第26話 終古万年祭.
年に一度、晩秋に終古万年祭というその年の収穫を祝うお祭りがある。
元々は肥沃な大地を恵んでくれた大地母神、帝国の守護神への感謝祭であり、繁栄が永遠に続く事を祈るお祭りだった。
現在では世界中の人々が世界制覇を達成した帝国の都に様々な理由で集まってきており、それぞれが郷里を思って己が守護神への感謝祭を始めるに至り、万年祭は全ての神々への感謝祭へと姿を変えていった。
マグナウラ院の年末試験が終わる頃、ほぼ同時期にお祭りが開催される為、試験が終わった生徒達もパーティを開いて楽しんでいた。
会場は裕福な帝国貴族や皇家がお金を出し合って、適当な場所を貸切り学生向けの祝宴を開くのが恒例になっている。
特定の貴族の私邸では親の職務、派閥の関係から参加出来ない貴族も出てくる為、親の目を気にせず楽しもうと毎年民間施設を貸し切って催されていた。
今年は老朽化した歌劇場が貸切られていた。
帝都では頻繁に地震があるので大規模施設は定期的に検査が行われており、問題があれば補修や取り壊しの指示がある。ここも建て直しの必要があるということで、万年祭の時期にも関わらず既に営業を停止していた。
このウィルシュナ記念劇場は大ホールに3,000人の客を収容可能であり、ふたつの小ホールも500人分の客席があった。マグナウラ院の学生数は約5,000だが、帰国している学生や不参加の学生もいる為参加希望者は十分に収容可能だった。
三つのホール全てで楽団がそれぞれ別のジャンルの曲目を演奏している。
いくつかの座席は取り外されてダンス会場になっていたり仮装舞踏会が開かれていたり、立食パーティが行われていたりしていた。
皇帝や王族用の貴賓席も開放されているので普段は高位貴族や諸王と縁が無い貧乏な学生達も見学して楽しんでいる。
もともとは皇帝用の貴賓席には今回の大口の出資者、アルヴィッツィ家のレクサンデリが友人達と座っていて入れ替わり立ち代わりやって来る見学者の挨拶を受けていた。
同席していたアイラグリア家のヘンルートは来客応対が面倒になって、入り口に守衛を立たせて入室を禁じ、入り口からの見学のみにさせた。
出資はレクサンデリが4割、ロットハーン家のグリンドゥールが1割、他は卒業生やら裕福な商人やらが寄付している。もともとこの劇場がロットハーン家の資産で帝国政府に寄贈した為、グリンドゥールはその縁で寄付をしていたが、勿論個人資産ではなく家元からの提供である。
学生個人で大枚をはたいたレクサンデリをヘンルートやグリンドゥールが褒めた。
「随分奮発したものだね」「たいしたものだ」
レクサンデリは鷹揚に頷いていたが、渋い顔である。
「ガドエレのがいたらなあ」
皇家の二大資産家の片割れが誰も今年はマグナウラ院に通学していない為、レクサンデリの負担が重くなった。
「あそこは守銭奴だからこういうのに金は出さないんじゃないかな?」
グリンドゥールは疑問を呈す。
「こういう時くらいはさすがに出すんじゃないでしょうかね。名誉を金で買える機会はそう多くは無いですから」
皇家の少年達の中で最年長、もう18歳で青年期に入って三年経つグリンドゥールは来年には卒業する先輩な為、ヘンルートは多少言葉を改めた。
「そうかもな。ところで、ヘンルート殿」
「なんでしょうか」
「御父上がとうとう辞任されるようだが、しばらく帝都の治安が乱れたりしないかな?」
「だとしても我々には責任はありませんよ。議会のお手並みを拝見します」
既にアイラグリア家の私兵は帝都から退去する事が決まっている。
万年祭は大勢の観光客がやってきて治安の悪化が見込まれる為、既に各皇家の私兵も増援として入って来たが、管轄を巡って却って争いが増えた。
ヘンルートと親交深いレクサンデリは彼の肩を持つ。
「最近は目立った事件もない。平和なものだ。喧嘩くらいは予想されたこと。暗殺教団よりも今は裸人教の方が気になるかな」
裸人教は最も神に近い生まれたままの自然体の姿で日々を暮らそうという教団である。
いくら信仰の自由は許可されていてもさすがに全裸は困るという治安当局の要請で近年は街中に限っては必要最低限のものは身に着けていた。
当局はさらに規制しようとしたが、その規制を出し抜く為にシースルーの服が産み出され、それはなかなかのデザイン性で服飾業界も売り出しに走り、デザインと快適さを気に入った貴族のパトロンも得て止められなくなってしまった。
こうして裸人教ブランドの服は結構世間に好評で貴族にも広まっている。
彼らにとっては不本意な成り行きだが、神の造形物、人体の美しさを誇り健康体を維持しようというダイエットブームまで起きて医師達も推奨していた。
今日の参加者も従来とは異なったドレス姿の者が多い。
「私は歓迎だが、帝国人には似合わないかな」
今日は仮装舞踏会も催されているので普段服装に厳しい制限のある東方の姫君達はこぞって流行のドレスやこの裸人教ブランドの服を着てスレンダーな体型を誇っていた。
「ほのかな露出は目が引かれる。あれくらいが清楚で実にいいな。思うにうちらの国の女達は少々ガツガツし過ぎている」
「うむ・・・いい」
年頃の男達は貴賓席から目の保養を楽しんでいた。
「獣人の仮装をしている北方人も悪くない。アレと寝るのも背徳的な感じがして楽しめそうだ」
「目元以外を隠している南方人もなんというか・・・想像力を刺激されるな。時折、ちらりと素肌が覗くのもたまらない。ところで北方人の姫に襲われた男が相手を告訴したそうだが」
「情けない。そんな男がいるのか・・・。有難く楽しめばいいものを」
三人ともお酒が入って段々下世話になって来た。
帝国では特に飲酒許可年齢を定めた法律も無く、皆青年期に入り始めた為こういったパーティでは普通に酒も嗜んでいる。
「それに引き換えうちらの国の女達と来たら退屈だな。あんな風に胸ばかり強調して・・・外国を旅していた頃、あんな恰好するのは娼婦だけと聞いて驚いたものだ」
帝国貴族女生徒達は普段の夜会服が多い。
一部は巷で流行りの服装を楽しんでいるが、家がそういった事にうるさくない下級貴族だろう。
給仕の帝国人女性は犬やら猫やら兎の仮装が多い。
守護神の女神達が多産や安産の象徴たる動物を眷属として連れているので古代から愛玩動物として親しまれている。特に発情期が無い兎は人間に近いセックスシンボルとして、幸運の象徴としても人気だった。
「どの国の女が一番良かった?レクサンデリ」
「ん・・・まあ、それはいうまい」
すぐ近くにジュリアが居たのを思い出してレクサンデリは言葉を濁した。
「ここは平気だからお前も下へ行って女同士楽しんで来い」
「・・・わかりました」
ジュリアが出ていくとレクサンデリはふーっと大きく息を吐いた。
「お前はいいな。お目付け役があんな美人で」
皇家の子息たちは護衛兼お目付け役として一人だけ普段から学院内にも供を連れ歩ける。
護衛でもあるので普通は男性だが、レクサンデリだけは異性を連れ込んでいた。
「幼馴染に始終見張られているなんて疲れるぞ。俺も小さいころは随分馬鹿な真似をしたり、思い出すと赤面するような恥を晒した事があったが、全部知っている奴が大人になっても傍にいるんだぞ?」
「なんだ。じゃあ抱いてないのか?」
ヘンルートは意外そうに言った。
「幼児の頃お漏らしした事を覚えているような関係なんて兄妹みたいなもんだぞ。立場を笠に着て抱くなら商売女の方がいい」
母親に甘えて泣いたり、いじけたりしていた所を見られたり、一緒に泥んこになって遊んだりした相手と閨を共にしたくはないレクサンデリだった。帝国の場合、同性愛と並んで特に忌み嫌われているのは近親相姦だ。レクサンデリにとってジュリアを抱くのは妹を抱くようなものだったのでずっと拒否している。
「まあ、わからないでもないかな。子供の頃から世話をしてくれた侍女を抱いてしまった事があるが、結局顔を合わせづらくなって暇を出してしまった」
「酷い奴だなあ・・・」
「他所の女に手を出して火傷を負う前に使用人と遊ばせた方がマシだというのが家の方針でね」
肩を竦めるヘンルートにグリンドゥールも同意した。
「うちもそうさ。身の回りの世話をする者達にはそういうこともあり得るのを前提で容姿の良い者と契約して金を払っている」
「ぶっちゃけ昔の奴隷契約のようなものか」
「拒否する自由はあるさ。むしろ期待されているくらいだが」
高貴な身分といっても年頃の男達の中身はこんなものだった。
普段は世間体を気にするし、よく遊んで限度は心得ているのでだいぶマシな方である。
「無礼講といっても、羽目を外し過ぎる奴はやっぱり出てくるもんだなあ・・・」
貴賓席の下の方の階層ではゆったりとしたソファーにふんぞりかえった男子生徒がいた。彼は小柄な女性徒の首飾りにチェーンを引っかけ強引に引き寄せた体を弄んでいた。
「止めようか」
「いや、アルヴェラグスが行った。放っておこう」
グリンドゥールは理事長の長男が行ったのだから大丈夫だろうと成り行きを見守る事にした。
◇◆◇
「おい、お前。やめないか。彼女が嫌がっているだろう!」
「んー?おやおや、これはフォーンコルヌ家のアルヴェラグス様ではありませんか」
皇家の中でも最大の領土を持つフォーンコルヌ家の長男アルヴェラグス。
十歳になるやいなやすぐに入学してきたので一年生の中でも最も幼い皇家出身の男性だった。
「お前は誰だ?何故こんなことをする」
まだ幼さが残る容姿だが、せいぜい威厳ぶってアルヴェラグスは問うた。
だが、逆に相手からはその容姿で侮られた。
「皇家の御曹司が覚える必要もないケチな小貴族さ」
「名を言え!」
「名前を聞いてどうするのかな?お家の権力で退学にでもさせる気か?」
「そんな事まではしない」
それを聞いた男は酔って赤ら顔のまま疑わしそうな顔つきをした。
「まあいいさ。俺はルクス、アヴェリティア家のルクスだ」
「では、アヴェリティアのルクス。その手に持った鎖を放して彼女を解放しろ」
「今日は無礼講。家の上下関係など持ち込まない筈じゃあなかったのか?一年坊主に命令される筋合いはないね」
そういってルクスはこれ見よがしに鎖を引いて抱き寄せてまた耳をはみ、喉元を舐め、短パン姿の女性のふともも、お腹を撫でまわした。相手の少女はイヤそうな声を上げ、涙目になっている。
「や、やめろと言っているだろ!」
アルヴェラグスは見ているほうが恥ずかしくなって目を逸らしながら再度命令した。
「何故だ?」
「か、彼女が嫌がっているじゃないか!」
「よおく、見ろよ。こいつが嫌がっているか?ん?」
仕方なく視線を戻したアルヴェラグスだったが、ルクスの手が彼女の服の下に入り胸を弄んでいるのを見てまた視線を逸らす。
「嫌がっているだろ!」
「そうか?マヤ、俺と遊ぶのはイヤか?」
「い、いいえ」
「ほらな?」
ルクスは得意げに言い放ち、再びマヤの体を弄び始めた。
「だが、彼女はまだ・・・そ、そういうことをするには幼過ぎるじゃないか!」
「んー?何を言ってるんだ?こいつの国じゃあもう十分に大人だと判断されたから留学させて来たんだぞ。人種差別はよくないなあ、アルヴェラグス?マグナウラ院の理念に反するんじゃあないか?」
ヒヒヒと笑ったルクスはまたマヤのチョーカーにつけられた輪に引っかけた鎖を引いて、顔を寄せ、強引にディープキスをして口腔内も楽しみ始めた。
「こっ、こいつ!人前で!!」
淫らな音も上がり始め、正視できないままアルヴェラグスは怒った。
「なんだよ。お坊ちゃん。俺達は愛し合ってるんだ。これくらい普通だろ。そこらの休憩室じゃあお盛んな連中が山ほどいるぜ。これくらい可愛いもんだろ、なあ?」
年頃ばかり五千人も集まれば恋愛関係に発展する男女もそれなりにいる。
実家公認の関係もあれば秘めた関係もあり、こっそり付き合っている男女は学内にいる時の方が過激化する傾向にある。
もともと歌劇場であるパーティ会場には医務室、休憩室、職員室、専用席、掃除用具部屋その他小部屋が多数あって工事の準備の為、管理も行き届いておらず無人である。ルクスのいう通り入り込んで恋人同士で楽しみ始めている者達も探せばいるかもしれない。
「お前はシャルカ家の家臣だろう。ユースティア殿だって会場の何処かにいる筈だ。こんなこと許されないぞ。彼女は外国の姫君だ、きっと後で問題になるぞ」
「ユースティア?あいつは一族の裏切者だ。ご当主は気にもしないさ。こいつの国はなあ、辺境伯から文句をつけられた所をうちが助けてやったんだ。過去の事例を調べ上げて辺境伯の要求を拒否し、建国を認めさせてやった」
帝国の重鎮が反対するマッサリア王国建設が認められたのはそういった根回しの成果だった。
「やっぱり無理やり言う事をきかせているんじゃないか!」
「だったらなんだ?俺が何か違法行為でもしてるってのか?愛し合う男女が仲睦まじくしてるってだけだぞ。ほら、こいつの顔をみろよ。すっかりうっとりして可愛いもんだ」
言われた通り視線を戻すと確かにマヤの顔は上気して頬が紅潮していたが、人前で弄ばされて恥ずかしがっているだけかもしれないとアルヴェラグスは首を振った。
「こんな不道徳な事許されない。きっと何かの法に触れる筈だ」
「触れていなかったら法を捻じ曲げるんだろ?権力にモノをいわせて」
「我が家はそんな卑怯な真似はしない!我が家の家訓は『法に携わるもの高潔であれ』だ」
それを聞いたルクスは大きな笑い声をあげた。
「はっはっは、面白い事をいうなあ」
「何が可笑しい!?」
「マグナウラ院はもともとフォーンコルヌ家が所有していた皇后の離宮。法務省が入っている五法宮もそうだ。それで法を公正に扱えるもんか」
「そんなこと関係ない!ここだってロットハーン家の資産だった。公共事業の為に私財を政府に提供するのは珍しい事でも何でもない!」
「へえ?じゃあなんで法務官僚はフォーンコルヌ家の領地からやってきた者が多いんだろうなあ?いくら最も多くの人口を抱える皇家とはいえ他の省庁より明らかに偏っているだろう?」
ぐぬぬとアルヴェラグスは唸る。
どうにも上級生には口で勝てなかった。ルクスはさらに追い打ちをかけて行った。
「フォーンコルヌの顧問弁護士のスラップとかいう奴がいただろう?」
「彼がどうかしたのか?」
「今度はシムラー衛生局長の弁護をかって出たそうだ。シムラーを非難していた新聞社、文筆家を一人残らず名誉棄損で訴えると言っている」
シムラー衛生局長は東方圏からの疫病が帝都の民衆に恐れられているのを利用し、自身の叔父が所有している工場で生産している口内洗浄薬が感染防止に役立つと自分の立場を利用して市民に購入と服用を促した。
新聞社が衛生局長と製薬工場、販社の関係を明らかにして非難すると民衆も彼に辞任を要求し始めた。
「彼が個人的にやっている業務がなんだっていうんだ」
「奴はフォーンコルヌ家の顧問弁護士であることを利用して民間人を脅し、金を巻き上げて訴訟取り下げを要求していっているぞ?」
衛生局長を批判していた人々、団体は皇家がバックについているなら勝ち目はないと諦めて、どんどん正規の裁判が開始する前に金を払って訴訟を取り下げ、示談に応じていた。
「そんなの・・・そんなことまで責任を負えるものか」
自分達の知った事ではないというアルヴェラグスだったが言葉には力が無い。
勢いを失くしてアルヴェラグスはルクスは鼻で嗤う。
「まあ、いいさ。こんな所じゃ落ち着いて恋人と愛を語らえないからな。個室でも探そうか、マヤ姫」
「あっ」
優しい口調とは裏腹にルクスは鎖を引いてマヤを強引に立たせて歩み去ろうとする。
アルヴェラグス以外にもマヤを助けてやろうとしていた少年もいたのだが、彼が引き下がったのを見て怖気づいていた。それでもマヤの手が助けを求めるように少年達に伸びたが誰も手を掴まなかった。唯一ラキシタ家のボロスが僅かに手を動かし、それから引っ込めたのをマヤは見た。
周囲を押しのけ、人混みを割ってルクスは歩き出したが、割った人混みの向こうで長身の女性四人が談笑していた。
「げっ、コンスタンツィア」
呻き声をあげて驚いたのはルクスではなくマヤの方だった。




