第9話 入学オリエンテーション
コンスタンツィアはマーダヴィ公爵夫人と約束した通り本格的な講義が始まる前に学院の案内をしに学院にやってきた。公爵夫人はお忍びなので学院の事務員の恰好、コンスタンツィアは普通に理事代理としてやってきている。コンスタンツィアのお供としてヴァネッサもついてきていたが、皇帝の寵姫が相手なので出来るだけ静かに二人の後をついて歩いた。
「皇帝陛下が暗殺されそうになったのに、公爵夫人は外出して平気なんですか?」
「それね、思うのだけれども、私や陛下を本気で狙っているとは思えないのよね」
「それはまたどうしてでしょうか?」
「陛下は武芸の達人でもないし、親衛隊は必要最低限しか傍に置かれていない上、私の離宮に長く滞在していたんだもの。うちの使用人は別に先祖代々仕えているわけでもないから買収して毒殺も出来たでしょうしね」
なるほど、とコンスタンツィアは頷いた。
ただそれでも大規模な暗殺未遂事件があった以上、皇帝は守りの固い大宮殿に移らざるを得なくなった。
これまで国政を任されてきた国務大臣デュセルの解任動議が賛成多数となり、今朝の新聞によると議会からの再度の上奏分提出を待たずデュセルを含めた大臣達は一斉に辞表を出して皇帝はそれを受け取ったらしい。
「しばらく皇帝陛下とは別居生活になってしまうのですね」
「当面は陛下が次官たちを直接仕切る事になるでしょうねえ。次の世代が早く育ってくれれば隠居して湖畔に家を貰って釣りをして暮らせるでしょうに。ご存じ?引退した皇帝は皇帝直轄領から隠居領を貰えるの」
「せっかく人類の頂点の細君の地位を得たのに、公爵夫人は捨ててしまわれてよろしいのですか?」
「いいのよ。琴を弾き、歌を歌って生計を立てていた私には帝国社交界では馬鹿にされて居場所は無かったし、貴女が訪問してくれて本当に嬉しかったのよ。そちらのお嬢さんもね」
公爵夫人は後ろを振り返ってヴァネッサにもウインクして礼を言った。
「私達もあまり他家とは深く関われない家柄ですから公爵夫人とは親しくさせて頂けて光栄です」
「昔は高位貴族のご婦人たちって何て高慢で嫌味ったらしい人達なんでしょうって思っていたけれど皆それぞれの立場で大変なのね。貴女もこちらにいらっしゃいな」
陪臣の娘に当たるのでヴァネッサは恐縮したがコンスタンツィアにも招かれて三人並んで学院に入った。
「今日は講堂で留学生の女生徒向けに学院の説明会を開いてるみたいですね。他には男子向けに武術愛好会の上級生が剣舞を披露しているみたいです」
「留学生の女生徒っていうと各国のお姫様達よね。どんな話をしているのか気になるわ」
「じゃあ、そちらに行ってみましょう」
◇◆◇
講堂には百人くらいの留学生がいて、まさに説明を受けている所だった。
「同盟諸国の姫君達を当学院にお招きできて大変喜ばしく思います。皆さんご存じかと思いますが、帝国は国是として各国の文化、風俗を尊重しております。皆様にも同様に帝国の法を遵守して頂きたいと思います。堅苦しい事かもしれませんが不逮捕特権があるとはいえ外交問題にもなりますしお国の名誉にも関わります」
入学に当たって留学生向けの説明をしている女性の説明がひと段落すると事務員が法令集の小冊子を渡した。
国によっては平民の首を気分次第で無礼討ちだといってぽんぽん刎ねてしまう所もあるが帝国では罪に問われる。人を殺してはいけません、盗みをしてはいけませんという当たり前の事でも当たり前ではない国はあるので説明は必要なのである。平民相手に素手の喧嘩に負け、腹いせに剣で刺し殺した貴族が罪に問われて、正当な理由を示せず懲役刑となり、恥じて自殺した例も冊子に載っていた。
「学院には10歳から20代の男女が通っています。在学中に結婚する人もいますし、妊娠して休学する方もいます。毎日のように夜会が開かれて強引な誘いをしてくる方もいますが、きっぱり断って構いません。男性に服従するよう教育を受けて来たお国の方には意思をはっきり示せない方もいますが、その気がなければはっきり断って大丈夫です。逆に貴女達が男性の意思を無視して強引に襲ってはいけませんよ。分かっていますか?そこでくすくす笑ってらっしゃるネヴァの方々に言っているんですからね」
北方圏のネヴァやゴーラ、パッカ地方の諸部族は国家という概念が無く、族長の息子や娘達、帝国からの招待生が通っている。ストレリーナに聞いた通りネヴァの女生徒達はあまり真面目に話を聞いておらず釘を刺されていた。
「女に負ける男が悪いのよ。ねえ?そのうえ法廷に泣きつくような情けない男なんている?」
「そうじゃそうじゃ。強い者が優秀なオスの種を得るべきじゃろ?」
おかっぱ頭で黒髪の小さい娘が背の高いネヴァの女生徒達に混じって頷いていた。
「あの子随分小さいけれどほんとにあれで10歳なのかしら」
「フランデアンの人のように小柄な種族なのかも」
7歳くらいに見えるが実は14歳ということもあり得る。
「ああ、確かにいろんな方がいらっしゃるものね。ずいぶん訛りも強いし。それにしてもあんなに小さい子から大人まで一緒に学問に励むのね」
「最近は中等部と高等部に別れる所もあるようですね。本学院では入学年齢は学生に選ばせていますが成人後はすぐに王位や領主など責任ある立場について学生を続けられない方もいます。どうしても早いうちに招く必要があります」
情操教育上あまりよくないかもしれないが、各国の王侯貴族を受け入れているので学業の進み具合に差があり、早熟な子は早めに入って来る。
親帝国教育を施す為には幼ければ幼いほどいいので学院と政府もそれを積極的に歓迎した。
入学案内をしている女性も20年ほど前に帝国貴族に嫁いできた西方の王女だったらしい。
「年頃の少年少女の多くが通われるので何年かに一度くらいは恋愛で刃傷沙汰に発展する事もありますが学内への刃物の持ち込み、そして指定された場所以外での魔術の使用は禁止です」
女性の留学生ばかり集めた理由はいわゆる保健体育、性教育について確認を行う為であった。六年間帝都で暮らすには無知なままでおいておくと危ない。
あまり知識を与えられていない生徒を対象に今後も毎週、正規の講義とは別にこういった場が設けられるとのことだった。
「そういえばコンスタンツィア様は年頃の時期に巡礼に出て、お母様を亡くしてしまわれたでしょう?貴女は大丈夫なのかしら」
大概の国では母親や侍女が教育するものだったが、コンスタンツィアには無いものだ。コンスタンツィアはついっと目を逸らした。
「お姉様は耳年増でいらっしゃるから」
ヴァネッサは読書狂のコンスタンツィアがそういった事がかかれている本も読破済みであることを知っていたのでちょっとそれを揶揄いながら口に出す。
「ふふっ。私も娘がいれば良かったのに」
「そういえば最初の息子さんはわたくし達と同じくらいの年頃では?」
「そうなのだけれども、陛下のご意思で市井の学問所に通っているのよ。あまり他の皇家と交わらせたくないのですって」
皇帝自身も選挙の際には権力争いからは身を置いていたので、息子達も巻き込まないようにしているようだった。
「はい、冊子の第24項をご覧ください。書いてある通り帝国の法では密通は男女同罪です。強姦の場合、女性は罪に問われません。あぁ、もちろん被害者の事ですよ、南方圏の方々、ですからもしもの場合でも不名誉だと恥じて自殺などしないでください。さて、話に戻りますが不倫は伴侶がいる者同士の場合は重罪となります。第二帝国期ほどではありませんが子孫繁栄は大地母神を守護神とする帝国の国是であり、大半の国より性的な事について開放的です。帝国市民は貴族も平民も自分の伴侶は自分で決める権利があります」
説明役の女性は今度は娘が父親の財産扱いである国々、主に東方圏向けに話しているようだ。
「彼女はああいっているけど、コンスタンツィア様のお家はどう?自分でお相手を決められるの?」
「あの方の言っている事は法律上の権利の説明だけですね。現実的には親が決めた婚約者を断れば、家にいれずに市井で働こうにも庶民から笑いものになって耐えられないでしょう」
「影響力の大きい家も大変なのねえ・・・。うちの場合は落ちぶれてお相手も見つけられず妓女にでもなるしか無かったけれどね。でも最終的に陛下に見初められたんだからこれで良かったのかしら」
何を幸せと思うかは人それぞれだろうと曖昧に流し、コンスタンツィアは次の場所へ案内した。
コンスタンツィアは理事の立場なので予算が適切に使われているか確認するという名目で学内のどこの施設も立ち入り自由だった。
マーダヴィ公爵夫人に願われるまま学内を案内し、せっかく外出したので市中の散策をしたいという要望にも付き合った。
◇◆◇
学院は帝都を構成する五都市のひとつアージェンタ市にあり、人口の増えすぎたヴェーナ市から多くの人が流入して賑わっていた。
「こうして買い食いするのなんて20年振りかしら。また遊びに行きたいからこれからもまた私の屋敷に来てくださる?」
「勿論ですとも。・・・陛下の寵愛を受けるようになってからは外出もままならなかったのですか?」
「そんなことはないわよ。陛下がまだ天文官だった頃は結構遊び人で私のお客様の一人だったのだけれど、皇帝におなりになってから囲われるようになったの。最初の頃はいつも愚痴ばっかりで・・・あら、誰かに言っちゃ駄目よ?」
「はい」
ヴェーナ市ほど貴族と平民の住宅街に境が無く、裕福な市民は貴族と大差ない服装な為彼女達が街中を徒歩で散策していても特に目立つ事も無かった。
「あら、何かしら」
昔のように庶民的な事がしたいという公爵夫人の為に屋台で買った饅頭を頬張っていると、大通りに人だかりが出来始めていた。興味本位に顔を突っ込んでみるとどうやら罪人が市中を引き回されているらしかった。
「まあ、あれはユンリー将軍よ。おいたわしい。何があったのかしら」
「お知合いですか?」
人だかりに紛れ込んでいて近くに人がいるのでコンスタンツィアは小声で公爵夫人に尋ねた。
「一度だけ陛下に報告に来ていたのを見た事があるの。東方軍の将軍だった筈だけれど・・・」
特に聞き込みをする必要も無く、近くの事情通が通りすがりの人々に触れ回っていた。
「あの男は功に逸って蛮族の棲み処に突っ込んで無為に何千もの兵士を死なせて罪に問われたんだ」
「負けたからって今時、軍人があんな目に?」
将軍は靴も履かず、素足で歩かされているので足元が血だらけだ。
背中は棒叩きの刑にでもあったのかやはり服に血が滲んで、足枷を結ぶ鎖を引きずりながらよろけながら歩いている。
手と首にも枷が嵌められて名誉ある軍人に対する罰にしては酷過ぎる。
見ていると群衆の中から一人が進み出て、息も絶え絶えな将軍に盃を差し出していた。
「閣下、水です。どうぞ」
血まみれの将軍がそれをどうにか飲もうとしていると護送人が盃を持ってきた男を棒で突き飛ばした。
「失せろ!罪人に構うな!!」
「閣下は罪人じゃない!将軍の功績を妬んだ中将に嵌められて敵の大軍の中に取り残されたんだ!俺は生き残りの兵士の一人だ!皆聞いてくれ!カオ中将は閣下が敵軍を突破して生きて帰ってきたら今度は軍資金横領の罪を着せた!」
男は第18軍の兵士を名乗り将軍の無実を訴えた。護送人が怒ってまた棒で叩こうとするので兵士は逃げ回りながら群衆に大声で訴え続けた。
「まあ、あんなに慕っている兵士がいるほどの方が横領だなんてするとは思えないわ」
「そうですねえ。公爵夫人から陛下にお伝えしてみては?」
「そういうことは駄目なのよ。エンスヘーデのようになりたくないし、私が妓女に身を落としていても陛下に長く大事にして頂いたのはそういう差し出口をしなかったおかげだもの。コンスタンツィア様こそ、方伯に裁判のやり直しを頼んでみては?」
「・・・済みません。私も父から叱責を受けたくはないですから・・・」
二人とも慎重な性格であり、個人的な知り合いでもない将軍の為に口出しをするのは躊躇われた。哀れみながらもただの野次馬になっている彼女達だったが、群衆の中から勇気ある女性が現れた。
「そこの酷吏!何故将軍に靴を履かせないの?誰が命じたのかおっしゃい!」
「なんだ、お前は?」
「シャルカのユースティア。聞き覚えがあるでしょう?」
「げ、皇家のユースティア様で?」
コンスタンツィアも見覚えのある女性だった。
シャルカ家の長女ユースティア。
正義感が強く正義と断罪の神の信徒でもある事で有名だ。
マグナウラ院では先輩にあたり、実家の屋敷を出て近くに寮住まいしているのでこの騒ぎを聞きつけたのだった。
「さあ、誰の命令なのかおっしゃい!将軍は上告を却下されて流刑になった筈でしょう?こんな状態では流刑地につく前に亡くなってしまうわ。その場合はお前達が罪に問われるのよ!」
男は上司の命令だといって逃げようとしたがさらにユースティアに責められ、護送人の一人は医者を呼びに行かされていた。
「まだ若いのにたいした女傑がいるものねえ」
「はい。勇敢な方ですね。見習わないと・・・」
感心しきりのコンスタンツィアの袖をヴァネッサは引っ張って御身を大切にしてください、と忠告した。コンスタンツィアも頷き、これ以上足を止めずにマーダヴィ公爵夫人を屋敷まで送り届けてから自分も帰宅した。