第32話 V.I.T.R.I.O.L
コンスタンツィアは母が大量に購入していた別宅を処分したり巡礼者の宿として改装して営業をひとに任せていた。
手伝いに来てくれている友人達もあまりに余計な不動産が多いので愚痴ってしまう。
「なんでエウフェミア様はこんなにあちこちでお屋敷を購入していたんでしょうかねえ」
「さあ、おかげで祖母達が残してくれていた筈の遺産がほとんど消えてしまったわ。内海貿易事件の時に投資詐欺にでもあったのかしらね」
いちおうコンスタンツィア一人がつつましく生きていくには十分な現金は残してくれている。コンスタンツィアは不要な屋敷を処分していく中で、家具、不用品は業者に処分を頼んだ。
その業者から、この箱開けられれないんですけどどうしましょうかーといって一つの箱が持ち込まれてきた。
「何かしらね、これ。前の聖堂騎士団総長に与えていた邸宅にあったものですけど、開け方がわからないの。魔術でもかかっているのかしら・・・」
整理の手伝いに来ている友人達に相談してみた。
ノエムはバールを持ってきて隙間に差し込み、こじ開けようとしたがどうしても開かない。
「もう骨董品として質屋にでも引き取って貰えばいいんじゃないでしょうか」
ヴァネッサは早々に調査を放棄した。
「まあ、まあ待ってください。この接合部分を溶かしてしまえばいいじゃないですか。コンスタンツィア様は実験室に硫酸をお持ちでしたよね」
ヴィターシャは接合部分になっている飾りを指差した。
杖とそれに絡んだ蛇、そして本の紋章の飾りだ。
何らかの金属で溶接されており、そこが頑丈なせいで隙間からこじ開ける事が出来ないでいる。
「んー、骨董品だから溶かすのにはちょっと抵抗があるけど、仕方ないわね」
コンスタンツィアも中身が気になっていた。
持ち主の前聖堂騎士団総長は方伯家に叛逆したとの罪で処断されていたが、大変な蔵書家なので自分のコレクションが増えるのではないかと期待している。
業者も邸宅の取り壊し工事の中で地下室の壁から発見したらしい。
早速硫酸を用意して溶かし始めた。
「錬金術だなんて名家の女の子らしくないわぁ~」
ソフィーは苦言を呈した。
もともとは金属を化学の力で金に変化させようとして発展してきた学問だが、メッキを使った詐欺師が横行して金へ変化させる術としては失われ、現在は不可能とされ、単に様々な薬品の合成技術として発展している。
火薬の発明もその一環だった。
冬季の間、外に出られない北方圏では特に盛んな学問である。
錬金術は魔術の補助として利用される霊媒の合成にも利用される。
先日コンスタンツィアもイグニッカという秘薬を使用して暴漢を追い払うのに使った。ほんのわずかな魔力に反応して爆発物にもなり得るので重宝している。
ヴィターシャがちょろちょろと聖杯の部分に硫酸をかけたが一向に溶けなかった。
「ううーん、濃度が不足しているんでしょうかね・・・」
「来客みたいだからヴィターシャはもう少し試していて」
門番がやってきてコンスタンツィアに来客を告げてきていた。
◇◆◇
来客は近衛騎士であり残り少ない生き残りだった。
増員の為にほうぼうのコネを当たっているという話でかなり忙しい筈だが、縁の無いコンスタンツィアの所に何の用で来たのだろうと訝しんだ。
コンスタンツィアは父の代わりに方伯家代表として宮中行事に呼ばれる事もあるので、皇帝とその近衛騎士にも面識があり顔見知りではある。
直接会話した事はなかったので今回が初めての対話となった。
「実はコンスタンツィア様におりいってお願いがありまして」
「何でしょうか」
「実は知人に留学生をマグナウラ院に入れて欲しいと頼まれて、御助力をお願いしに参りました」
「・・・近衛騎士ともあろうお方が、そんな便宜を図ろうというのですか?」
コンスタンツィアの声色に咎める気配が混じる。
1430年度の学生の締め切りは終わっているし、入学試験も必要である。
外国の王族には多少便宜を払うが、国王からの依頼状も無かった。これでは到底認められない。
「恥を承知でのお願いとなります。軍務省経由で依頼する事もできたのですが、私もマグナウラ院の出身であり、当時の片思いの人に頼まれるとどうしても軍経由での依頼が恥ずかしく・・・」
自分はあまり人望がないので、軍に依頼しても笑われた挙句拒否されるだろうとシクストゥスは赤面しつつコンスタンツィアに助けを求めた。
「軍が関係あるのですか?」
「ええ、帝国騎士候補として有望だと推薦されまして。バルアレス王国の第四王子エドヴァルドという少年なのですが、ご存じないでしょうか。イーデンディオスコリデス老師からの推薦状も頂いております」
「イーデンディオス老師からも・・・?」
「はい、ご存じですか?」
「ええ、わたくしも一時期師事しておりました」
推薦状を読むと確かにイーデンディオスからコンスタンツィア宛ての依頼もあった。不可抗力とはいえコンスタンツィアが迷惑をかけてしまった少年らしい。
「・・・仕方ありません。理事会にかけてみましょう」
少しばかり悩んだが、コンスタンツィアは融通をきかせる事にした。
コンスタンツィアは帝国騎士が不足している事情も知っていたのでマーダヴィ公爵夫人経由で皇帝にも話を通して、エドヴァルドの入学に許可を出す助力を得た。
理事長を務めているフォーンコルヌ家の当主は難色を示していたが、皇帝の御意を得たというと仕方なく同意した。
◇◆◇
さて、例の箱だが何ヶ月経っても開ける事が出来なかったので学院の錬金術講師の助力を得る事にした。
「ヴィットーリオ先生、これなんですけれども分かりますか?」
「ふむ・・・少々お時間を下さい」
ヴィットーリオはしばらく箱を隅々まで調べて、指で箱に掘られている文字をなぞった。
「ウイシタ、インテリオラ、テラエ、レクティフィカンド、インウェニエス、オクルトウム、ラピデム・・・」
ヴィットーリオは得心がいったという満足げな表情を浮かべていた。
「何ですか、先生?」
「硫酸で溶かそうとしていた方針は良いようですね。しかし、惜しい。まずは魔術の封印を解除しないとなりません」
「魔術の?」
コンスタンツィアには魔術の封印がかかってたようには見えなかった。
「かなり高度な技術で封印自体が隠蔽されていますからね。私にしてもたまたま知っていただけです。まずはこの紋章ですが、ツェレス候の紋章だと思われます。ご存じですか?」
「ツェレス候は知っておりますが、紋章については見た事がありませんでした。封印の解除は出来そうですか?」
「問題ありません。私は一時期彼に師事した事がありますから」
「さすがは学院の講師ですね。わたくしでは魔術がかかっていることすらわかりませんでした」
多少自信があっただけにコンスタンツィアは内心ショックである。
「はは、それは仕方ありません。彼が帝国魔術評議会偽装魔術部門の部門長で先帝の宮廷魔術師長です。私は最初からあると確信しているからわかるだけ」
「『目に見えぬところに真実あり』ですか」
「ええ、その通り」
ヴィットーリオが封印を解除すると紋章が黄金で出来た聖杯と髑髏のダルムント方伯家の紋章に変化した。
「あとは、表面をアル・レギア水で溶かす必要があります。実験室をお借りしますね」
ヴィットーリオは早速薬剤を合成して溶かそうとしたが髑髏の部分しか解けなかった。
「ううむ、いけませんね。黄金ならこれで溶ける筈なのですが・・・聖杯の部分はエゼキエル鋼のようです。これでは破壊する事も熱で溶かすことも出来ません」
エゼキエル鋼は魔導騎士の武具に使われる金属で魔力を封じる特性を持つ。
さらに強力な力で破壊するしかない。
「ここは魔導騎士の方を呼んで力づくで破壊するしかなさそうです」
「そんなことをするくらいなら先生をお呼びしていません」
中身が壊れては困るのでコンスタンツィアはもう少し考えてみる事にした。
「ところでさきほどのウイシタ・・・なんとかってどういう意味なんです?」
お手伝いに来ているヴァネッサも興味があるので尋ねてみた。
「ああ、昔の錬金術の標語で大地の奥に隠されし大いなる石を求めよという意味です。神器の原材料となった特殊な物質のことですね」
ヴィットーリオはその日は切り上げて去って行った。
◇◆◇
コンスタンツィアとヴァネッサはあともう少しなので久しぶりに開け方を試行錯誤してみる事にした。
「ここまで来るとちょっと悔しいですよね」
「ほんと・・・どうしましょうか」
コンスタンツィアは素早く脳内で思考を整理した。
「聖杯といえば神々の肉体を不滅にする神酒を受けるもの・・・。この飾りが無意味なわけはない。髑髏の部分が剥がれた所に何か意味がある筈・・・。聖杯の中央・・・。大地の奥・・・。母なる神と関係あるのかしら」
「ノリッティンジェンシェーレ様ですかね?」
「そうね・・・聖杯は生命を包み込む子宮にも例えられるし・・・」
コンスタンツィアはふと母の残してくれた皮袋を思い出した。
母が残してくれたフラメル白金貨をいくらか使ってしまったがまだ残っている。その皮袋の中に神器でよく使われるものと同じ材質のかけらが入っていた。
「ちょっと試してみましょうか。万能となりうる可能性を秘めた石といわれているし」
コンスタンツィアがぽちっとはめ込むと石の形状が変化してちょうどくぼみに嵌り込み、押すとかちゃりと音がして箱が開いた。
「おお、やりましたね!」
「ふふ、運が良かったわね。さっそく見てみましょう」
箱の中には本がどっさり入っており、読書狂のコンスタンツィアを感激させた。
パラパラと捲ると誰かの日記や裁判記録のようだ。
日記の著者名はシャフナザロフと書かれている。




