第13話 皇帝カールマーン
第89代皇帝カールマーンはここ最近大宮殿を留守にして寵姫に与えた離宮に籠っている。紫の鎧を着た親衛隊長サビニウスは口には出さなかったがこれでは警備がやり辛いと感じていた。
皇帝に面会する為、郊外の離宮へ毎回訪ねる国務大臣デュセルも苦労をしていた。
彼は侍従長に声をかけて状況を聞いた。
「ゾルタン、陛下は?」
「本日は天馬寮監殿がお見えです」
「ふむ、会えるかな?」
「ええ、お取次ぎ致しましょう」
帝国が管理する天馬の牧場を預けている今の天馬寮監は皇帝にとって妹のような女性であり、カールマーンが皇帝になる前の天文官時代からの付き合いだった。
天馬寮監カレリアはデュセルが来たので少し下がって場を譲った。別に急ぎの話をしていたわけでもないらしい。
皇帝にとっては気の休まる相手との会話を邪魔されて少々不機嫌である。
「デュセル、何の用だ」
「お忙しい所申し訳御座いません。いくつか報告が溜まっております」
「知らせは読んでいる」
憮然としてカールマーンは答えた。
「議会にかける為に事前に陛下にもお話をと思いまして。北方戦線の状況も安定しておりますが、狙い撃ちにされる将官の損害が激しく帝国騎士の派遣をお願いいたします」
「構わんが、それは軍務省に言え。近衛騎士はヴォイチェフが療養中だから動かせん」
「はい、それとひとつ軍務省からある統計情報が出てまいりまして」
「なんだ?」
デュセルが話しづらそうにしているので皇帝は先を促した。
「魔導騎士達の平均寿命が著しく短いのです」
「軍務で危険地帯に赴くのだから当然だろう。厄介な個体は全て彼らに任せていると聞いている」
「は、それが・・・戦死したものを除いた数字です。引退した者達の調査はこれまでしておりませんでした。魔導騎士が早死にするとは昔から言われていたことですが今回はっきりしました。公にすると魔導騎士の成り手が少なくなるかと」
「しかし『マッサリアの災厄』で半数以上を失っている。帝国騎士を増やさざるをえん。その情報は伏せさせろ」
デュセルは頷いて去っていった。
「悪人ですわね、陛下」
カレリアは皇帝を揶揄した。
「昔から言われていた事だ。騎士になりたがるのなら早死には覚悟の上だろう。体に異物を埋め込んで肉体に負担をかける以上はな」
「それはそうですけれども・・・」
若い頃はともかく引退した後は余生をのんびり過ごしたい者も多いだろうに、とカレリアは哀れんだ。
「愛しのフランデアン王も早死にしてしまうかもな。あの戦争で自ら多くの敵を打ち倒している筈だ」
「あら、シャールミン様は妖精の民ですから他人より長生きすると思いますわよ?」
「それは困るな。フランデアンは少々大きくなり過ぎた。このまま大きくなり続けると次の皇帝たちが困ることになる。そういえば彼の長男がマグナウラ院に入ったのだったか」
「また悪だくみで篭絡させるおつもりですの?無駄だったでしょうに」
昔、皇帝がシャールミンを堕落させようと帝国貴族や政府にちょっかいを出させたのだが、怒ったカレリアが怒鳴り込んで来て止めさせた。
「手は打ってあるから別に息子にちょっかいを出さなくてもいいが・・・お前には娘がいたな。誘惑させてみてはどうだ?王子と年頃も近いだろう、お前が叶えられなかった夢を娘に叶えて貰ったらどうか」
「あらあら、わたくしはもう独り身ですし、シャールミン様の事諦めていませんわよ?」
「そうか」
それはそれでいいと皇帝は思った。なんにせよ帝国に次ぐ大国の力は弱めるに越したことはない。東方圏の王にしては珍しい事にフランデアン王はウルゴンヌ女王以外に妃がいない。少年時代に何もかもかなぐり捨てて救い出した女王以外の女が出来れば名声にも傷がつく。
「『皇帝』だなんて大変ですわね、お兄様」
昔の彼はただの優しい天文官だった、似合わない事をしている、とカレリアは皇帝を哀れんだ。
「あぁ、実の所『皇帝』なんぞいなくても帝国は回るのだ。余は軍事にも経済にも政治にも明るくない。兄の、我が家の為に代役を引き受けているだけ。だが、そんな男でもいない事には従属国は従わない。諸王は皇帝には頭を下げても政府には下げぬ」
◇◆◇
カールマーンが閣僚を招集しない為、基本的にデュセルが帝国政府を主導しているが、彼は大貴族の出身では無かったためカールマーンの後ろ盾が必要だった。
その為、しばしばカールマーンに御前会議の招集を依頼し、急ぎの用がある場合は離宮へ度々やってきた。
「今度は何だ」
「はい、帝国の少子化対策の件で閣僚達の意見がまとまらず、陛下のご沙汰を頂きたいと思いまして。市長達からも対策をと求められています」
デュセルは資料を手渡した。
「食糧庁の推定だと人口約2億か。公称より1億も少ないではないか」
「少なく見積もった場合を出してきていると思います。彼らの狙いは皇家から正確な人口統計情報を政府に出させる事です」
政府が把握できているのは帝国本土の半分でしかなく、皇家の領地内は推測となる。
「それは無理だな。選挙の度に我々は争う仲だ。正確な人的資源の情報を出すことはない」
カールマーンも自家のトゥレラ家の情報を出す気は無い。
学者肌の人間を多く輩出しているので軍人を多く出しているオレムイスト家や圧倒的な財力を誇るガドエレ家やアルビッツィ家には勝てない。トゥレラ家から皇帝が選ばれたのは混沌とした状況が続いていたので穏健派が好感されただけのこと。
「お前達はどうしたいのだ?」
やはり駄目か、とデュセルは諦めて話を続けた。
「商務省からは労働力確保の為に移民の条件を緩和して欲しいとのことです。財務省は市長が求める出産助成金増額に難を示しています。軍務省は自由都市市民にも帝国市民権を拡大する代わりに兵役の義務を課すべきと」
皇帝はううむ、と唸った。
大戦が終わったばかりで財政難は解決していない。
政府が介入して人口を増やすには当面は歳出が増えてしまう、税収として回収できるようになるのはずっと先の話だ。
帝国市民は税の負担が低すぎると従属国から文句が付けられているので増税したい処だが時期が不味い。南方圏から発した粉飾決算の問題は帝国にも拡大し富裕層も投資で損害を負っているので増税どころか減税が必要な状況だった。
「お前はどうすべきだと思う?」
「移民についてはこれまで通り一部の特殊技術を持つものだけに永住権を与えて、一時滞在許可証を発行するのみにすべきかと。各国があまりに空洞化すると貢納も減り、蛮族戦線も我々の負担が増えます」
「妥当だな。財政問題はどうする?戦没者とその遺族への年金が重荷となっていると報告があったが」
「兵士と遺族への手当は厚くしませんと募兵に応じる者が減ります。この点については財務省の官僚達に求められるまま減らしてはなりません。軍制改革で抽選徴兵枠を減らしたばかり。年金もそうですが、給料を減らせばまともな応募者は減ります。残念ながら平和になった今では志願制ですと兵の質が低下します」
デュセルは軍団の質が低下することを懸念していた。学の無い貧民、愛国心の無い移民が軍の大部分を占めるようになった場合、次の大戦が起きた時、取り返しのつかない事になる。
「余は学問の道に進んでいたゆえ軍の事はわからないがそういうものかな?志願制の方が意欲のあるものが集まるのではないか?」
「所詮金の為に集まった者達です。命令不服従者や軍の内部での犯罪率も増加しています」
カールマンは思案して同意した。
「よかろう。で、肝心の財政問題はどうするつもりなのだ」
「紋章院から貴族の削減が提案されています。あまりにも貴族の数が多すぎるのです。事業に失敗して領地を売り飛ばし貴族年金だけで生活しているものさえいます」
デュセルは政府機関に務める事も無く、領地も失い、生活の為に平民の富豪との婚姻を繰り返す貴族が増えすぎて紋章院が管理に困っている事を打ち明けた。
「どのくらい減らしたいのだ?」
「20年をかけて少しずつ減らします。半数を」
「そんなにか?」
「それで年間5000万エイクは浮く事になるかと思います。あとは一部の皇家、ガドエレ家やアルビッツィ家の資産をどうにかして削りませんと彼らは既に帝国政府の予算を上回る資産をお持ちです。事業で彼らに敗北して取り潰された家の憎しみを買う事になり将来の禍根となります」
「方針はわかったが、半数は無理であろう。余の家臣であればトゥレラ家自体に仕えている貴族も多い」
帝国領土の半分は約30の有力皇家の支配下にあり、残り半分が政府の統治下にある。
「政府予算からの出費を止められれば構いません。各皇家の自治にまでは介入いたしません。さしあたり帝都在住で皇家にも仕えておらず官僚でもなく特権を利用して商売に専念している方は貴族である必要も無いでしょう」
「そうだな、このままでは帝国の屋台骨が揺らぐか・・・。市民階級の勃興に対抗する為古き血を引く貴族の保護に歴代皇帝が努めて来たのだが、逆の結果になるか」
「予算不足でもマグナウラ院などの貴族向け公教育は継続し、帝国貴族の質向上の努力は続けるべきかと」
カールマーンとデュセルの話は続いたが、傍らの寵姫がカールマーンの脇腹をつついた。
「ん?どうした、退屈だったか?」
「いえ、少子化の問題はどうなさいました?」
話しが横道に大分逸れていた。
帝国が持つ資産の相当部分を占めるガドエレ家やアルビッツィ家をどう切り崩すか話していた。カールマーンが主導するとトゥレラ家に対して反撃されてしまうのでどうするか悩んでいる。
「おお、そうだった。ひとまずこの話は後にしよう。あの連中は海外資産が多い、国内だけではすぐに解決する事もできんしな」
「しかし子供は天の授かり物。出産助成金を出したり幼児死亡率を下げる地道な努力を続けるしかありませんな」
デュセルも即効性のある提案はないようだ。
「だが、出生率の低下はどうする」
「こればっかりは原因がわかりません」
「原因がわからなければ対策も出来ないか」
はぁ、とデュセルは曖昧に頷いた。学者達の原因調査結果待ちだ。
「あら、ひとつ方策があるじゃありませんか」
寵姫がまた口を挟む。
「ほう、どんな策がある?」
「もちろん子供は天の授かり物。ですから皆で大地母神に授けていただくようお祈りを捧げるのです」
寵姫は自身たっぷりに言った。