第16話 秘儀参入②
「噂話を集めているうちにちょっと気になる事を聞いたんですけど・・・」
ヴィターシャが声を潜めて囁いた。
長話をしている間に女司祭と娘があちこちろうそくに火をつけて祭壇の準備をしている。もうそろそろ説法が始まる筈だ。
「地震調査委員会のネーナ様、とうとうお相手を探すのを諦めて教授に体を売って取り入っているって噂です。卒業後はそのコネで賢者の学院に入るとか」
マグナウラ院では上級学年になると卒業後を見越して専門的な研究活動に入り、講義の後に同好会やら教授主導の研究室で各々趣味やら学問に励んでいる。
「まあ、ほんと?でも根拠がない事を広めちゃ駄目よ?」
「そりゃ自分で見た訳じゃありませんが、学内でシテるって噂でユースティア様の風紀委員会にも話がいってるそうですよ」
学内で、というと割とこの手の話題に理解があるソフィーもちょっと引いた顔をしている。
ヴァネッサは恐る恐るヴィターシャに尋ねた。
「いくら自立したいといってもヴィターシャさんはそこまではしませんよね?」
「そこまでするなら嫌な相手に嫁がされるのと大して変わらないもの、言い寄られてもお断り」
一同ほっとする。ヴィターシャは最近グループ内のお茶会にも顔を出さずに何処かに行っている事が多くなってきた。就職に向けて既に動き始めているらしい。
「どこかめぼしい所は見つかった?」
「駄目ですね。先輩方にも聞いてみたんですけど、どこもかしこも親に内緒で勤めたいなんてのがバレると雇ってくれないみたいです。やっぱり本土じゃ厳しそうですね・・・」
平民に笑われて晒しものになるのを耐えられるお嬢様は少ない。
トラブルの元になる上、冷やかしが集まって営業に支障が出るので雇う側にも利益が無い。女性貴族の職は一部の官僚、女官などに募集はあるのだがコネ優先で狭き門だった。
「一緒に考えていきましょう。わたくしも協力するから」
「はい、有難うございます」
(ねえ、いっそ私達で外国に土地を買って牧場経営でもしてみません?あ、ノエムさんも一緒に来て貰えばいいんじゃないでしょうか。獣医さんになって貰って)
(あんたはコンスタンツィア様取られたくないだけでしょ。私はそういう方向で自立したいわけじゃないの)
(ちぇっ)
人生設計についてこそこそ話をしているヴァネッサ、ヴィターシャにコンスタンツィアは声をかける。
「二人ともどうかした?ヴィターシャはとりあえず手が空いていたら将来の皇帝候補者について調べてくれないかしら」
「構いませんが、何故?」
「お父様から頼まれているのよ。ちょうどわたくし達の世代の男子から皇帝が選ばれる筈だからって。あ、そろそろ始まるみたいね」
みると女司祭が中央の祭壇で聖典を開き、他の人々も立ち話を止めて着席し始めていた。
◇◆◇
「皆さん、本日もお集まり頂き有難うございます。新しく加わった姉妹たちも気を楽にして聞いて下さい。今、この帝都ではシレッジェンカーマへの信仰を明らかにする信徒の数は1,000人を越えました。毎年の万年祭や昇天祭にも参加が認められ徐々に寄進も増えて再び市民に受け入れられて来ています。注意して頂きたいのは私達は人の法に従った上で教義を重んじ、神の愛を広めていかねばならないということです。シレッジェンカーマは同時に複数の神々と愛し合いましたが、私達は神ならざる人の身、神ほど大きな愛が持てなくとも仕方ありません。私達は現代社会の倫理観に適合する愛の形を模索していかねばなりません」
コンスタンツィアが危惧していたのと違って割と現実的で、理性的な集会だった。
帝都の社交界の方は退廃的な夜会を開いているケースが多いのでコンスタンツィアは忌避していたが、シレッジェンカーマの集会はずいぶんまともだった。
性の悩みだとか、政略結婚で愛の無い相手と結婚しなければならないので助けて欲しいだとか、女性の互助組織である事に間違いはないようだ。
女性の医者も参加していて専門的な助言も得られる。産後にうつになって自殺してしまう女性もおり、家庭内に助けが得られない為、こういった互助組織の結社に存在価値があった。
説法も終わってそこかしこで相談会が始まるとコンスタンツィアはここらでよいかと帰ろうとしたが、女司祭に呼び止められた。
「なにか?」
「自ら来て頂けるとは思いませんでしたシュヴェリーン様」
随分親し気である。
コンスタンツィアをミドルネームで呼ぶ人は少ない。親族女性くらいなものだった。
「失礼ですが、まだ名乗っていなかったと思いますけれど・・・」
「聖杯と髑髏の紋章で分かりますし、それに『シュベリーン』の名を選んだのは私ですから、昔エウフェミア様に相談されましてね。聞いた事はありませんか?」
「そういえば、子供を授かる為にシレッジェンカーマ様の神殿詣でをしていたとか・・・母の日記に書き残されていました」
「ああ、存命中の間は隠されていたのですね。残念です。シュヴェリーン様は今後は公表されていくつもりですか?」
「いえ・・・、友人の付き合いでどんな集会なのか見学に来ただけです。申し訳ありません」
どうしてもコンスタンツィアは自分の立場を気にしてしまう。
「そうですか・・・残念です。実は最近マーダヴィ公爵夫人も信徒であると明らかにされたのですが、ご存じありませんか?」
女司祭は皇帝の寵姫について言及した。
「ええ、公爵夫人とは親しくしておりますので」
「話に聞く限り貴族内でも大分少子化が問題になっているみたいですからコンスタンツィア様にも是非私達に加わってください」
困った時の神頼みというわけだ。
シレッジェンカーマは大神ノリッティンジェンシェーレよりも子だくさんなのでその御利益に縋りたい人が増えていくのは自明の理だと女司祭は言う。
「そういえば、神々は神話の中で子だくさんな犬や猫、兎などを大事にしている話は多いのに、鼠は駆除対象ですよね。同じ多産な生物なのに」
「鼠は病気を媒介しますから・・・産むより多くの死をもたらしてしまっては仕方ありません」
コンスタンツィアは疑問に思う。
それは人間の都合ではなかろうか、と。
「アイラクーンディアは鼠を守護していたとされていますが・・・」
「私どももさすがに邪神までは信仰の対象としていません」
「それは変ですね。この集会は全ての大地母神の神々を称える集まりの筈」
疫病神といわれるような神でも疫を自分に集める事で他者を救っている。
巡礼の最中、帝国本土と他地域では大分解釈が異なっている事を学んだ為、コンスタンツィアはアイラクーンディアを擁護した。
「さすがは聖堂騎士団を束ねるダルムント方伯家の御長女ですね、私などには無い大いなる愛をお持ちのようです。私も少し考えてみることにしましょう」
「そうしてください。鼠が多産だからこそ助かる肉食動物もいる筈です」
コンスタンツィアは自分が既に家の『のけ者』になっているせいか、邪神といわれるような神々にまで同情し、せめて自分だけでも敬おうとしていた。
「はい・・・。アンナマリー、何処に行くの?目の届くところに居てちょうだい」
女司祭は遊びたい盛りの娘が悪戯をしているのを発見してそちらに行ってしまい、コンスタンツィアも友人達の所へ戻った
◇◆◇
帰り道でコンスタンツィア達は喫茶店に立ち寄り、集会について感想をいいあっていた。ヴィターシャは入信するつもりだと明言した。
「意外ですね」
ノエムはヴィターシャは好奇心は強いが信仰心は薄いと思っていた。
「皆を生涯の友人だと見込んで告白します。・・・巡礼中に占い師に会ってからずっと悩んでいたんです」
「占いって何です?」
「『生涯愛は得られないが、望みは叶う』」
「それで就職活動に熱心なんですか。子供はいいんですか?」
多くの子供を産み、育ててこそ一人前の人間というのが帝国の常識である。
子育てをしないというのは人であることを放棄するようなものだった。
「いえ、結婚して普通の家庭を築くことは諦めていますが子供は欲しいんです。いい男性を紹介して貰えるなら相手が平民だって構いません。兄弟もいるから何が何でも私が貴族の血統を残す必要はないし、シレッジェンカーマ様の時代には今みたいに貴族制なんかありませんでしたよね?そもそも神々は人だけでなく、時には姿を変じて動物達とも子を残しているじゃありませんか。女神を守護神としているのに男性優位になる社会なんか壊れてしまえばいいと思っているし、こんな身分制社会を維持する為に女が犠牲になるのも嫌です」
「おお、確かに」
ノエムも同意する。
彼女は平民貴族として他の貴族達から蔑まされる側なので貴族制の社会が崩壊しても別に実家は困らない。古い貴族がどんどん平民に落とされていく帝国の昨今ではもはや貴族とは何なのかというアイデンティティも失われ始めていた。
「あらあら、諦めが早いわねぇ~。やりたい事があるなら夫の理解を得ればいいじゃない。でも同志になってくれるなら大歓迎よ」
ソフィーとヴィターシャ、ノエムも入信する事になった。
ヴァネッサは特に意見はないのでコンスタンツィアに従う事にして水を向けた。
「コンスタンツィア様はどうされますか?」
「・・・皆が悪い道に入らないように側で監視してあげるわ」
コンスタンツィアはわずかに悩んだが結局全員、次の集会も参加することになった。
入信は一ヶ月間の間、日が出ている間は食事を禁じ、呼ばれた時には出産の介助奉仕を行うというものだった。
コンスタンツィアの知る限り『魔女狩り』の標的とされたシレッジェンカーマの信徒達の結社は組織が斡旋する男性との性行為を強要して金を巻き上げていた為、唯一信教に目をつけられた。結社は攻撃を受けると地下に隠れて秘儀参入については口外を禁じていたがが、この組織は健全であり世間に顔向けできなくなるような要素は皆無だった。
評判を落とす事になるかもしれないが、むしろ実家の評判を下げてやりたい気分でもあり、コンスタンツィアもそのまま入信する事にした。




