1428年 挿話③:イーネフィール女公爵
イーネフィール大公国の女公爵プリシラは久しぶりに女王のもとを訪れていた。
ウルゴンヌ王国の宮殿には珍しくマリアと異母姉マーシャが滞在している。
「まあ、お珍しい。いったいどうされました?お二人が揃っているなんて」
これまで女王は半年ごとにフランデアン王国に滞在する決まりになっていたので、不在の間は片方がウルゴンヌ王国の女王の役割を負っていた。
「フィリップも大きくなった事だし、もうマリアに何かあってもわたしが引き継ぐ必要はないでしょう?」
「だからこそお姉様には陛下の所にいて欲しいのですが。ヨハンネス先生も道楽の旅に出かけてしまったのでしょう?」
ヨハンネスはウルゴンヌ王国の武術師範であり、マーシャの警護役を務めていた医者兼格闘家だった。
「いいのよ、もう。全然赤ちゃん授からないし」
二人の子供に恵まれたマリアと違って機会は同じくらいあるのにマーシャは一人の子も授かっていなかった。
「やっぱり妖精の民の血が濃いと常人とは子供が作り辛いのでしょうか」
フランデアン王シャールミンの従兄と結婚したプリシラもそれほど子供は多くない。溜息をつくマーシャにマリアは励ますように言葉をかけた。
「いつかは恵まれますよ。陛下の傍で支えてあげてください。それと浮気していないか見張っていて貰わないと!」
「彼は浮気なんかしないってわかってるでしょ?あんまりそういうことばっかりいって疑いの目で見てるとホントに嫌われちゃうんだから。・・・わたしこの前またカレリアさんの事でからかったら本気で怒られちゃって、捨てられるかと思った」
公的な立場を持たない愛人のマーシャは寵愛を失ったらそれが最後、財産も失い行く当てもなくなる。
「そんなことにはなりませんよ。私がサンクト・アナンの城主に正式に任命しますから」
そう持ちかけられたマーシャは慌てて両手を振った。
「いいっていいって。そんなことされたら国が割れちゃうんだから」
マーシャは先王の愛人の娘だが、認知はされていたので王のもとでマリアと共に養育されてきた。稀な事に母親同士の中も良かったのでトラブルも無かった。
中も良すぎて同年同月同日に二人は生まれた。
マーシャは気さくで武術の才もあり、行動的でスパーニア戦役中にサンクト・アナン城で直接指揮も執っていたことがあり、将兵の人気も高い。
マリアの方はスパーニア戦役の序盤でスパーニア王に囚われていた悲劇の姫君であり、親兄弟が次々と戦死して自分の目の前に遺体を引きずり出されても気丈にスパーニア王との結婚を拒否し続けてウルゴンヌの独立を維持した。
その後自力で脱出して帰還し、フランデアン王の協力を取りつけた為、貴族の人気が高い。
マーシャは認知はされていたが王位継承権はないので、これまで姉妹の王位争いに発展した事は無い。マリアが死んだ場合、マーシャが女王になったとしてもあくまでも死んだのはマーシャの方であるとして彼女が女王マリアを僭称するだけだった。スパーニアの二大公国を取り込んだとはいえウルゴンヌ自体がもともと吹けば飛ぶような小国だった為、王国に昇格した時点の状況では二大公に反乱を起こされると勝ち目が無かったので正統な女王不在は許されなかった。
この点についてはウルゴンヌ貴族は全員承知である。
「あら?ひょっとしてギスギスしてます?」
プリシラがからかう。
しかしそれはあまり良い冗談では無かった。
帝国や西方圏と独自のコネクションを持つイーネフィール大公が反乱を起こす可能性が高いと世間に見なされている為である。
大公に仕えている家臣達も女王に忠誠を誓っているわけではなくむしろウルゴンヌ公爵の娘に過ぎなかったマリアの方を格下とさえ見なしていた。
しかしながらプリシラはフランデアン王にリカルドとの結婚を許して貰い、匿って貰った恩義があり、その際マリアとも何年も一緒に過ごして夫達を支えていた仲である。
反乱などは考えてもみなかった。
プリシラがそういうとマーシャも頷く。
「だよねえ。わたしも女王なんてめんどくさい仕事やりたがるわけないって皆知ってると思うんだけどなあ」
「お姉様、また家出なんて企んでいませんよね?」
「今はまだ、ね。それよりプリシラさんの用件を伺いましょうか」
ああ、そうでした、とプリシラが居住まいを正した。
「実は帝国の軍務省から向こう五年分の兵糧を買い取りたいと打診がありまして」
「五年ですか?東方軍の?」
「はい、それと北方軍のものも含めて。それで、どうしたものかと女王陛下に相談に参りました」
マーシャとマリアは顔を見合わせた。
「帝国政府からは皇家が連合軍を結成するのでまとめて買い取りたいと話がありましたが・・・どういうことでしょうね」
「政府から?こちらは軍務省の兵站課の担当者がいつものように話を持ってきたのですが、少々契約期間が長くて東方軍と北方軍両方面軍となるとフランデアン側にも協力していただかないと」
「私の方には外務省と商務省の担当者が来ました」
彼女達は困惑して宰相プール伯ジャンを呼んだ。
「なるほど。お話を伺いますに帝国内で単純に情報連携がうまくいっていなかったという事が考えられます。後は軍務省が兵糧調達価格が上がる前に抑えておきたかったとか、向こうの内部の問題ですな」
外務省や商務省が皇家に媚を売りたかっただけとかいくつか可能性をあげた。
「結局どうすればいいかしら」
さすがに両者に提供できるだけの兵糧をイーネフィール公領だけで賄うのは難しい。
「プリシラ様は単純に女王陛下にお願いするように、と伝えればよろしいでしょう。五年契約となると凶作になった場合、調達できずに違約金を要求されるかもしれません」
「そうしたら次からわたくしの所に直接、話を持ってきてくれなくなるのではないかしら」
「ご不満・・・でしょうか」
まあ、この辺りがイーネフィール大公の家臣達が編入してから10年経っても文句をいう理由である。特権的立場を失い、自分の主人が別の主人の命令に従わなければならないというのが不満なのである。イーネフィール公家がスパーニアを裏切ったのはウルゴンヌの為ではなくスパーニアの先行きが暗いと踏んでフランデアン王についたのであって、フランデアン王の命令ならともかくウルゴンヌ女王の命令には従いたくない。二重王国の面倒な点だった。
「仕方ありませんね。ひょっとしたらこの辺りも帝国側の思惑の範疇かもしれません。彼らは私達を分断したがっていますから」
強大すぎる王国の成立を帝国政府は許さないと思われたので、フランデアン王は先んじて自分がフランデアンとウルゴンヌの両王を兼ねて同君連合となるのは一代限りと宣言した。
もともとウルゴンヌ公国に対する独立保障の条約を履行せず、スパーニアの侵攻を放置して滅亡寸前に追い込んだのは帝国に責任がある為、帝国側もあとからそれを容認した。
「私達を分裂させ、さらにフランデアンとウルゴンヌの間にも亀裂を入れたいのね」
「すぐにも軍を編成したいから回答を急げって言って来てるけどどうしましょうか」
宰相は即座に口を挟んだ。
「なりません。向こうに問題があっても一度署名すれば最後、履行できねば違約金を求められます」
「それは分かっていますが、少々問題がありまして・・・」
マリアは少しばかりいいづらそうにマーシャに目をやった。
「ピトリヴァータのセシリア様のことで外交官の方がちょっと脅しを入れてきたの。蛮族と王女が深い仲にあった事を知っていたんじゃないか?って」
蛮族を匿った者は死刑と帝国大法典で定められている。
蛮族に与した国は人類の敵と定め、帝国軍が懲罰軍を送って来る。
実際、先の大戦の最中に蛮族を愛人としていたリーアン連合王国の上王の国は壊滅させられた。小王国の連合国家だった為、攻撃にあったのはそのうちの一国だが国民は奴隷として世界中へ売り飛ばされた。
セシリアが蛮族を囲っている事はマーシャやフランデアン王も知っていたのだが、広めるわけにもいかないので身内にも黙っていた。蛮族全体と手を組んでいるわけではなくあくまでも個体だったからだ。個体の蛮族程度なら闘技場の経営者でも所有しているので咎めるほどではない。
「一体全体なんで『天の白百合』ともいわれた聖女セシリア様が蛮族なんかと・・・」
セシリアは王女でありながら盲人を世話し巡礼者を保護する事で帝国にも名を知られた聖女だった。清浄な香気を持つ白百合を使って盲人を導いた為、『天の白百合』という異名をつけられた。彼女は生涯結婚しないという誓いを立てて父王を困らせていたのだが…。
「リーアンって東ナルガ河越しとはいえ、蛮族と境界を接しているじゃない?たまに河を泳いで来たのか蛮族が偵察に来る事があったみたいなのよ。でも目の見えない人には蛮族が家に入って来たとはわからないから普通にお客さんかと思って世話している内にいつの間にか深い仲になっちゃうことがあるみたい」
襲って食い殺す蛮族の方が多いので稀な例だが何千年も続けば、子供が生まれて帝国にみつからないよう育てるケースもある。
「盲人を世話しているうちにそういう例を知ってしまったと・・・」
「うん、まあ彼女が愛してしまった蛮族は正確には半獣人だから蛮族じゃないんだけど」
帝国は半獣人も蛮族とみなして即座に殺す。
実際に子供を産んでしまった親はむざむざ我が子を殺させるわけにはいかないので抵抗して逃げる為、時に悲劇が起きた。
「もともとセシリア様が捕虜として捕らえた半獣人でセシリア様も今まで子供に恵まれなかったからどうせ出来る訳ないと思っていたらしいけど、出来ちゃったのよね。これが」
マーシャはやれやれ処置無しと両手を振った。
「お姉様、冗談では済みませんよ」
組織的に蛮族を匿ったと見なされれば帝国軍が襲撃してくる可能性がある。
「わかってる。今回の辺境伯領回復の為の軍勢が進路を変えてこっちにくる可能性もあるし。わたし達にはそこまでしなくてもピトリヴァータ王国は不味いね」
ピトリヴァータ神聖王国はリーアン連合王国から分裂した西部諸国の連合国家であり、神権政治体制を取っている。
「陛下はどうなさるおつもりかしら」
マリアは今頃詰問の使者が来ているであろう同盟国を慮った。
ピトリヴァータはスパーニア戦役を共に戦い抜いた同盟国であり、彼らがリーアン東部連合に攻められた時は援軍を送ったし、こちらがスパーニアと戦った時は大軍を送って貰った。
攻守同盟である以上、帝国軍がピトリヴァータ神聖王国を攻めるなら帝国と戦わなければならない。
「わたくし達は戦役の後、武器を売って常備軍も解散しました。帝国が攻めてきたら勝ち目はありません」
フランデアン軍は何度も敗北を喫して周辺諸国が敵だらけだった事もあり多額の借金を負った。平和になった以上、軍を維持する事は出来なかった。
「勝ち目がなくても夫は戦うでしょう。そういう方です」
「そうよねえ、マックスのいい所だけど。今度の相手はスパーニア王の比じゃなくてよ」
マックスとはシャールミンの帝都留学生時代の愛称で、即位した時に呪い除けの為に改名した。マクシミリアンが本来の名前だが、留学生時代の友人だったプリシラには愛称で呼ばれる。
「スパーニアと戦い始めた時、フランデアンの常備軍だって一万くらい。貴族達の協力でなんとか十万の兵は揃えましたけど、スパーニア軍は五大公それぞれが十万の兵をお持ちでした。プリシラ様はよくご存じでしょう?」
「今は東方の大君主だから、号令をかければ諸国も参戦してくれるだろうしね」
婚約者を守るために単身敵国に潜入した夫があってこそ自分達の今があると信じる姉妹は条約を違える気は無かった。敵がいかに強大であろうとも。
「神の名において条約を守ると私達は誓いました。陛下が破るとは思えません」
プリシラも頷いた。
「では、兵糧の売却は拒否しましょう。自分達を攻めてくるかもしれない軍に売る兵糧はありません。そもそも王女とはいえ一人の女性の個人的な恋愛を咎めて国家を攻めるなど許されません」
女達は意気盛んにでは軍の編成を始めようかと論じ始めた。
「まあまあお待ちください。陛下方。いったん軍を編成すればそれこそ帝国に介入の口実を与えます」
「でも強襲されたら持ちこたえられないでしょう?帝国の駐屯軍はあちこちにいるし、白の街道を通って数日で攻めてきます」
「あ、どうせなら辺境伯領奪還作戦に援軍を送ってあげる予定とかなんとかいっちゃえばどうかな?」
「いいですわね、それ」
マーシャの意見にプリシラは名案だと手を打った。
女性陣は割と本気で帝国と戦う可能性を検討していたが、実際に百倍の敵と戦うのは男達である。宰相はどうにかして止めようと苦心した。
「とにかく軍に関わる事はシャルタハル男爵にも意見を伺うべきでしょう。ナイルズもそれでいいな」
ナイルズというのはマリアの警護の為に控えている騎士だが、公爵の称号を得ている。先王の時代には男爵で領地は国家に献上していた。
スパーニアに攻められた際に王の子息の警護役を仰せつかっており、何度か撃退はしたのだが、最終的には敗れて二人の王子を惨殺された。
その王子の名はフィリップとシュテファンであり、マリアは自分の二人の息子にその名を与えた。
ナイルズはフランデアン王の騎士となり復讐を遂げ、今はマリアの警護を任されている。スパーニアを恨んでいたが、それ以上に独立保障条約を無視した帝国も憎んでいる。
「陛下の仰せに従います」
ナイルズは言葉少なに頷いた。
彼は戦役中何度も敗北したが、相手が圧倒的な大軍だった以上仕方ない事であり、それでも多くの部下を生還させ、時には勝利を収めた為、ウルゴンヌ軍内で圧倒的な支持を得ている。
軍高官も集めて検討した所、彼らは現実主義者であり軍の増強には同意したが兵糧売却についてはフランデアン王の裁可を待ち、帝国の使者がどういおうと即断即決には同意せず返答保留を提案した。
宰相も同意して帝国の使者に対蛮族戦に協力しないということは人類の敵に回るのも同じと脅迫されても即座の契約には拒否してそもそも帝国政府内でバラバラに売却先の違う依頼をしてくる方が非常識だと突き返した。
使者たちはしぶしぶ帰って行ったが、恨み言は忘れなかった。
「作物の売却も自由にできないとはやはり二重王国とは建前ですな」
※『天の白百合』セシリア
由来は盲人の守護聖人、聖セシリア
本物語においてはピトリヴァータ神聖王国の王女である。
以前本編に登場した通り精神操作の神器を与えられていた。
ピトリヴァータ神聖王国はリーアン連合王国の西部諸国が団結して独立して出来た王国で今時珍しく神権政治体制を敷いていた。
先王はスパーニア戦役中に戦死し、セシリアの父パトリックが選挙で王に選ばれた。もともとリーアン連合王国自体が選挙王政だった為、神官達の選挙による王の指名も抵抗は少なかった。
古代帝国の侵攻を受けた時に王女達が連れ去られて娼婦とされ子供達が再教育された事があり、その辺りは『番外編 方伯家の女性達:シュヴェリーン』で解説された通りである。こういった事情から蔑視されていた小王国集団はリーアンから独立しピトリヴァータ神聖王国を建国した。




