第1話 選帝侯の娘
「時は来た!!」
帝都の街角で突然くわっと目を開き大声を出した老人がいる。
通りすがりの人々はびくっとしてそちらに視線をやったが、ああ、またかという反応をして再び歩き出した。
帝国人ではないある三人組はまだしばらく足を止めていた。
うち二人は目の下の頬が突き出た部分を黒く塗っている。
陽の光が反射して目に入るのを防ぐ北方圏特有の化粧だ。
「ああ、吃驚した。何よ、あれ」
「時の神の神殿で鐘突きしてたじーさんだってよ。時計台が出来て仕事無くなってボケちまったんだと」
「ふうん、ひと昔前とは随分変わったのね」
神殿の鐘の音がうるさいと周辺住民からの抗議があって、時の神の神殿は代わりに大時計を置くようになった。街中の商業施設にも時計台は置かれているので神殿の地位はますます下がっていった。
「そんなに昔かあ?アンタがこっちに居たのはまた10年前だか20年前だろ?ストレリーナさんよお」
老人の声に驚いていたのは北方選帝侯の娘ストレリーナ。
青みがかった美しい銀髪の持ち主であり、二人のお供を従えて久しぶりの帝都を闊歩していた。男女の供のうち男の方は刃を厚い革で覆った槍を持っている。
「まだ20年も経ってないわよ、失礼ね!世の中の変化がそれだけ激しいって事よ」
「どうでもいいけどよお、出産したばっかなんだろ?いいのか?」
「預けてきたから平気よ。お乳が張って痛いけど」
「そういう事じゃねえんだが、アンタ他にも姉妹いたろ。代わって貰えば良かったじゃねーか」
「皆、あんまり帝都に来たがらないのよ。私は留学していた事があるからいいけどね。それより貴方達まで留学することになるとは思わなかったわ。イーヴァル、ペレスヴェータ。目は平気なの?」
ペレスヴェータと呼ばれた女性は盲目で声も出せない。
杖を突きながら二人の後ろを歩いている。
「平気らしいぜ。一応特例で魔術の使用許可も降りてるから適当にうまくやってんじゃねーか」
ペレスヴェータは手振りでその通りと応えた。
彼女達は帝都の中心部ヴェーナ市の貴族街へと徒歩で向かっていた。
帝都の道は広く、十分な数の馬車が往来出来るよう道の中央は二車線の馬車通りがあり、歩行者の歩道と明確に区分けされていた。
その馬車通りでストレリーナ達が見ている前で一人の子供が遊んでいる最中に馬車の前に飛び出し、轢かれてしまった。
御者が降りて、子供の状態を確認するとそのまま自分の膝を子供の首にあてさらに体重をかけた。
「何をやっているの、あの男」
「あーあれな。慰謝料払いたくないからトドメを刺してるんだろう」
帝都の最近の情勢を知るペレスヴェータは二人の話を聞く前に先に歩み出して御者を突き飛ばした。
「何だ、お前は?どこの田舎娘だ。この馬車に何処のお方が乗っていらっしゃるのか知っているのか!?」
ペレスヴェータの上半身は裸に獣の皮を着ただけの野卑な恰好なので御者は従属国の娘と侮った。先ほどのお返しにと彼女を突き飛ばした。
すると服がずれて白い乳房が露わになってしまった。
通りすがりの好色な男達がはやし立てる。
ストレリーナと話していたイーヴァルがそれに気付き走り寄って毛皮のマントをかけてから、御者に向かって拳を振りかぶった。
「お待ち!」
北方候の娘の言葉は鋭くさすがに気迫が籠り、イーヴァルも動きを止めた。
「子供はどうなったの?」
「もう死んでる」
イーヴァルはちらりと見て答えた。
「帝国人は子供を何よりも大切にする伝統を持っていたのに落ちぶれたものね」
「まったくだ」
ペレスヴェータを助け起こし、野次馬を追い払ったイーヴァルも同意する。
「何事だ」
一向に進まないので馬車の中から主が御者を叱責した。
「はっ、無礼にも子供が飛び出しその母親が文句をつけて来ております」
「物乞いか。金でもやって去らせろ」
「承知しました」
御者は懐から金を出して地面にばら撒いた。
「それ、拾うがいい。ご主人様に感謝するのだぞ」
それを見てストレリーナは命じた。
「よし」
金を拾おうともしない三人と聞きなれない言葉に御者は間抜け面を晒す。
お許しを得たイーヴァルはその顔面を殴り飛ばした。
殴り飛ばされた御者は倒れ伏したまま高慢な態度を保って言い放った。
「きっ、貴様。俺がどちらに仕えているのか分かっているのか?」
「知らねーよ、間抜けが」
「畏れ多くもシャルカ家の第一の家臣アヴェリティア家のルクス様なるぞ!」
「知らねっつの」
イーヴァルは御者をさらに蹴り飛ばした。
「その辺でいいわ。いくわよ」
ストレリーナは殺されてしまった子供の連れの友人に家族を呼んでやるよう言ってから立ち去ろうとした。
「待てい、貴様ら!」
豪華絢爛な馬車の扉を開けて、やたらと贅の限りを尽くした服をまとった男が出てきた。
「何よあれ、じゃらじゃらと悪趣味ね」
全ての指に大きな宝石がついた指輪をつけて、服は金糸銀糸で豪奢な飾り付けがされて、首飾りも非常に重そうだった。
「我が名を聞いて恐れ入るどころか臣下に暴行を加えるとはどういう料簡だ田舎者め!主人は誰だ!!俺が叩き切ってやる」
ルクスは剣を抜いて周囲を睨みつけた。
「田舎なのは否定しないけど人に言われるとどうにもイラっとするわね」
「殺してもいいか?」
「そうね・・・いや、私がやるわ。貸して」
イーヴァルは無言で預かっていた幅広の刃を持つ槍、グレイブをストレリーナに差し出した。受け取ったストレリーナは革の覆いを取り払って刃を剥き出しにした。
「な、なんだ。どうする気だ?俺が誰だか理解しているのか!?」
ルクスは剣に手をかけたままストレリーナに警告する。
「どこの何様であろうと武器に手をかけた以上、殺す」
ストレリーナの目には明らかな殺意があり、その目を恐れたルクスは恐怖を振り払うかのように逆に切りかかった。
ストレリーナは銅金で剣を受けて、グレイブを回転させて石突の側で肘を打って体勢を崩してから大きく振りかぶって斬ろうとした。
が、騎馬の一団がやってきてそれを止めた。
「待て待て待てい!!」
止めたのは帝都の治安を維持しているアイラグリア家の騎士達。
「帝都でみだりに武器を出してはならぬ。そのほう、いったい・・・おや、ストレリーナ様ではありませんか。一体何事ですか」
「あら、お久しぶりね。そこの男が私に剣を抜いて斬りかかって来たから身を護っていた所よ」
ストレリーナもかつて帝都に留学に来て、諸皇家と親しく交わっていたので彼女を知る騎士も多かった。
「誰です?」
「忘れたわ」
起き上がった御者がまた高慢な物言いで自分の主人の名を告げるも騎士達は冷然と見下ろした。
「馬鹿め。北方候のご息女を侮辱するばかりか殺害しようとするとは・・・。者ども、こ奴らを捕えい!!」
ストレリーナは選帝侯の娘であり、皇家よりも宮中序列は上である。
ルクスは所詮皇家の家臣。相手を田舎者だと思い侮辱し、何だかわからぬまま抵抗して騎士達に連行された。
◇◆◇
後日シャルカ家の当主はストレリーナの元を訪れて事件について謝罪し、ルクスを蛮族戦線送りすると言ったが、ストレリーナは足手まといであるとして断った。




