第1話 帝都大火
星々が黒煙に隠れて消えていく。
夜空に火の粉が舞い踊り、見上げれば闇夜に君臨するかのように銀に輝く月があった。その大きな満月は星々を従えて天道を行き、地べたを這いずり回る蟲達には見向きもしない。
月から放たれる銀光は何百万もの人々が暮らす冬の帝都を照らし、星々を翳めさせ、寒々しい色の光を地上に注ぎ込ませていた。
だが、その光も地上から立ち昇る黒煙に徐々に遮られて消えていった。
”彼女”は高層建造物が立ち並ぶ帝都の中でも一際高い建物の屋上に居た。
その巨大な城のような建物は四区画あり、そのうちの屋上のひとつに彼女はただ一人取り残されている。そこから消えゆく月を眺めていた彼女は次に地上に視線を落とした。
火の粉はほうぼうに飛び散って延焼を起こしていた。
逃げ場は無く、絶望的な状況で彼女の瞳ももはや虚ろだった。
彼女がいる建物の基礎は石造りで鉄骨すら使われていたが、近年の増築で高層部は重量を軽減する為木材も多用されていた。建物は商業施設、王侯貴族向けの宿泊施設、飲食店、会議場、娯楽・賭博場などが入った多目的施設だった。その内装が燃え上がり、屋内の人々は煙から逃げ惑っていた。
建物の窓の一部が割られて開放されると人々は新鮮な空気を求めて顔を出した。
赤い海で酸素を求めて海上に頭を出す魚のように。そして屋内の火も人と酸素を追いかけて外へと吹き出し、人々は一瞬にして炎に包まれて燃え上がった。
炎と煙から逃げる為、あるいは切羽詰まった人に押され、人々は窓から地上へと次々落下していった。地上で消火活動に従事していた消防隊や野次馬からも悲鳴が上がる。
新帝国歴1432年。
屋上の姫君の婚約披露の宴に集まった人々は着飾った衣装と地表を己の血で真っ赤に染めた。
高層部分が黒煙に完全に覆われ地上の様子すらわからなくなると彼女も彼らに続いて飛び降りた。彼女は終末後の世界に生まれ変わる事を祈りながら地上へと落下していく。
黒煙を抜けまた一人地上へと落下していく人影をみて地上の人々はアーと声を上げた。このまま落下して地上に激突してしまえば物語はここで終わる。
だが、もちろん物語はまだ終わらない。
これから幕を開けるのだ。
彼女には当然救いの手が差し伸べられた。
火花を散らせながら壁面を走る少年の影を地上の人々は仰ぎ見る。
壁面を駆けあがる少年の動きは雷光のように素早いが、目を瞑っている女性はそれを見る事がなかった。自分に気づいて手を伸ばしてこない為、少年は舌打ちして方向を転換しわずかに上まで登り、それから斜めに駆け下り、彼女を横抱きにして壁面を蹴って空を跳んだ。
落下速度を殺す為に力の向く方向を巧みに逸らして少年は女性を抱えたまま別の建物の屋上へと横に飛び移ったのだった。少年は左足から着地しそこを軸に回転しながら右足でズザザと摩擦を起こして速度を殺した。衝撃が少年の肉体を苛むが、少年の足に埋め込まれた魔石の力は少年の肉体を守り切った。
意識を手放そうとしていた女性が着地の衝撃でようやく気づいて声を漏らした。
「だあれ?」
女性は各国の王侯貴族や地方在住の帝国貴族も帝都滞在中に利用するナクレス・ネッツインの利用客だった。そして、その中でも最も古く特に高貴な家柄の帝国貴族の紋章が入ったドレスを着ていた為、少年は汚れた服で強引に横抱きにしている事を詫びて名乗った。
「だれ?」
つい先ほどは着地の衝撃で視界もまだ定かでは無かった様子なので自分に気付かなかったのだろうと思っていた少年は愛しい姫君の意外な一言に間抜けな声を漏らした。
「え?」