第5話 選帝侯の娘②
方伯家の当主オットー・ビクトル・クリストホフ・ダルムントは転移陣の使用を好まず、騎乗して領地と帝都を行き来する事が多い。
彼は後継ぎとして期待しているオフェロスが重い風邪にかかったと聞いてクレアスピオス神殿に祈祷に向かい、巫女の託宣に従って急いで領地に戻ろうとしていた。
戻る前に彼はコンスタンツィアを呼んだのだが、コンスタンツィアは二人きりで会うのを警戒していてヴァネッサが来てくれてからようやく呼び出しに応じた。
「コンスタンツィア。遅いぞ、何をやっていた」
「お爺様・・・。わたくしももう年頃なのですから家族といえども面会には準備が必要です。察してくださいませ」
後継ぎの弟が病気で亡くなってしまうと長女のコンスタンツィアにとっては非常に不味い事態になる。ヴァネッサはすぐ近くの部屋で待機してくれているが、この部屋にはいない。
「フン、色気づきおって。・・・お前には一つ命じておくことがある」
「伺いましょう」
「学院では次の皇帝候補となる男達を見定めておけ。あと10年後には選帝選挙が始まる」
「確かなのですか?」
オットーは黙って頷いた。
「みだりに話してはならん。皇帝はもともと帝位を継ぐ事に乗り気では無かったが、今すぐ譲っては兄君と帝位を争った皇家の当主達が選帝選挙に再び出てくる事になる。それ故、次の世代がある程度政治経験を積んだ10年後を目指していた」
議会の選定と選帝侯達の選考期間が必要なので選挙期間は数年に及び、皇帝は候補者達を政府の中枢において能力を見極める。自分が寿命で死ぬ前に交代しなければならないので健康に不安を感じてからでは遅くなることもしばしばである。
「わたくしは彼らの資質をみてお爺様に報告すればよいのですね」
「そうだ。ガドエレ家とアルヴィッツィ家を選ぶ気は無いから他の家を重点的にな」
「何故彼らを排除するのですか?今の帝国の財政状況では彼らに帝位を継ぐ事を望む人々が多いようですが」
「連中は帝国より自家の繁栄の為に動く。そしてそれは帝国にとって害となる」
「では、お爺様はどのような皇帝をお望みなのですか?」
「古きを尊び、かつ先進的な皇帝だ。皇帝陛下にはいっそ選帝制度など廃止してしまえ、と訴えたが相手にされなかった」
オットーには複雑な感情を持つが、コンスタンツィアはその言に頷いた。
特権的な立場を失う事を自ら提案するあたり、世間の評判通り私心無く帝国の利益を優先させているようだ。
「古きを尊び、とおっしゃる理由は?」
「近年は貴族と平民の差が無くなりつつある。現代の治世には魔力など不要となり、財力が物を言う世の中になったからだが、そのせいで富裕層の平民を取り込み過ぎた。貴族が貴族の義務と誇りを忘れて金儲けに走る世だ。支配者が自らの存在意義を手放し続ければいつしか平民に世を転覆されるであろう」
オットーは現代貴族の堕落を嘆き、人々を再び信仰の道に立ち返らせ貴族には特権を利用した金儲けではなく義務を遂行するよう求めている。
「よくわかりました。おっしゃる通りに皇家の子息たちの資質を見極めるとしましょう。他に何か御用は?」
「フランデアンの王子とは懇意にしておけ。ただしお前があれに嫁ぐ事は許さん」
「心配なさらずとも好みではありません。ですが、できるだけ良好な関係を保ちます。わたくしからも一点よろしいでしょうか」
「なんだ?」
「実はマーダヴィ公爵夫人からマグナウラ院の案内をして欲しいと頼まれているのです。お連れしても構わないでしょうか?」
コンスタンツィアは高祖母のコンスタンツィアに習い皇帝のお気に入りの寵姫に近づいていた。そして寵姫は実家が貧乏で一度も高度教育を受ける場を見た事が無く、興味本位でコンスタンツィアに見学を頼んで来ていた。
「いいだろう。ついでにニコラウスの代わりに理事会にも出るように」
「お父様の代わりに?」
「しばらく帝都には戻らないし、これから入学するお前の方がすぐに学内の実情に詳しくなるだろう。皇家の息子達を見張るのに立場も利用出来る」
そんなわけでコンスタンツィアは学生ながら学院理事の代行を命じられた。
「それと儂が留守の間はお前が帝国議会に出席するように」
「わたくしが?よろしいのでしょうか」
「今年の議題は既に決まっている。サウカンペリオン併合については賛成票を投じてよい。東ナルガ河流域の奪還の為の軍事行動についても同様だ。皇家に対する金融取引規制強化は賛成、兵役の志願制続行については反対・・・」
オットーは家宰の一人にコンスタンツィアを補佐するように命じて慌ただしく北へ去って行った。
◇◆◇
「お話、済みましたか?」
「ええ、ありがとう。ヴァネッサ、この子の面倒見てくれてたのね」
ヴァネッサはフランデアンから贈られた猫を膝の上に乗せてあやしていた。
既に落ち着いた成猫でむしろヴァネッサの相手をめんどくさそうにしていた。
「この子のお名前は何ですか?」
「そういえば決まっていなかったわね。どうしましょう」
「うーん。今から呼び方変わったら可哀そうですもんね。今度フランデアンの人に会ったら直接伺ってみては?」
「わたくしが戻るまで世話をしていた使用人達に聞いておきましょう」
聞いてみるとタマちゃんと呼ばれていたらしい。
『ポッティリーチとタマリエルの冒険』という東方圏で人気の物語から取られたのだという。
「この子の隠れ家ってちゃんとあるんですか」
「隠れ家?」
「法律で猫を飼うなら猫専用の安全な居場所を確保しなければならないって決まっているんですよ」
安産、多産の象徴である犬や猫を守るために帝国では他国にはない変わった法律が制定されていた。
犬であれば一日二回の散歩を義務付け、猫であれば狭くて暗くて安心できる隠れ家を与える事と外飼いをしない事などだ。
増えすぎると聖獣扱いの愛玩動物を処分出来ず、困った事になるので販売は禁止されており、譲渡のみである。
「広いからいくらでもあるでしょう」
「でも、通学が始まったらどうなさいます?」
マグナウラ院はアージェンタ市にあるので帝都の中心部、ヴェーナ市から通うのは少し遠い。馬車だと混雑していなくても一時間以上かかってしまう。
屋敷の使用人も大半は領地に引き上げてしまうので、残りの使用人に毎日、日の出前から準備させるのは少々気の毒だ。
「アージェンタ市にも屋敷があるからそちらから通うわ。タマも連れて行きましょう」
方伯家にはいくつかの邸宅と巡礼者達に貸し出している宿、聖堂騎士団に与えている屋敷など帝都に何十もの所有物件がある。
コンスタンツィアは祖母のメルセデスが幽閉されていた屋敷に入るつもりだった。
「じゃ、今日はクセシア様の神殿に行きましょう!」
「構わないけれど、どうして?」
「なんといっても成長の神様ですし。はやくお姉様に追い付きたいんです!」
コンスタンツィアとお揃いの服を着たいヴァネッサも最近ぐんぐんと背が伸びているがコンスタンツィアにはまだ及ばず、さらに神頼みをしていた。




