第17話 ある日の昼下がり
マグナウラ院には大きな食堂が二ヵ所ある。
その食堂は全大陸、全文化圏からの学生の需要に応えられるよう様々な食材が常備されていた。特定の儀式、手順を踏まないと調理出来ない食材もあるので生徒の要求に応じられる料理人の水準、給与も高い。
王侯貴族の生徒なので食材も厳選された高価なものだ。
「だっていうのに断食・・・」
とほほとノエムが机に突っ伏している。
『子ウサギを愛でる会』に入る事になったので入信が認められるまでの間は断食中である。日中はミルク無し、カロリーゼロのお茶しか飲めない。
体重を絞りたいコンスタンツィア、ヴィターシャ、ヴァネッサはダイエットに丁度いいと我慢していたが、ノエムには辛い日々が続いている。
「お茶もいいものよ。この双頂黒茶は来年から飲めなくなるかもしれないんだから今のうちに楽しんでおきなさい」
「何でですか?」
「理事会の決定でね。寄付が減って予算繰りが厳しくて食堂の質も下げざるを得ないわ」
がーん、とノエムは口に出してショックを受けた。
そんなノエムにヴァネッサは呆れた声をあげる。
「ノエムさんの家は割と裕福でしょうに。タダ飯にみっともないですよ」
「ヴァニーちゃん。うちはケチだからお金があるんです。世間体なんて平民と結婚した時から捨てています。世の中最後にモノをいうのは金です。貴族の血統証明書だってお金だせば平民でも買えるんですよ?」
故にノエムは日々、タダ飯を有難く頂いている。
コンスタンツィアと親しくしているのであまりにケチって恥ずかしい真似をされると困ると親から昼食費、交際費は貰っているがそれをコツコツと貯金していた。
彼女達は食堂の外にある中庭で午後のお茶を楽しんでいたが、周囲の生徒や教師達は普通に食事をしている。友人同士や、出身地域の近い者同士、放課後の愛好会の同志達などがめいめいにグループを作っていた。北方圏の生徒達の多くは中庭に設けられた竈で自分で調理している者もいる。ここは大概のものは揃っていたが、厨房から食材を貰う事も出来れば自分で食材を持ち込んで調理する事もできる。
極度に毒殺を恐れる学生が過去に居た事やここの料理人では調理が出来ない特定の宗教があったので学院側は持ち込みを許可していた。
ひもじいお腹を抱えながらのんびりとしたお茶会の時間を過ごしていたコンスタンツィア達だったが、周囲でひと悶着があった。
「あらあら、たった二人なのに机に一杯お皿を並べて浅ましいこと。南方圏の方かしら?飢えた国民の代わりにお腹いっぱい食べて帰るおつもりかしら。それともお持ち帰りになさるの?まさか廃棄する前提では無いでしょうね?」
コンスタンツィア達が見ると帝国貴族の少女の一団が、留学生二人を嘲っていた。
留学生のうち一人は浅黒い肌に赤い髪で明らかに南方圏の姫君だとわかる。
帝国も大陸南端は南方系との混血が進んでいるが、ここまではっきりした人は少ない。
服装は肩を露出させているが下半身は裾の膨らんだズボン姿である。
もう一人はやや色白で、やはりズボン姿だが上半身は胸を肩から×の形で布を巻いている特有の民族衣装でおへそを露出させていた。
「裸人教の真似事かしら?帝都の流行だからって無理に合わせなくてもいいのよ?それに学内に相応しい恰好とは思えませんわね」
彼女達を嘲った少女達は誤解しているが、おへそを出しているのは東方圏の姫君だった。
コンスタンツィア達と同じ一年生なので顔見知りである。
南方圏の女生徒はマヘンドロ王国のガヤトリー姫。
東方圏の女生徒はジワラフ王国のシュリ姫。
二人とも物静かな性格で、嘲られてもそれに耐えていた。
コンスタンツィアは帝国貴族の女生徒達に注意しようと思ったが、相手が帝国議員の娘だった為躊躇った。
自家の力を背景に黙らせるのも本意ではないし、政治的中立を標榜する方伯家は有力者とあまり関わらないようにしているので話の成り行き次第では父から文句を言われる可能性もある。
コンスタンツィアはひとまず自分達のテーブルで彼女達に目をやっていたヴィターシャに話を振った。
「・・・ヴィターシャ。この前渡した名簿は用が済んだら返却して欲しいのだけれど、必要な事は覚えた?」
「え?あ、はい」
ヴィターシャに皇家の男子達について調べるよう依頼していた件で、ヴィターシャは名簿を閲覧させて欲しいと求めていた。皇家の御曹司たちは護衛も兼ねてそれぞれ一人お供を連れているが、聞き込みするには同郷の帝国貴族も知っておきたいという理由だった。
「え、ヴィターシャさんもう皆の特徴覚えたんです?」
「さすがに暗記は出来ないから念写の魔術装具をコンスタンツィア様に借りて複写しました」
「それで商売の種を思いついたのよね」
コンスタンツィアは意地の悪い笑みを浮かべた。
「えぇまあ」
「え、どんな商売ですか?」
「入学時の魔力量調査で高かった人を紹介するっていう・・・」
ノエムの質問にヴィターシャの声はだんだん小さくなっていく。
名門貴族は魔力の高い者同士を結び付けたがるし、裕福な平民は魔力の高くて貧乏な貴族と縁を結びたい。マグナウラ院の学生名簿を利用してそういった需給に応える商売を思いついたのだった。
「うわ、ズッコい!コネの悪用じゃないですか」
「ほ、報酬代わりだし?」
「で、魔力の一番高かった生徒って誰なんですか?」
ヴァネッサも気になって質問してみた。
「まあ、やっぱりフランデアンのフィリップ様がぶっちぎりですね。続いてロットハーン家のグリンドゥール様。さすがに皇家は違いますね」
「新入生では誰だった?」
コンスタンツィアに水を向けられてようやくヴィターシャは話を振られた目的を理解した。
「ああ、はい。勿論コンスタンツィア様が神人級で最上位ですが、マヘンドロ王国のガヤトリー様も総合二位ですね」
「うわ、凄いんですね。ガヤトリー様!」
ヴァネッサがやや大きな声で隣の机のガヤトリー達に話しかけた。
彼女達はまだ上級生の一団に「あんまり食べる物が無いから地面を掘って虫まで食べるってほんと?」と何とかいびられていた。
ガヤトリーは上級生たちを無視して、恥ずかしそうに答えた。
「使いこなせなくてお恥ずかしい限りなのですが、折角留学に来たのですから有効な利用方法を学んで帰りたいと思います」
「謙遜する事はないのよ。魔力の容量は生まれで決まるといっても過言ではないけれど、濃度については修行次第ですもの。貴女の努力の賜物よ。今時の帝国貴族なんて平民と大差無い人ばかりでそれこそ恥ずかしい限りですもの」
コンスタンツィアのあてつけに自覚があるのか帝国貴族の少女達に一団はうっと怯んだ。
「そ、それならシュリ様の方が大変な努力をなさっています」
ガヤトリ―は手のひらをシュリの方に向けて紹介した。
ヴィターシャもそれに同意する。
「ジワラフ王国のシュリ様ですね。魔力容量は只人級なのに、魔力の濃さだけで総合力だと超人級ですね」
「うわ、凄い。私なんて両方只の人っていう判定でしたよ!ところで・・・なんでおへそ丸出しなんです?普段は上着羽織っていますよね」
ノエムは魔力なんて貴族として最低限あればどうでもいいくらい価値観なのであまり気にしていなかったが、今日のシュリ姫の服装はさすがに気になった。
「あ、うむ。拙者は・・・あ、いや、わた・・・わたくしの母国ではお腹に魂が宿ると考えられていて肌着はこのように露出させておく事で友人を招く時は腹蔵なく・・・といって伝わるだろうか?」
「大丈夫です。話しやすいようにどうぞ」
シュリ姫は帝国共通語が苦手なようでやや独特の言葉使いだった。真っ赤な顔をして恥ずかしそうになんとか言葉を紡いでいる。
「つっつまり、何も隠さず正直に話しますという意思表示を示す作法なのです。あくまでも肌着の話で普段は羽織りものをしてあまり見えないようにしているのですが、今日はガヤトリー様に郷土料理を紹介する為に厨房に特別に用意して貰って動き回って汗をかき、ガヤトリ―様と話すうちについつい母国にいるような気持ちになってしまい、お見苦しいものをお見せしてまっこと申し訳ない。か、かくなる上は拙者切腹して皆様にお詫びいたす所存」
シュリ姫は顔色を赤から青に変えて聞きなれない言葉を言い放った。
「セップク?」
ノエムは小首を傾げて鸚鵡返しに聞く。
「はい。切腹します」
「切腹ってなんです?」
「腹をこう横一文字に切り裂いて臓物を取り出し、己の魂をさらけ出して嘘偽りなく誠実に謝罪しているとお見せするのです」
「そんなことしたら死んじゃいません?」
「無論、死にます。自害致す故、どうか我が国に帝国懲罰軍を派遣しないようお願い致します」
シュリ姫はそういって、地面に正座し短刀を取り出そうとしたが学内なので持ち込んでなかった事に気が付いた。
「ガヤトリー様。申し訳ありませんが魔術で短刀など作れないでしょうか」
「い、いえ。無理です!」
ガヤトリーは両手を突き出しばたばたと手を振って拒否した。
作れないという意味ではなく、シュリを自殺させるわけにはいかないので拒否したのだが、シュリは言葉通り鋭い刃物は作れないと受け取った。
「なまくらでもよいのです。その方が長く苦しんで拙者の誠意をお見せできると思います。あ、コンスタンツィア様なら作れるのではありませんか?無ければ致し方ありません、食器のナイフで・・・」
いきなり自殺するとか言い出したシュリにしばらく呆気に取られていたコンスタンツィアだが話しかけられて、ようやく気を取り戻した。
コンスタンツィアとしてはこの後話の流れで各国の文化を尊重するのは帝国の国是であり、学院でも入学生が一番最初に注意されることだと話してシュリを安心させ、上級生たちに自分の非を悟らせて穏便にご退散願うつもりだったのだが、アテが外れてしまった。
ガヤトリーは友人の為にコンスタンツィアに懇願するような視線を向けた。
「え?ええ?作れますけど・・・」
ガヤトリーの顔が蒼白に変わる。
コンスタンツィアも少し動揺していたようで、気を取り直して会話の軌道修正を試みた。
「懲罰軍なんて送りませんから安心してください」
ガヤトリーの顔が喜色に赤くなる。割と表情豊かなお姫様だ。
シュリの方はまだ顔色は青く、今にも切腹しそうな姿勢を維持している。
「し、しかしこちらのお嬢様は今をときめく帝国議員ウマレル様の娘御では?彼女が頼めば我が国のような小国は一瞬で消滅してしまうのではありませんか?」
「とんでもありません。各国の文化を尊重するのは帝国の国是です。同盟国からの賓客であるガヤトリー様やシュリ様に無礼を働いたとあってはお叱りを受けるのはラティファ様でしょう。そちらは・・・確かシャムサ様でしたか」
コンスタンツィアは多忙な事もあり、社交界にあまり顔を出していないが名簿には目を通したので普段関わりの無い上級生の顔も覚えていた。名簿には『姿写し』の魔術装具で顔が載っているのだ。
「え?あの、コンスタンツィア様?」
ラティファは名家中の名家であるコンスタンツィアはこっちの味方だと思っていたのにアテが外れて言葉も無い。
「聞けば先ほどからわたくしの同級生の服装に何か文句がおありのようですが、お父様方がお聞きになればさぞかし嘆かれる事でしょう。今は大事な時期だというのに困ったものですね」
「・・・議席失っちゃうかも。欲しがる人たくさんいますしね」
ヴァネッサも追撃に加わった。
ノエム、ソフィー、ヴィターシャ、ヴァネッサ、コンスタンツィア達に白い目を向けられてようやくウマレルの娘達は周囲から注目されていた事に気づく。
ウマレル議員の娘ラティファを除いて他の娘達はそそくさと去って行った。
ラティファの方はコンスタンツィアの正面の視線に立っていて逃げられなかった。
「議会で今どんな事が話し合われているかご存じ?辺境伯領奪還作戦を皇家主導で行うのですけれど、兵糧は東方圏から輸入するの。東方候が首を縦に振ってくださらないと作戦は開始できないのよ。まあ貴女のような子供が騒いだところでウマレル様も東方候も気には止めないと思いますけれど」
コンスタンツィアよりラティファの方が年長なのだが、コンスタンツィアがすっと席を立つとラティファの方が遥かに背が低く見下ろされる形になる。
「さ、騒いだり致しません!」
「勿論そうでしょうとも。でも、それだけなのかしら?」
未だ地べたに正座しているシュリ姫に目を向ける。
ラティファは慌ててシュリに手を差し伸べて立ち上がらせた。
「わたくし達は宗教上の理由でお昼をご一緒出来ないのですけれど、ラティファ様はお二人とご一緒したらどうかしら?今後も誤解のないように」
「え、ええ?」
「もう少し他国への理解を深めるべきではなくて?教えを乞うたらどうかしら」
コンスタンツィアは意地悪で言っているのではなく、あとあと恥をかかされただの逆恨みしないように同席させることにした。
シュリ・グルドブ・マヘンドラナ