行列が出来ていた。
「あ、エディじゃん。久しぶり~」
「ん?イルハンか?」
関所に並んでいる人々の中に以前、帝国人の遭難者を捜索しに来た時に出会ったトゥラーンのイルハン王子がいた。同盟市民連合から不審者が流れ込んでくるのを防ぐ為、関所の審査は厳重に行われ彼らも待機させられていた。
そこでイルハンは年上の女性達に囲まれていたのだが、エドヴァルドを見つけて走って抜け出してきた。
「そうだよ。イリィだよ~」
イルハンは妙に光沢の強い服を着ていた。日陰に入っても輝いているように艶がる。エドヴァルドが気になって摘まんでみるとツルツルした感触がする。エドヴァルドの麻の服と違ってかなり上等なしろものだ。
イルハンは貫頭衣をすっぽり被り、おしゃれな腰紐で縛っていてポーズを決めた。この衣装が自慢らしい。
エドヴァルドは服のすそを摘まんだままえいと引き上げた。
「ひゃっ!なにするの!」
太ももまで露わにされてイルハンが慌てて服のすそをおさえつけた。
「いや、ほんとにイルハンかなーと思って」
「思って・・・、どうしたいの?」
「イルハンならちんちん生えてるかと思って」
以前会った時はパラムンが美少女と間違えたほど中性的だったが、成長して一層美人になっていた。
「か、確認しようとしたわけ!?こんな公衆の面前で?」
「ん・・・そうだな。悪かった」
何気なく衝動的にやったのでエドヴァルドは深く考えていなかった。
美形というのは男らしさも女らしさも無くなるものなんだなと妙に感心している。
イルハンの従者達もそんなエドヴァルドに呆れていたが、相手も王子と聞いて口出しはしなかった。
「ところで、何処に行くんだ?」
「帝都だよ、留学しに。エディもでしょ?」
「おう。だけどお前の国も外海側じゃなかったっけ?わざわざ内陸通過して来たのか?」
エドヴァルドは遅くとも1430年の4月中旬には帝都入りしていないといけないので、まだ時間はあるが道を急いでいた。東方圏は中部が東西に大きく広がっていて、イルハンの国はその中部の東岸にあり、西の内海側まで陸路で行くには非常に遠くなる。
「まーね。ヴェッターハーンまでろくな寄港地ないし。近くの国に嫌われてて転移陣も使わせて貰えないし、しょーがないの。エディはどうして?」
バルアレス王国からだったら自前の転移陣があるし、海路行くにしてもヴェッターハーンに行った方が近い。
「・・・俺の領地からはこっちの道を通った方が早いんだ。あと貧乏だから転移陣は使えない」
エドヴァルドの発言は事実ではあったが、父親の許可を得ずに勝手に留学するので転移陣の利用申請自体をしていない事は言わなかった。
「貧乏なの?結構大きな国だと思ったけど」
「まあな」
エドヴァルドは言葉少なに頷いた。
そしてやっぱりイルハンの服が気になった。
「お前んとこは結構金あるのな。そんな高そうな服きちゃって」
「これ?これはコンスタンツィアさん達が置いて行った服を洗濯して仕立て直したんだよ」
「こんすたんちあ?」
「コ・ン・ス・タ・ン・ツィ・アさん。エディ、もう忘れちゃったの?ダルムント方伯家のお嬢さんの名前」
そういえばそんな名前だったっけ、とエドヴァルドはいわれて思い出した。
「じゃあ、女物の服着てるのか。イルハンは」
「えー、イリィって呼んでよ~。ボク、同年代のお友達と愛称で呼び合ってみたかったんだよね」
「お前、友達いないのか?」
「いないねぇ。ちなみに仕立て直したから女物とかは関係無いし」
イルハンはあははと笑っている。
エドヴァルドもパラムンくらいしか親しい友人はいない。
◇◆◇
バルアレスの騎士が入国すると警戒されて面倒な事になるのを避ける為、ここでメッセールと従士達は道を引き返して帰国することにした。ここまで乗ってきた馬もメッセールに渡して連れ帰って貰う。
ベローとディアマンティスに港まで送ってそこから先はエドヴァルド一人になる。
エドヴァルドは改めてメッセールを城代に命じ、ラリサの代官をアルカラ子爵に任せる事を確認した。
「イルハン王子がご一緒して下さって助かりました」
「あぁ、俺はもう一人でも平気だ。メッセールは母上を頼む」
「承知しております」
メッセールは短く答えて去って行った。
彼はたまたまエドヴァルドの武芸指南役に選ばれていた時に、政争に巻き込まれてエッセネ公の与力としてそのまま都落ちする羽目になった。エドヴァルドは彼にすまなく思ったが、因果な運命はどうにもならないと若くして達観してきている。
入国してからはアルシア王国の旅籠に泊まり、久しぶりに旅の垢を落とした。
「にしても青っ白い肌してるな、イリーは」
大浴場があったので皆で風呂に入ると、エドヴァルドやディアマンティスに比べてイルハンの肌の色の白さが際立った。ベローは部屋で荷物番をして後で入る。
「どうしても日焼けしないんだよねー。それはそうと西方圏の人の中にはほんとに肌が青い人がいるんだよ。知ってた?鉱物神の影響なんだって」
「へぇ。なんか気味悪いな」
「ボクもそう思うけど、帝国についたらそういう事いっちゃ駄目なんだからね?いろんな国の人が集まってるんだからそれぞれの国の文化とか風習とか尊重しないとすぐ喧嘩になるよ」
イルハンは正規の入学なので入学案内を貰っていたが、エドヴァルドはそういうものを貰っていなかった。
「じゃあ、船の中で読んでおくといいよ。ボクのあげるから」
「おお、ありがとさん。お礼に背中でも流してやる」
エドヴァルドは入浴前に軽くお湯で流しただけだったので、体が温まって汚れが表面に浮いてから体を石鹸で洗おうとしたのだが、イルハンは垢も無く洗う前からいい匂いがした。
気になってエドヴァルドは首筋をくんくん嗅いでみる。ついでに覗き込むとちゃんと生えていた。
「ひゃっ、なに?」
くすぐったいのかイルハンは半身で振り返って抗議するように尋ねた。
「お前、ここまでの道中は輿で運んで貰ってたのか?全然汗臭く無いぞ」
エドヴァルドは自分のわきの下を嗅いでみたが、かなり酸っぱい匂いがして顔をしかめた。汗をかきやすく、毛も生えてきて匂いが溜まりやすいが、イルハンはここもすべすべしてなまっちろい。
「体質だよ、きっと」
「そうか?いくらそうでも脇くらいは匂うんじゃないか?どれ」
エドヴァルドは今度はイルハンの片手を掴んで上にあげて、強引に脇の下を嗅ごうとした。
「やっ、やだっ!」
さすがに恥ずかしくなってイルハンはエドヴァルドを突き飛ばして椅子から立ち、距離を取る。顔には嫌悪の表情が浮かんでいた。
「ちょっとー、若様。いくら男の子同士だからって無理やりは駄目ですよ~」
ディアマンティスは湯船ですっかり極楽気分で温まりながら口を出した。
「ちぇっ、なんだよ。臭いのは俺だけか。やっぱ田舎もんだからかな。たったひとりの友達だと思ってたのに」
軽い悪ふざけだったのに、本気で嫌がられたエドヴァルドはいじけて椅子の向きを変え、壁に向かって独り言をいいながら自分を洗い始めた。
「・・・・・・ほんとに?」
落ち込まれると、相手に悪い事をしてしまったと自分を責めてしまうイルハンだった。上目遣いでエドヴァルドをみて聞いてしまう。
「何が?」
「ほんとに友達だって思ってくれてる?」
「俺はそうだったさ。お前はイヤみたいだけどな」
エドヴァルドはまだ振り向きもせず壁に向かって話している。
「ぼ、ボクだってエディのこと友達だって思ってるよ!また会いたいなって思ってたもの」
必死になって声をかけてきたイルハンにようやくエドヴァルドは振り向いた。
「それなら嗅いでもいいか?」
「ぅえええ?・・・どうしても?」
「俺のも嗅いでいいから。くっさいぞー」
ほれほれ、とエドヴァルドは脇をみせた。
「そんなの嗅ぎたくないよ!」
結局、イルハンは妥協して肘の裏なら嗅いでもいいことにした。
そこも汗が溜まりやすいので多少は匂う筈だと、エドヴァルドはさっそく鼻を近づけた。
「どう?くさい?」
イルハンは奇妙な事だが期待を込めて言った。
普通に男臭いと言われてみたかったのだ。
「んー、わからないな。どれ」
エドヴァルドはイルハンの腰を抱きかかえて性懲りもなく、脇の下の匂いを嗅いだ。
「ちょっとぉ~」
イルハンは半泣きで抗議したが、腕力の差がありすぎて抵抗出来なかった。
「んー」
エドヴァルドはあらためてくんくんと匂いを嗅いだ。
「どう?もう満足した?」
脱力してなすがままの状態のイルハンはさっさと終わらせて欲しいと願った。
「駄目だな、こっちも匂わない。しょうがない・・・」
ようやく解放されるかと思ったイルハンだったが、それはまだ早かった。
掴んで持ちあげた腕を放す前にエドヴァルドはぺろっと脇を舐めた。
「ひゃっ!」
「お、ちょっと酸っぱかった。やっぱお前も汗かくんだな」
「当たり前でしょ、この馬鹿っ!」
さすがに怒ったイルハンはばしん、とエドヴァルドの頬を張り、ついで叩いた。
「おいおい、やめろって。悪かったよ」
「もうもうもう!恥ずかしいでしょ!」
貧弱なイルハンに叩かれてもエドヴァルドは痛痒とせず笑って流した。
第三者のディアマンティスは一応口を挟んで主君に助け舟を出した。
「まーまー、その辺にしてあげてください。イルハン様、うちの国の悪ガキはちんちん引っ張って長さ比べたりとかザラですし。それくらいの接触当たり前ですって」
「さっきと言ってる事違くない?ボク、エディの国にはずぅえったい行かないから!」
◇◆◇
しばらく本気で怒っていたイルハンが落ち着いてから三人改めて並んで湯船につかった。
「はー、すっきりした」
「お風呂に入れるのは久しぶりでしたからねぇ」
「それなのにイルハンはなあ・・・」
エッセネ地方は綺麗な水が豊富だったが、道中は違った。
イルハンも似たような経路で来た筈なのに、臭いはともかく随分体は清潔だったのでエドヴァルドはそれを訝しんだ。
「んとね。前にコンスタンツィアさん達から貰った服。たぶんあれ神器だと思うんだよね。勝手に体を清潔に保ってくれるの。詳しい話は聞けなかったけど、たぶんエディの国の何処かにある古代の神殿から持ち出されたんじゃないかって思うんだ。返そうか?」
「いいよ別に、風呂に入った方が気持ちいいし」
エッセネ地方の住民は風呂はともかく日に三度は水で汗を流す。
朝起きてから、昼休みに、仕事を終えて自宅に帰ってからの三度である。
着ている物はみすぼらしくても蒸し暑く、水量も豊富な土地なので割と綺麗好きであった。
湯舟からあがりぐっすり休んだ翌日、エドヴァルドはアルシア王国に嫁いだ異母姉のメーナセーラが娘を産んだと聞いて、お祝いに行こうかと思ったが迷惑になると考え直しそのままイルハン達と港町に向かった。




