第30話 ソフィー・マルグリット・ヴォーデモン
ソフィー・マルグリット・ヴォーデモンはダルムント方伯家に仕える裕福な貴族の娘である。両親共に愛の女神の信徒であり、父母はお互い公認の元で愛人を作っている。
一夫一婦制の帝国では家庭のあるもの同士での浮気は罪になるが、相手が独り身の遊びは褒められた事ではなくとも許容される。商売女を相手にしてくるよりはマシとさえ考える者もいた。
そしてヴォーデモン家ではお互い公認なので喧嘩にもならず仲は睦まじい。
「ソフィー、愛の無い人生なんて虚しいわ。お父様は素晴らしい男性だけれど時々、どんなに素晴らしい男性か他の人と比較してしまいたくなるの」
とは母の弁。
「いいか、ソフィー。あいつの魅力は年を追うごとに円熟さを増してくる。まさに永遠の美を誇る女神の化身といっていい。聖堂騎士の反乱騒ぎの時に辛い決断をしなければならない事もあったが、あいつの優しさで救われた。俺もあいつを見習って大いなる神の愛を体現したいと思う」
とは父の弁。
多数の愛人を抱えても夫婦仲の良い両親の下で育ったソフィーは男友達が多い。
ソフィーは東方人からしてみるとふしだらな女性と言われても仕方ないような女性で、帝国貴族としてもやはりちょっと乱れているタイプではあった。
小さい頃から男に媚びてるだの、男をとっかえひっかえからかって遊んでるだのさんざん陰口を叩かれてきてだいぶ開き直った性格に育っている。
学院に入ってからも次々遊ぶ男を変えていたので車輪女とさえ陰口を叩かれ始めた。
両親が帝都での方伯家の業務を支える為、帝都にやって来たがコンスタンツィアの周囲には平民貴族がいたりして居心地もよかった。神々を見習うヴォーデモン一家にとっては貴族も平民もなく愛を施す対象なのでノエムとも屈託なく付き合っている。
コンスタンツィアより年上だが、彼女は家臣の娘ということもあってソフィーを周囲の偏見やいじめから庇ってくれていた。
そんな育ちのソフィー・マルグリット・ヴォーデモンは友人思いの女性である。
これまでの恩返しとして友人を悪の道から救い出さなければならないと使命感に燃えていた。帝国人にとって悪の道とは『同性愛』『近親相姦』である。
『産めや、増やせよ、世に満ちよ』とは古代帝国以来の国是といっていい。
帝国を強大化させたのは人口の多さ、人口に応じた経済規模、技術分野の幅の広さ、こういった裾野の広さ、敗者を取り込み帝国化していく力である。大地母神の祝福を受けた恵まれた土地が圧倒的人口を支えてきた。
同性愛、近親相姦が蔓延し、血が濃くなり過ぎたり少子化が加速してしまうと、従属国に対して優位な点が失われるので帝国人の間で特に同性愛は禁忌とされている。
ある日、ソフィーはヴィターシャに尋ねた。
「なんだか、コンスタンツィア様とヴァネッサはいつも一緒にいませんか~、怪しい・・・」
巡礼の旅から帰って来てから妙にヴァネッサがコンスタンツィアにくっついて回っている。昔はお小言ばかり言われていたので敬遠していた筈だ。
それが今や、主従でもないのにお互い香油を塗りマッサージしあう仲になっている。
コンスタンツィアが親の監視下から離れて帝都の邸宅に一人暮らし(使用人はいる)しているので、時々皆で泊まりに行って大浴場を利用したあと二人でそんな事をしていたのをソフィーは見た。
「あー、いろいろあってなんだか仲良くなっちゃったみたい。前にコンスタンツィア様ってば自分が男だったらヴァネッサを奥さんにしたいとかいってたし」
「なんてこと・・・」
ソフィーはチャームポイントの垂れ目をくいっと上げて、友人達を悪徳の道から救い出さねばなるまいと決意した。皆を愛の女神の結社に引き込み、男に興味を持たせようとしたのだが、ヴァネッサがコンスタンツィアに男が近づくのを妨害しているし、コンスタンツィアもどことなく虫けらでも見る目で男達を見ている気がした。
あれは絶対男嫌いになりつつあるとソフィーは確信した。
ソフィーは帝国貴族の夜会にコンスタンツィアを連れて行こうとしても頻繁に断られてしまっている。拒否されるのも仕方ない理由があり、コンスタンツィアの日常生活は多忙を極めていたのだった。
今や彼女の日常業務は多岐に渡る。
帝国議会への出席、学院理事会への出席、地位に相応しい学力の習得、帝都にやってくる巡礼者や聖堂騎士達の相談事の応対、”子ウサギを愛でる会”への出席、孤児院の面倒、母が残した不動産の始末、錬金術の習得、趣味の魔術修練、宮中行事への出席・・・
◇◆◇
ある日、息抜きをと言ってどうにか夜遊びに連れ出したが、彼女は人が変わったように痛飲してナイトクラブで踊り明かしていたので逆にソフィーの方が心配して連れ帰る事にした。
「んも~、どうしちゃったんですか?海風にあたって少し冷やしましょうか~」
「大丈夫よ、ちょっとはしゃいでみたくなっただけ」
店から出ると途端にコンスタンツィアはいつものようにキリっとしたので面食らってしまう。遊び方を知らない子供が無理をしていたようだ。
深夜なので今日はヴァネッサもヴィターシャもいない。
彼女達は普通に貴族のお嬢さんで、親なり世話役が同居しているので貴族のパーティならともかくこんな時間に街の盛り場に遊びにいくなど許されない。
ノエムとソフィーとコンスタンツィアだけ遊びに来ていた。
「わたぢ、ちょっときぼぢわるいです・・・」
ノエムは飲んで踊って、悪酔いしてしまっていたので、結局皆で冷たい風にあたる為、川沿いを港方面に歩いて行った。
帝都は深夜でも川沿いの照明は常時付けられている。
魔術で維持されているものもあれば定期的に油が足されているものもあり、犯罪予防に市内の警邏隊が巡回して点検もしている。
実験的にガス管が埋設されている港の照明はかなり明るい。
その港の近くまで来ると正面に二人組の男がいて、彼女達を見ると近づいて来た。
「よーよー、お嬢さん達、暇あるかい?俺らと朝まで飲みに行かないか」
コンスタンツィアとソフィーはまだ平気だったが、ノエムは『お酒』の言葉を連想するのも厳しい状態だったので、そのお誘いで限界を迎えてしまった。
「も”うむ”り・・・」
ゲロゲロとその場で吐き始めてしまう。
男達はいきなり吐かれてこりゃ声をかける相手を間違えたかとドン引きである。
「あー、もう仕方ない子ね」
コンスタンツィアは背中をさすってやったのだが、その時照明が彼女の横顔を照らし、男達があっと驚いた。
「あっ、てめえは!」
「何かしら?」
いつぞやにコンスタンツィアに絡んだチンピラだったのだが、コンスタンツィアは相手の顔を覚えていなかった。
「てめえのせいで兄貴はあのまま死んじまったんだぞ!」
「?」
庶民のチンピラに知り合いはいないのでコンスタンツィアは小首を傾げた。
「クソアマが!惚けやがって!!」
怒った男はいきなり特殊警棒を抜いて殴りかかってきた。
警棒の先端には夜光塗料が塗ってあり、光に反射してきらめく。
二人組の片割れは一応「ちょっ、まっ、やべえって」と止めようとはしていた。
コンスタンツィアもソフィーもついつい警備員がいるお店から遠く離れすぎてしまっていた。やはりお酒が入って、気が緩んでいたようだ。
まあ、お酒が入っていてもコンスタンツィアは魔術が使えるのでチンピラ風情はあしらえる。ソフィーの方は攻撃に使えるような魔術を習った事もないので、さっさと護身用に持っている笛を思いっきり鳴らした。
ピィイイという高い音が周囲一帯に鳴り響く。
深夜でも大きな橋や港には衛兵が常駐しており、その音に反応してカンテラを点けてすぐにこちらに向かってくる気配がした。
暴漢の警棒はコンスタンツィアの魔術装具がいとも簡単に防ぎ、反撃で引っ叩いてやっていた。警邏が集まってくる気配に男達は逃げ出したが、コンスタンツィアが最近自分で合成できるようになった錬金術の秘薬を投げつけて火だるまにしてやった。
まだまだ未熟だったので少し服に火がついただけで直ぐに消えたが、警邏が追跡する目印にはなった。
◇◆◇
翌日にコンスタンツィア達の所に警察が事情聴取にやって来た。
相手が相手なので担当刑事と警察署長が一緒である。ソフィー達も集まっていたので、手間が省けたと喜んでいた。
「コンスタンツィア様を襲った男達は逮捕しました。二人とも軽度の火傷を負っていますが、命に別状はありません。どうなさいますか?」
「どうなさいますか・・・と言われても法に則って処分してくださいとしかいえません」
コンスタンツィアは顔も覚えていない賊に興味はない。護衛も無しに深夜の街を出歩いた自分が軽率だったと反省すらしていた。
が、話を聞いたヴァネッサは怒り心頭である。
「死刑!死刑に決まってます。コンスタンツィア様が護身魔術を心得ていたから良かったようなものの、抵抗しなかったらどうなっていたと思います?署長さん、わかりますよね?」
「それはまあ・・・そうでしょうなあ・・・」
深夜に暴漢に襲われた女性など大抵強姦された後に河に捨てられ死体となって朝になると発見される。そんな事件を署長は山ほど見てきた。
ソフィーもヴァネッサに同意した。
「まあ、相手は平民だし。死刑でしょうねえ」
「ほら、襲われた当事者もそう言っています」
署長は一緒にいたノエムにも一応仕事として話を聞いてみた。
「えー、確かに襲われまして怖い思いをしましたが、死刑って警察が決める事じゃないでしょ。普通に傷害未遂事件じゃないんですか?」
刑罰もそれに相応しいモノになるべきでは?とノエムは疑問を投げかけた。
貴族と平民間のトラブルでありがちなことだが、司法が関与する前にすでに結論が出ようとしているのがノエムには気に食わない。
「まあ、そうなんですがね・・・。さすがにコンスタンツィア様を襲って殺意はありませんでした。実際に怪我したわけじゃないから傷害未遂で済ませよう、では終われないですよ」
署長も貴族の出なので忖度せざるを得ない。
事務処理として一応起訴させるが、貴族に対する殺人未遂で死刑だろうと思われた。ソフィーも相手には殺意があったと考える。逆恨みしたチンピラは抵抗しなければ怒りのまま三人をどこかに連れ込んで犯し、我に返ってもどうしようもなくなって最終的に自分達は証拠隠滅の為に殺されていたと考える。
「で、いかが致しましょうか」
署長はコンスタンツィアに問うた。彼女次第である、と。
「先ほども言ったように法に則って処分してください。あと・・・二人組でしたが、もう一人は後ろで傍観していただけで特に何もしていませんでしたよ」
コンスタンツィアは被害者とはいえ、一応何もしようとしていなかった男については処分を求めずありのままを伝えた。
「承知しました。後はこちらで処理しておきます。ご協力ありがとうございました」
川沿いの地域を管理している第47分署の署長は帰って行った。
ダルムント方伯家も当主不在で誰もこの事件には口を出さなかった為、後は検察と加害者の問題になったが、暴漢達は港湾労働組合に所属しており、組合が弁護士を雇って通常の傷害事件として扱うよう要求した為、意外と拗れた。