第33話 死霊魔術師シャフナザロフの日記
■1352年2月25日
皇帝陛下より死霊魔術の再興を命ぜられた。
オレムイスト家から始まって次々と皇帝が亡くなってしまったが、唯一信教が排除されてようやく安定した政権になりそうだ。
■1353年2月28日
評議会で早速審議にかけたが、相変わらず評議長は眠りについているので我々だけで結審しなければならない。皇帝陛下がこんな事を言い出してきたのはやはり帝都から近いツェレス島までもが亡者に満ち溢れる島となってしまったからだろう。
旧帝国の都が亡者に飲み込まれ滅んでしまったように新帝国も同様の憂き目に遭う可能性が出てきた。幸いツェレス島は孤島であるから海を越えて帝都に亡者の影響が及ぶ事は無い。
今は、まだ。
大陸側に亡者の大量発生拠点が湧かないよう、そしてゆくゆくは亡者を殲滅出来るように死霊魔術部門の再発足が決定された。
■1353年3月1日
亡者発生の謎を探る為、まずは人為的に亡者創造を試みる事にした。
■1353年4月21日
死刑囚を譲り受けていくらか拷問して死なせてみたが、どれも亡者化はしなかった。実験体が少ないのでまだまだ定かではないが伝承にあるような憎しみ、恨み、苦しみだけでは必ずしも亡者化しない。
それにしてもいくら死刑囚とはいえ、無意味ではないが無駄に苦しませるのは精神的に辛いものがある。イザスネストアスに頼んで私の心から慈悲を無くし、人類への奉仕の為に義務感を強くして欲しいと頼んだが、受け入れられなかった。
彼は恋人のアリシア・アンドールを亡くし、自分の領地が亡者に飲み込まれて以来この世に興味を失ったようだ。宿敵の唯一信教徒も去り、生気が感じられない。
■1353年4月22日
彼の弟子のイーデンディオスにも同じ依頼をした。
その依頼は人間性を亡くし、残酷な機械になるという事だ、止めた方がいいと言われたがこれも彼の師であるイザスネストアスの領地ツェレス島を救う為だと説得した。
■1355年9月21日
実験体が825体を越えた所で法務省にこれ以上死刑囚を提供出来ないと言われた。
これ以上は遠方の州からも死刑囚を集めざるを得ず、不審に思われてしまう。
皇帝陛下に頼んでもやはり難しいようだ。
世に露見すれば理解を得られる実験ではないので仕方あるまい。
代わりに奴隷を使いたいところだが、近年は定期的な健康診断と届け出が必須の為、実験で亡者にしてみたいとはいえない。
■1355年10月1日
現時点までに作成できた亡者は三体。
既にただの死体に変わっている。
一度死亡が確認されたあと、起き上がり目は黄色く濁り、マナが停滞し、知性も失った。間違いなく亡者と思われるが実験体が少なすぎて何が原因だったのか特定する為の再実験が難しい。
手持ちの死刑囚は男が4、女が3。
新規に死刑囚が手に入らない以上、残りの実験体を使って繁殖させることにした。
■1356年1月12日
借り受けた神器の力で死刑囚達に強制的に子作りはさせているが効率があまりにも悪い。所詮人間の腹からではたいした数の実験体は生産できない。成長にも時間がかかる。予定を変更して獣人を混ぜる事にした。
北方圏であれば蛮族を調達しやすいだろう。
ここの管理は一旦弟子に任せるか。
■1359年5月21日
やはり蛮族はいい。
成長も早く一度に5体以上生産出来る事もある。
しかし、奇妙だ。
人間だけが様々な種類の獣人と交配可能で、獣人同士は種が違うと交配は出来ない。人間の死刑囚は男女が残り一体ずつになってしまった。
精神を破壊して調教しないと獣人との交配は嫌がる傾向にあって、他の囚人は全て調教の仮定で死亡してしまった。調教には雷気の魔術を使うのが最適だが、私には扱えない。
雷撃の魔術装具は貴重で高価な上壊れやすい。
市場で買い上げるには予算が不足している、困ったものだ。
■1359年5月25日
獣人を調教するのは難しくない。
肉体的には非情に頑健な彼らだが、頭の方は幼児並みだ。
精神的にも未熟で本能が強く、誰が強者なのか恐怖を教えて仕込めば調教は簡単だ。拷問を加えても怯えるばかりで反抗の兆しは無い。
■1359年6月24日
凄い獣人が現れた。一時間に一匹ずつ産んでなんと一日で24匹の子供を産んだ。
蛮族の軍団をいくら撃退してもすぐに勢力を取り戻してくるのも納得がいく。
この獣人の母体が力尽きないように私は必死に世話をしてやった。
子供達も将来はきっと大いに役立ってくれるだろう。
■1360年2月9日
外国から奴隷を買い入れて来たが、内務省の追跡をかわすのが面倒だ。
新品をすぐに亡者に加工するのではなく成長させて人間の倫理観を与えずにそのまま交配させ続ける事にしよう。
市民登録も奴隷登録も無ければ赤子といえどただの動物だ。
猿と大差ない。
■1360年5月5日
生殖行為以外何も教えなかった子供も環境に耐えられないのか自殺するものが出てくる。今後はなるべく早い段階で洗脳しなければならない。
■1360年10月11日
北方市民戦争が集結した為、戦争奴隷を大量に買い込んだ。
帝国内に輸送する際には契約労働者という事にした。
彼らを洗脳し子供を産ませ、その子を市民登録せず実験体として消費する。
出産が早い獣人ばかりになると近親婚が進み過ぎるのでちょうど良かった。
■1361年9月2日
13体ほど帝国貴族の実験体を得た。
主君に反乱を起こした貴族を攫ってきたので、特に何処からも文句をいわれることはあるまい。何故貴族を実験体にするのかといえば、内包するマナが大きいからだ。
平民や獣人とは違う実験結果が得られるかもしれない。
■1363年10月14日
いくらか確証が得られてきた。
亡者化した者の大半は天の神々を呪っているということ。
最初は神に助けを求めても、延々と拷問が続くと諦めて大人しくなり、それから徐々に神々を呪うようになる者が大半だったが、精神を深く探るとそれでもなお実際は神に助けを求めていた。
何度も希望を持たせては絶望させて神を真剣に呪うようにすれば亡者化する確率は大きく跳ね上がる。
知性の無い新品が亡者化する事は無い。
新品が無垢で清純だからとかそういう理由ではない。
愚かな動物が亡者化しないのも同様の理由であろう。
■1364年3月29日
以前の実験結果を修正せねばなるまい。
帝国貴族のような魔力を多く持つ実験体が亡者化した時、新品も亡者化した。
魔力の高い者が亡者化する時、周囲を巻き込む可能性がある。
■1364年4月25日
評議会でも仮説に同意が得られた。
ツェレス島全体が亡者化したのはまず間違いなくエイラシルヴァ天の死亡が原因だ。
神帝スクリーヴァの友人として、特別な地位を与えられた帝国最古の一族は個人としても強大な力を持っていた。アリシア・アンドールが公開裁判が行われた広場で民衆に惨殺されたのも一因と思われる。島全体の亡者化がさらに進行したのだろう。
早速イザスネストアスに教えてやろうとしたが皆に止められた。
解せぬ。
■1364年5月1日
親切にも姿を消していたイザスネストアスを捜索してやっていたのだが、イーデンディオスにも無用だといわれた。エイラシルヴァ天の爆殺に巻き込まれた住民を救助していたアリシアがその民衆に犯されて焼き殺された挙句、天を呪っていた可能性は高いが奴に教えるのは酷だと。
理解出来ないが、私の本業には関わりない。
彼がいうなら神を呪う聖女の話を教えるのは止めておこう。
■1364年5月21日
報告書をまとめて皇帝陛下にお渡しした。
■1364年5月31日
陛下はこれから議会で帝国貴族を処刑しなければならない場合でも礼節を持って行い、亡骸を丁寧に弔う事を法に明記させるおつもりのようだ。
とはいえ、エイラシルヴァ天やアリシアほどの神術を使える帝国貴族は現代にはもういない。それほど大規模な亡者化を恐れる事は無いだろう。
■1364年6月22日
獣人用の実験棟で大規模な反乱が起きた。
十分に調教されていて大人しかった筈なので動物学者に話を聞いてみた。
どうやら連中は狼などの群れ社会を構成する動物のように主が弱ると本能で世代交代に走るらしい。今回の場合は看守の弟子が病気で弱っていたせいだ。
看守は随分獣人を可愛がっていたのだが、獣共には愛情は通じない。
以前の評価を改める必要がある。
本能の点で獣人を調教するのは難しい。
逆に人間は幼児期に道徳を教え込めば反抗を抑え込むのは簡単だ。
■1364年6月25日
嘆かわしい事に一部の弟子達はどうも実験を楽しんでいるようだ。
私のように人類救済の崇高な義務心から実験に協力しているものは少ない。
実験体が少ないのでどうしても近親婚で新品を生産せざるを得ないのだが、獣人は血が濃くなるのを避ける傾向が強く強制も難しい。
一方、人間は簡単に近親同士でも繁殖を始める。
無論、自分達が近親者であることは教えていない。
獣人は教えずとも近親相姦を避けるというのに、これでは人間の方がよほど獣じみている。
■1364年7月1日
妙だ。
亡者が減らない。
■1364年7月9日
今が危機的状況だと認めないわけにはいくまい。
いくら用済みの亡者を破壊しても次の亡者が発生してしまう。
適当に打ち捨てていた蛮族の遺体まで起き上がってきた。
いったいどういうことだ。
重い鋼の扉と壁はあるが、亡者達が折り重なって壁を登ってきかねない。
■1364年7月16日
無暗に亡者を破壊せず、しばらく観察していると以前足が悪かった人間の実験体と同じような特徴を持つ蛮族亡者がいる事に気が付いた。
もしや、亡者は生前の本人とは限らないのでは?
■1364年7月24日
やはりそうだ。
何度破壊しても同じ部位を引きずっている亡者が毎回出てくる。
再起動しない亡者の魂・・・とでもいうべきか?
大半は元の肉体を破壊すれば起き上がってこないが、別の体で再起動してしまう亡者もいる。
これでは永遠に亡者はいなくならない。
■1364年7月31日
この件について聖堂騎士団に質問してみたが、彼らは巡礼の擁護者と神殿警備と旧都封鎖部隊に別れていて、組織間の連携が悪く情報を持たないようだ。
総長ならば知っているかもしれないが、方伯の側にいて近づけない。
旧都の封鎖は評議長の部下が関わっていて、旧都に蔓延る何百万もの亡者を刺激してはならないと接近を禁止されている。
亡者達は再起動後はしばらく荒れていたが、時間が経つと生前の行動を繰り返そうとし始めて鎮静化していった。
■1364年8月12日
亡者が生前の行動を繰り返そうとするため、生殖行為しか教えていなかった亡者は黄泉帰っても生殖行為の真似をし始める。
弟子達は調教に丁度いいとそれらの亡者を繁殖棟に放り込んだ。
■1365年9月21日
時間をかけて遺骨も含めて一旦亡者を全て破壊した。
もちろん再起動する亡者は別だ。
一度研究所の外の墓地で再起動してしまった事があり、急いで捕えなければならなかった。
次は何処で再起動するか分からないので迂闊に破壊は出来ない。
■1365年10月1日
再起動する亡者は棺桶にいれて、廃棄する研究所の貯水施設ごと凍らせて沈めた。
現象界で単純に破壊しては駄目だ。
一旦死霊魔術の研究を止めて、神術に詳しい者を探すとしよう。
亡者に纏わる神といえばやはり地獄の女神達だが、信仰している者を発見するのは困難だ。あらゆる神を奉ずる聖堂騎士団ならば中には信徒がいるかもしれないが接触を繰り返すと方伯の目を引いてしまう。
■1367年3月21日
何人か神学者を攫ってきたが役に立たなかった。
正面から方伯に協力を求めるか・・・。
いや、無理か。
常人にはこの研究を理解できまい。
評議会でも理解者はいなくなってしまった。
イーデンディオスもアルコフリバスも去った。
評議長は眠りについたまま目を覚まさないし、困った事だ。
■1367年3月29日
弟子の進言で方伯家のメルセデスに協力を求める事にした。
彼女はもともと評議会にも席を置いていた異色の魔女で聖堂騎士団にも顔が利く。
■1367年4月1日
方伯家からは面会を拒否された。
正面から彼女の屋敷を訪れるのは危険だ。
ありとあらゆる魔術防壁が散りばめられていて近づけない。
アレの力は評議長を超えている。
■1367年4月9日
悶々としていると彼女から会いに来た。
夢の中で。
「死霊魔術を極めたいのであれば地獄にいるアイラクーンディアに教えを乞えばいい」
彼女はそう言った。
噂に違わぬ恐るべき魔女だった。
■1367年4月10日
評議会と袂を分かっていた彼女が評議員達と連絡を取っていないのは確かだ。
しかしこちらの目的を伝える前から知られている。
亡者の女王ともいわれるアイラクーンディアに会って頼めば、それは勿論旧都の亡者もツェレス島の亡者も一掃出来るだろう。しかしどうやって生きたまま地獄へ行けというのか。
地獄に行けたとしてもアイラクーンディアが頼みを聞いてくれるとは思えない。
■1367年4月11日
「ならばアイラクーンディアを従わせる力を得なさい」
メルセデスがやってきて、またそう言った。
神々を信仰していない私にとっては神話などお伽噺だが、神喰らいの獣によって神々は天界へ去ったと伝えられている。既に獣に喰われている可能性もあるのに何故か彼女はアイラクーンディアの存在を確信している。
天界ではなく今も地獄にいると。
■1367年4月19日
呼んでもいないのに勝手にやってくるメルセデスのおかげでかなり疲れている。
まずはアイラクーンディアの眷属であるアラネーアを倒す事。
それでアイラクーンディアの反応が分かるという。
しかし私は幾多の英雄が挑んでは敗れて亡者に作り替えられてきたあの伝説の魔獣と戦う気はない。そこまで自身の力に自惚れてはいない。
■1367年5月1日
評議会では死霊魔術の軍事利用が検討されている。
私はそんな事の為に死霊魔術部門を起こしたわけでは無いのだが、帝国政府から予算を得る為にはたまには世俗の為にも働かねばならない。
亡者は単体では動きも遅く脅威にもならないが、数が増えると手に負えなくなる。
軍事利用する場合、制御できる範囲で亡者を石人形に乗り移らせればよい。
石人形自体は魔術で操作出来る。
ちと魔力の消費量に見合わない為利用されていないが、亡者を使って半自動攻撃兵器に加工する事で軍団を作れる。
亡者に肉体労働をさせようといってきた馬鹿もいたが、そんなことをしたら何もかもいちいち消毒する羽目になる。貴重な母体を損なわないようここでも衛生維持には気を使っているというのに。
実験の副産物として出産時に立ち会う者の消毒を徹底すれば死亡率は半分以上下がる事が分かった。今では私の実験棟において出産で死ぬ者は百人に一人もいない。
■1368年4月1日
予算がおり、亡者の生産を再開して石人形小隊の生産を開始した。
元軍人の亡者の場合、以前の実験結果同様に生前の記憶からか蛮族を敵とみなしている為、人間には目もくれず蛮族に襲い掛かる。
帝国軍はこれをナルガ河向こうに送り込んで蛮族退治に使う予定だが、軍務省と皇帝陛下が運用を巡って対立している。
■1368年5月25日
皇帝陛下の勅命で戦争利用は禁止された。
余計な仕事が無くなったのは有難いが、軍務省から実験体の供与が停止された。
研究所では常に新しい血を必要としている。適当に罪人を攫ってくるとしよう。
■1370年2月21日
皇帝陛下も病に倒れられた。
亡くなられる前にと急ぎ選帝選挙が開始されたが、病床の身では監督も行き届かず私の擁護もしては下さらない。経緯を知っている者は少なくなり、実務を部下に任せていちいち関係各所に説明して回らなくてならない。
■1370年2月22日
私は以前とある実験をした。
慈愛の女神の聖女を捕えて雷気の魔術装具で精神を破壊して洗脳し信仰を塗り替えてみた。ウェルスティアからアウラへと。
しかし、微弱ながら慈愛の女神の奇跡を彼女はまだ使えたのだ。
他の実験体と同じ部屋に放り込んでいたのだが、その周囲だけ妙に怪我の回復が早く監視すると奇跡を行使していた。
無意識でも奇跡を行うとは素晴らしい。だが、無意味だ。
■1370年2月25日
してやられた。
聖女の足の腱を切って別の部屋に移したのだが、いなくなっていた。
その聖女が私を告発し裁判に持ち込んできた。
■1370年2月28日
聖女は破壊された精神を回復させていたが、記憶は混濁しており支離滅裂な為、裁判は必ずしも向こうが有利には進まなかった。
裁判の場で私はメルセデスからも実験の示唆を得たと証言したが、ダルムント方伯は彼女は何十年も私邸から出ず、私と会った記録も無いとして関りを認めなかった。
■1370年5月24日
裁判は長引いたが、皇帝陛下が国家の大事であるとしてやめさせてくれた。
しかし、どこに監視の目があるかわからず、今後は動きづらくなる。
■1376年9月26日
フォーンコルヌ家のアウレリウス帝が亡くなり、アイラグリア家のコスが新帝となった。
新帝は死霊魔術について理解が乏しいようだ。
先帝の勅命であるのに実験を止めさせようとしている。
皇家間の争いに発展する為、先代の業績否定はしてはならないことだというのに。
ここで止めたらこれまでに死んだ実験体は何のために死んでいったというのか。
■1376年9月27日
実験停止を拒否した私にコスは今更全ての感情を取り戻させる罰を与えた。
これ以上実験が続けられないようにするためだ。
実際協力していた弟子達の多くは発狂している。
これほど残酷な皇帝がいようか。
■1376年9月30日
私は資料を集めて西方圏へ向かい『天の杭』と呼ばれる台地に潜んで研究を続けた。第二次市民戦争の際、帝国は意図的に反乱側の市民も王制側の力も削いだ為大量の餓死者を生んでしまった。皇帝もそこまでするつもりはなかった筈だが、一度物流を止めると即座に元通り再開させるのは困難だった。
政府お抱えの新聞社でさえ、野には白骨死体だらけ、人間同士の共食いが横行する西方圏の惨状を引き起こした政府を非難して全世界から支援が寄せられた。
この西方圏には帝国も遠慮して捜査の手が伸びない筈だ。




