第15話 秘儀参入
「ふふ、聞いちゃいましたよ。コンスタンツィア様~」
霊脈転送式の帰り道、他の生徒達と別れて旧メルセデス邸に近づいた時、ソフィーがおもむろにコンスタンツィアに囁いた。
「な、なにを?」
「コンスタンツィア様だけ、シレッジェンカーマ様にも祈ってましたよね~」
古代神聖語を理解している生徒は少ないとはいえ固有名詞はさすがに聞き取れる。
ソフィーは近くにいたので聞こえてしまったようだ。
「別にいいでしょう?ノリッティンジェンシェーレ様の妹神なのだから」
「うふふ、別に悪いとはいっていませんよ~。でもカーマ様を信仰されていらっしゃるのでしたら私と同じ結社に入りませんか~」
「結社?」
ソフィーの言う結社とはただの信徒の集まりではない。
「”子ウサギを愛でる会”といって、子供が出来ちゃった時にお互い助け合う為の組織ですよ~」
市民階級はとうに自由恋愛の時代になっているが、高位の貴族階級となるとなかなかそうはいかない。それでも実際に嫁ぐ前は他の文化圏と比べて割と自由に生きていた。
さすがに子供が出来てしまうと不味いので大抵は避妊具を利用している。
間違って出来てしまった場合、東方圏では恥とされるが、帝国では出産実績のある方が、結婚相手はみつかりやすく喜ばれる事もある。
「子ウサギといいつつ本物の子ウサギじゃないのね・・・。わたくしは考え無しに子供作ったりしないから必要ないわ」
「その時になってみないと自分の感情がどう動くかなんてわかりませんよぉ~。コンスタンツィア様だってそろそろ不安じゃありまえせんか?夜会で強引に私室に引きずり込まれるかもしれませんし。衝動的になった男性はおっかないですよー」
「まあ、帰国してから随分視線を感じるようにはなったけれど・・・」
迎えに行くから一人で外出するのは止めて欲しいとヴァネッサにも頼まれている。
「でしょう?それに結社の皆からもいろんな男性を紹介して貰えますし。顔の広い親たちにいい相手を見繕って貰うのもいいですけど、一生の相手は自分で選びたいじゃないですかー」
「心惹かれるけれど、お堅いうちの『お爺様』達が許してくれるとは思えないわ」
「みんな親には内緒ですから安心ですよ、同世代の女の子も多いですし」
「ほんとに?」
「ええ、困ってから助けを求めても遅いですし。産婆さんやお医者さん、一人で子育てしている女性の支援団体も協力してくれてますから安心です。お見合い相手も紹介して貰えますし、私達でカーマ様への偏見を打破していきませんか?」
話を聞く限り、特に怪しい組織ではなく、困った時にお互い助け合う女性限定の組織ということで入信はしないものの、今度の土曜日の集会には一同で参加してみることにした。
基本的に大地母神の神群全てを称える集会という名目で開催されているので、それぞれの親も会合への参加を止めたりはしなかった。
コンスタンツィアも祖母たちの世代が普通に信仰していた神に興味が出ていた。
◇◆◇
シレッジェンカーマの集会場はモアネッド市の山中にあった。
近くの森では多くの兎がいて地元住民に愛されている。コンスタンツィアは愛馬のグラーネに騎乗してやってきた。他のメンバーはソフィーの家の馬車である
ヴァネッサだけコンスタンツィアの背にしがみついて乗せて貰っていた。
コンスタンツィアは普段人前では淑女らしく横座り、サイドサドル騎乗だが、今日は乗馬ズボンのうえからスカートを穿いて、跨っていた。
山中にそこそこ人の出入りがある集会場の洞窟が見えてきて馬車の中でノエムが何気なく呟いた。
「山の中っていっても別に怪しい場所じゃないんですね」
「当たり前じゃない~、大抵の神殿はもともと修行の場でもあったし高い山の上にあるのが普通ですもの~。ねえ、ヴィターシャ」
「まあ、そうですね。巡礼の目的地も大半山の中でしたよ・・・」
ヴィターシャとしてはもうあんな苦労はこりごりである。
「それにしてもヴァニーちゃんも大分背が伸びてきたからグラーネがちょっと可哀そうですね」
「この前、学院の礼拝堂でお祈りしてましたよ。コンスタンツィア様と服の交換が出来なくなるからもっと背が欲しいって」
「あらあら~、あの二人最近随分仲がいいのねえ・・・。あら?どうかしたのかしら?」
コンスタンツィア達が不意に足を止めて空を見上げていた。
釣られて皆が、馬車の窓から外を見ると天馬の群れが空を駆けていた。
「優雅ねえ~」
「いいな~、わたしも天馬寮監になれないかな~」
天馬の牧場を管理する仕事はノエムにとっての憧れの職業だった。
「ずっと同じ一族が管理してるっていうから無理でしょうね」
「くやしー、ここでも生まれの差が!」
「生まれの差って・・・天馬寮監の一族は特別な地位にあるけど貴族じゃないからね」
天馬は神の使いともいわれ、牧場を皇帝の管理下に置く事で歴代皇帝は権威の補強としている。皇帝が代替わりして皇家が入れ替わっても常に皇帝に従わなければならないので、特定の皇家からの利益誘導は制限されていた。
グラーネも天馬が気になってそわそわしているので、コンスタンツィアとヴァネッサは下馬してグラーネの好きにさせてやった。すると仔馬のように彼女は跳ね回って天馬を追いかけていく。
「満足したら戻って来なさい」
コンスタンツィアは一応声をかけた。
賢い子なのでそう遠くへは行かないだろう。
馬車のメンバーも降りて、目的地の集会場へ入って行く。
近くの山中の洞窟には地中に潜み地震の原因になるともいわれている地底神ナイの神殿もある。
鉱物の神イラートゥスの神群もそうだが、帝国や西方圏で神殿が洞窟内にあるのは珍しくもない。
◇◆◇
集会の主催者は愛の女神の祭祀官で、彼女自身も結婚して娘を連れていた。
洞窟内は明るく松明が灯されて石で出来た椅子が並んでいる。
「まだ10かそこらじゃないのあの娘。大丈夫なのかしら・・・」
感受性の高い時期に慎み深い東方圏を旅してきたコンスタンツィアは若干普通の帝国貴族の女性とは考え方がずれていた。
「ですから、考えすぎですってばコンスタンツィア様~。今はカーマ様の信徒もちゃんと法に従って生きてるんですから。祭祀長さんだって結婚した相手は法の神の神官なんですよ」
帝国は一夫一婦制で妻子ある者同士の不倫は厳禁。
大勢の愛神がいたシレッジェンカーマの生き方にまで従うわけではないらしい。
「そういえば聖堂騎士団にはカーマ様の信徒はいないんですか?聖堂騎士は邪神であろうと何であろうと神々であれば信仰し尊重するんでしたよね?」
聖堂騎士団は基本的に邪神などと呼ばれる事もある地獄の女神や怨恨の女神、復讐の神、破壊神の類まで信仰の対象としている。神であれば特に拘りはなく『汝の信じたいものを信じ、欲する所を行え』というのが聖堂騎士達のモットーである。
「女性の騎士がいるって聞いた覚えはないわね。聖堂参事会にはいるはずですけど、さすがにシレッジェンカーマ様への信仰を明らかにしている人はいないと思うわ」
「あらあら~、残念ですねえ」
三十人くらいの帝国貴族の女性がこの集会に集まって来ていたのだが、まだまだ偏見打破の道のりは遠いようだ。
「古代から語り継がれている有名な恋愛詩『愛の旅路』なんてシレッジェンカーマ様に捧げられたようなものなのに」
『愛の旅路』は詩であり、閨の研究指南書のようなもので女性貴族の母から娘へ一千年以上受け継がれているベストセラー書だ。ヴァネッサ達も適齢期になったので最近受け継いでいる。
「それが行き過ぎたから『魔女狩り』にあったんでしょ」
母を亡くしたコンスタンツィアは受け継いでいなかった。誰かに処分されたのかもしれない。
「『愛の技巧』なんて完全に春画本って噂ですからね」
「なあにそれ?」
「神聖娼婦が技を競ってさらに過激化した指南書らしいですね。読んだ事はありませんが」
「私の家にあるので今度持って来ましょうか~?どんな男もこれさえあればイチコロ。お堅い東方の王子だって篭絡出来ちゃうって評判ですよ~」
コンスタンツィア達の話に近くの女性達も耳をそばだて始めた。
マグナウラ院の生徒も混じっていて、皆、結構本気で玉の輿を狙っている。
帝国本土内では力を持った平民が貴族と婚姻を結ぶ事が増え始めた。
次女、三女以降は家の都合で老いた貴族と政略結婚させられたり、裕福な平民と結婚させられる事が多い。彼女達は家の影響が及ばない国外の王子様を狙っている。
「一番人気はフランデアンのフィリップ様やフランツ様ですね。コンスタンツィア様はどうですか?縁もありますし」
あまり結婚する気はないが、コンスタンツィアに頼まれた仕事に加えて趣味で調査もしているヴィターシャが眼鏡を光らせて言う。
「わたくし、蛙を食べるような国に嫁ぎたくないわ・・・」
「結構美味しかったじゃないですか」
学院に通うようになると、もう喪が明けたと判断されて夜会のお誘いも増えてきた。
その時、久しぶりに彼女達は蛙料理を見た。
高級珍味の珍しい蛙の卵巣を甘くしてデザートのように食べるものだが、コンスタンツィアだけ食べなかった。
「二番人気はどちらですか、ヴィターシャさん」
ノエムが尋ねた。
「サウカンペリオンの小王のご子息達ね。都市国家くらいの力しかないけれど、地理的にも文化的にも一番帝国本土に近いから」
都市国家レベルの王でも領土さえ失った帝国貴族よりはマシなので人気だった。
「将来的にはその順位は下がる事になると思うわ。議会はサウカンペリオンにある16の小国家を併合するつもりだから」
コンスタンツィアは帝国議会に出ているので併合の話が進んでいるのを知っていたが、ヴィターシャはまだ知らなかったようだ。別に隠すような話でも無いので教えてやった。
「ええええ、聞いていませんよ!」
「官報読みなさいな。図書館にも写しがある筈だけれど」
「でも、そんな大ごとが新聞にも載ってないなんて・・・政府が抑え込んでいるんでしょうか」
「併合するしかないけど、騒がれたくないからたぶんそうでしょうね」
第一次市民戦争の後、一般市民の武装を禁じて軍の武器庫の管理も厳重になったので今回は市民の大規模な暴動は起きづらいと思われる。
「もっと早く併合しちゃえばよかったのに」
「実質的に完全に従属していたなら無理に併合する必要も無かったのよ。蛮族の脅威が間近に迫ったりスパーニアから三大公国がサウカンペリオン地方に編入されてしまったから格差も出てしまったし」
サウカンペリオンの小国家の市民達は帝国から課される労役が過大だとして反乱を起こしたが鎮圧された。戦後、懲罰的な重税に喘いでいたサウカンペリオン市民よりスパーニア市民の方が裕福で自由な社会を享受していた。
「それはまた不満が巻き起こりますねえ・・・」
「小王達は当面は市長になり、有力な者は県令、州知事になって今後も統治を許されるけど息子達は帝国の学院を卒業して文挙にも合格しないと後継者にはなれないわ」
余計な混乱を起こしたくないので帝国政府は条件付きで中央から派遣された者ではない世襲的市長を認めるつもりである。
「最低限の能力があれば、ということですね。来年からは小王の子息たちがこちらに入学希望を出してきそうですね」
「そうね。で、次は?」
コンスタンツィアも話を戻して学院に通う男子の人気を尋ねた。
「西方圏みたいですね。王子達の物腰は洗練されているし、生活水準も一部はこちらより上だっていうし。その次は南方圏だけど・・・こちらは願い下げって子が多いと思います」
帝都にやってくる南方王達は大抵資産家なのでノエムは疑問に思った。
「なんでです?」
「奴隷女と同じ後宮に入りたい?兄弟で妻を共有する風習もある国があったりするし、贅沢は出来てもね・・・」
南方圏の大半地域は戦乱に明け暮れているが、沿岸部は帝国軍の保護下にあり大量の宝石、貴重な鉱石を産出する事もあって、かなり裕福な王が多い。
「コンスタンツィア様は選べる立場でしょうし、学院で気になる男性は誰か出来ましたか?」
ヴィターシャの質問にヴァネッサがぴくりと反応する。
彼女は男にコンスタンツィアを取られたくはないが、そうもいかない事は分かっているので出来れば侍女としてついて行きたい。
「選べる立場といってもね。わたくし、釣り合わない男とは一緒になりたくないの」
「コンスタンツィア様に釣り合う男なんてアル・アシオン辺境伯しかいませんよ」
ヴィターシャは苦笑した。選帝侯の家柄なので皇家とは結婚出来ない。
「そういう意味じゃないわ。別に好ましい男性だったら家柄は別にいいの。お爺様も好きにしろっていってるし、お父様は新しい奥さんに夢中だし」
「じゃあ、どういう意味ですか?」
皆、興味津々の目でみるのでコンスタンツィアは少し赤くなって目を逸らした。
「背よ・・・」
「背?」
「わたくし、背丈がそろそろ180の大台に乗りそうなの・・・、体重も60を超えてしまったし。自分より小さくて妙に卑屈な男と夫婦生活を送るなんて嫌なの」
コンスタンツィアは『父』ニコラウスを思い浮かべた。
既に彼の身長を越えてしまった、最後に会った時は妙におどおどしていたし、自分の妻を取られて文句も言わないあの男のようなクズを夫にしたくはない。
コンスタンツィアは『父』の事を思うとイライラする。
少々イライラし過ぎて、魔力が自然と大概に発散され始めていた。
コンスタンツィアの赤い髪がゆらゆらと立ち昇って、熱を帯びる。
「コニー様、コニー様、魔力が漏れていますよ。モローです。モローダナランなんとか」
ノエムが合言葉でコンスタンツィアの仮想脳に呼びかけた。
「あら?御免なさい」
コンスタンツィアが気を取り戻すとしゅっと髪も落ち着いた。
「まあ、嫁ぐなら東方圏がいいのかしらね。今の政府も東方とは協力関係を強化していくつもりみたいだから。でも食生活が合わない国には行きたくないわ」
「そうですねぇ、西方の人ってこちらを恨んでる人が多い感じですし。でも東方の王子達って誘惑に成功してもいざという段になると引いちゃう事もあるみたいですよ。普段はちらちらこっち見てるくせに。わたしは別ですけど」
発育が活発なコンスタンツィアは東方圏の王子達から随分好かれている。
帝国人は豊満で魅力に溢れているが、腰回りも豊満過ぎた。
一方、東方の姫君達は線が細すぎる。
コンスタンツィアは豊満でありながらも、腰回りは引き締まり、露出度が高すぎる普通の帝国貴族と違って普段着も慎み深いドレス姿なので東方の王子達からみるとかなりストライクらしい。
「ノエムも小柄なだけで最近は大分くびれが出てきたと思うわよ、自信持ちなさい」
彼女なりの魅力があるとコンスタンツィアは励ました。
ノエムはコンスタンツィアのメリハリのある体に白い目を送り、恨めしそうに溜息をついた。
「それにしても親帝国教育を行う為に各国の王族を受け入れてタダでこちらの知識、技術を教えるっていうわりにそんなに熱心には帝国は素晴らしい、帝国は楽園のような所だとは教え込んでいませんよね」
「わざわざそんな事しなくても一般市民の隆盛っぷりをみれば自国との差がわかるでしょ。帝国の次に強大なフランデアンの王城でさえ、ナクレス・ネッツインと大差なかったし」
帝国に次ぐ最大国家の王城でさえ、帝国では民間商業施設くらいの大きさに過ぎない。
「でも、平和で幸せそうだったわ。帝国では十三州で反乱騒ぎが起きているのに」
「なんで反乱なんて起こすんでしょうねえ。帝国市民の税は各国の半分くらいだって聞きましたよ」
第二帝国期の帝国では領主と神殿から二重に課税された為、九公一民だったが、今は二公八民、高くても三公七民である。
従属諸国ではいまだに八公二民くらいは当たり前、たまに餓死者が出るのも当たり前、無駄に死なせずぎりぎりまで搾り取るのが領主の腕の見せ所と考えている貴族も多い。ぎりぎりまで絞りとってたまにお情けで配給や税の免除をしてやって民の支持を得るのが常套手段だった。
帝国貴族達からすると恵まれた帝国市民が反乱を起こす意味がまったくわからないという者も多い。
継続して読まれているかわからず、ちょっと弱気になっている今日この頃であります。
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