第2話 セクス・ノエム・リベル
帝国貴族リベル家は内海貿易事件で多大な負債を負った。
裕福な平民を婿に招き入れてなんとか貴族の体面を保っているだけ。
そう揶揄されれてきた。しかし、ノエムは母と父は普通に恋愛婚だと聞かされて育ってきた。
貴族社会はそれを認めず、リベル家は社交界から排斥された。
ノエムの母は開き直ったかのように世間で非難の的になっているシレッジェンカーマを信仰して9人の子供を産んだ。通常子だくさんな女性は帝国貴族の中では大いに尊ばれるのだが、相変わらずノエム家はのけものにされ続けた。
だが、帝国政府の方針で貴族年金を打ち切られて困窮した貴族が増えていくと、リベル家に子だくさんの秘訣を聞きに来る貴族が増えた。
子供を産めば出産助成金が得られるので当面の生活は可能になる。
あまりにもあからさまに接近し、社交界に戻してやると恩着せがましくいってくる彼らにノエムの母は今度は自分から貴族社会と距離を置いた。落ちぶれた貴族の中には次々と悪事に手を染める者が現れたり、高級娼婦に身を落としたりする者が増えて紋章院に貴族籍からさえ除籍されてしまった。
◇◆◇
セクス・ノエム・リベルは幼い時から近所の孤児院の手伝いをしている。
兄妹がたくさんいるので世話を焼くのは慣れたものだ。孤児院の院長はいつも生活が苦しそうだったが、ダルムント方伯家が援助してくれるようになって大いに改善した。方伯家は慈善事業として帝国各地で孤児院への出資や野犬、野良猫の保護活動をしている。
本来政府、各自治体がやるべき事業だが、赤字財政の為予算は削減される一方だった。放置する事は出来ず、誰かがやらねばならない事だった。こういった活動は主に大貴族の女性達が暇つぶしがてらに主導していた。
コンスタンツィアもその一人。
彼女の母エウフェミアに連れられてやってきた所にノエムが居合わせて知り合った。
リベル家の周囲の人々が変わってもコンスタンツィアはまったく変わらずノエムとも孤児たちとも平等に接していた。
◇◆◇
まもなくマグナウラ院入学の為、準備に忙しい最中もコンスタンツィアは孤児院を訪れてくれた。たいがい子供が喜ぶようなお菓子や玩具を持ってきてくれている。
「お帰りなさいませ、お姉様」
「あら、リスタ相変わらずね」
リスタと呼ばれた少女はコンスタンツィアより一つ年下で元帝国貴族。
両親が投資に失敗して穴埋めの為、犯罪に手を染めてしまいそれが露見すると帝国追放刑に遭い彼女は孤児院に入れられた。親は全ての名誉、財産を失い、獣の皮を被されて法の保護下から外される。どんな扱いを受けても治安当局にも無視されるので国外逃亡するしかなくなる。
残ったリスタを誰も助けてはくれない。
貴族の血を欲しがる平民が引き取ろうとしたが、彼女は断固拒否した。
今も貴族のつもりで気難しく、周囲の子供達も遠巻きにしており孤児院でも誰にも馴染めていない。もうすぐ大人といっていい年齢に差し掛かったので来年か再来年にはここを出て自分で働いてもらわねばならない。
自分の立場が未だ理解出来ておらず、コンスタンツィアに対してさえツンとして気位が高いままだった。コンスタンツィアとノエムはこの子の将来を危惧していた。
「お裁縫は上達したのかしら?」
「お針子の真似事だなんて出来ませんわ、名誉ある伯爵家の娘であるわたくしが」
「あらそう?わたくしは自分で縫ったり洗濯したりしますけれどね」
方伯家の屋敷では基本、洗濯や掃除は魔術装具のボタンを押して魔力を流すだけなのだが、コンスタンツィアは母と共に時々自分の手を動かしていた。
高価で繊細な家具は手作業が必要なので手慣れた掃除婦の仕事もある。
元貴族の彼女ならそういった高価な物にも見慣れているだろうし、ひとまずそういう仕事についてはどうかと孤児院は推奨していた。
しかし気位の高いリスタは掃除婦だなんて、と嫌がり他にお針子はどうかと言われてもすぐに投げ出してしまっていた。
「お姉様はお姉様ですわ、わたくしとは違います」
お小言の気配を察してリスタは逃げてしまう。
彼女が立ち去るとようやく他の子供達がどっと押し寄せてきた。
◇◆◇
コンスタンツィアがお土産に持ってきたお菓子とお茶の時間が終わり、ノエムと共に帰路についた。
「コニー様が戻ってくれて皆も喜んでいましたね」
「わたくしの事忘れられてなくて良かったわ。・・・小さい子が随分減っていたみたいだけど」
「一人は最近事故で亡くなりました」
ノエムはどこかの貴族の馬車に轢かれて死んでしまった子供の事をコンスタンツィアに告げた。
「そう・・・残念ね。他の子達は?引き取り先が見つかったのかしら?」
「ええ、いろんな所から引き取りたいって申し出がありました」
「どれくらい戻ってきてるの?」
コンスタンツィアが尋ねたのにも理由がある。
里親に虐待されて逃げ出してきたり、孤児院に保護されるまで悲惨な境遇で生きてきた子供はどうしても新しい家に馴染めずに帰ってくる事があった。
「いえ、それが全員定着しているようですね。聖堂騎士の方がいろんな国で巡礼者に声をかけてくださったそうです」
孤児たちの多くは帝国外の地域に旅立っていった。
「そう、巡礼に出るような人なら辛抱強そうね。一安心だわ。あのやんちゃなピエールも?」
「ええ、喧嘩して戻って来るかと思いましたが意外でしたね。ピエールは近くに住んで鍛冶屋の見習いをしています。少ないお給金からお土産を持ってきてくれるんですよ」
ピエールはコンスタンツィアのスカートを何度も捲った少年で、その度に周囲は真っ青になったものだった。援助が打ち切られるのではないかと孤児院の先生方はピエールを引っ叩いて額を地面にこすりつけんばかりに謝罪したが、コンスタンツィアは子供のやる事だからと許した。
「あの子が恩返しをねえ・・・意外だわ」
と、そんな話をしていると突然コンスタンツィアのスカートが後ろから思い切り捲られた。
「お帰り、コニー姉ちゃん!うおっと!すげえっ大人っぽい下着!!」
咄嗟にコンスタンツィアーはスカートが広がるのを抑えつけたが、街中なので誰かには見られたかもしれない。帝都に戻ってから適当に流行りの下着を出入りの商人に発注して、その黒の下着を穿いていた。
抑えてから慌てて振り返ればピエールがいた。
「あ、貴方ね。ピエール・・・もう子供じゃないのですから、これは犯罪よ」
「またまた、そんなこといってねーちゃんも嬉しかったくせに」
怒り半分、心配していた子供に三年振りに会えて嬉しさも半分だったのでコンスタンツィアの表情を誤解された。
「ピエールくん、平民には下着をつけていない子もいるのですからめっですよ」
凝りていないピエールにノエムも叱りつけた。
「へーい」
「コニー様だから許してくれていたようなもので、普通は本当に首ちょんぱですからね?」
まだ通じていないようなのでノエムは真剣な顔で忠告した。
子供の悪ふざけでも貴族のコネで適当な罪状を法解釈でこじつけるのは不可能ではない。
「ノエム、わたくし今回は許したとは言ってないわ」
「え?」
ノエムが振り返るとコンスタンツィアの目はかつて見た事が無いほどに冷やかだった。
「孤児院の中じゃなくて街中で衆人環視の中でこんな辱めを受けて・・・許せると思うの?働きに出たのならもう子供ではないでしょう?」
コンスタンツィアの周囲には魔術装具が浮かんでヒュンヒュンと回転し始めていた。周囲の市民が巻き込まれてはたまらないと慌てて逃げ始める。
余りにも激しく回転するので地面から土埃が舞い始めて竜巻を起こし始めた。
平民のピエールには目の前のコンスタンツィアの背が突然何倍にも伸びて、周囲は真っ暗になり、突然冷気に襲われたような感覚を覚えた。
「ピエールくん、ピエールくんどうしましたか?腰を抜かしちゃったりして。コニー様の冗談ですよ、今回は」
「え、ええ?」
ピエールは気がついたら、地面にしりもちをついてコンスタンツィアを見上げていた。周囲の空気の冷たさも錯覚だったようだが、恐怖はまだ心に残っている。
「今回が最後ですからね」
にっこり笑うコンスタンツィアの顔を今までと同じようには見れないピエールだった。




