第29話 大公女セイラ再び
新帝国歴1429年春。
イーネフィール大公女セイラが帝都にやってきた。
10歳から入学できるマグナウラ院だが、親の希望で13歳になってからの入学である。
彼女はフランデアン王国の別荘にフィリップや兄のフランツと共に滞在する事になり、早速以前の約束通り、コンスタンツィアを翠玉館に招待した。
セイラはコンスタンツィアだけを招待するつもりだったのだが、フィリップが彼女の友人達や他の東方圏から留学生も招待するように言い含めた。
「それでは100人くらいの規模になってしまいますけれど・・・翠玉館では収まらないのでは無いでしょうか」
「中庭で開催すれば問題ない、彼女も私も名誉ある立場だ。世間に二人だけで個人的に会っているように取られると困る」
「なるほど!それもそうですね!」
セイラはフィリップとコンスタンツィアの仲が進展してしまっていないか気が気ではなかったのだが、その心配は杞憂だったと喜んだ。
「こら、あまりくっつくな」
「えぇ?どうしてですかお兄様」
セイラはフィリップの長椅子に寄り添ってべったりと腕を絡ませてた。
小柄なフィリップと違ってセイラも母譲りでなかなか育っていてフィリップは気恥ずかしい。ベルク人は大抵の人種より成長が早いので彼女はもう十分に大人びていた。
「あー、セイラ君。君の兄はこっちだぞ」
反対側の長椅子にはフランツが寂しそうに座っている。
「アンヴェルスの王宮では十公皆と一緒に育ったのですから、みーんなお兄様、ですわ」
「いいけどさ・・・、でもそんなに大規模な歓迎会にするなら結構な費用がかかると思うよ。どうするんだい?」
「お兄様からお母様達に頼んでくださいませ」
「お前が父上に頼んだ方が早いと思うよ」
兄妹の父、リカルドはプリシラ似の娘を大層可愛がって留学にもずっと反対していた。プリシラの方は東方圏に生まれた姫として、人生で最も自由な時間を送れたのは帝都留学時代であり、娘にも同じ時間を与えてやりたいと留学に賛成していた。
フランツは男女関係に緩い帝国人が妹にちょっかいを出すのを警戒している。
男をこの館に招待するのは絶対反対するつもりだ。
そして帝国社交界に妹を出席させない、父とは既にそう密約を交わしている。
「費用の問題は王室で面倒みるよ。僕が言い出した事だからね」
「では、招待状を書きますから何方を呼べばいいか教えてくださいませ」
◇◆◇
そしてコンスタンツィア達が東方の大君主の別荘へやってきた。
「ご招待有難う、セイラさん。随分大きくなったのね。嬉しいわ」
「・・・?ええ、母親似なのもので。コンスタンツィア様もすっかりご立派になられたみたいですね。皆からコンスタンツィア様もお見えになると聞いて随分喜ばれました」
コンスタンツィアはなんだか妙に弾んでいた。
以前会った時はもう少し落ち着いた雰囲気だと思ったのだが。
招待されたメンバーはほぼ女性である。
フィリップがどうせだから在学生と今年入学予定の東方圏の留学生を全員呼んでしまえといい、フランツは男は不要だと最後まで言い争っていた。
結局セイラの希望が通ってコンスタンツィアと彼女に親しい友人達、そして東方圏の女生徒達だけ集まった。
「ひひ、こやつは自分からフィリップに会いに行くのは自尊心が許さなかったらしくてな。呼ばれるのを待っておったのじゃ」
コンスタンツィアのスカートの陰から出てきた女生徒がそう暴露した。
「ちょっと、マヤ!余計な事言わないで」
「・・・自分でご招待して申し訳ないのですが、こちらの可愛いらしい方は?」
「マッサリア王国のマヤ姫よ」
マヤはおかっぱ頭の黒髪の女性で招待された女性徒の中でも一番小さかった。
フィリップとはちょうどお似合いである。
「こうみえても上級生じゃからな」
「飛び級でもう三年なのよ、この子。あちらはシャルカ家のユースティア様、学院生活で何か困った事があればわたくしか彼女に相談して。フィリップと一緒に風紀委員してるのよ、彼女。荒事だったらシュリさんが相談に乗ってくれるわ」
帝国貴族の間では今、平民発の自由主義の波が押し寄せてきている。
自分達は恵まれた環境にあると思っていた高位貴族も自由恋愛を楽しむ平民貴族を羨み、平民と同じような動きやすい服装で日々を過ごし、平民たちの盛り場で遊び、貴族専用の飲食店があっても平民に混じって下町の食堂で舌鼓を打っている。
中には歌手業を始めたり、音楽のコンサートを街中で開いている者すらいる。
そんな貴族達を品位にかけるとして待ったをかけているのがユースティア。
フィリップもやはり遊びに来ているのではないとして東方圏の留学生達に染まらないよう注意して回っている。
古くは学生自治会というものは無かったのだが、近年は学院側と意見交換をする必要もあり自治会が設けられ風紀委員も組織されていた。
フランツは帝国の学院の為にわざわざ時間を割くのは馬鹿馬鹿しいと考えて協力的ではなく、生真面目なフィリップが行き過ぎてしまわないようにする抑え役をしていた。
が、妹が来ると今度は風紀を締め付ける側に回ろうと考えていた。
「風紀ですか~。母は帝国の風俗に留学した当初は吃驚していたそうですけどすぐに慣れたと言っていました。それからは何かと理由をつけて帰国しなかったそうです。東方の王族女性達にとって人生で一番自由な時間を過ごせるのはこの六年間だけだから楽しんでらっしゃいって送り出して貰ったんです」
「いいお母様なのね」
コンスタンツィアはにっこり微笑んでセイラの頭を撫でた。
高身長のセイラはそんな事をされたのは久しぶりで吃驚したが、黙って受け入れた。
コンスタンツィアも背が高すぎる事を悩んでいたが、セイラもやはり東方圏の女性にしてはかなり背が高い。そしてフィリップと釣り合いが取れなくなりつつあることに焦っている。
「ま、お主もこちらの生活に慣れるまではフィリップ坊らに従っておいた方が良いじゃろうな」
「そうね、マヤのいう通りだわ」
「そうだぞ、セイラ」「・・・」
親身になって忠告してくれているのが伝わるコンスタンツィア達と違って単に便乗しただけのが丸わかりの兄にセイラはジト目を向ける。
「そういえば、セイラさん。フランツ様。以前頂いた猫を今日連れてきたのですけれど、こんなに集まるとは思っていなかったからまだ馬車に預けてあるの」
コンスタンツィアはフランデアンの面々が贈ってくれた猫に会いたいだろうと思って連れて来たのだが、猫が警戒してしまって可哀そうなので馬車の籠に置いてきてしまっていた。
「お気遣い有難う御座います。世話をしていた侍女を呼んできましょう。セイラはお相手を続けていてくれ」
フランツはそこらで給仕をしているナリンを呼びに行った。
その間、セイラ達はヴァネッサとも再会を祝っていた。
「まあ、ヴァネッサさんもすっかり大きくなって見違えました」
巡礼の時にはコンスタンツィアの小間使いの少女か何かと勘違いしたヴァネッサだが、今は肩を並べるほどにまで成長していた。
「ふふ、帝国には身長を伸ばしてくれる神様がいるのです」
「それは凄いですね!ところで縮めてくれる神様はいないんですか?」
「?」
◇◆◇
「セイラさん」
コンスタンツィア達と別れてしばらく、セイラを呼び止める者があった。
「あ、えーと。ヴィターシャさん。お久しぶりです」
「覚えていて貰えて光栄です。ズバリお伺いしたいのですが、セイラさんとフィリップさんはもう婚約されているのでしょうか?」
「え、ええ?」
突然の質問にセイラは困惑を隠せない。
「ぶしつけで済みません。うちの国の女達がワリと本気でフィリップさんの事を狙っているのでもしほんとなら早めに諦めさせてあげて頂きたく」
セイラはそうあって欲しいと思っているのだが、残念ながらまだ両親は婚約を取り付けてくれていない。
「済みませんが、こればっかりは父が決める事ですので」
「やっぱりセイラさんでもお父様の意思には逆らえませんか?」
「当然ですとも。ここまで育てて頂いた恩がありますから。帝国の方はいざとなれば裁判を起こしてでも気に入らない結婚からは逃げられるって聞きましたけど、東方でそんな事をしたら父も母も世間の笑いものです」
フィリップに対する恋心はあっても、父親への義務の方が優先するというセイラだった。
「エロスに導かれるお年頃なのに立派ですね。あ、エロスっていうのは恋愛の神様で、シレッジェンカーマ様の娘にあたる神様です」
「はい、ちゃんと覚えていますよ。皆さんで一緒にお参りしましたものね」
人間とそれほど変わらない容姿の神々の像の中で唯一羽根が生えている変わった神像だった。
「いやあ、東方でも大地の神々にちゃんと敬意を持って貰えてて良かったです、ではこれで」
そういってヴィターシャはまた次の取材相手を探しに行こうとした。
「あ、待ってください」
「?なんでしょうか」
「・・・フィリップお兄様を誰が狙っているのか教えて頂けます?」
ヴィターシャはにんまり笑いせいぜい情報を高く売りつけてやった。
◇◆◇
入学してからセイラは知ったのだが、ヴィターシャはマグナウラ院で新聞部を作って活動を始めていた。各国のゴシップ話を集めて記事にしたり、学生達の人気投票まで募っている。
それによると学院の女性部門一番人気はコンスタンツィアで、厳しさ、優しさ、美しさ、賢さ、包容力、地位、貴賓、何もかもあわせもった帝国貴族の女性の賢母像として尊敬されていた。シャルカ家のユースティアも人気は高かったが厳し過ぎるとして若干敬遠されている。
コンスタンツィアは自身の地位にも関わらず意外と気さくで話しやすいと東方圏の新入生からもすぐに人気が集まった。東方の姫君達の上級生もやはりコンスタンツィアを頼りにして親しくしているようでそれを後押しした。
東方圏や各国の女生徒達にも偏見なく分け隔てなく接するのは巡礼でいろんな地域を回ってきたおかげだろう。高位の帝国貴族の男性はやはり諸国の留学生を従属国と見なして自分の召使のように接することもあり、留学してきた姫君達に嫌われている。
数名はそれでも煌びやかな帝国に憧れている者がいて誘われるがまましばしば私的な交際を行っていた。




