第31話 暴行事件の行く末
学院の中庭のカフェテラスでコンスタンツィアは弁護士を目指しているユースティアに暴漢に襲われた事件について相談した。
「災難でしたね。証人として裁判に呼ばれる事があるかもしれませんが、コンスタンツィア様は完全に被害者ですから心配いりませんよ」
それを聞いたソフィーは項垂れる。
「申し訳ありません、コンスタンツィア様。お忙しいのに私が連れ出したせいで」
さすがのソフィーも余計な面倒を増やしてしまったとコンスタンツィアに詫びた。
「野良犬に絡まれたようなものよ。気にしないでソフィー。それよりユースティア様、わたくしはあんまり過酷な刑罰を求めているわけではないのですけれど、止められないのかしら」
ユースティアは相談に対して重苦しい口調で答えた。
「被害者のコンスタンツィア様がそのようにお優しい方で私も嬉しく思いますが、今回の場合は被害届を出さなくても傷害、殺人未遂での立件になると思いますので止める事は出来ません。裁判官が多少は意を汲んで刑を軽くしてくれるかもしれませんが」
帝国の法は無関係な間柄の複数の証人、証拠を重視しているので証言だけでは貴族でも平民に対して有利に審理を進められないくらい基本的に公正である。
今回は逆にコンスタンツィアが処分を甘くするよう求めても、男達の怒鳴り声、逃げていく姿、そして前回の事件との因果関係がある為、裁判官の判断は厳しいものになる。
結果的に被害者は傷を負っていないからというのは考慮されない。
ユースティアも婦女暴行の現行犯を擁護してやる気はなかった。
「仕方ないわね。司法の判断を尊重しましょう」
「・・・ええ」
相談されたユースティアの方が若干浮かない顔だった。
「どうかなさいましたか?」
「・・・アルヴェラグスくんに相談されたんです。『我が帝国の法は公正に働いているだろうか?』と。ご存じのように彼のフォーンコルヌ家と我が家のシャルカ家が法務省の高官に多数入り込んでいます。両者が牽制しあっているうちはまだいいのですが、どちらかが強くなり過ぎると途端に腐敗が始まります」
ユースティアは例として奴隷制がまだ許容されていた時代のエピソードを語った。
「ある平民の娘がおりましたが、その娘を気に入った貴族が妾として囲おうとしました。しかし、娘には恋人がいたので拒否しました。すると貴族は第三者を使って娘の親にあらぬ罪を着せて投獄し、娘は親を助けようと弁護士を雇って借金を負いましたが、裁判に負けました。借金を返済できずに奴隷になると買い取ったのは例の貴族でした。雇った弁護士も貴族の手が回っていてわざと負けたのです。親の罪は確定し、後から知った娘は自殺しました」
「その貴族はフォーンコルヌ家の方?」
「アルヴェラグスくんのよく知る方でした。彼はそれを知ると家を飛び出してしまったのです」
「・・・だから今年は休学しているのね。ユースティア様はどうしてそれを?」
「父はいつでも他家を脅せるようにたくさんの弱みを握っています。私は幼い頃から父の手伝いをしていましたからいくつか見る機会があり、父は得意そうに教えてくれました」
法務省の記録を閲覧できるシャルカ家出身の官僚達は最も大きな効果が得られるときに使う為、それを持ち帰っては溜めて行った。
今日の帝国では奴隷制は廃止されているが、法務官僚は貴族で独占されている。
貴族と平民間のトラブルでもささいな事は公正に扱われるが、世の中が転覆しかねないほど悪辣な大事件が発生した場合は貴族社会を守るために民の権利は無視された。
「裕福な平民が起業した新聞社が多くなれば段々こうはいかなくなります。従属国の平民が反乱を起こして王国を覆しても帝国軍が即座に介入して叩き潰しますが、もし・・・帝国の民衆が蜂起したら一体誰が介入するのでしょうか」
田舎の州での反乱や元軍人が蜂起したりはしているが、まだ小規模で国体を損ねるほどではない。
「フォーンコルヌ家といえば、議会でも問題になっています。例のシムラー衛生局長とスラップ弁護士の件で」
衛生局長は疫病対策で口内洗浄薬が有効だといって市民に購入を進めたが、叔父の工場で生産している事が明らかになると批判が集中した。そこでやりての弁護士スラップを雇って批判は封じたのだが、彼はフォーンコルヌ家の顧問弁護士事務所を開いている事を利用し市民を脅して逆に名誉棄損で訴えた。
「局長は旧都が疫病の蔓延で滅んだことを利用して市民に恐怖を煽り私腹を肥やしたのね」
「・・・昔、レクサンデリが恐怖こそが商売で成功する秘訣だといっていましたがその通りですね。しかし、スラップはあまりにもやりすぎました。議会は反スラップ法を制定して地位や権力を背景に裁判費用を賄えない人々を脅して金銭を巻き上げる手法を禁じる予定です」
「名指しですか。思い切りましたね」
議会は少しずつ皇家の力を抑え込もうとしている。
アルヴィッツィ家やガドエレ家が帝国経済の3割以上を牛耳り、帝国正規軍に匹敵する兵力を皇家が保持している事を危険視していた。
「フォーンコルヌ家はスラップを切り捨てるでしょうね。シャルカ家は勢力を伸ばす好機かもしれません。まあ、実家を出られるユースティア様には関係ありませんね」
「ええ」
「ユースティア様は民間の弁護士になり、外部から少しでも公正に法が運用されるよう求めていくおつもりなのですよね」
「ええ、一族には裏切者のように扱われていますけれどね」
ユースティアは苦笑した。
学院を出ればきっと生活は苦労するだろう。
「皇家を出られるのでしたら選帝選挙に与える影響はなくなりますから困った事があれば何でも言ってください」
コンスタンツィアの個人資産の管理の為に雇う事も出来る。
そうすればシャルカ家がユースティアの活動を妨害しようとしてもコンスタンツィアの目をはばかる事になりユースティアの身も安泰だ。
「ふふ、もし生活が立ち行かなくなったら相談させて頂きますね。でもしばらくは自分がどこまでやれるか試したみたい」
「凄いわ。ユースティア様は本当に勇気がおありになる。尊敬します」
コンスタンツィアは母達が個人資産として残してくれたものがあるので、最悪働かなくてもどうにでもなる。今年は楽をして祖母の残した魔術の研究をしようと決めていた。
まだ低学年で学業も厳しくないので今のうちに遊んでやろうとさえ思ってソフィーにもつきあった。そんなコンスタンツィアにとってユースティアを見ると自分が少し恥ずかしく思えてしまう。
「いえっ、私には相談して支えてくれる人がいるので自分だけでここまで勇気を得られたわけではないのです」
「あら、ひょっとして恋人ですか?」
ユースティアがやたらと顔を赤くしているのでコンスタンツィアは尋ねてみた。
「やっその・・・はい・・・」
大人びたユースティアが消え入りそうな声で頷くのをみてコンスタンツィアは可愛らしく感じてしまった。
「お相手は何方かしら・・・身近な大人・・・ううん、こんなこと相談出来ないわ。無謀な若者でもなきゃ皇家から離れて生きて行こうなんて・・・あっ、もしかして従兄のレオナール様?」
言われたユースティアは驚きの余り声を失った。
「な、なぜ?」
「あら、本当だったのですか?なんとなくいい雰囲気かな、と思っただけでしたので大した根拠はありません」
ユースティアも男を寄せ付けない雰囲気の才女の風格があったが、夜会でも学院でも従兄とは親しそうだった、とヴィターシャがコンスタンツィアに報告していた。
「なっ、内緒にして頂けませんか?お父様に露見すると彼に迷惑が」
帝国は近親婚を固く禁じている。従兄妹婚も不許可である。
コンスタンツィアの祖母と曾祖母達の不幸も近親相姦が原因だった。
「勿論誰にも言いません。学院を出たら自由都市で結婚されるおつもりでしょうか」
「・・・・・・ハイ」
自由都市連盟はもともと帝国の海外直轄地だったので今も帝国の傘下のようなものだが、皇女が平民の市長に嫁いだことがあったり、結婚に関してはかなり緩い制度と理解がある。従兄婚が許容されている東方圏にあっては自由都市も同様だった。
「その時は是非呼んでくださいませ」
「有難うございます、本当に内緒にしてくださいね」
「はい、勿論」
コンスタンツィアは微笑んだ。本当にいろいろと進んでいる女性だった。
◇◆◇
「そういえば、マヤはどうしていますか?」
飛び級をしてしまったマヤとコンスタンツィアが会う機会が激減してしまい、お昼休みの時間もずれているので滅多に食事を同席することも無くなった友人の近況を尋ねた。
「さすがに授業中は手を出されていませんが、終わるとどこかへ連れ出されているようです。魔術の授業を私は取っていませんので、自分の目で目撃した事はありませんが、野外の実験の時は二人だけでどこかへ姿を消し、マヤさんだけが酷く疲れて帰ってきたことがあるとラキシタ家のボロスくんに聞きました」
「・・・あの子どうして相談してくれないのかしら。それにあの子の力なら簡単にあしらえるでしょうに」
「国が人質に取られているようなものですからね・・・」
以前にボロスが怒り、レクサンデリ達も介入して西方候に告げる事をちらつかせて表面的には収まっていた。しかしどうやら再発していたらしい。
「腹立たしいわ。わたくしの友人を・・・」
「飛び級でやってきたマヤさんは可愛らしくてみんなに人気ですから少しずつ止めさせるようにしていきます。ボロスくんが気を使ってくれているのでマヤさんも最近は頼りにしているようです」
「まあ、さすが皇家の御曹司ね」
コンスタンツィアの中でラキシタ家の好感度が上がった。
父への報告書に加筆しておかねばなるまい。
◇◆◇
コンスタンツィアはそれからしばしばユースティアと親しく付き合い、時に裁判の傍聴をしに行った。以前から危惧されていた通り、北方圏の姫君が気に入った帝国貴族の男を襲って妊娠してしまいその件が訴訟沙汰になっている。
貴族の恥ということで平民の傍聴は許されていないが、面白がった貴族達が集まり希望者が多すぎるので毎度毎度は傍聴出来なかったが興味深い事件だった。
「皆さんはあの男性をみっともないといいますが、私は随分勇気のある方だと思いますし支援したいと思います」
「意外ですね」
「そうでしょうか?今回の場合性的暴行の被害者は男性の方ですし、訴訟に踏み込みにくい社会的弱者になります。皆さんがこうやって晒しものにすればするほどに」
「社会的意義はあるかもしれませんが、この裁判は勝てないと思いますよ」
北方圏の女性が学院に招待されているのは前大戦で北方圏の人口が減り過ぎた為、魔力持ちの支配階級を再強化する為だ。
「・・・政府の思惑が司法に及ぶなら確かに勝てないでしょうね」
加害者の方は産んだ子供は国元に連れ帰るので男性側には養育費を求めない事を明言しており、今後何の被害もない。政府は有力部族の娘と事を荒立てない事を望む筈とコンスタンツィアは考えた。
既に北方で蛮族との戦闘は再開されており、皇家連合軍は苦戦してアル・アシオン辺境伯や北方部族の協力が欠かせない状態になっている。
この裁判では結局女性側には何の罪も問われず実質勝訴に終わった。
出すものを出した以上合意の上という言い分が通ってしまいユースティアは嘆く。
「嫌な判例が残ってしまったわ。もし逆に女性が被害者だった場合、僅かでも性的興奮を示そうものなら合意とみなすという判例を踏襲されてしまうかも」




